
『タックスヘイブン--グローバル経済を動かす闇のシステム』
著者 クリスチアン・シャヴァニュー/ロナン・パラン
訳者 杉村昌昭
作品社
1600円+悪税
『タックスヘイブン』が作品社から出版された。著者は経済ジャーナリストのクリスチアン・シャヴァニューさんとサセックス大学教授のロナン・パランさん。訳者は(反)グローバリゼーション関連の一連の書籍を翻訳している杉村昌昭さん。
ぜひ一読、いや二読も三読もおすすめしたい一冊だ。
■ グローバル経済に不可欠な存在
この本の優れたところは、あふれかえる財テク本での扱いと異なり、しっかりとタックヘイブンを悪者として扱っていること、そして何よりも、タックスヘイブンが腐朽する現代資本主義の一エピソードなのではなく、必要不可欠の支配構造の一つとして存在している実態を明らかにしている点だ。
「世界各国の大銀行は、少なくとも15箇所ほどのタックスヘイブンに関わりを持っているが、それは単にそこで脱税を工作するためだけではない。本書は、1960年代以降のオフショア金融センターの役割の拡大が、金融部門のみならず、生産部門においても、現代資本主義のダイナミズムのなかに組み込まれていることを明らかにしようとするものである。タックスヘイブンは、まぎれもなく、これなくしては現代の経済的グローバリゼーションは機能しないであろう、支柱の一つなのである。」(12ページ)
第一章「グローバル経済におけるタックスヘイブン」では、タックスヘイブンは、2005年の半ばにおいて、実質的に銀行の国際活動の約半分を占めていることが紹介されている。「国際的な貸付の半分はタックスヘイブンにある銀行からのものであり、国際的な預金の半分はこうした金融センターにある銀行に向かって流れている」(32ページ)と多国籍企業、ひいては新自由主義グローバリゼーションにとって必要不可欠のシステムになっていることにも触れている。
■ 最大のタックスヘイブンはロンドン
また一般的にタックスヘイブンは太平洋やカリブ海に浮かぶ諸島など、金融の中心地から遠く離れたところにあるかのようなイメージがあるが、本書はずばっとこう述べている。
「国際的視野から見たら、ロンドン市場は疑いもなく、地球で一番のタックスヘイブンなのである。ここに、先進国の他のオフショア金融センターの比重を付け加えてみたら、伝統的に辺境の地の小島に焦点が当てられてきた従来のタックスヘイブンのイメージとは、およそかけ離れたタックスヘイブンのイメージができあがるだろう。タックスヘイブンという現象は、何よりもまず強大な国々が発展させたオフショア活動に由来するのである。」(34ページ)
ロンドンがいかにして世界最大のタックスヘイブンの道を歩むことになったのかについては、第二章「タックスヘイブンの歴史」で再び詳しく触れているのでぜひ読んでいただきたいが、とにかく一般的なイメージを覆す(=金融資本や日米欧政府にとっては常識なのですが)タックスヘイブンの実像を明らかにしているといえるだろう。
第二章ではタックスヘイブンの歴史を扱っているが、とりわけ50年代末のユーロダラー(アメリカ合衆国の外で銀行に預金され貸し出されているドル)市場の誕生が、合法的なタックスヘイブンを一挙に金融市場の表舞台に押し上げたと述べています。基軸通貨の支配的地位をアメリカに奪われたイギリス中央銀行=イングランド銀行がふたたび金融市場を奪還するために大いに利用したことが、その後の投機マネーの破壊的膨張につながったことに触れている。
もちろんこの膨張に膨張を重ねたユーロダラーは新興国市場に流れ込みバブルを作り出し、そして弾ける。あとに残ったのは莫大な債務と生活の破壊だが、これはもう少し後の話。
タックスヘイブンが再び脚光を浴びて現在に至るのは、戦後資本主義体制を支えたフォーディズムモデルが危機を迎えはじめたころ。完全雇用や大量消費のフォーディズムモデルが70年代のオイルショックを経て完全に破綻した後、新自由主義イデオロギーとともにタックスヘイブンの存在が注目を浴びる。
「オフショア経済の発展は、現代資本主義の構造的危機への対応策の一つに他ならなかった」のであり、タックスヘイブンは、資本主義の危機を回避するための支配的構造による自衛策でもあった。
