今後も感染の拡大によって、経済を含め事態はさらに深刻になることが予想されるが、政府の自粛要請にとらわれることなく、いまこそ声を大にして「#中止だ中止」の声を挙げるとき。
経済損失6600億元などとソロバンをはじく報道もあるが、それはオリンピックで儲けようとしていたブルジョアどもの損失であって、われわれの損失ではない。こんな状況のなかで無理無理開催するために巨額の税金や人的資源を投じなくて済むのだから、むしろ損失を食い止めることになるだろう。オリパラに使われそうになっていた資金や人的資源を、感染拡大予防や公的医療の充実に回せばいい。
五輪の条件を満たすためだけに建設された巨大施設は、ハナから必要なかった。五輪スペックのための巨大化施設ゆえに、今後も毎年何十億もの赤字を垂れ流すだけだから、減築をふくむ規模縮小や地域スポーツや公共衛生や文化事業の充実のために作り替えるべきだ。赤字すべてがダメなのではない。五輪のために作られた赤字がダメなのであって、公共サービスの充実のための赤字は必要経費である。
以下は、311官邸前での発言用に作った資料原稿。官邸前では半分も紹介できなかった。
以下、資料として残しておく。
五輪は災害だ。
カナダのジャーナリスト、ナオミ・クラインが「ショックドクトリン」と名付けた新自由主義ドクトリン。災害やクーデターなどの惨事便乗型資本主義ともいわれている。火事場泥棒的に新自由主義を進める。
元オリンピアン(サッカー)で、現在は鋭い五輪批判を続けている学者、ジュールズ・ボイコフは、さらに踏み込んで、五輪というメガイベントなどの祝賀につかう税金に寄生して生き延びようとしていると批判して「祝賀資本主義」と名づけている。祝賀ムードがコロナ騒ぎで一挙に縮小、カジノ資本主義の株式市場も急落。
コロナ拡大も資本主義グローバリゼーション、とくにこの30年来の中国のグローバリゼーションとも関係あり。中国のせいとか言っているが散々、開発独裁のグローバリゼーションの恩恵を受けて来た日米が何を言う。資本主義グローバリゼーションのサプライチェーン・バリューチェーンで二番目に搾取されている中国の労働者(一番目に搾取されているのは自然環境)であり、今回のコロナ被害の一番の被害者である中国の庶民へのリスペクトがなくてどうする!
コロナ騒動は、「自然の弁証法」のなかでエンゲルスが言った、経済成長で調子に乗った人類に対して「自然は報復する」との言葉を思い出す。
ナオミ・クラインもドキュメント映画『これがすべてを変える 資本主義VS気候』のなかで、エンゲルスの引用をほうふつとさせるセリフを二度ほど語っている。
「わたしたちは繰り返し自然を支配していると言い続けている。―――それは当たっていない。自然は逆襲できる。」
「わたしたちが自然を制御できるというふりをやめること。そして、私たちが自然の一部であるように行動しはじめること。」
(※エンゲルスとナオミ・クラインの「自然の報復」については末尾参照)
311の大津波では、人間の生産活動が生み出して海底に沈んでいた工業汚泥などが含まれており、それが津波で押し上げられ、通常の何倍もの破壊力をもって沿岸の地域を襲った。
自然は報復する。
原発事故はもちろん、このような工業汚泥を含む津波も、いうまでもなく被害者個々人のせいではなく、資本主義システム全体がつくりあげた無限の価値増殖という仕組みがもたらした加重災害といえる。
聞きあきたかもしれないが、2013年9月7日 ブエノスアイレスIOC総会での安倍の「アンダーコントロール」発言をもう一度きいてほしい。
「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。
よくそんなことが言えたものだ。
「東京には影響がない」と言っただけ。まさに被災地おいてけぼり、復興演出五輪
しかしコントロールもされておらず、汚染水は洩れっぱなし「処理した」とされる汚染水も、トリチウムだけでなく、その他多くの核種が取り切れないまま、こんどは海に流してしまえと言っている。これが「コントロール」の実態。
