
国ヲ葬レ:ブルジョアのブルジョアによるブルジョアのための「国葬」とアベノミクスを葬ろう
「国葬」は「国ヲ葬レ」と読む。階級支配の暴力装置である国家というシステムが葬られた自由で平等なもう一つの世界。その道のりは、いまだ階級闘争の遥か遥か彼方にある。だが「国葬」という自らの末路を暗示するかのような支配階級の支配階級による支配階級のためのイベントに対して上がっている全国各地から「国葬させない!」の声こそ、その道のりへの確固たる道標である。
黄昏のニッポン資本主義の危機を先送りにしてきたアベノミクスの化けの皮がいま剥がされつつある。長期のゼロ金利政策による金融緩和がもたらした空前の円安ブーメランは、ロシアのウクライナ侵攻によって加速度を増し、パンデミックにあえぐ黄昏ニッポン資本主義に襲い掛かっている。支配階級はその苦痛を今まで以上に人々の生活と労働、健康と命、そして自然環境に押し付けようとしている。そのアベノミクスの旗振りであり、一度死にかけた天皇制資本主義と、その首根っこを押さえつけ利用してきたアメリカ帝国主義にガクブルとしがみつきながら戦後の家父長的保守政治の世界を跋扈してきた一族の一人、安倍晋三が粗い手製のパイプ銃によってあっけなく射殺された。
カルト霊感詐欺集団の広告塔になっていたことが殺された直接の理由であり、まさに「墓穴を掘った」と言うしかないのだが、カルト被害者による模造銃の数発の弾丸ではなく、搾取も抑圧も戦争ないもうひとつの世界をもとめる巨万の「墓堀人」たちの怒りで、彼と彼を頂くシステムそのものを葬り去ることができなかったことが痛恨の極みだ。
小泉ネオリベ内閣を継いで首相になった第一次安倍内閣で教育基本法のさらなる国家主義化を進めた右翼政治家が、311大災害と原発過酷事故の対応に右往左往する民主党政権の屍を踏み越えて、ふたたび政権に返り咲いたのが2012年12月。「アベノミクス」と呼ばれる日銀マネーを使ったネオリベ金融政策は、大企業の巨額の内部留保と金融資本の肥大化、TOKYO2020に象徴されるウソと賄賂にまみれた巨大イベントをテコにしたマネーファーストで反人民的な都市開発、そして大軍拡と日本円マネーの大洪水による円安をもたらしただけだが、その原資は、消費増税と医療費抑制や年金切り下げなど公共サービスの切り捨て、そして20年も上がらない賃金と世界を襲う気候危機に象徴される人間労働と自然環境という生命からの苛酷な搾取からなりたっていた。
「株価が回復し日本経済に明るい兆しが見えてきた矢先…」などという戯言(ざれごと)の無責任性は、日銀マネーによる大量の国債買い取りや、「異次元緩和」で上場投資信託(ETF)なる金融商品を直接購入して株価を買い支えた似非バブルを作り出して「日本株最大の株主」となった日本資本主義「最後の貸し手」日銀の金融政策の行き詰まりに端的に表れている。ロシアのウクライナ侵略が世界規模での穀物危機や物価高騰を引き起こしているが、「アベノミクス」という名のモルヒネ政策に頼らざるを得ない日本資本主義の「最後の貸し手」は、24年ぶりとも言われるドル売り円買いの為替介入に踏み切った(実際にはイラク戦争や311福島原発事故後など為替介入は行われているが)。それは金利引き上げという資本主義の教科書的対応を取れず、金融グローバリゼーションの投機市場ベースに依拠した対応しかとることができないことの表れでもある。それもまた自業自得の墓穴なのだが、その大きな理由の一つが、為替介入による円高誘導(の無駄な努力)のほうが、金利を上げることよりも、黄昏ニッポン資本主義の支配階級にとっては痛みが少ないからである。10年つづいたアベノミクスによるゼロ金利で、金融資本はほぼゼロコストで資金を調達することができる。いっぽう預金者に対しては利息をはらう必要もない。むしろ様々な手数料によって預金者・庶民は「マイナス金利」を押し付けられてきた。その結果、金融資本の利益と大資本の内部留保は巨大に膨れ上がった。その意味でアベノミクスは支配階級に奉仕し、それなりの成果を収めてきたといえる。そして言うまでもなく、そのツケはコロナや失業、不安定雇用などで苦しむ人々のいのちと健康、そして生活や労働者の団結を犠牲にすることで穴埋めされてきた。それは家父長制資本主義というセクシズムに貫かれた社会の分断構造によって女性たちにより大きな犠牲を強いた。