「企業にとって有利な税制、架空の所在地、取引の秘密保護、さらには足跡の残らない活動が行える金融市場といったものを提供することによって、タックスヘイブンは、まさに企業の必要にぴったりと対応する存在だったのである」(77ページ)
■ 国際舞台に躍り出たタックスヘイブン
具体的にタックスヘイブンを通じてどのようなことが行われているのか。第三章「タックスヘイブンでは、誰が何をやっているのか」では、個人投資家、多国籍企業、金融機関(銀行、保険会社、投資ファンド)、マフィアなどのほかに、国際会計事務所や先進工業国政府の中央銀行などがタックスヘイブンをどのように活用しているのかを説明している。不正の監視役であるはずの会計事務所自身が、企業の脱税を率先して手引きしていることなど、興味深い指摘がされている。
そしてこのような金融の無法地帯に対してこれまでどのような対策がとられてきたのかを第四章「タックスヘイブンへの対抗策」で解説している。ここで面白かったのは、アメリカ政府は当初、タックスヘイブンに対して闘いを挑んだが、結局敗北して、逆にタックスヘイブンをどんどん活用する方向へ転換したという箇所。70年代いっぱいまで抵抗は続いたが、80年代に入り国内にもオフショア市場を作って、金融の規制緩和競争に突入していく。
また、続発する通貨危機を回避するために、いくつかの国際的協議機関がタックスヘイブンの実態を調査したり、また911テロ以降にタックスヘイブンへの規制などが強化された、という一連の経過も紹介しているが、ここでも本書は驚くべき事実を教えてくれる。
「2001年9月11日のテロリズム攻撃も、何の変化ももたらさなかった。その直後にアメリカで可決された『パトリオット・アクト』(愛国者法)は、オフショア銀行の実践に抗する多くの措置を含んでいたが、ただし、それは、テロリズム活動と何らかのつながりをもっているとみなされる場合に限られていた。それ以外の面では、既成体制に手をふれようとはしなかったのである。」(132ページ)
そして、タックスヘイブンのブラックリストを公開してきたOECDは、当初の35箇所(これでも少ない方だが)から最終的には五つにまでその数を減らしてしまった。OECDはタックスヘイブンが自らの利益を損ねさえしなければそれを規制するつもりなどほとんどない。どうしてこうなってしまったのか、本書では次のように解説を加えている。
「OECDの目標は、結局、いかに脱税的な行為をも正常なものとし、課税率を全体的に引き下げて、諸大国が税による圧力を弱めることによって、タックスヘイブンを健全な競争に仕向けるか、それだけであった。」(134ページ)
そしてそれまでは国際金融のブラックボックスとして監視対象であったタックスヘイブンだったが、ついに歴史的に初めて、これらタックスヘイブン諸国の指導者が、テロリズムや金融の安定化などについての国際会議へ正式にパートナーとして招待されるまでになってしまった、と批判している。
■「希望」はわたしたちの運動如何に
結局、アメリカを始めとする国家や国際機関レベルのでタックスヘイブンに対する対抗策は敗北したが、「市民社会からの圧力」として、90年代後半からのアタックやタックス・ジャスティス・ネットワークなどの活動も紹介している。資本主義の行き詰まりは「タックスヘイブン」というパンドラの箱を開けてしまい、災いは投機マネーに乗って世界各地に飛び去っていった。わたしたちの運動が、最後にパンドラの箱に残っていた「希望」となることができるだろうか。
attacは、トービン税の導入とともに、タックスヘイブンに対する規制も主要な活動のひとつして設定している。この分野はぜひとも今後発展させていきたい分野である。
この第四章のはじめでも述べられているが、タックスヘイブンを規制することは政治的意思さえあれば極めて簡単である。
「タックスヘイブンを法律的に世界地図から抹消するのは、形式的には簡単なことである。つまり、大きな金融市場をもつ国家(アメリカ、イギリス、日本など)が、その国内法のなかに、タックスヘイブンの地域にかかわるいっさいの商取引は違法である、と書き込めば『充分』なのだ」(123ページ)
