香港返還から10年

19970701hongkong.jpg7月1日朝、テレビをつけると6000万人以上の党員を有する世界最大の共産党のトップ、胡錦涛国家主席が、真剣な形相でピンポンに興じているではないか。画面のテロップには「香港返還10周年」。

そうか、もうあれから10年も経つのか。1997年7月1日、香港がイギリスの植民地から中国に返還された日から10年目になる。まだ覚めやらぬ意識が10年前の香港にトリップする。

香港返還をまえに、香港の労働組合やNGOなどは返還後も民主的スペースを守りながら活動を続ける、という意味を込めてさまざまな活動を展開していた。

6月30日には香港議会前広場で集会とブースによる団体紹介、そして7月1日になる瞬間をはさんだデモ。二階建てトラムからはデモ隊に手をふる市民も。これ以上は行けない、という香港警察の規制を突破してすすんだ。返還後はどうなるか分からない、とにかく返還直前の政治的空白の時期にできるかぎりの民主的スペースを切り開いておく、という香港の運動団体の意気込みを垣間見た。

あれからもう10年か、と感慨にふけっている場合ではない。香港は世界でも有数のタックスヘイブンだ。また中国本土が90年代からすすめた新自由主義政策におけるマネーの逃避地として、中国資本主義の復活をささえたことも忘れてはいけない。

そして、そのころには全然知らなかったのだが、実は返還を前後して、ジョージソロスなど投機筋と香港・中国政府との間で熾烈なマネーの攻防が行われたことも、返還10年に際して、記しておいてもいいだろう。

『人民元・ドル・円』(田村英男、岩波新書)から当時の様子を紹介しよう。

「香港はもともと大陸マネーの逃避地として使われてきた。九七年七月の英国の香港返還前には、国有企業が香港の不動産や株式市場に集中投資した。国有企業幹部や特定の国有企業を傘下に置く北京省庁の幹部は、その国有企業に入ってくる売上代金を、その香港の子会社や幹部名義の香港の銀行口座に振り込ませる。この資金が香港の不動産、株式投機に回り、バブル主因の一つとなった。ところが返還後のアジア通貨危機で香港バブルは一挙に崩壊し、国有企業は膨大な損失を被った。」

中国政府は、返還後を心配する香港市民に対して「香港の明日はさらによくなる」という政府スローガンを掲げて、ばら色の未来を提示した。しかし訪れたのはアジア通貨危機にともなうバブル崩壊であった。

香港の災厄はそれだけにとどまらなかった。返還を前にした97年5月、ジョージソロス系ファンドが香港ドルの売り浴びせを開始するという情報を察知した中国政府は、香港政府が保有する米国債を売却して香港ドルを買い支えざるを得ない、と発言し、アメリカ政府に対してヘッジファンドの横暴にストップをかけるように暗に要請した。

当時日本に次ぎ世界第二位の2000億ドルの米国債を有していた。大量の米国債売りは、米金利の上昇と株式市場の混乱を招くおそれがあったことからサマーズ米財務副長官らは「国際金融センター香港の安定は重要」と発言を繰り返し、ジョージソロスは9月に香港で開かれたIMF世銀総会のあとで「香港は特別だ。香港は何よりもまず金融センターであり、金融センターは原則的には、通貨が過大評価されたままでも無限に行き続けることができる」と発言し、通貨の売り浴びをとどまったことを匂わせた。

しかしそのソロスは、98年8月に再び香港ドルに対する投機を仕掛けた。結果的にこの攻撃は香港政府の異例の市場介入(金利300%UP、株式市場への介入)によって撃退され、ソロスは20億ドルの損を出した。この投機の仕組みはまた次回にでも詳しく解説するが、はっきりしていることは政治的意思にもとづいて断固たる措置をとることで、通貨市場の乱高下、ひいてはそれにともなう経済および社会の混乱を最小限に抑えることができる、ということである。

しかし香港政府や中国政府は、人々の生活を守るために投機マネーに対して断固たる闘争を行ったのではない。返還直後に為替および株価の暴落によって、面子を傷つけられることは何としても回避したかった中国政府の強い意向が見え隠れする。

香港はその後、2002年からの中国本土におけるバブルの再燃や投機マネーの氾濫などによって、好景気に沸いているようであるが、今年5月1日に行われた香港メーデの宣言文は次のようにこの十年の変化を述べている。

「今年のメーデーは、香港が返還されて10年目のメーデーである。返還から10年目の今日、経済規模と土地物価などは回復し、10年前の水準を上回っている。しかし労働者階層の収入、生活レベルはそのころには及ばないことは間違いない。金融危機、SARS騒動を経て、賃金の減少、福祉の後退、リストラなどによって、労働者の多くが10年前と比べ賃金が大幅に下がり、労働時間は増大している!
 雇用関係においても構造的な変化がみられ、アウトソーシングや臨時雇用化、有期契約化などの不安定な状況が出現している。
労働者階層は搾取されてきたが、香港特別行政区政府は、労働者の生死を省みることなく、財界に協力しその共犯者となり、労働者の基本的権利を抑圧している。返還後わずか2週間で、香港政府は立法局(国会にあたる:訳注)を正式に通過した団体交渉権法を凍結することを宣言、四ヵ月後にはそれを廃止してしまった。法律の廃止は労働者の集団的力を削ぎ、雇い主に権力が集中する不平等な関係が継続することになった。そして、金融危機(返還直後の97年10月:訳注)の衝撃に直面した際、労働者に団体交渉権のない中で、雇用者は自由に雇用契約を変更し、その結果、生活水準が大後退した!」

香港だけではない。香港をタックスヘイブンとして利用してグロテスクなまでに19世紀型資本主義に成長(?)した中国における十年の変化も見逃すことはできないだろう。

アジア通貨危機における唯一の「勝者」と言われる中国は、当時、非居住者の人民元取引に厳しい制限が課されていたなど、いまだグローバル経済への結合が不十分であったことが、激しい通貨危機の影響から逃れることができた理由だとされている。

しかし、とめどなく膨張を続け攻撃先を探して世界中を徘徊する投機マネーの流入などによって、いやま世界最大の外貨準備国となり、その資金を投資ファンドで運用し、国有企業が香港にヘッジファンドの子会社をつくり世界のハゲタカと丁々発止のマネーゲームを繰り広げ、国内市場の変動が一挙に世界同時株安を招くほどにまで、中国と世界のマネー経済は緊密な関係になった。そしてピンポン主席が卓球に興じているいま現在も、19世紀的な奴隷的工場で搾取されている沢山の労働者たち。

10年前に「英特納雄耐爾、就一定要実現~♪」と歌いながら香港の街角を歩いていたころには思いも寄らなかったのに。

その後も香港ではWTO闘争において貴重な体験をさせてもらったりした。今度は東アジアにおける二大金融市場に通貨取引税をかけるという巨大な夢を実現できたらと思う。
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