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責任転嫁と危機先延ばしの議論に終始したのか~G20財務大臣・中央銀行総裁会議(その1)

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4月11日~12日、20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議がワシントンで開催された。今年はG20の議長国は日本なので、この会議も日本の黒田東彦日銀総裁と麻生太郎財務大臣が議長を務めた。G20財務相・中銀総裁会議は毎年1回持ち回りで開催されるが、IMF/世銀の会合も年2回ワシントンで開催されるのにあわせてG20会議が開かれるので、実際には年2回程度開催されてきた経緯がある。次回は6月8~9日に福岡で開催。

今回のG20会議の日程と内容は次の通り

4月2日:技術革新がもたらすマネロン・テロ資金対策上の課題・展望に関するラウンドテーブル
4月10日:グローバル・インバランスに関するセミナー
4月11日:G20財務大臣・中央銀行総裁代理会議
4月11日~12日:G20財務大臣・中央銀行総裁会議

このあとの4月13日には、おなじワシントンでIMF世銀の合同開発委員会とIMF国際通貨金融委員会にも麻生財務相が参加して日本政府のステートメントを発表している。IMF関連のコミュニケとステートメントの日本語訳は財務省のサイト(こちら)に掲載されている。財務大臣と日銀総裁の共同記者会見もあったが、まだサイトには掲載されていないので、ステートメントなどの分析とあわせて、また別稿で述べたいとおもう。

4月14日の日経新聞の報道では、「世界経済が減速しているものの、具体的な議論はふかまらなかった」、「保護主義という言葉(=米国批判)を聞かなくなった」、「米国に正面から言っても仕方ない」など日本政府関係者の声が報じられ、「議論が盛り上がりを欠いたことは否めない」と報じている。

日本政府は危機を解決することよりも、アメリカによるG20をはじめ国際協調に対するネグレクトをなんとかつなぎとめること、もっといえばG20サミットを滞りなく行い、うまく演出することだけを考えているだけなので、意見百出で紛糾するよりも、少々議論が盛り上がらなくても一向に構わないのだ。

日経の記事は、貿易問題は首脳会議の議題であり財務省・中銀総裁会議の議題ではない、という麻生財務相のコメントを紹介しつつ「それでも議論すらしなければ、G20は一段と形骸化が進む」と警告しているが、景気後退の懸念を払しょくするための一層の自由貿易の拡大などという結論は危機の先延ばしの繰り返しにすぎないし、日本政府が議題に据えたという「経常収支の不均衡の是正」などという、本気で議論すればこの40年近くの新自由主義政策やワシントン・コンセンサスの総括が求められる議論などG20にできるわけがない。危機の責任を取らず責任を転嫁してきたのが「Gなんちゃら」というエスタブリッシュメントたちの笑顔あふれるサロンなのである。

この責任転嫁の姿勢は日経新聞の記事にも反映されている。

「08年のリーマン危機を生んだ米国の住宅バブルの遠因は、新興国の過剰貯蓄が投資マネーを膨らませ、過剰消費の米国へと流れ込んだ不均衡だとされる。」

「寝言は寝てから言え!」とはよく言ったもので、次の危機が破たんして目が覚めるまでの悪夢のなかでの寝言のようだ。

まるで「新興国」が悪いみたいではないか。新興国の過剰貯蓄がアメリカに流れ込むような仕組みをつくってきたのは、他でもないアメリカを中心とするグローバル資本主義システムではないか。アホも休み休み言え!

戦後の自由貿易体制は、最大の敵であったソ連・東欧を中心とする保護貿易圏に対抗する資本主義の保護貿易圏であった。ソ連・東欧圏が崩壊し、中国が資本主義の保護貿易圏に加盟する過程とともに、資本主義の周辺国に対するIMF・世銀のコンディショナリティ(条件付き融資)は、それら「開発途上国」の貿易自由化を促進し、アメリカを巨大な受け入れ国とする世界市場へと統合してきた。

その統合の目下、最大の「成果」こそ資本主義中国の台頭であり、08年リーマンショックを受けて行われた中国を含むG20財務相・中銀総裁会議やG20首脳会議で合意された世界規模の金融緩和が中国の台頭と米中不均衡をさらに後押ししたのである。

「米中貿易戦争」といわれているが、その砲煙のもとに隠された本当の戦争である階級戦争、あるいはオルタ・グローバリゼーション運動的に言えば、システム・チェンジこそ、危機の解決につながる道であるが、この戦争に負け続けているがゆえに、いまだ危機からの真の道へとギア・チェンジすることができないでいるだけである。

08年危機は、それまでの10年近くオルタナティブな道を示してきた「反米政権」を混乱の道へと導く一方、左派ポピュリズム政党の登場を促したが、それもまた人びとの継続的な押し上げにもかかわらず道を迷い続けている。

すこしアジテーションが過ぎたが、日経新聞の責任転嫁については、なにも僕だけが根拠もなく吼えているのではなく、ラパヴィツァス教授の、より説得力のある言説を紹介したい。