安倍はさらにこういった。
「さらに申し上げます。ほかの、どんな競技場とも似ていない真新しいスタジアムから、確かな財政措置に至るまで、2020年東京大会は、その確実な実行が、確証されたものとなります。」
よくそんなことが言えたものだ。
復興で必要な資金や人手を被災地から東京に奪ってつくった施設ではないか。その後も巨大台風や洪水など、被災地域は全国各地に広がっている。人手や資材などが東京リンピックに奪われている。
被災地を犠牲にした東京のためのオリンピック
小池都知事がトップの「東京」では嫌だったんだろう。安倍は「日本オリンピック」を言い出した。
安倍首相は2020年1月20日所信表明演説の冒頭で「日本オリンピック」と題して、1945年8月6日原爆投下の日に広島で生まれ、1964東京五輪最終ランナーとなった坂井義則(よしのり)さんを紹介。
「『日本オリンピック』。坂井さんがこう表現した六十四年大会は、まさに、国民が一丸となって成し遂げました。未来への躍動感あふれる日本の姿に、世界の目は釘付けとなった。半世紀ぶりに、あの感動が、再び、我が国にやってきます。本年のオリンピック・パラリンピックもまた、日本全体が力を合わせて、世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから、国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に、踏み出していこうではありませんか。」
よくもそんなことが言えたものだ。
坂井さんは後年、「五輪はアマチュアの祭典でも平和の祭典でもなくなった。金もうけのための祭典じゃないですか」と語っている。そう、つまり安倍首相は、日本全体、国民全体が力を合わせて2020年の「日本オリンピック」を最高の金もうけの大会にしよう、と呼びかけたのです。
安倍の所信表明演説は続いて「復興五輪」と題して、こう述べている。
「2020年の聖火が走り出す、そのスタート地点は、福島のJヴィレッジです。かつて原発事故対応の拠点となったその場所は、今、我が国最大のサッカーの聖地に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。」
よくそんなことが言えたものだ。
「ちくりん舎」「ふくいち周辺環境放射線モニタリングプロジェクト」の調査では、聖火リレー・コースおよびその周辺69か所で行った調査によると62%で毎時0.23マイクロシーベルトを上回り7か所で100万Bq/m2を超える高い土壌汚染を示す地点があった。安全に処理できるという基準が8000ベクレル以下。指定廃棄物として隔離して国が責任をもって処理しなければならないレベルのところ。東京でも汚泥や焼却灰で出た8000ベクレル以上の焼却灰などのゴミは、五輪のボート会場などある中央防波堤に隔離保存されている。
「常磐自動車道に続き、本年三月、JR常磐線が全線開通します。これに合わせ、双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域における避難指示の一部解除に向け、準備を進めます。」
よくそんなことが言えたものだ。
双葉では、3月4日に帰還困難区域で避難指示が先行的に一部解除された。しかし線量が下がったから解除したのではなく、聖火リレーに間に合わせるために解除しただけ。その証拠に、先行解除されたのは常磐線沿線で3月14日に開通する線路用地と駅とそこへ向かう道だけ。五輪がさらなる被爆をもたらしている。五輪災害も甚だしい。
帰還困難区域にもかかわらず除染などで線量が下がった地域を「特定復興拠点」と位置付けて、2022~23年を目途にして避難指示を解除する。もちろん年間20ミリシーベルトという放射線管理区域並みの基準のなかで。
そんなところを解除してどうする?
