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恐怖との闘いの歴史を記憶しつづける~台湾映画『返校 言葉が消えた日』

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(うわ、半年ぶりの更新…)

今回とある理由で、台湾映画『返校 言葉が消えた日』を観ました。

公式サイト https://henko-movie.com/

ホラーゲームが原作で、60年代の白色テロの時代の高校が舞台で、テロの犠牲者らの怨霊との対峙がモチーフとなっている…というバックグラウンドだけは19年末に香港で上映された時の映評で読んだ記憶があったくらいで、あまり観る意欲はなかったのだけど、観て正解でした。紹介してくれた方に感謝。以下、ほとんど内容には触れずに感想。

「返校」とは字面のままだと「学校に返る」という意味で、調べると、中国語では、夏休みなどの学校登校日のことを指すこともあるらしいが、あんまり聞いたことのない用語だった。日本語で「登校日」とかにするとちょっと作風と違ってくるので、原作のまま「返校」にしたのか。まあ、それはそれでいいセンスかも。英語タイトルのDetention=居残りのほうが内容的には近いかなぁ(まあそれもちょっと違うけど)。サブタイトルの「言葉が消えた日」は原作映画には無いみたいだけど、まあそう内容ともズレてないのでいいかな。だけど残念だったのは日本語字幕では人名が全部カタナカだったこと。これじゃぁ直観的に分からないよぉ。けど日本語版のゲームでも人名はカタカナなので、それを尊重したのかな。まあ仕方ないけど。

参考:「返校」(ゲーム版)の翻訳についてはこちらが勉強になります
https://chinesehonyaku.com/game-horror-henko/
https://chinesehonyaku.com/game-horror-kangan/
(漢字の役名はwiki中国版など→ https://bit.ly/3pgjxjc

・・・という前置きはどうでもいいのですが、ホラー物はまったく見ないのだけど、その時は「そういう歴史的背景をホラーに取り組むのは日本などではあんまり見られず面白そうだけど、それも結局は素材の一つなのかな」と観もせずに思っていた。

台湾の白色テロの時代のことはちゃんと勉強したことはないけど、日帝支配に続いてひどい統治がおこなわれたが、70年代の民主化のたたかいから92年の戒厳令解除にいたる社会運動が押し上げた民進党政権が誕生したころに、新しい労働運動が台湾でも登場し始めたということで、すこしだけ台湾史をかじった(舐めた程度ですが)ことがあった。

映画の内容などは、公式サイトや各種映画評などを参考にしてもらった方がいいが、この映画を観て感じた事をいくつか。

最初は、よくありがちな(というかホラー観ないのでよくわからないけど)感じかと思いつつ、白色テロの象徴的な怪物が登場した時は、ちょっと安っぽくないか?という感じもあった。それに、合間合間に、白色テロが支配する当時の軍隊的な厳しい学校管理、それに反発して密かに組織される読書会、主人公の女子生徒と男子生徒、そして生活指導の教員とのやり取りなど、「これホラーにしなくてもいい作品が撮れたんじゃない?」とも(教える男と教えられる女というのはありがちな設定だけど)。

それが途中から、悪夢と現実(?)のあいだを何度かシーンが行ったり来たりするなかで、現実では描き切れない展開の仕方があることを理解し、悪夢を彷徨う主人公2人や物語全体の謎が明らかになっていく中で、全体主義に押しつぶされる人間の弱さと強さを描くのに、こういうことならホラー仕立てもありかなと。

最後は悲しい結末を迎えるのだけど、ほぼ全体の謎が明らかになってからは、それまでも随所随所に登場していた「生きてさえいれば希望はある」「記憶し続けてほしい」「悪夢」「自由へ」などのセリフの意味がより深く響いてきた。

冒頭に出てくるタゴールの詩やツルゲーネフの『父と子』、ピアノ曲『雨夜花』、そして最後の最後に主人公2人がやっと心の底から悪夢から解放されるカギとなる魯迅訳の厨川白村『苦悶の象徴』など、白色テロの時代には禁書になっていた文学作品など、詳しい人にまた教えてもらいたい。
↓こちらのサイトにもすこし解説がありました。中国語ですが。
https://www.gq.com.tw/entertainment/content-40714

