
「アイルランドもの」で見たことのある映画は北アイルランドで1972年1月30日の血の日曜日を扱った「ブラッデ・サンデー」くらいです。歴史もほとんど知りませんでした。
(画像は1913年ダブリン・ロックアウトの際に労働組合が出したチラシ「スト破りがつくった服を買うな!」)
チラシやオフィシャルサイトでは
「愛するものを
奪われる悲劇を、
なぜ人は
繰り返すのだろう。」
というフレーズ。
映画の前に協賛のシネカノンの方から「ケンローチには労働者の立場からとった映画と、自由を求める人々を撮った映画がある。この映画は後者」との説明どおり、イギリスからの独立をめざす1920年代のアイルランドの話でした。
あまりネタばれのない範囲で書きますが、同監督のスペイン内戦を扱った「大地と自由」とおなじような感じ。ただ、「大地と自由」のほうがまだ安らぎや希望がみえた。「麦」はイギリス帝国主義によるめちゃくちゃな植民地支配ということもあり、そして1921年イギリスアイルランド条約をめぐり、自治派と共和国(独立)派で内紛が広がることもあって、非常におもーいムードが最初から最後までつづきます。
で、何が「うーん、どうか」というと、日本での宣伝あるいは狙いは
「愛するものを
奪われる悲劇を、
なぜ人は
繰り返すのだろう。」
というテーマが中心に据えられていることです。ケンローチは本当にそんなことが言いたかったのか?? たしかにイギリス軍(武装警察)が、現在のイラクの米軍とすごいかぶって見えることは確かですし、武装警察たちとの戦闘が終わっても自治条約をめぐり仲間内でたたかいが始まってしまうという、結末までほとんど救いのない話がメインなので、「悲劇をなぜ人は繰り返すのだろう」という設問も間違ってはいないのかもしれません。
けど、本当にケンローチがいいたかったことはそれだけなのでしょうか。もしそれだけがいいたかったのであれば、アイルランド民衆のあのたたかいは、単なる「暴力の連鎖」としてだけしか理解されないのではないか。映画のなかでも語られるイギリスのアイルランド占領を激しく揺さぶった労働運動のストライキの嵐も、内部分裂とおなじように「内なる暴力へ続く出来事」としてしか理解されないのではないでしょうか。
僕が生ケンローチの話を聞いたのは確かイラク戦争が始まってまもない数年前、イギリスで反戦運動をきっかけに大きな運動のうねりができはじめたころでした。「街頭で100万人もの人々が立ち上がった。イギリスの左翼は大きな転換期にある。」という、映画や芸術とはほとんど関係のない政治と運動の話を、ケンさんはいきいきと語っていました。
そんなケンさんが、たんに救いのない話だけを描くでしょうか?
ケンさん来日の数年前に『大地と自由』を見ていた僕は、ケンさんの話を聞いて、『大地と自由』では、あの激動の時代に歴史的には敗北はしたがもうひとつの選択肢が大衆的な基盤として存在していたこと、そしてケンさんは現実の運動の中でその選択肢をふたたび歴史から現実へとつなげるためのメッセージを映画を通して送っていたのではないか、と勝手に納得していました。
そして今回の『麦』もそう思えるような箇所が、『大地』よりも更に目立たない形ですが、いくつかのシーンにちりばめられていたと思っています。『大地』も『麦』もどちらも、歴史的には敗北したもうひとつの選択肢を選択した人間達が主人公です。
映画の中で、主人公たちがはじめてイギリス武装警察の獄につながれたときに、獄中で再開した鉄道運転士ダンが主人公のデミアンに「1913年のダブリン・ロックアウトでのコノリーの演説は聞いたか。」というシーン、そのコノリーの演説はこんな一文。
「明日、イギリス軍を追い払い、ダブリン城に緑(アイルランド)の旗を掲げようとも、社会共和国を組織しない限り、我々の努力は無に帰する。イギリスは、その資本主義者を通して、その地主を通して、その金融家を通して、彼らがこの国に植えつけたすべての商業的で個人主義的な制度を通して、私たちを支配し続けるだろう」
また1921年に締結されたイギリス・アイルランド条約に対してダンは、1919年の独立宣言「わたしたちは国家主権がすべての男女国民にあるだけでなく、その全所有物、全国土、全資源、全財産、国内の富をつくる全プロセスにあることを宣言した。・・・私有財産権は公的権利と福祉に従属するものでなければならないと再度断定す。 」に共鳴して共和国のために闘いに参加になぜこんな屈辱的な条約に甘んじるのか、と訴えたシーンなど、それこそがケンさんが、いまの世代につたえたかったもうひとつの選択肢だったのではないか、と思いました。
ちなみにコネリーさんとはこんな方です
この映画を見てそんなことを感じる人のほうがもしかしたら少ないのかもしれませんが、真赤々の色眼鏡でしか映画を見られない僕としてはそう感じてしまうのです。僕の勝手な片思いなのかもしれませんが。
ところでこの映画のタイトルになっている『麦の穂をゆらす風』、映画の中では英語で歌っているように聞こえるのですが、それでいいのでしょうか? ゲール語がどんなものか分からないので、もしかしたら英語によく似たゲール語でちゃんと歌っているのかもしれません。けど、こてこてのゲール語映画を期待したのですけど、それはないか・・・。
けっこう戦闘シーンや暴力のシーン(もちろん主にイギリスのごろつき武装警察によるもので決して暴力をよくは描いてはいませんが)がありますので、すこしきついかもしれません。あとオトコがけっこう中心でした。武装警察に家を焼き討ちされても「わたしはここからうごかないよ」といった女性にはすごいとおもいましたが。
長くなりました。すこしでも関心をもたれた方は、どうぞ映画館でご覧下さい。
『麦の穂をゆらす風』オフィシャルサイト
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