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香港:国際連帯の正反合――日本のG20と香港(上)

6月下旬、香港で反送中運動への弾圧とそれに対する民衆的抵抗が盛り上がっているときに、沖縄で米軍基地拡張に反対する運動に取り組んでいる知人から「香港へいこう!」という連絡が入りました。そうか、行けばいいのか、ということで6月末から7月初めにかけて香港に行き、7月1日の返還記念日の55万人デモにも参加してきました。いろいろとエピソードはありますが、実際に行ってよかったです。その後の報道もよりリアルに感じることができました。以下は、受け入れをしてくれた區龍宇さんが7月3日付の「明報」紙のコラム書いたものです。タイトルの「正反合」は弁証法のテーゼ、アンチテーゼ、ジンテーゼのことです。(Z)

国際連帯の正反合――日本のG20と香港
(2019年7月3日付の香港紙「明報」水曜日コラムより)

文:區龍宇


〔リード〕G7、G8、G20、WTO、IMF、世界銀行をどう見るかはいつも議論を呼び起こすものだ。支持する者と批判する者の鋭い意見で、議論白熱となること間違いない。香港人はこれまで、これらの国際会議にあまり関心を払ってこなかったし、関連する運動に参加することもほとんどなかった。しかし『レ・ミゼラブル』で路上生活をしている子どもがバリケードで殺される前に「子どもだからって馬鹿にするなよ、子どもでもかみつくことができるんだ!」と歌ったのと同じように、今回の反送中運動[中国への容疑者送還条例に反対する運動]でも、これまであまり国際問題に注意を払ってこなかった香港人が、窮鼠猫を咬むかのごとくG20に反応し、カンパを募って新聞広告を打っただけでなく、さらには遠く大阪にまで赴いて、香港の人権に関心を持つよう国際世論に訴える者もいた。だが、じつは海外の人びとは香港の問題に強い関心を持っていたのである。

文:區龍宇(社会運動に長年従事し現在は自由執筆業。著書に『強国危機』、訳書に『労働組合はなぜ必要か Why Unions Matter』)

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日本の友人たちは香港の運動にとても興味を持っており、7月1日のデモを見にやってきた。東京からはATTACのメンバーが2名がやってきた。ATTACは「市民を支援するために金融取引に課税を求めるアソシエーション」という国際組織であり、金融投機に対して課税を通じた規制を求めている。沖縄からは米軍基地に反対するアクティヴィスト、沖本裕司と沖本富貴子がやってきた。今回かれらと時間をとって話す機会を得た。

まず聞きたかったことは、香港人が日本人に支援を求めることに対してどう思うのかといことだった。

「多くの日本人が香港人を支持しています。しかしそれらの日本人にも立場の違いがあるということです。同じように『香港がんばれ』と訴えていますが、左派と右派では目的が違うのです。右派にも伝統的な右翼とこの間登場している市民運動的な右翼がいます。たとえば北方領土をめぐる問題では伝統的右翼はロシア政府を批判しますが、市民運動的な右翼はその問題には余り関心を払っていないようで。しかし日中関係についてはどちらの右翼も同じ立場です。かれらは中国が日本、とりわけ沖縄に対して野心を持っていると考えています。しかしそれはあまり現実的ではありません。沖縄の人びとにしてみれば、むしろアメリカ軍の方が侵略者だと映るでしょう。」

沖本裕司は沖縄の現代史を紹介し、香港人にも沖縄民衆の闘争を理解してほしいと考えている。彼ら国際連帯とは一方通行ではなく、双方向なものだと考えているのだ。

◎ 沖縄のことは沖縄が自ら決める

沖本裕司は「沖韓民衆連帯」のメンバーだ。沖縄民衆の植民地化の歴史は香港とすこし似ている。

「沖縄にはかつて琉球王朝が存在し、1872年に日本に征服されました。第二次大戦の終わりに米軍が沖縄に侵攻し、日米軍のあいだで凄惨な戦闘が行われ、全体で24万人が死亡しました。当時の沖縄の人口は40万人、住民の4人に1人が亡くなりました。戦後、沖縄は1972年に日本に『復帰』するまで米軍政下にありました。アメリカは1956年から大規模な基地建設をはじめたが、沖縄返還後も基地の拡張は続きました。全国の米軍基地の7割が沖縄に集中しており、その数は5万人に達し、核兵器も保有しているといわれています。在沖米軍基地の名前には沖縄戦で戦死した米軍人の名前が付けられているんです。

いっぽう無辜の死を遂げた沖縄人民の境遇はどうだったのか? 

「米軍基地の建設ではまず地元住民らを強制的に排除することで始まりました。基地周辺の住民は、つねに騒音、環境破壊、落下物、米兵によるレイプなどの危険にさらされてきました。しかし米兵は日米地位協定によって守られており、犯罪を犯しても[日本では裁けず]本国に送り返されて裁判を受けるだけなのです。(つまり「治外法権」である:筆者)

1996年に米軍は沖縄島北部の辺野古にある海兵隊基地を拡張しはじめました【原文は「建設しはじめた」】。沖縄県民は一貫して反対し続けてきました。また沖縄人民は市街地に隣接する米軍基地・普天間飛行場の閉鎖を求め続けていますが、トランプ大統領は「いいだろう。ただし賠償してもらえば」というコメントしたことで、さらに沖縄の人びとの怒りを買いました。1950年時点で沖縄の経済総生産に占める基地経済の割合は50%近かったのですが、現在では5%に満たない。経済的にも米軍基地は不要なのです。

最近、沖縄では『沖縄のことは沖縄人が自ら決める』という言葉がよく聞かれます。2019年2月に行われた住民投票では7割が辺野古の米軍基地移設に反対しました。また韓国の反戦団体とともに米軍基地に反対する行動も続けてきました。

沖縄民衆の今後の闘争はどこへ向かうのかについてですが、以前なら沖縄人の大半が日本から独立することなど考えたこともなかったのです。日本は戦後いわゆる平和憲法下で、代議制民主主義が行われていたこともあって、沖縄の人びとは民主的な方法で米軍基地をなくして、十分な自治を実現することができると考えていました。しかし1996年以降の反基地闘争を通じて、独立しなければ沖縄には真の自立はないと考える人々が増え始めました。しかし、この議論は始まったばかりです。とはいえ、どのような道を選択するのかを決めるのは沖縄の人々でなければなりません。」

(以下、「安倍の言う『女性の活躍』とは」、「政治的国際会議における民衆の声」といったG20に関する記述に続く。)

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