コスタス・ラパヴィツァス教授は、『ギリシャ・デフォルト宣言』の著者の一人で、これまでも何度か紹介しているが、ギリシャ危機のなかで選挙で与党になった急進左派連合(シリザ)の議員となり、その後、党首チプラスらシリザ主流派の裏切り的なトロイカとの合意に抗議して、人民連合というあらたな政党の結成に参加した左派経済学者だ。残念ながら議席は失ったが、その後も鋭い主張をつづけている。

そのラパヴィツァス教授が2013年に書いた『金融化資本主義 生産なき利潤と金融による搾取』(斉藤美彦訳、日本経済評論社、2018年6月)はこう述べている。

「アメリカのバブルは開発途上国からの逆方向の資本フローによって支えられていた。」「世界における貧しい国々は、アメリカへのネット(純)の資本供給者となっており、連邦準備が信用を引き締め、利子率を引き上げた2005-06年において大量の貸付可能資本をアメリカ市場において運用していた」(386p)

ここまでは日経新聞と同じだ。しかしなぜそうなったのか。

「(1970年代にはじまった開発途上国の金融自由化は)1980年代末までに、それは統合開発戦略であるワシントン・コンセンサスに変形されていった。世界銀行とIMFによる誘導と執行により…政府によるコントロールの下にある構造から、市場ベースの…民間金融機関およびメカニズムが主体になるように、開発途上国の国内金融における変化を強制した。」

「ワシントン・コンセンサスの基本的な構成要素は…典型的には資本フローは富める国から貧しい国へと向かうことから、それにより開発が促進されるというものである。…しかしながら、開発途上国が世界的な資本フローにより密接に関与するようになるにつれて、特異なパターンが出現してくる。…それは資本が貧しい国から富める国へ流れたということである。」

ここで、私たちが「不当債務」と呼ぶようなものがIMF・世銀のワシントン・コンセンサスと密接に関連していることをラパヴィツァス教授は述べているが、本題の経常収支云々については以下のように述べている。

「この期間(1996~2011)において、大きな経常収支の黒字が開発途上国において発生したことをさらに示している。この現象の根底にあるものは、1980年代以降に一般的に採用された(ワシントン・コンセンサスによる:引用者)貿易自由化政策による、開発途上国の世界市場への密接な統合である。」

「開発途上国においては大きく分けて2つのグループがあることが確認できる。第1のグループは、国際的な製造業におけるシェアを得た諸国、そのなかで傑出しているのは中国であるが、そうしたことからアメリカや西欧への消費財を含めた、先進国への輸出により大きな黒字を稼いでいる諸国から成っている。」(346~350p)

そしてこの項の最後にこう要約している。

「2000年代は開発途上国の世界貿易、世界金融のプロセスへの統合が加速化された時期であり、それが従属的金融化の側面が国際的にも国内的にも寄与した時期である。2000年代において……開発途上国は、商品価格の上昇および工業製品輸出の増加による、多額の経常収支を計上した。結果として、開発途上国の外貨準備の多額の蓄積が生じることになった。この結果は、逆方向のネットの資本フローの出現であり、貧しい国は、豊かな国の中の少数の豊かな国に、そのほとんどはアメリカであるが、資金を供給したのである。」(356p)

繰り返しになるが、日経新聞は08年危機の遠因を新興国からアメリカへの資金流入に求めているが、それは現象にすぎず、真の遠因はワシントン・コンセンサスにあり、それは金融化資本主義というシステムにとってのTINA(There is No Alternative/オルタナティヴはない)だった。

G20に話を戻すと、彼らはこの認識をあいまいにさせたまま、危機を先送りにしながら、責任とツケを転嫁し続けている。彼らにとって資本主義システムこそTINAだからだ。

しかしワシントン・コンセンサスではない、別の資本主義があるのではないかという模索は特にリーマン以降あちらこちらで聞かれたが、この間はそれもあまり聞かれなくなった。それでも里山資本主義や人間の顔をした資本主義といったものを時折目にすることもある。

ひどい時には「北京コンセンサス」なる全体主義+市場経済という、ピノチェト将軍とフリードマンのシカゴボーイズらもびっくりの中国の特色ある資本主義に期待をかける「社会主義学派」の面々もいるが、こういう輩ははやく舞台から退場してほしい。

わたしは、前にも紹介したことがあるが、ラパヴィツァス教授が本書(『金融化資本主義』)を締めくくる最後の一文に、やはり賛同したい。

「金融化への対抗には、公共的な住宅、医療、教育、年金および消費全般の重要性を再度主張することが含まれる。…新自由主義の台頭以前の時代への逆戻りはありえないことである。民主的および共同体的実践を取り入れた、新しいアプローチが要請されているのである。…新自由主義に反対行動をとることは、金融化への対抗において不可欠なものである…。私的な利潤と利益にたいする公共の利益の優先性を再確認することなにしそれに反対することはできない。……換言するならば、金融化への対抗は、本質的に反資本主義的な思想、政策および実践に結びつくスタンスであり、それゆえに社会主義に向けた闘争の一部でなければならないのである。」

G20への対抗についても、まったくその通りだ。

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