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日中国交正常化50年

1972年9月29日の日中国交正常化から50年。アメリカのニクソンがその年の2月に日本の頭越しに毛沢東と会談したことがきっかけ。というかアメリカは泥沼化したベトナム侵略で、頼りにもならない日本よりも中国の方がよっぽど頼りになると思ったのかも。日本はそのときは平和条約は締結せず、アメリカが中国と国交を結んだあと、当時中国の最大の敵だったソ連との関係を調整してからの締結。以下は、アメリカに出し抜かれて慌てて国交回復してから、さらにアメリカが中国と国交を回復(1979年1月1日に米中国交樹立)することがほぼ決まったあとで結ばれたのが日中平和友好条約。

以下は、それを論じた香港のトロツキストの機関紙の一つ『十月評論』より。数年前に訳してそのままだったので、今回ちょっと見直して公表することに。

本当は日中国交樹立の1972年ごろの関係論評を紹介したかったのだけど、『十月評論』が公然と刊行されるのは1974年からだし、若手の香港トロツキスト・グループは1970年からの怒涛の保釣運動をどう総括するかということで精いっぱいだったのか、日中国交回復を直接扱った文献が、いまのところ見当たらない。

どちらかといえば、やはりアメリカと中国の関係修復、とくに文化大革命から「世界革命」へと飛ぶ鳥を落とす勢い(けっきょく自分たちが落ちたけど)の毛沢東(派)が、ベトナム革命に敵対するに等しいアメリカ帝国主義との手打ちへの批判が多い気がする。

ということで、72年国交回復からの経過を簡単に振り返る内容となっている78年の日中平和友好条約についての当時の論評です。『十月評論』は映画「憂鬱之島」にも関連してくるのですが、それはまたいずれ。(い)

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日中平和友好条約について
狄遜


『十月評論』1978年12月10日号 掲載

日中両国の代表は、引き延ばされてきた日中平和友好条約を8月12日に北京で調印した。条約は1972年から拡大がはじまった外交と貿易関係を制度化し、将来の貿易協議に道を開くものである。条約では両政府の政策の如何なる転換にも言及されてはいないが、条約の重要性は、中国政府がひきつづき「アジアの平和と安定」を維持し、主要な帝国主義列強と共同でソ連に対抗する外交政策を引き続き保持することを約束したものである。

◎日中の和解

1972年以前は、日中間に外交関係はなく、貿易も極めて限定的であった。アメリカのニクソン大統領が72年2月に訪中したことで、日本の対中政策は転換した。同年9月、田中が訪中して外交関係を樹立し、一連の貿易協定を調印したが、平和友好条約の調印にはいたらなかった。中国政府は長年にわたり日米安全保障条約に反対してきたし、日本の自民党右翼は中ソ友好互助条約に反対してきた。中国は台湾の解放と朝鮮半島の統一を希求し、日本は逆に台湾と韓国の独裁政権を強力に支持し、これらの国家に巨額の投資を行ってきた。領土問題では、中国共産党は日本が占領している釣魚台諸島の所有権を主張している。付近で油田が発見されてから、この諸島はそれまで以上に重要になった。この他に、日本は韓国と協力して、中国が主権を主張する東海大陸棚の埋蔵鉱物を開発する準備をすすめてきた。

しかしその後、中国は主要帝国主義国に接近しソ連に対抗し始めた。毛沢東は日米軍事同盟にたいする支持を明言し、中国政府の外交員は、台湾・韓国の問題をスルーして日本と平和条約を調印する意向があることを明らかにした。75年から始まった平和条約に関する交渉で、議論が集中したのは「覇権」条項であった。中国は日本政府に対して、ソ連が拡張主義の「超大国」としてアジアで「覇権」を樹立しようとしていると断定するよう希望した。当時、日本はソ連と領土および漁業利権について交渉中であったことから、中国の提案を拒否した。