この視点は、トービン税導入をもとめるattacの考えともつながる。なぜならタックスヘイブンといえども、たんにタックスヘイブンの中だけでお金を回しておくことに何の意味もないからだ。マネーはタックスヘイブンと主要な金融市場の間をまわることで、その役割を果たす。求められているのはマネーの出所であるアメリカ、イギリス、日本などの国々おける取り組みである。
■ 依然として主権国家との格闘が運動の舞台
本書の「おわりに」ででは、この国境を越えたマネーの暴走が、実際のところは、国家の主権によって担保されていることに注意を促している。
「タックスヘイブンとなっている各地域は、国家主権の原則にのっとって軽課税・軽規制の場を提供し、グローバリゼーションの『取引コスト』を削減することを可能にしている。」(156ページ)
「すべての経済的取引は、規制や課税を行ういずれかの国家の権力に従属しなければ存在できない。」(157ページ)
「オフショア地域は、現代資本主義のグローバル・ネットワークの結節点になっているが、皮肉にもそれは、19世紀の終わりからはじまった世界的な国家の独立、つまり国家主権の原則が世界中に広がっていくことによって、はじめて可能になったのである。過去も現在も、国家の主権と、資本主義のグローバル化は、対立するどころか、同一の空間に属しているのであり、政府・多国籍企業・金融資本家・犯罪者などの出会う場所であるタックスヘイブンのオフショア経済を研究しないかぎり、このいずれをも理解することはできないだろう。」(同)
これについて、訳者の杉村昌昭さんは「訳者あとがき」のなかで、次のように述べている。少し長いが、ずばり言いたいことが述べられているので引用させていただく。
「グローバリゼーションは、一般に、多国籍企業やWTO・IMF・世界銀行などの国際機関が、国民国家を超えて超国家的に機能することによって成立しているとみなされているが---そして、そのことが、『帝国』の着想の根拠にもなっているのだが---、じつは、国民国家の存在を『法的根拠』にして、はじめてグローバリゼーション---とくに金融のグローバル化---が可能になっているのだということが、タックスヘイブンの機能の仕方の分析から明らかになるのである。したがって、国民国家の役割を無視あるいは軽視してグローバリゼーションを論ずることは空虚であることが、本書によっていっそう明確になると言えるだろう。これは『帝国』=グローバリゼーション=超国家的権力による世界支配という図式に、独自の角度から再考を迫るものである。タックスヘイブンがグローバリゼーションの核心部に位置し、そのタックスヘイブンを支える『法的根拠』が国民国家の存在にあるということは、国民国家がグローバリゼーションを支える根拠になっているということである。」(163ページ)
まさにその通り。本書は最初から最後まで、そして訳者あとがきまで、このような観点に貫かれて書かれている。この箇所は「敵は本能寺にあり!」「主要な敵は国内にいる!」とかぶつぶつ言いながら読みすすめた。
ん、そう考えると本の帯にある「グローバル経済の本当の中心は、名前も聞いたことがない、小国や島にある--」はすこし違うような気がしてきたゾ。まあいいか。
■「最後の宴」を終わらせよう
世界中を駆け巡っている利子生み資本などと呼ばれる投機マネーは、腐朽する資本主義システムのあらゆる隙間からあふれ出し人々の生活と地球の未来を危機に陥れている。歴史の舞台からは決して自ら降りようとはしないこの支配的体制は、人類と地球上のすべての生命の未来を犠牲にしつつ、最後の宴を永遠に続けようとしている。その最後の宴にとって欠かすことのできない強度のアルコールの名は『タックスヘイブン』。この宴を満喫しているマネーの亡者たちは、宴の終焉をすこしでも先延ばしにしようと、次から次へと『タックスヘイブン』追加注文をしグラスを重ね、ぐでんぐでんに酔いつぶれている。支払のツケはすべてわたし達の未来が支払わされようとしている。
『タックスヘイブン』を浴びるほど飲みぐでんぐでんになった酔っ払いどもに「もうひとつの世界は可能だ」と書かれたバケツの水をぶっ掛け、かれらを街頭に投げ出し、こんな「最後の宴」を一刻も早く終わらせなければならない。
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