そくそんなことができたものだ。
この先行解除や常磐線全線開通すべてはオリンピックのためだ。
安倍はクリーンなオリンピックを強調する。
「浪江町では、世界最大級の、再生エネルギーによる水素製造施設が、本格稼働します。オリンピックでは、このクリーンな水素を燃料とする自動車が、大会関係者の足となります。そして、大会期間中、聖火を灯し続けます。リチウムイオン電池、AIロボット。未来を拓く産業が、今、福島から次々と生まれようとしています。」
よくもそんなことが言えたものだ。
3月7日、安倍は避難指示が解除された浪江町・小高地区にある福島水素エネルギー研究フィールドを訪問。水素自動車やトーチの燃料に使う。使用する際にCO2を排出しない、再生可能エネルギーで余った電力をつかって水素を作るので作る過程もクリーンだと。
水素については、昨年のダボス会議で、2050年までにコストを1/10以下に引き下げ、天然ガス以下にすると、発言している。
よくもそんなことが言えたものだ。
このダボス会議にはスウェーデンで気候のための学校ストライキをやっているグレタ・トゥンベリさんも参加していたが、「2050年までに」とかきれいごとをいう政治家に対して、こうくりかえし言っている。
「よくそんなことが言えたものですね」と。
グレタさんは飛行に乗りませんが、聖火リレーの火は特別専用機TOKYO2020号でギリシャから宮城県の航空自衛隊松島基地に到着する。
それだけでも、よくそんなことが言えたものだ、と。
日本政府は、気候変動対策のパリ協定に定められた気温上昇1.5度以下目標達成のための行動をとっていない。逆にCO2排出の石炭火力を世界中に売りつけようとしている。政府や企業が一体となって進めている対策は「実質ゼロ」排出という、実際にはCO2排出を続けるためのトリックにすぎない。CO2を排出する代わりに、海外で植林すればいい、森林保存の資金をだせばいい、カネで排出枠を買えばいい、ということ。これらは2003年京都議定書で日本政府のイニシアチブで実施された。放射能に例えると、福島は汚染しても、ほかの場所で放射能吸収のプロジェクトを行えばいい、というもの。
カネで買う、あるいは市場価格といったマネー・ファーストのエネルギー産業の私的所有権を維持したまま、無限の資本増殖だけが目的の資本主義システムのままで、何とかなると思っている方がおかしい。
よくそんなことが言えたものだ。
2050年までに、というが、2045年には双葉の中間貯蔵施設の使用期限が来て、県外に持ち出すことになっている。めども立っていない。
よくそんなことが言えたものだ。
さらに言えば東京五輪はエコです、といっているが、1500億の建設費用の新国立競技場を始め、計6000億以上もの建設費のかかった新規施設だけでもエコではない。環境にやさしい木材を使ったと言うが実際にはインドネシアのオラウータンの森林を伐採して作っている。
コロナ対策で、聖火リレーの観戦を縮小するという。
政府は2月26日「多数の方が集まるような全国的なスポーツ・文化イベント等については、大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応」をするように要請している。
「多数の方が集まるような全国的なスポーツ・イベント」の最大のものはいうまでもなくオリパラだ。
聖火リレーもオリパラも#中止だ中止!
3月
12日 ギリシャで採火式、人数限定
20日 航空自衛隊松島基地(石巻、女川、東松島のこども1000人→200人)、ブルーインパルス→宮城、岩手、福島各所で展示
26日 福島県・楢葉町・広野町のJビレッジ
ここにきて、組織委員の高橋治之から1年延期の私案。電通社員で、竹田恒和前会長の賄賂疑惑で、IOC委員で国際陸連の実力者ラミン・ディアク(セネガル)への工作のため、ラミンの息子のパパマサッタ・ディアクの関係するコンサル会社「ブラック・タイディングス社」とコンサル契約として2億3000億円を払った際のキーパーソン。延期の理由は、中止や無観客試合だとかなりの赤字になるから、と。延期したほうが電通のビジネスも儲かる。
五輪災害資本主義は、選手村などがすぐちかくにあるお台場で、カジノ構想がある。スーザンストレンジの言っていたカジノ資本主義そのものだ。
五輪中止!安倍やめろ!の主張は、さらに祝賀資本主義やアベノミクスと呼ばれている金融資本主義の延命策など、危機にある現代資本主義というシステムそのものの変革にまで射程を入れなければならない。
===以下、エンゲルスとナオミ・クラインの「自然の報復」についての抜粋=========
エンゲルスとナオミ・クラインの「自然の復讐」に関する抜き書きは、ナオミ・クラインのドキュメント映画『これがすべてを変える』を見た後の感想からの抜粋です(こちら→http://attackoto.blog9.fc2.com/blog-entry-345.html)。以下の抜粋では、気候変動についてだけしか書いていませんが、原発や原子力災害についても似たことが言えるかと思います。(稲)
