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外交的ボイコット?人権を叫びながら金権には手を付けず

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2022北京冬季大会(オリンピック2022年2月4日~2月20日、パラリンピック3月4日~3月13日)でスキーやスノボなど雪上競技の多くが行われる張家口市は、日本による中国侵略の歴史で何度も登場する場所。外交問題や中国現代史を考えるうえで、この歴史は繰り返し思い出す必要がある。

張家口では、1925年には内蒙古人民革命党の第一回大会が開催され、中国共産党の創設者のひとり李大釗による労農兵大同盟の結成大会も開かれている。日本軍の傀儡国家「満州国」建国の翌年の1933年1月、関東軍が万里の長城をこえて熱河省に侵攻。張家口は隣接する察哈爾省の省都。当時、反蒋戦争の敗北後に蟄居していた馮玉祥が中国共産党の張慕陶らの協力のもと「察哈爾民衆抗日同盟軍」を結成した町でもある。1937年7月の盧溝橋事件の2ケ月後には日本軍が張家口を占領し、傀儡「察南自治政府」を樹立。38年には他の傀儡政府と合併した「蒙古聯合自治政府」の首都を置いた。45年8月にはソ連・モンゴル人民共和国軍の連合軍が日本軍と激戦を繰り広げた。張家口には蘇蒙聯軍烈士記念塔が建立されており現在も犠牲者を顕彰する式典が行われている。

そんな歴史のある土地で行われる北京冬季五輪が「外交ボイコット」で揺れている。

◎利権こそボイコットせよ

外交的ボイコット? そもそも変異種コロナが大流行しようかという最中に、税金を使った五輪豪遊旅行ができると思っていたのか、「外交ボイコット」の連中は。夏冬二年に一度の贅沢旅行。東京ではできなかったから北京では豪遊旅行やりたかったけど、どうせコロナで行けないのだから、政治的に利用しちゃえ、ということではないのか。日本はコロナ禍の東京五輪で中国に多大な借りがあるので、アメリカの顔色をうかがいながら五輪利権にしがみつくしかない。札幌もあるし。

「スポーツと政治は別。選手団の参加まではボイコットしない」と、一見エラそうなことを言ってるが、ホンネは「利権はボイコットしない」ということだろう。IOCの五輪貴族らふくめ「選手のため」「スポーツと政治は別」などと言っているが、金(カネ)メダルをさらに輝かせる美辞麗句にすぎない。多くのアスリートも利権だらけのオリパラのことは誰よりもよく知っているはずだ。人権よりも金権、#MeTooよりも$MoneyToo。これこそ祝賀資本主義の普遍的価値ではないか。

人権を掲げて外交ボイコットをいうのであれば、巨額の公金を公然と湯水のように浪費して準備される巨大なスポーツ・ビジネスのメガイベントの利権に群がるシステムであるオリパラそのものを永遠にボイコットすべきなのだ。

◎新疆ウイグル~二重の抑圧

新疆ウイグルにおける抑圧は、民族や宗教上での抑圧にくわえ、北京五輪に象徴される資本主義中国における資本の搾取という抑圧が加わっていることで、より苛酷になっている。

「資本を制限するのは資本だけ」という『資本論』の言葉通り、全世界に広がったグローバルバリューチェーンを通じて「新疆綿」に凝縮されている民族抑圧と資本による抑圧という二つの抑圧の矛盾が噴出している。

言うまでもなく欧米諸国をはじめとする資本家および資本家政府は、中国の民族政策における「二重の抑圧」の受益者である。中国における「資本の抑圧」はウイグルだけに限ったことではない。しかし「他民族を抑圧する民族は自由になれない」というエンゲルスの言葉は真実である。

日本においても民族差別はつづいている。労働者に祖国(国境)がないのと同じく、民主主義にも祖国(国境)はない。新疆ウイグルの住民を監視する顔識別などの治安技術は、その後、中国全土でも採用されている。いうまでもなくこれらの治安管理システムは、欧米、日本でも同じように導入されている。さらにいえばこの問題は、監視だけでなく軍事の中心になっていくIT技術をめぐる米中の覇権争いにまでつながっている。搾取も差別も戦争もないもうひとつの世界をめざすオルタグローバリゼーション運動にとっては、どちらの覇権も破滅的である。