78年初めになって状況は変化した。日ソ漁業協定は調印されていた。アメリカの長期外交政策が中国をソ連に対抗させることだと伝えられた。また中国とベトナムの関係悪化により、中国は日本を取り込んでベトナムを孤立させるために、平和条約交渉を再開させた。ベトナムの外務副大臣が7月に訪日したが新たな借款を得ることはできなかった。

日中平和条約の交渉再開は速やかに進展し、中国は釣魚台問題を棚上げすることに同意し、日韓政府が大陸棚開発に調印した際には形式的に抗議するにとどまった。しかも日本の外務大臣に対して、80年に期限が訪れる中ソ友好互助条約は延長しないことを保証している。「反覇権」条項にはさらに「この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない」という条項が追加された【つまり、日米軍事同盟を承認している】。

◎ 貿易の拡大

72年に外交関係を樹立して以降、中日貿易は大幅に増加し、71年の9億ドルから78年には56億ドルに達する見込みである。78年2月、日本財界の訪問団が200億ドルを超す長期貿易契約に署名したことで、中国最大の貿易パートナーとなった。

日本から中国への輸出は鉄鋼製品、機械、人工繊維や石油化学原料をふくむ化学品が主なものである。これらは中国の基本な工業と運輸システムの建設に用いられ、鉱物や紡績製品の輸出の開発と強化につながる。中国から日本への輸出は、石油、石炭、鉄鉱石などの鉱物資源、生糸、食品などである。中国からの石油と石炭は日本にとっても特に重要である。というのも現在、日本が輸入する石油の8割は中東からのものだが、遠距離であり、欧米資本に支配されており、日本資本主義の弱点でもあるからだ。

このような貿易関係は、多くの半植民地国家が通常直面する問題を中国にも突き付けている。貿易赤字と外貨不足である。この他にも、日本の銀行がさまざまな信用を中国に供与しているが、おもには中国の鉱物資源を開発して数年内に輸出が拡大することを期待している。現在、日本の財界は海洋油田の開発と工場建設を協議している。また高まる日本国内の人件費に対応して、中国で繊維品を加工して輸出する可能性も検討している。

現在の世界的な経済衰退において、日本資本は中国との貿易の発展を望んでいる。しかし「中国市場」の魅力は、中国の労働者国家による外国貿易の独占によって制限されている。すべての協定は中国の経済政策の策定者によって受け入れられる必要がある。これは日本が韓国や台湾および東南アジアにおいて享受してきた投資および利潤の獲得の自由とは全く異なる状況である。しかし日本ブルジョアジーはアジアの半植民地国家における経済的浸透と搾取の強化を望んでおり、日本にとっては政治的意義は経済的意義を大いに上回っているといえる。つまり中国がアジアの現状維持を承認するという政治的意義である。

◎ 中国の政策の根源

平和条約の締結は日中関係におけるひとつの分水嶺を代表しているとともに、72年からはじまった中国の外交政策全体の発展をも代表するものである。資本主義政府と連携して社会主義革命とソ連邦、キューバに対抗するという外交政策は、中国スターリン主義の指導層の反動的性格を最もはっきりと示している。

中国共産党の指導層は官僚層であり、物質的特権によって腐敗しており、労働者や農民よりもはるかに高い生活レベルを享受しており、それが独特の社会階層を形成し、大衆とは明らかに違った自らの物質的利益をもっている。自らの特権的地位を防衛するため、この官僚層は自らの所在である労働者国家の客観的需用と矛盾する政策を推進する。

計画経済における効率的な運営には、すべてのレベルにおける労働者の主体的な民主的管理が必要である。通信と経済的調整が改善されるなかで、経済の計画はさらに地域化することが可能だし、その地域の労働者委員会は今まで以上に自ら決定を下すことができる。しかしこのような民主的コントロールの経済においては、中国に現存する不平等や特権を容認することはできない。ゆえに、官僚は自らの存在を防衛するために、労働者がいかなる決定権を持つことも阻止しなければならないのである。中国官僚は警察国家を樹立し、労働者は発言権もなく独立組織を結成することもできない。計画経済の極度の集中は官僚が決定権を独占するためである。大衆は経済運営の基本知識ですら学ぶことを許されない。その結果、非効率な経済運営と億万の労働者の才能と想像力の浪費がおこなわれている。

