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「日産ゴーン事件の研究」(世界2019年3月号)の研究

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先日のCTT部会で「世界」2019年3月号に掲載されていた「日産ゴーン事件の研究」の抜粋が配布された。筆者は04年に株価操作事件にからんで特捜部に逮捕起訴され、有罪が確定した細野祐二氏。

細野氏は大手の国際会計事務所KPMG日本などでコンサル業務を行ってきたが、この事件で失職し、現在は元国際会計士という立場からグローバルな企業展開にまつわるさまざまな経済事件に関する論評などを精力的に行っている。

2019年1月21日に日経新聞の論説記事で、18億5000万円の評価損を出したゴーン元会長のスワップ取引についての解説があることを紹介たが(これも配布されました)、細野氏の同研究では、スワップ取引をはじめ特捜からゴーン氏にかけられたすべての容疑について、犯罪事実そのものが存在しないなど、厚労省村木局長事件での強引な捜査(敗訴)やその後の大阪地検特捜部の証拠改ざん事件で地に堕ちた権威を何が何でも挽回しようとする特捜の恣意的な捜査を批判している。

そういう意味で「日産ゴーン事件の研究」はとても興味深く読んだ。ぜひ多くの人にも読んでもらいたい。こういう特捜批判は小気味がいいし、権力を監視する市民運動にとっても、スワップ取引やオプション取り引きを駆使した経済犯罪容疑というやや専門性の高い事件において、権力の意向に批判的な専門家の解説はとても勉強にもなる。実際、とても勉強になった。

とはいえ、金融のグローバリゼーションがもたらす災害に警鐘を鳴らしてきたオルタグローバリゼーション運動としては、細野氏のスタンスを批判しないわけにはいかない。権力をかさに着て権力にへつらう特捜への批判という点では大いに賛同するにしても、である。

● 違法でなければいいのか

以前、ゴーン氏逮捕の直後に書いた文章では、ゴーンを「名経営者」と言わしめた日産リバイバルプランでリストラの犠牲になった2万余の労働者や無数の下請けのことは書かなかった。リバイバルプランによって日産の経営がV字回復したのは、その犠牲を労働者や下請けに押し付けたからに他ならない。これは社会運動の中では常識であり、僕がふれるまでもなく、その当時たたかったおおくの関係者が触れるだろうと思ったからだ。実際、いくつかの運動系の論評では、リバイバルプランがもたらしたものは、労働者の首切りとともに、ルノーと日産の経営統合に象徴される、グローバル資本の国際的合併や競合を通じた資本の新たな収奪構造を作り上げたと、いう論評もみられた。

2000年代を通じてゴーン式のグローバルスタンダードの経営手法が日本をはじめ世界を席巻した。それは2008年のリーマンショックで一時停滞するも、資本家政府による労働者収奪を源泉とした借金財政による支援で以前にもまして膨れ上がった金融市場の腐朽化と一体のものであった。

細野氏の論考には、この二つの視点が全くないどころか、むしろそれを肯定している。くりかえしくりかえしゴーン氏の行為は「違法ではない」ということを主張している。まるでタックスヘイブンをして「違法ではない」と開き直った日本の財務当局のトップ政治家を彷彿とさせるというと言い過ぎだろうか。

もちろん、特捜による逮捕・起訴という段階にあるので、法律の厳密な適用を逸脱した検察の手法を批判するには「違法かどうか」が第一に問われなければならないだろう。

しかしグローバルジャスティス運動が問題にすべきはそこだけに止まらない。その法律が誰のためにつくられたのか、もっとハッキリ言ってしまえばどの階級に奉仕するために作られ、実際に運用されているのかという、より大きな視点に立つ必要と責任が、社会運動にはある。

細野氏の主張をいくつか紹介しよう。

● 「会社の私物化」ではなく社会の私物化

ゴーン氏が年間1億から1.5億円を受け取っていたオランダ・アムステルダムの日産子会社ジーア社からの報酬が有価証券報告書に記載されていなかったのは「非連結子会社からの役員報酬は内閣府令が定める連結役員報酬には該当しない」ので、有価証券報告書虚偽記載はあたらない、という。

たしかにそうかもしれない。しかしこれは、タックスヘイブンにある非連結子会社の利益という、タックスジャスティスに関わる議論でもある。タックスヘイブンにまつわる議論では「違法でなければよいのか」ということが問われる。

また細野氏は、パリやアムステルダムの日産子会社がゴーン会長の自宅用物件を購入していた問題や数千万円の家族旅行の費用を会社に負担させていたといった「会社私物化」問題は「論じることさえ馬鹿馬鹿しい」と切って捨てる。

