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「聖火リレー」を前にした帰還困難区域・双葉町(その1)

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3月17日にJヴィレッジで行われた「福島はオリンピックどこでねぇ」に参加してきました。

以下、報告その1です。なかなか本編にはたどり着きませんがー。

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Jヴィレッジと国道6号線を挟んでほぼ向かい側にある「岩沢旅館」に宿泊。駐車場には県外ナンバーが多い。遠くは大阪や九州のナンバーも。かつてはJヴィレッジの海側に広がる岩沢海水浴場の宿泊用施設としても利用されたのだろう。こちらから聞いたわけでもないのだが旅館の受付の人曰く「いまは結構満室状態でして」、「仕事の方が多いですね」とのこと。「あぁ、事故もありましたしね」と言うと、「ええ。原発が止まっているので広野の火力発電所がフル稼働で、それで来ている方もいるんです」と。

翌朝、旅館に併設されているホテルのラウンジで朝食を食べていると、やはり作業着姿の宿泊客が目立った。ラウンジから見える6号線には、まだ7時前なのに仕事に向かう車両や工事車両などが頻繁に通っている。ラウンジには「青森大学御一行様」のジャージ姿の青年たちも。これはJヴィレッジかな。

「福島はオリンピックどごでねぇアクション」は午後13時半集合。午前中は昨年の聖火リレー直前の3月4日に避難指示を一部解除した双葉町駅周辺と、双葉町の沿岸部の中野地区に福島県が昨年9月に開館した「東日本大震災・原子力災害伝承館」を訪ねた。

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双葉町へは車で6号線を20分ほど北上する。道中たまに電光掲示板に「3月25日は聖火リレー」という案内が見えるくらい。Jヴィレッジのある楢葉町では6号線にリレーコースが設定されているので、コカ・コーラ、TOYOTA、日本生命、NTTのロゴ入りのフラッグが橋の欄干にディスプレイされているくらいで、他にはほとんどそれらしい掲示は見当たらない。たまに電柱に長さ30センチ程度の掲示で交通規制時間が書かれてあるのを発見する程度。

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双葉町の東側(海側)の伝承館や産業交流センターのある中野地区(両竹・浜野)は、避難指示が解除されたと言っても、対象地域の中野地区(両竹・浜野)は、全町面積51万平方キロうちの約4%、2万平方キロだけで、その他の96%は毎年50ミリシーベルト以上の線量になる帰還困難区域のままだ。解除された地区の南側には中間貯蔵施設と福島第一原発の敷地が続いている。

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双葉駅舎周辺を含む地域は2017年9月に「特定復興再生拠点地域」に認定され、新たな住居ゾーンや産業再生・創出ゾーンなどとして国費が投入されている。19年度の予算は震災前の2010年の約5倍、305億円に上っている。「復興再生拠点」に認定されたといっても、現在は50ミリシーベルト超の帰還困難区域であることに変わりない。認定は5年後の2022年春ごろには20ミリシーベルト以下になる見込みがあるというだけにすぎず、そのために除染や土壌改良、インフラ整備の費用が国から助成される。

双葉町以外にも、飯舘村、葛尾村、浪江町、大熊町、富岡町の帰還困難区域(50ミリ以上)のなかに、「特定復興再生拠点地域」(5年以内に20ミリ以下)が認定されている。

上記の帰還困難区域(50ミリ以上)をふくむ浜通りのほぼすべての市町村には居住制限区域(20~50ミリ)、避難指示解除準備区域(20ミリ以下)があったが、19年4月の大熊町の中屋敷・大川原地区を最後に、いずれも指定が解除されている。といっても基準はあくまで年間線量20ミリシーベルト以下。この20ミリシーベルト以下というのは、放射線管理区域の約6倍の線量基準。

6号線を北上すると「ここは帰還困難区域」の立て看板が立つ大熊町から、おなじ「ここは帰還困難区域」の看板の立つ双葉町に入る。駅や伝承館に向かう街道以外のほとんどはフェンスで通行止めになっている。大熊町にはいる街道もほとんどがフェンスで通行止めになっているが、特定復興再生拠点ということで、通行証のある住民や工事車両の出入りのためにフェンスにはガードマンが立っている。これも大変な仕事だ。平日なので工事車両や作業員の数も多い。すこし様相は違うが、辺野古周辺ですれ違うダンプ車列を思い出す。