◎祝賀資本主義の秩序は維持されている

中国政府は「政治家に五輪招待状を出してない。かってに外交ボイコットなどという言葉をつくり出して騒いでいるだけだ」と反論する。中国政府にとって、変異種コロナ拡大のいま、選手団をはじめとする大会関係者以外の入国を制限することに逆風はない。むしろ「外交ボイコット」で勝手に騒いだアメリカ政府に対する毅然とした対応が一層ナショナリズムを煽ってくれるという棚ボタが実現する。五輪はどこまでも国家と資本に奉仕する祝賀資本主義である。中国もまた五輪を政治的に利用する。利用というよりも政治的に使うためのツールであるのだから当然だ。

搾取も差別もなくならず、階級搾取のための暴力装置である国家もますます暴力的になっているなか、「スポーツは政治や社会とは別だ」などの言説は、おとぎ話にすぎない。西側諸国は言うに及ばず、階級のない社会(つまりは国家の役割もなくなる)であるはずの社会主義を僭称する自称「社会主義」の中国もまた、民族格差にとどまらず階級格差や国家暴力がますます強まっている社会である。このような後期資本主義の混迷する世界においてこそ、祝賀資本主義の出番なのだ。

オリンピックに関しては、アメリカもカナダも中国も、そして日本も、祝賀資本主義という同じ穴のムジナ。違うとすれば、中国では、それに対する批判をすると、秒速で暴力装置が襲い掛かるということ。暴力装置が襲い掛かるのは日本も同じだが、民族差別や階級格差だけでなく、支配階級のなかでの内ゲバがより激しい中国では暴力装置がより苛酷を極める。

中国共産党の前指導部ナンバー7の張高麗との不倫関係を暴露して連絡が取れなくなったテニス選手の彭帥さんの事件だけでなく、中国#MeTooを取り巻く状況は厳しさを増している。今年9月に拘束され10月に「国家転覆扇動」容疑で正式に逮捕され、いまも拘束中の中国#MeTooの立役者のフェミニストジャーナリスト・黄雪琴さんは今年初めのインタビューでこう述べていた。

「わたしが進歩的なのではありません。社会の後退が激しすぎるのです」

東京でも北京でもワシントンでも、醜い家父長制の祝賀資本主義のメガ・ビジネス・イベントにぴったりの支配者たちが君臨し、その秩序は維持されている。だがその秩序は永遠ではない。

◎08北京から22北京へ

北京冬季五輪のスキー会場がある張家口市崇礼区の街にこんなスローガンが掲げられている。

「北京で花開き、崇礼でも花が咲く」

2001年のWTO加盟でグローバル資本主義の仲間入りを果たし、2008年の北京五輪(8/8~8/24)で経済成長を誇った。そして22年2月に二度目の五輪が、同じ「北京Beijing」を冠して開催される。トランプ政権との米中貿易戦争を戦い抜き、コロナをいち早く封じ込め、香港の反乱を鎮圧し、今年21年には1億人以上の貧困問題を解決し、中国共産党結党100年を大々的に宣伝した中国共産党は、22年の冬季五輪を経て秋には五年に一回の党大会を控えている。この冬季五輪による国威発揚を通じて、内外に「新しい時代の習近平の中国の特色ある社会主義」を宣伝する絶好の機会ととらえている。

だが事態はそう楽観的ではない。中国政府は外交ボイコットなど、外部からの揺さぶりに反発しているが、それは内部の危機の反映に他ならないからだ。

1980年から本格化した改革開放から40年が経過した。改革開放は79年の「民主の壁」の弾圧をへて本格的に出発。その10年後には89年北京の春を叩き潰した天安門事件。労働者民主主義を徹底して押しつぶした政権がしがみついたのは、より一層のグローバル資本主義への合流という路線だった。「人権」を振りかざした欧米日は「経済成長を通じた民主化」なるブルジョアの夢で、中国の官僚独裁を支える。国有企業の民営化攻撃は2000年代初めにピークを迎えるが、抵抗する労働者らには「国家政権転覆扇動罪」が容赦なく適用された。WTO加盟には国有企業改革という名の労働者切り捨て政策が必要だった。膨大な国有企業労働者のリストラによって生み出された産業予備軍は農民工とともにグローバルサプライチェーンによる格好の搾取の対象となった。農民工の抵抗もまた「社会騒乱扇動罪」として弾圧された。