さらに広げたレベルで言うと、計画経済の最も効率的な運営のためには、国境をまたぐ経済計画が必要であり、それは中国、ソ連邦、そしてその他の労働者国家の経済的一体化に至るものである。しかし独立した国家がそれぞれの民族官僚層の権力と特権を基礎する限り、経済的一体化は各国の指導層の唯我独尊的地位を危険にさらすものになる。ゆえに、かれらの経済協力とは、せいぜいのところ貿易レベルにとどまり、本当に国境をまたぐ分業という経済的結合にはならないのである。

50年代後期から、中国官僚はますますソ連に従属しないことを表明してきたことで、ソ連官僚も中国への援助から撤退し、中国という困窮した労働者国家を孤立させた。今日、中国指導層は同じことをベトナムに対して行っている。民族的境界は計画経済の発展にとって障害となるが、官僚の利益にとっては逆に重要な防衛線となる。

スターリン主義の一国社会主義理論によれば、中国は日本およびその他の資本主義国家との平和共存および貿易を推進することで、経済的立ち遅れを克服することが可能だという。これはすでに時代遅れとなった国民国家という形式に官僚がしがみついていることを粉飾するにすぎない。

根本的に中国労働者国家の経済的困窮を克服するには、中国の孤立状況を打破し、アジアの、とくに日本の資本主義政権を打倒しなければならない。帝国主義を弱め世界革命に資するすべての政策は客観的に中国にとって有利である。しかし中国官僚にとっては、ごく小さなベトナム革命の勝利ですら、敵対する他の官僚層を生み出したと見なすのである。

ゆえに、中国共産党の指導層は、現状を維持し、資本主義政府を手助けして革命運動に打撃を与えようとする。[帝国主義との和解という]公然たる反動的外交政策をとることは、保守的社会階層としての官僚層の性質に合致しているのである。

◎和解に転換する帝国主義

1972年まで、アメリカ帝国主義の政策は、中国革命を孤立させ可能な限り押し返すことであった。ゆえに中国との協力を頑なに拒否してきた。アメリカによる軍事的脅威によって、中国は急進的な立場で自らを防衛せざるを得なかった。これは中国共産党指導層の反動的性格を覆い隠すことにもなった。ゆえに多くの人が72年以降の中国の政策の展開に驚かされた。だが実際には中国官僚層は基本的に変化しておらず、帝国主義者の戦術が転換しただけである。世界資本主義の危機に加え、ベトナム人民の英雄的抵抗、国際反戦運動の力がアメリカ帝国主義の力を大いに削いだ。しかし中国共産党は中国の孤立を打破するためにベトナム人民による帝国主義への攻勢を手助けするのではなく、逆にベトナムにおける資本主義を温存することでアメリカとの外交関係と貿易との取引とすることを提案した。

アメリカ帝国主義の衰退が、中国における資本主義復活を遅らせた決定要因である。だが中国は20年にわたって軍事的に脅威を受けてきた、そして現在においては日々その地位が低下しつつある資本主義に救いの手を差し伸べているのである。

◎中ソの分裂

帝国主義の政策の転換は中ソ指導層の敵対的関係をさらに強めた。まさにこの二つの官僚層が帝国主義と協力して相手に打撃を与えようとしていたことから、資本主義は両者の離反をそそのかして、漁夫の利を得ようとした。日ソ漁業協定と日中平和友好条約はその好例である。ソ連が日本に対してソ連領海で漁業をする自由をみとめて日本を中国から引き離して味方につけようとした。その後、中国は釣魚島問題と東海[東シナ海]の採掘権を棚上げして、いそいで日本との平和条約を締結し、日本の対ベトナム借款に制限を加えようとした。このふたつの事柄の結果は、日本ブルジョアジーが座して漁夫の利を得たことである。