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双葉町の「聖火リレー」コースは、50ミリ基準の帰還困難区域の中に設定された5年以内に20ミリにして避難指示を解除する特定復興再生拠点のなかの、さらにまだ地域全体では20ミリ以下ではないにもかかわらず、集中的・先行的に除染やインフラを整備して先行的に避難指示を解除した双葉駅周囲500メートルのコース。

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伝承館のまえに、昨年3月14日の常磐線全線開通にともない営業を再開した双葉駅にむかう。

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「ふたばふたたび」の巨大な消火用タンクが駅前ロータリーに見える。駅前のロータリーは「聖火リレー」のスタートとゴール地点になっており、整地された区画がある。ここからスタートするのか、ほとんど掲示がないので分からない。

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駅に併設されたコミュニティ・スペースでは、震災・原発事故から10年の記念写真展がおこなわれていたので覗いてみる。来訪者がメッセージを書いて張り付けるスペースがあり、コミュニティ・スペースのスタッフらしい男性に促されて書く。おしつけ聖火リレーやオリパラ、原発のない未来を、自然と共存できる社会を、と言ったメッセージを書いてはる。スタッフのかたは丁寧だ。少し説明を聞く。かつて原発の関連会社で働きて、病気でリタイアしてスタッフをしているという男性。経済成長、安全神話、そして震災と津波。唯一、帰還者ゼロの町村となった双葉の未来を考えているという。

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現実は厳しい。昨年8月9月に実施した世帯意向調査(3018世帯)では、回答した1,486世帯 (回収率49.2%)のうち、「戻りたいと考えている(将来的な希望も含む)」は10.8%(前年10.5%)、「まだ判断がつかない」は24.6%(同24.5%)、「戻らないと決めている」は62.1%(同63.7%)と回答者の半数以上が戻らないと決めている。さらには、回答しなかった半数は、ほぼ戻らないことが予想されるので、戻ると考えている実際の住民はかなり少なくなる。この傾向は同じ時期に行われた富岡町の調査でも同じである。

2020年度「双葉町住民意向調査」調査結果(速報版)の公表について(双葉町)

今回購入した『月刊政経東北』(21年3月号)では、震災・事故10年の国の資金の使い方を検証している福島大学の藤原遥准教授へのインタビュー記事が掲載されている。藤原さんはそこでこんな指摘をされている。

「どこの(被災)自治体でも、立地した企業が労働者を集めることに非常に苦労しています。これでは人(住民)は戻らないということが分かってくると、今度は帰還ではなく、新しい人を呼び込むためというように企業誘致の目的が変わってきたのです」。

つまり、当初はもともとの住民の雇用確保を想定した企業誘致だったが、思った以上に住民が帰還せずに、そこで働く人も別な地域からやってくることになるという。人は誰でもどこでも働く、あるいは働かない権利がある。しかし年間20~50ミリシーベルトの帰還困難区域でむりむり避難指示を解除して呼び込んだ資本によって演出される「復興を祝う聖火リレー」って何?? しかもコロナ感染の防止もとらなければならない。復興を祝う?何を祝う?

コミュニティ・スペースを出て双葉駅のホームを見る。去年の「聖火リレー」直前の3月7日に福島を訪れた安倍が、特定復興再生拠点による復興事業で誘致した企業(県外の企業)がつくったというタオル地のスカーフを首にかけられて「首ったけになっちゃう」などと軽口をたたいていた場所だ。

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▼2020年3月7日(首相官邸サイトより
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「さあ ふたばの未来を はじめよう 住宅造成中」と書かれた看板の後ろ側には、今ではあまり目に触れなくなった黒いフレコンバックが山積みされていた。

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来年22年春ごろには帰還困難区域のど真ん中で、年間20ミリシーベルトの線量基準をクリアしたとして避難指示が解除されようとしている。ショックドクトリンと祝賀資本主義によるオリパラのスタートを祝うディストピアにふさわしい「聖火リレー」と言える。

そして「復興五輪」とは、地域の人々の復興ではなく、TOKYOに象徴される祝賀資本主義の復興なのだろう。

「五輪ウォッシュ・・・」そんな言葉をつぶやきながら、帰還困難区域のなか東日本大震災・原子力災害伝承館に向かった。

そのうち、その2につづく、かな。
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