2008年8月に北京五輪が中国改革開放の成功の象徴として開催される。この時もその半年ほどまえの3月からチベットでの騒乱が相次いだ。「外国勢力の挑発」「CIAの挑発」などと反発するも、そもそも外国勢力との蜜月でグローバルサプライチェーンの「世界の工場化」を押し進めてきたのは当の政権である。民族、民主、階級的自己決定権を認めないのは程度の差こそあれどこも同じであった。

08年北京五輪メインスタジアム「鳥の巣」をはじめ各施設の建設に従事した出稼ぎ労働者らは10年後の2019年には「低端(ローエンド)人口」と呼ばれ北京から追い返された。その間も巨額の財政緩和と海外投資の受け入れ、そして「人口ボーナス」とよばれた膨大な農民工に対する苛酷な搾取(そのボーナスは党官僚と国内外の資本家たちに分配された)に支えられた「中国の特色ある資本主義」は、地域・職場レベルの官製労組による労使協調を通じた労働者支配が根幹にある。

◎「資本論」の不吉な予言

ここでまた、『資本論』の不吉な予言がこだまする。

「資本を制約するのは資本だけである」

2008北京五輪の閉幕直後に9/15に世界を襲ったリーマンショック。中国政府は4兆元の財政出動を通じて動揺を抑えた。だがそれは日本のバブルと同じように投資バブルを、とくに地方政府とデベロッパーによる土地バブルを引き起こした。そしていまその破たんの地響きが不気味に鳴り始めている。08年リーマショックを乗り越えて更なる経済成長を果たした原動力となってきた旺盛な土地バブルが「過去最大のデフォルトになる可能性」とささやかれているのだ。

恒大不動産による空前の不動産投資で同社の負債総額は世界第位二を誇る中国のGDPの2%にも膨らんでいる。負債は国内だけでなく米ドル建て負債も2兆円以上に達することから、世界中の投資家がかたずをのんでいるが、12月9日には債務不履行が発生していると報じられている。投資家だけではない。この「恒大ショック」は「リーマンショック」と同じようにマイホームの夢を持つ多くの中国の市民らの夢を食い物にしている。前金を払った多くのマンション購入者が恒大ショックで工事が止まったマンションに入居できず、家賃とローンの二重の経済負担に喘ぎ、その解決を訴えている。

また恒大は「恒大モデル」という貧困解消事業で名を馳せてきた(こちら)。中国の貧困解消にも多大な投資をしており、恒大の創業者は国家級の表彰も受けている。貧困地区の農民らの土地使用権を恒大が買い取り(あるいは出資させて)集約して巨大な野菜工場をつくり、へき地から市街地に移転してきた貧農らを雇用する。貧農は土地使用権を差し出さなければ貧困対策の対象者になれない。政府は「耕作権は農民に残る」というが、耕作権を使えるのは恒大の投資でつくられた野菜工場で働く権利にすぎない。出資額に応じて年末に配当まで得られると大喜びの農民らの姿を報じた国営メディアのニュースが報じられてきたが、今回の「恒大ショック」によって、恒大の貧困対策事業がとん挫し、農民らは土地使用権を奪われ、移転先の市街地ではすべてが家賃含め商品経済の荒波に放り込まれ、結局は労働力という唯一所有する商品を過酷な条件で切り売りすることでしか生きていけないことになるのではないか。

北京五輪に話を戻せば、冬季五輪のスキー会場になっている崇礼地区は、五輪招致が決まるまでは国家級の貧困県の一つだったが、五輪招致が決まりホテルやスキー関連事業に国策費用が投じられるようになったことで脱貧困を果たしたと言われる地区だ。冬季五輪が始まる前から、この祝賀資本主義の金メッキは剥がれつつある。祝賀資本主義は、そのツケを庶民と自然環境におしつけて生き残ろうとするだろう。メッキはシステムそのもの変革をめざす人々によって主体的に剥されなければならないだろう。