実際の歴史でも「返校」のモチーフとなった事件がいくつかあったようですし、また機会があればそういった白色テロの歴史を調べたり、日帝支配の時期につくられた監獄島で白色テロの時代には政治犯が収容され銃殺や獄死した緑島(いまはその時代を振り返る資料館になっている)にも行ってみたいと思うのだけど、これら響くセリフを聞いて思い出したのは、やはり香港のこと。

最近、香港理工大学の籠城決戦のドキュメント『理大囲城』を山形国際ドキュメンタリー映画祭で観たということもあったけど(まさに「返校」闘争)、中文大学や理工大学での籠城闘争が敗北して意気消沈していた時におこなわれた19年11月24日の区議会選挙で運動側が大勝利した時に区議に当選した知人の林兆彬(ベン)さんが、今年7月に政府の強まる弾圧の最中に区議を辞職するときの宣言の冒頭に「生きてさえいれば希望はある」という「返校」のセリフを引用していたから。

↓宣言の訳はこちら
http://www.labornetjp.org/news/2021/1625806137591staff01
※翻訳の際、「返校」のゲームや映画のことをあまり知らなかったので映画タイトルの訳を「登校」としています(汗;)

ベンさんは辞職宣言をこう締めくくっています。

「香港の人びといっしょにこの大時代を経験し、進退をともにできたことについて、一切の悔いはありません。香港の未来ががどのようになろうとも、どうか希望を放棄しないでください。失望することがあっても、絶望しないようにしましょう。」

映画「返校」の結末を彷彿とさせる内容だと、映画を観ながら思い出しました。

それと先日のラバンデリアでの『香港の反乱2019』のブックトークの際に、著者のアウさんは、「結局のところ、巨大で悪辣な独裁体制に対して、香港はあまりに小さすぎた、というのが敗北の最大の理由です」と述べて、では抵抗しないほうが良かったのではないか、という想定問答に対して、こうコメントしています。

「抵抗を通じて記録を残し、将来もう一度運動が復活した際の糧にするという選択肢です。そして多くの香港人は後者を選択したのです。それは価値ある選択だったと思います。」
https://www.facebook.com/320481611316005/posts/4775910492439739/

これもまた映画のなかで何度も語られた「忘れないで」「覚えておいてほしい」というセリフを想起させます。

悪夢のような白色テロの暴力の真っただ中にあっても、人間と未来への希望を捨てず「いつの日にか必ず自由はやってくる」、「君は悪くない」、「生きつづけろ」、そして「至自由(自由へ)」というメッセージを若い世代に発し続けたチャン(張明暉)先生のメッセージを観たとき、『香港の反乱2019』の日本語版序文の末尾に書かれていた著者の思いが重なる。

「2019年の大反乱の記憶はそう簡単に消し去ることはできない。闘争は依然としてわれわれの未来にある。今後、中国と香港における民主派の歴史的任務の一つは、まさにこの記憶を不断に活性化させ、それを通じて闘うエネルギーを喚起し続けることである。人類の記憶から消し去られるのか、はたまた活性化させるのかという歴史的闘争において、本書がその小さな記録としての一役を担えるのであれば、私の願いは叶ったと言える。」── 『香港の反乱2019』日本語版序文より

この「記憶をめぐる闘争」だが、香港では89年天安門事件の記憶を消し去ろうとする強権政治の動きが強まっている。台湾海峡における対立でも、日本をはじめとする周辺国の再軍事化とあわせて、きな臭い動きがつづいている。

強大な権力への反乱や自由を求める人民のたたかいの記憶と記録は、台湾や香港だけでなく、朝鮮や韓国、沖縄や日本、そしていうまでもなく、中国国内でもますます重要になるはず。そして人民の闘いの歴史は、政治権力というフィールドだけにとどまらないはず。家庭や職場、セクシャリティや運動内部における権力(暴力)をめぐるたたかいの歴史をふり返り、記憶し記録していくこともまた、人類史の本当のはじまりへの序曲の一節となるだろう。

そんなことを思いながら映画の余韻にひたっています。

2021年10月19日

※『香港の反乱2019 抵抗運動と中国のゆくえ』(著:區龍宇、訳:寺本勉、柘植書房新社)の紹介はこちらから
https://www.facebook.com/107334657417337
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