(以下、抜粋)
…最後にもうひとつ、おまけ。
ナオミ・クラインは二度ほど、次のようなセリフを語っています。
「わたしたちは繰り返し自然を支配していると言い続けている。―――それは当たっていない。自然は逆襲できる。」
「わたしたちが自然を制御できるというふりをやめること。そして、私たちが自然の一部であるように行動しはじめること。」
これを聞いて、ちっぽけなエコ・マルクス主義者としては、フリードリヒ・エンゲルスの「猿が人間になるについての労働の役割」(1876年執筆)を思い出さずにはいられない。
この短い、そして未完の文章は、「労働は自然とともにあらゆる富の源泉」であり、「労働が人間そのものをつくりだし」、「人間は…自然を自分の目的に奉仕させ、自然を支配するのである」という主張で有名だが(また先住民に対する差別的形容は大問題なのだが)、じつは最後の部分で、ナオミ・クラインを彷彿とさせる分析を展開している。
「けれども、われわれ人間が自然にたいして得た勝利のことであまりうぬぼれないようにしよう。このような勝利の一つ一つにたいして、自然はわれわれに報復する。どの勝利も、はじめはわれわれの予定した成果をもたらしても、二次的、三次的には、まったく違った、予想しなかった作用をひきおこし、そのため最初の成果が帳消しになることも少なくない。」
エンゲルスは、「自然の報復」として、古代メソポタミアやギリシャなのでの森林伐採による貯水池の枯渇、アルプス山腹森林伐採による牧牛業の壊滅、ジャガイモの伝来による「るいれき」病の拡大をあげます。
そして、人間が自然の一部であることも語っています。
「……われわれが自然を支配するのは、征服者が他国民を支配するような仕方で、また自然の外に立っているものがやるような仕方で支配するのでは決してないこと、――むしろわれわれは、肉と血と脳髄をそなえたままで自然の一部であり、自然のまんなかにいるのだということ、自然にたいするわれわれの支配は、われわれが、他のどんな生物にもできないことだが、自然の法則を認識し、それを正しく応用できる点につきること、これである。」
「自然の支配」については、マルクス主義の環境無視の生産力史観の問題として批判されてきたが、エンゲルスのいう「自然の支配」とは、まさに気候のためにたちあがっている多くの人々と同じように、「自然の法則を認識し、それを正しく応用」することを指しています。
エンゲルスはさらに続けます。
「今世紀(19世紀)にはいって自然科学が長足の進歩をとげてからは、われわれは、少なくともわれわれのもっとも日常的な生産行動については、それから起こる遠い自然的結果までも知り、したがってそれを支配できるようにますますなっている。しかしそうなればなるほど、ますます人間は自分が自然と一体であることを重ねて感じるばかりでなく、またさとるようになるであろう。」
少し前の箇所でエンゲルスはメソポタミアやアルプスなどでの「自然の報復」=生産活動による「自然的結果」を示しましたが、さらに生産活動による「社会的結果」についてもそれなりの年月をかけて知るようになったと述べます。
欧州に「るいれき」病をもたらしたジャガイモの拡大は、アイルランドの100万の民衆を襲い、200万の民衆を新大陸に送り出すことになった。アラビアでアルコール醸造が発明されたが、それは新大陸の先住民たちを滅ぼす魔の薬となった。コロンブスの新大陸「発見」は欧州に奴隷制を復活させた、蒸気機関車に象徴される産業革命は富の一局集中と貧困の拡大を招いた…。
しかしこれらは当初から予想されたことではなく、「ブルジョアジーとプロレタリアートのあいだに階級闘争--ブルジョアジーの打倒と一切の階級対立の廃止とに終わるほかない階級闘争--を生みだすはずの道具を作り上げたのだということは、知らなかった。」
こうして長い年月をかけて発展した科学知識によって、自らの生産行動による将来の自然的結果だけでなく、さらに「社会的結果」をも理解できるようになっているとエンゲルスは書いています。この箇所も、現代の気候変動をめぐるたたかいを彷彿とさせます。
「われわれは、ながい、ときにはきびしい経験をつうじて、また歴史的材料の収集と研究をつうじて、しだいにわれわれの生産活動の間接的な、遠い社会的結果をもはっきり理解できるようになっており、その結果われわれがこの結果をも支配し規制する可能性が生まれている。しかし、この規制を実現するためには、たんなる認識以上のものが必要である。それには、われわれの従来の生産様式を、それとともにまたわれわれの今日の社会制度全体を、完全に変革することが必要である。」
クライメート・ジャスティス運動は世界中で次のスローガンを叫んできました。
「System change not climate change!」
気候ではなくシステムを変えよう。
従来の生産様式を、今日の社会制度全体を、完全に変革しよう。
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