
2022年の北京冬季五輪のスキージャンプの会場は、北京市の西部に位置する石景山区にある首都鋼鉄(首鋼)の工場跡地につくられた産業遺産のテーマパークに設置されている。人工雪でデコレーションされた巨大スキージャンプ台の背後に巨大な冷却塔や溶鉱炉がそびえたつ風景を観た人も多いだろう。
(参考映像)首钢滑雪大跳台二次塑形基本完成(首鋼スキージャンプ会場の人工雪造成が進む:中国語)
https://cn.chinadaily.com.cn/a/202201/10/WS61dc3e0da3107be497a01919.html

首都鋼鉄(首鋼)石景山工場は、1919年に設立され、日本の侵略によって満鉄の子会社となるなど苦難の歴史を経て、2011年に天津郊外に移転するまで同地区で鉄鋼生産をつづけた由緒ある国有製鉄工場で、人民共和国の象徴企業の一つでもある。
(参考)首钢——风雨89年,用岁月积淀精神(首鋼─89年の苦節の歴史)
http://www.kuangyeyuan.com/article/298

1990年代からの企業再編で10万単位の労働者がリストラされたが、首都・北京を代表する企業ということもあり、リストラにおいても政府の手厚い保護下にあったとされる。だがこの時期、中国で猛威を振るった企業再編の実態は、名目上は企業の「集団的所有者」であった労働者らから所有権をはぎ取り、資本主義社会と同じ企業の「被雇用者」の身分に転換するという、まさに階級移行の大転換を象徴するものだった。
中国の官製報道では企業再編に伴う配置転換は安定的に行われたと言われているが、前述の所有権のはく奪をはじめ、子会社への移籍、派遣会社への移籍など急激な変化に見舞われた。モデル企業である首鋼の労働者は手厚い保護を受けたかもしれないが、首鋼に続いて全国で進められた鉄鋼業界の企業再編では、労働者の抵抗によって経営者が殺害されるという激しい反リストラ闘争も見られた(2009年通鋼事件)。
首鋼をリストラされたのち、カーリング国家チームの専属練習場の製氷専属スタッフとして再雇用されたケースなども紹介されているが、それはごく一部の希なケースであり、中国の特色ある官製ストーリーの域を出ない。
(参考映像)首钢下岗轧钢工人转为国家冰壶队制冰师(首鋼リストラ労働者がカーリング国家チーム練習場の専属スタッフに:中国語)
https://www.bilibili.com/s/video/BV1uA411v74H

1989年の民主化運動を押しつぶし、90年代の大リストラ時代を経て、2001年には世界貿易機関(WTO)加盟というグローバル資本主義への合流を果たし、いまや世界第2位の経済規模を誇る中国。しかし、そこに至るまでには常に労働者たちの激しい抵抗がみられた。
経済自由化に伴う政治自由化を求めた89年北京の春では、首鋼の労働者らがストライキで学生を支援することを恐れた李鵬首相が同工場を訪れて労働者をなだめた数日後の1989年5月17日、学生らのデモに「首鋼工人老大哥」(首鋼労働者)と書かれた横断幕を掲げた200名の首鋼労働者らの姿があった。その翌日の5月18日、天安門広場には「首鋼 活着・勝利 声援」(首鋼は生きているぞ、勝利するぞ、支援するぞ)の横断幕とともに首鋼労働者らの姿があった。

三日後の5月20日、街頭には市街地に進攻しようとした人民解放軍の車両を「要民主、反腐敗」(民主主義をよこせ、腐敗反対)、「首鋼建築工人」(首鋼の建築労働者)と書かれた横断幕で遮る首鋼労働者らの姿があった。

30余年を経た今、金権主義と国家主義のスポーツ・ビジネス・イベントがここまでふさわしい国はないだろうというほどの抑圧社会となった中国。労働者は名ばかり「指導的階級」のまま、剰余価値を搾取される労働力商品としての役割を担わされ続けている。
首鋼石景山工場跡地にそびえ立つ北京冬季五輪スキージャンプ台と冷却塔のシルエットが、一度たりとも労働者民主主義が実現することのなかった「人民共和国」の墓標にみえるのは私だけではないだろう。
万国の五輪被災者、団結せよ。
(工人老大哥)

スポンサーサイト