細野氏の主張はこうだ。

「会社は、社員に借り上げ住宅を提供し、あるいは福利厚生として社有保養所や提携旅行会社の格安パッケージツアーなどを提供することがある。……福利厚生において一般社員と幹部社員の待遇に差をつけるのもよくある話で、欧米では一般社員と幹部社員が同じ社員食堂で食事をするという社会習慣がない」

さすが国際コンサル業務でグローバルな経営者らを相手に商売をしてきただけのことはある。しかしそれは、リバイバルプランでクビを斬られた労働者らの血によって贖われる幹部社員の福利厚生や保養施設など、吐き気をもよおすだけだ。

細野氏はこのような「会社私物化」を煽るマスコミ世論の背景として「ゴーン元会長が得ていた報酬の絶対額に対する妬みがある」という。

しかし、日産・ルノーをはじめとするグローバルな巨大産業は、一私企業の一国での生産力をこえて、その生産力は国際的・社会的なものになっている。雇用する労働者や消費するエネルギーにおいても社会的な規模になっている。

社会的企業の生産手段をふくむ生産システムは、社会的に所有されるべきであるが、いまだに資本家という一つの階級によって私的に所有される「社会の私物化」は変わらないままだ。

社会的になった生産手段を、少数の人間が所属する一階級だけに限定するという、極めて非合理なシステムの問題から考えると、ゴーン氏の所属する階級による「社会の私物化」は甚だしく非合理なシステムだ。

● 日本人はゴーン氏に感謝せよ?

さらに進んで、日本人はゴーンに感謝しなければならないのに、「いつから日本人はこんなに恩知らずになったのか?」と嘆く。

このくだりは重要なので、少し長くなるが引用する。

(以下、引用)

そもそも日産自動車は、1999年、2兆円分の有利子負債を抱えて倒産寸前だったではないか。日産自動車が現在あるのは、ルノーが6430億円の救済資金を資本投下するとともに、ゴーン元会長を日産債権のために送ってくれたからである。本稿執筆時点の日産の株式時価総額は約4兆円であり、ゴーン会長がいなければ、日産自動車は今その存在そのものがない。

普通M&Aの成功報酬は買収額の3~5%が相場となっている。ゴーン会長は日産自動車から2000億円(=日産自動車時価総額4兆円×成功報酬手数料5%)程度の報酬を貰ってもおかしくない。日本社会は、これがグローバルスタンダードであることを理解しなければならない。それをたかが50億円とか100億円の役員報酬で大騒ぎして、挙句の果てにはゴーン元会長の逮捕までしてしまった。いつから日本人はこんな恩知らずになったのか?

(以上、引用)

読んで字のごとく、である。日産リストラと国際資本のグローバルスタンダードになんも疑問も抱かないどころか、むしろ「日本人は感謝せよ」とは!

● 社会問題に「日本人」はいない

しかし日本にはゴーンに象徴されるグローバル資本主義で恩恵を受ける「日本人」だけではなく、むしろ以下のような二種類の人々の分断がある。

ゴーンやその剛腕を利用して自らも甘い汁を吸ってきた西川社長はじめ日産の現経営陣のようなグローバル資本主義による収奪で富をなしてきた人々と、むしろそのようなグローバルな資本主義の収奪によって仕事や生活を奪われてきた労働者や農民たちという人々と。

会社どころか国家を「私物化」して私人である妻の交遊費用や友人が経営する学校法人に巨額の税金を注ぎ込む政治家の行為には頬かむりを決め込む特捜検察に代表される人々と、その権力が支える資本家独裁のシステムに抗ったことで検察や警察に長期にわたって逮捕拘留される多くの人々と。

「復興五輪」というウソで誘致したオリンピックとパラリンピックで振られる「日の丸」に感動してしまう人々と、実際には復興の妨げになっているオリ・パラよりも放射能汚染の刑事責任を問い、原発のない平和な社会を目指すために奮闘している人々と。

在日米軍基地や自衛隊基地を沖縄に押し付けても仕方ないと思っている人々と、それに抗して日々ゲート前に座り込む沖縄のたたかいに心を寄せる人々と。

政治の世界や芸能の世界だけでなく、生活や運動の場においても男だけが指導的地位にあることに何の疑問を持たない人々と、そのような社会的不正義と性暴力の犠牲者に心を寄せて#MeTooでつながる人々と。

このような二種類の人々は、どの分野でもみられる。そしてこの二つの異なる人々の分断は、何かしらの方法で埋める必要はあるが、それは双方の人々の力比べによる対決によってしか解決はしないだろう。