「国ヲ葬ル」プレイベントを主宰する岸田文雄首相は、その危機のさなかの9月23日に(岸田曰く)「資本主義の中心」であるニューヨーク証券取引所(NYSE)で講演を行った。「私は新しい資本主義という経済政策を掲げている。これは日本経済を再び成長させるための包括的なパッケージ」、「大谷翔平になぞらえて言えば『新しい資本主義』の特徴はtwo way。成長と持続可能性のtwo wayだ」と切り出した黄昏ニッポンの首相の言う「新しい資本主義」の五つの優先課題の第一は「人への投資」であり、「まずは労働市場を改革する」ことであり、「ジョブ型職務給」「労働移動の円滑化」「女性の活躍」だという。NYSEにあつまったグローバルなブルジョアたちの「それ、ウチラでは前からやってまっせ。ぜんぜん新しくないヨー」という心の声が聞こえてくるようだ。
日本の労働運動のなかには「賃上げによる経済成長」を叫ぶ声もあるが、それは登場前から古臭い「新しい資本主義」のtwo wayを補完するだけだろう。賃上げそのものは必要だが、それと「経済成長」と結びつける必要は全くない。むしろ搾取と抑圧とセクシズムに貫かれた黄昏ニッポン資本主義の「成長」や「持続可能性」などいらない。「ブルジョアと家父長制の国ヲ葬レ」と叫ぶ新しい社会運動は全く別の道、another wayに踏み出す必要がある。世界規模のパンデミックがまさにパンドラの箱が開けられた感じがある。しかし、パンデミックの語源はギリシャ語の「パン(すべての)+デモス(ひとびと)」。パンドーラはギリシャ神話のゼウスが「地上に災いをもたらすために」作らせた人類最初の女性でその名前は「パン(すべての)贈り物(ドーラ)」に由来するという。未曽有のパンデミックを生き延びるために、世界のパンデモス、世界のパンドーラたちと連帯しよう。
食料・エネルギ危機と内戦に苦しむアフリカのパンデモスたち、フェミニサイドに対する怒りに立ち上がったイランのパンドーラたち、イスラエルの占領に抵抗し続けるパレスチナのパンドーラたち、リプロダクティブ・ライツ(中絶や生殖の自己決定権)の獲得とフェミニサイド反対にたちあがるアメリカ大陸のパンドーラたち、#MeTooとウエルガ・フェミニスタ(フェミニスト・ストライキ)に立ち上がる世界中の99%のパンドーラたち、System Change!(資本主義というシステムを転覆せよ!)を叫ぶ世界の若きパンデモスたち、気候災害の大洪水を生き延び民衆の生活ために債務帳消しを訴えるパキスタンのパンドーラとパンデモスたち、債務と腐敗の鎖を断ち切ろうと立ち上がったスリランカのパンデモスたち、ジェノサイドに抵抗してきたタミルやロヒンギャやウィグルやチベットのパンデモスたち、プーチンの侵略戦争に抗うウクライナとロシアとベラルーシのパンデモスとパンドーラたち、軍事政権に抵抗するビルマのパンデモスたち、特色ある一国二制度の専制と自由放任の資本主義独裁に喘ぐ中国・台湾・香港のパンデモスたち、分断と独裁を乗り越えようと奮闘する朝鮮・韓国のパンデモスたち、基地被害と民族差別に島ぐるみで抵抗する琉球弧のパンドーラとパンデモスたち、日本の入管や刑務所の監獄にとらわれ人権と命を奪われるパンドーラたちとパンデモスたち、震災と津波、そして収束が見通せない原子力緊急事態宣言が続く福島のパンドーラとパンデモスたち。そして全国津々浦々で「国葬反対!」の声をあげるパンドーラとパンデモスたち。
日本と世界のパンドーラとパンデモスたちとつくる、もう一つの世界は可能だ。
「国葬」に反対しよう。
2022年9月27日
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