
日本社会臨床学会第15回総会
日 時 2007年5月26日(土)・27日(日)
場 所 和光大学 Jホール(J401号室)(東京都町田市金井町2160)
参加費 2,000円(全期間通し)(交流会参加費3,000円)
〈プログラム〉
第一日(5月26日)
11:00~12:00
定期総会(第・期学会運営委員会事業・会計報告、第・期学会運営委員会委員選出ほか)
13:00~17:00
シンポジウム・ 生命操作の現在を検証する
発題1 臓器移植法「改正」・尊厳死法の現在と問題
古賀典夫(脳死・臓器移植に反対する市民会議)
発題2 少子高齢化社会と介護保険・尊厳死
高石伸人(九州龍谷短期大学)
発題3 脳死・臓器移植から再生医療への現在と問題
堂前雅史(和光大学)
司会 三輪寿二(茨城大学)・篠原睦治(和光大学)
18:00~20:00
交流会
第二日(5月27日)
10:00~12:00
記念講演 グローバリズムと心性操作
佐々木賢(神奈川県高等学校教育会館教育研究所代表)
13:00~17:00
シンポジウム・教育とグローバリズム
発題1 グローバリズムと愛国心教育はなぜ親密か
小沢牧子(社会臨床学会運営委員)
発題2 自己実現の教育とグローバル化・心理主義化
中島浩籌(法政大学・河合塾コスモ)
発題3 グローバリズムマシーンとしての学校教育
岡崎勝(名古屋市立小学校)
司会 原田牧雄(神奈川県立横須賀高校定時制)・林延哉(茨城大学)
〈お問い合わせ・連絡先〉
第15回総会実行委員会事務局
東京都町田市金井町2160 和光大学現代人間学部篠原研究室(本年4月より学部名、改称)
Tel:044-989-7777(内線5901) 携帯Tel:090-2735-6280
Mail:mutu-shino@gem.hi-ho.ne.jp
日本社会臨床学会事務局
茨城県水戸市文京2-1-1 茨城大学教育学部林研究室
Mail:shakai.rinsho@gmail.com
Fax:029-228-8314
Tel:029-228-8314
Web:http://www1.atpages.jp/sharin/
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ところで同シンポジウムでの小沢牧子さんの発題は「グローバリズムと愛国心教育はなぜ親密か」。詳しい案内では大阪の学校で使われてきた道徳のテキスト「にんげん」について述べられている。
(以下、小沢牧子さんの発題案内より)
大阪を中心として学校でもう40年近く使われてきた『人権教育読本・にんげん』というテキストがある。『心のノート』と同時期に改訂された新シリーズは、『心のノート』と大きさも厚さも学年編成の仕方も偶然同じだが、内容は正反対で、障害者問題をふくめ、反差別・反戦の姿勢を貫いている。ところがこの『にんげん』の評判は、当の大阪では子どもたちをふくめあまりよくないらしい。理由は「暗い」。暗いとは何のことだろう、と考え込む昨今である。そう言えば『心のノート』は、「せなかをぴんとのばしてすすんでいこう。もっとすてきなあなたをみつけよう」と、「明るい」のだ。行く先はきびしい。
(以上、小沢牧子さんの発題案内より)
・・・すいません。当の大阪の子どもだった僕も、小学生のころ、同じように「暗いなぁー」と友達同士で話し合っていました。小学校5-6年の担任が部落解放運動に熱心な人だったので、「にんげん」を使ったような記憶もある。渋染一揆とか、特攻隊の話とかおぼろげに憶えています。
確かに「にんげん」は暗いイメージ(特に表紙がね)があったけど、それだけではないとおもう。記憶がごっちゃになっているかもしれないが、どこかのテキストか本で見た、全国水平社の結成大会参加のために何日もあるいて参加した幼い女性たちもいた、という説明か写真を見た記憶がある。それには感動した。おなじく。(target="_blank">水平社宣言にも感動したし、社会を変えようという強い意志と希望が感じられた。この宣言の前には安倍首相のうさんくさい「美しい国」も色あせる。
人の世に熱あれ、人間に光りあれ。
万国の労働者団結せよ!に匹敵する希望の言葉だ。
これらの「言葉」が、「社会とは何の関係もない言葉」になってはいないか。
ところで同シンポジウムでの小沢牧子さんの発題は「グローバリズムと愛国心教育はなぜ親密か」。詳しい案内では大阪の学校で使われてきた道徳のテキスト「にんげん」について述べられている。
(以下、小沢牧子さんの発題案内より)
大阪を中心として学校でもう40年近く使われてきた『人権教育読本・にんげん』というテキストがある。『心のノート』と同時期に改訂された新シリーズは、『心のノート』と大きさも厚さも学年編成の仕方も偶然同じだが、内容は正反対で、障害者問題をふくめ、反差別・反戦の姿勢を貫いている。ところがこの『にんげん』の評判は、当の大阪では子どもたちをふくめあまりよくないらしい。理由は「暗い」。暗いとは何のことだろう、と考え込む昨今である。そう言えば『心のノート』は、「せなかをぴんとのばしてすすんでいこう。もっとすてきなあなたをみつけよう」と、「明るい」のだ。行く先はきびしい。
(以上、小沢牧子さんの発題案内より)
・・・すいません。当の大阪の子どもだった僕も、小学生のころ、同じように「暗いなぁー」と友達同士で話し合っていました。小学校5-6年の担任が部落解放運動に熱心な人だったので、「にんげん」を使ったような記憶もある。渋染一揆とか、特攻隊の話とかおぼろげに憶えています。
確かに「にんげん」は暗いイメージ(特に表紙がね)があったけど、それだけではないとおもう。記憶がごっちゃになっているかもしれないが、どこかのテキストか本で見た、全国水平社の結成大会参加のために何日もあるいて参加した幼い女性たちもいた、という説明か写真を見た記憶がある。それには感動した。おなじく。(target="_blank">水平社宣言にも感動したし、社会を変えようという強い意志と希望が感じられた。この宣言の前には安倍首相のうさんくさい「美しい国」も色あせる。
人の世に熱あれ、人間に光りあれ。
万国の労働者団結せよ!に匹敵する希望の言葉だ。
これらの「言葉」が、「社会とは何の関係もない言葉」になってはいないか。
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