原則のうえでは、中国と日本およびその他の資本主義国家が外交および貿易関係を維持することはおかしなことではない。日本が供給する工業製品や技術は中国の経済発展にとってただちに必要なものである。しかし資本主義世界の貿易拡大には反作用もある。つまり中国が世界市場の膨張や衰退の影響をいっそう受けやすくなり、貿易パートナーの経済的圧力をより直接に受けるようになるということである。しかし発展途上の労働者国家が必需品を外国から調達することはリスクが伴う。革命的な指導部であれば国家による外国貿易の独占によってこのリスクを低減させるだろうし、さらには帝国主義国の労働者階級に同盟を求めることで資本主義の圧力に対抗しようとするだろう。これこそ初期のソ連邦のボリシェビキ指導層が採った方策であった。かれらは、ソ連邦が受ける圧力を軽減するために、西欧諸国で革命政党を樹立し、ドイツとイギリスの労働運動が彼らの支配者に圧力をかけるよう呼びかけて、比較的優位な条件で貿易できるようにした。

これとは逆に、中国共産党と日本の財界指導者の秘密裏の交渉で、中国と日本の労働者は埒外に置かれた。人民に告げられた締結遅延の理由は「反覇権」条項において意見の相違があったということだった。しかし真の相違は条文の中にあるのではない。条約に関する交渉における困難な秘密協議と「了解」の真相は公表されていない。日本の労働運動は、中国に対して大いにシンパシーを感じてはいたとしても、日本の労働者が二国間の関係を発展させるにあたって、なんら役割を果たすことはできないということを確認させられたのである。

最も理想的な状況においても、資本主義国家との貿易には大きなリスクが伴うのに、腐敗官僚が帝国主義に譲歩するとなれば、このリスクは何倍にもなる。日本の交渉担当者は「ソ連への傾倒」という脅威をいかに利用すればいいのかをよく理解しており、中国からさらなる譲歩を引き出した。

ソ連の指導層は中国を孤立させることを望んでいることから、この条約が「反ソ」的なものだと批判して、日本に締結しないように説得を試みた。「反覇権」条項をふくんだ平和条約は、中国共産党政権がソ連を「主要な敵」とする政策の象徴とみなされる。中国共産党指導層はこの平和条約を明らかに重要な外交的勝利として締結したのである。

◎福田内閣に対するカンフル剤

中国の労働者農民の立場から長期的に考えると、この条約は歴史的な裏切りを代表したものだと言える。アジアの現状を保持することは、日本資本主義の勢力の強化を手助けするものであるが、それはこの地域における中国の致命的な敵なのである。同時に、この条約は政治的に中国の最も潜在的な力を持つ最強の盟友である日本労働者階級を武装解除するものである。

条約の締結によって、福田等の反動政治家が平和の使者として描かれる。最近の世論調査では福田[内閣]の支持が極めて低い水準から激高している。また日本では中国ブームが起きており、福田[内閣]はそれを利用して労働者農民を欺き、年末の総選挙での自民党勢力の維持を狙っている。

立場を表明していない日本共産党を除き、すべての議会政党が条約に賛成している。いっぽうで日本のトロツキー派組織の日本革命的共産主義者同盟は、この条約が「徹底して反動的な条約であり、労働者民衆の利益に背くものである」と批判している。1978年7月31日付の同組織の機関紙「世界革命」の論説によると、もし本当に中国政府が日本人民との真の友好を願うのであれば、中国政府は日米安保条約の破棄を求め、日本の軍拡に反対し、アジア全域での反帝国主義闘争を支持するであろうし、「日中の労働者民衆の友好と団結は、日本帝国主義の打倒を含むすべてのブルジョア政権に反対する闘争のなかでのみ樹立される」と述べている。

(以上)

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