◎第三の道はあるのか

オリパラを巡って西側に与するのでもない、中国に与するのでもない、第三の道はあるのか。

中国はかつて、非同盟諸国の盟主であったインドネシア・スカルノ大統領のもとで、五輪ではない、もうひとつの国際スポーツ大会「新興国競技大会」(The Games of the New Emerging Forces=GANEFO/ガネフォ)を立ち上げたことがある。62年にインドネシアで行われたアジア競技大会にイスラエルと中華民国(台湾)を招待しなかったとして、IOCがインドネシアの資格を停止したことに反発したことがきっかけだが、中ソ論争が本格化していた毛沢東の中華人民共和国がインドネシアなど非同盟諸国と国連にかわる「新興勢力会議」の設立が背景にあった。

それは当時、キューバ危機を経て急速に米国との平和共存へとかじを切っていたソ連に対抗する「第三の道」として人々を魅了した。あるいは36年ナチスのベルリン五輪に対抗してスペイン・バルセロナの人民戦線政府のもとで企画された「幻の人民オリンピック」を想起した人もいたかもしれない。だが、それらの構想は、国際共産主義運動を根底から腐らせた異論を認めない一国社会主義と階級協調の人民戦線という足枷によって敗北していく。非同盟諸国のスカルノ政府に完全に武装解除して付き従うことを中国共産党から教え込まれたインドネシア共産党は65年9月30日のクーデターをまえにほとんど抵抗できず100万単位の党員とシンパがスハルト将軍によるクーデターで虐殺された。それはかつてスターリンが支配するコミンテルンの圧力で孫文の国民党に加入することを余儀なくされた中国共産党が1927年に蒋介石による上海クーデターで弾圧された歴史を想起させた。

GANEFOに象徴される中国共産党の「第三世界論」は、1966年から始まる文化大革命を経て「ソ連こそ最大の敵=ソ連社会帝国主義である」という後年の国際共産主義運動に大混乱をもたらした理論へと帰結していく。第三世界論は戦後世界の反植民地闘争を基盤としていたが、中ソ対立がもたらした悲劇の多くもまた反植民地闘争の中心となったアジアやアフリカなどで再演された。

第三の道、現代風に言えば「もうひとつの世界」への道を模索するうえでも、1927年上海の悲劇、1936年バルセロナの悲劇、1965年ジャカルタの悲劇をつくり出した「人民戦線」あるいは「人民民主主義」の路線を真剣に総括する必要があるだろう。

中国共産党は先日いわゆる「第三の歴史決議」を採択した。結党100年を迎えたこの党が、毛沢東思想に結実した中国の特色ある人民民主主義路線と一国社会主義のもとで直面した巨大な階級矛盾を、プロレタリアとも文化とも革命とも無縁の「プロレタリア文化大革命」と呼ばれた権力闘争によって乗り越えることに失敗し、その失敗の総括を一部の指導者の誤りに矮小化し、その後の改革開放路線と今日の中国の特色ある資本主義を「中国の特色ある社会主義」だと僭称した、第一の歴史決議(1945)と第二の歴史決議(1981)に次ぐ、第三の歴史修正決議である。この歴史的に修正された第一、第二、第三の決議に埋もれた歴史の真実を明らかにしなければならないが、それはまた別の機会になるだろう。

外交ボイコットから、話が大いにずれてしまったが、外交は内政の延長だ。内政に関与する権利を奪われた国での五輪開催は、まさに金権主義と国家主義と家父長制と植民地主義に培養された五輪精神にぴったりなのだが、それはまた、多くの人々を犠牲にしたパラレルワールドでオリパラを強行した日本の支配者の姿とも重なる。支配者だけではない。分岐を明確にしつつ、分断をのり越えていかに連帯すべきか。運動する側にもまた、克服すべき課題は多い。

2021年12月13日 
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