● ゴーン氏のスワップ取引

長くなったので、そろそろ終わりにするが、最後に一つだけ、attacなのでゴーン氏の逮捕容疑の一つであるスワップ取引に絡んだ損失を会社に一時的に付け替えたという特別背任は成立しない、という細野氏の主張を見てみよう。

実際には損失は出ていないし、評価損の存在自体も会社はまったく認識していなかったという細野氏の主張については、なるほどと思うところもあり(やや強引とも言えなくないが)、その点はぜひ発売中の「世界」3月号を読んでもらいたいのだが、「ビックリするかもしれないが、ゴーン元会長はこの通貨スワップ取引で損などしていない」というくだりをすこし詳しくみてみたい。

細野氏はこう述べる。

「ビックリするかもしれないが、ゴーン元会長はこの通貨スワップ取引で損などしていない。なぜならゴーン会長は、ドル買い円売りの通貨スワップ契約を自分の円資産のヘッジ目的で契約しているからで、そこで通貨スワップ契約に18億5000万円の評価損が出たということは、ゴーン元会長が有する現物の円資産にはそれと同額18億5000万円の評価益が出ているに違いないからである。」

おかしな話である。だとすれば追証(おいしょう:追加の担保)の差し入れに四苦八苦する必要ないはずである。しかし実際には、契約を一時的に会社につけかえ、サウジアラビアの知人で業務協力者に30億円相当の追証支払いを要請しているのである。

細野氏はゴーンを擁護してこう言う。

「ゴーン元会長はこの当時日産自動車の株を300万株程度所有していたので、自社株だけで12億円相当の現金等価物をもっていた」「自社株以外にも相当の資産を有していたはずで、それにもかかわらず追証が工面できなかったのは、これらの資産が新生銀行の求める追証の流動性基準に合致しなかっただけのことであろう。」

これもおかしな話である。ではなぜゴーンは持ち株を現金化しなかなったのか、他の保有資産を現金化しなかったのか。もちろんすぐに買い手がつくわけではないので、追証期限に間に合わなかったのかもしれない。リーマン当時あるいは通貨危機などの恐慌のときには、つねに金融取引で大損をだして、破たんする人が出てくる。しかし、株の場合は株価が回復するまで、債権の場合は償還まで待てば(債券発行主体が破綻しなければ)、当初の予定通りの利益を得ることが、原理的には可能である。だが決してそうはならない。それがこれまでのバブルや恐慌の歴史だった。

● 変革を求める別の声が必要だ

リーマンでも追証を入れられず損切りをしたケースはごまんとあっただろう。しかし幸運にもその損失やリスクを別の経済主体に付け替えることができるのは、この資本主義という階級独裁の社会においては、資本家とその一味だけである。

しかしゴーンは自他ともに認めるように、日本ではずば抜けて高額の報酬を受け取っていたことからも、自らの金融取引の額、つまりリスクもずば抜けて大きかったにすぎない。そしてその運用を任されていた新生銀行はその巨大なリスクに対する正当な対価を求めたにすぎず、ゴーンはその額をすぐに用意できなかったにすぎない。

しかしこのような「黄金の国」の興亡史は、日産リバイバルプランでリストラされたり、リーマンショックの派遣切りで日産工場との契約を斬られた労働者には無縁の、別の世界の物語だろう。

「たかが50億円とか100億円の役員報酬で大騒ぎするな」という人々には、たかだか30億程度の追証で大騒ぎするな、といいたい。

最後に、「ゴーン元会長はこの通貨スワップ取引で損などしていない」という言葉の反対には「ゴーン元会長はこの通貨スワップ取引で得などしていない」ということである。

これはある意味で真理である。ばくちは儲かることもあれば損することもある。誰かの「もうけ」の裏側には誰かの「ソン」がある。

おそらくゴーン氏はリーマンショックまでは、オプションを組み合わせたスワップ取引で為替差益を得てきたのだろう。あるいはバブル期の高騰した保有時価総額も「利益」の一つと見ることもできるだろう(追証につかわれていたので)。それがリーマンショックで一挙に暴落し、それまでの利益が吹き飛んでしまったという意味では、損も得もしていない、ということになる。

しかし賭博と化した金融市場がもたらす社会的・経済的衝撃は、人々の生活と地球の未来に大きな災いをもたらしている。特捜の弾圧もアベノミクスもG20もグローバル資本主義も、それらの危機を大きくこそすれ、決してその根源的構造やシステムそのものを、別な世界に変革することにはならない。

変革を求める別の声が必要だ。
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