
先日、ピープルズ・プラン研究所が主宰する21世紀研究会というところで、中国の労働事情について話をさせていただいたさい、昨年来より話題になっている佳士(JASIC)の労働争議に関連して、当局に拘束されたマルクス主義フェミニストらの話をしました。
2月2日現在までに拘束されている55名の労働者や支援者のリストは救援会のウェブサイトに掲載されています。
・截至2月2日 | 深圳建会工人及其支持者被捕/失联名单!
https://jiashigrsyt1.github.io/bbslmd/
以下に訳したのは、北京大学の大学院で女性学を学び、広州で女性労働者の支援などを続け、今回の事件に連座して現在ゆくえが分からなくなっている孫敏さんのことを記した文章です。
筆者は中山大学在学中から行動するフェミニストとして活動し、2015年に拘束された5人のフェミニストのひとり、大兎さん。本文はこちらです。https://datudatudatu.github.io/pages/sm?from=timeline&isappinstalled=0

大兎さんは同じくジャシック事件に連座して行方不明になっている沈夢雨さんが、昨年6月に日本企業を解雇された際にも応援のメッセージを送っています(上図。文章はこちら http://www.chinalaborf.org/shenmonyu-firiend/)
なお孫敏さんについては、こちらのfbでも中国語と英語でこれまでの活動を紹介する文章が掲載されており、おりを見て翻訳しようかとおもいます。
・Marxist Feminist – Sun Min: Doing everything for the workers! 馬克思主義女性主義者— 孫敏:為工人付出一切!
(マルクス主義フェミスト――孫敏:すべてを労働者のために!)
孫敏――私の憧れの人が失踪させられた(大兎)
[訳注:中国では当局による各種の弾圧を「被~/~させられた」と皮肉を込めて表現することから「失踪した」ではなく「失踪させられた」とした]
この文章を書こうとするが、どうもうまく書き始めることができない。一行入力しては、苛立たしく一文字ずつ削除している。みんなに言っておかないといけないのは、孫敏はわたしの憧れの人だったことは簡単に言えるのだけど、どうして彼女がいなくなったのはをみんなに伝えることは、命を懸けるほど難しいこと。いったいどんな言葉で自分の好きな人がいなくなってしまった思いを描写していいのか、本当にわからない。いぜん私も失踪させられたときに、仲間たちが言葉よりも涙が先に流れたのと同じように。
孫敏がわたしの憧れの人になったのは、彼女と知り合うよりも前のことだった。2012年の冬のある日のこと、わたしはある工業地区で労働者らとフェミニズムについて語り合っていた。その頃はわたしままだ階級や労働者についてそれほど知っているわけでもなく、自分が「フェミニスト行動派」としてやってきたDV反対や性差別の問題について話した。
そこで仲間の労働者らと会ったときに、年上の女性労働者が親しげに私の左肩に手をまわして、優しくこう言った。「孫敏、また来たの?」
わたしはやや気恥ずかしげに振り返って聞いた。「孫敏ってだれ?」
その女性は「あらー」と声をあげ、「てっきり孫敏かと思ったわ!似てる!ホント似てるわ!」と言った。
お互いに笑いながら、私は、私と似てるというこの孫敏って人はきっと人に好かれる人なんだ、だって彼女[労働者の女性]、よく似た私と会っただけで、こんなにも楽し気なんだから。
ひとしきりDVや職場における性差別問題を語り終わったとき、ひとりの男性労働者が手をあげて質問した。なんども男性聴衆から嫌味や男主義的な質問を受けてきたので、男性の発言にはいつもゲンナリしてきた。しかしそんな私を驚かせたのは、この男性聴衆らが質問したフェミニズム問題についての理解の深さだった。たとえば「女性労働者保護法」のなかにある性差別を容認するような条項を改善するためにどう提起すればいいのかや、DVの問題では、警察への通報や傷害の判定に協力したときに直面した問題など……。
「へぇ、ここの男たちってなんでこんなに進んでるの!」こんなうらぶれた工業地区にこんなにジェンダー意識の高い男たちがいるなんで思っても観なかった。彼らは何者?この土地がそうさせた?そんな土壌なの?
わたしはこの新鮮な事件を現地の女性労働者スタッフに語り、ここの風土って本当にいいわねと感嘆したことを伝えた。この友人はまるであきれたようにこう言った。「かれらが最初からそんなジェンダー意識があるとでもおもったの?そんなわけないじゃない。それは孫敏の影響よ…」
この孫敏は北京大学の大学院で女性学を学んで卒業してからずっと工業地区で労働者のための活動に従事していた。この工業地区は男性の割合が高かったので、毎日男の労働者と一緒に、屋台でビールを飲みながら、ジェンダー平等と労働者の権利について事細かに議論してきたという。そうして数年が経ってやっと、私が驚きをもって喜んだフェミニストの男性の工業地区における登場を目の当たりにしたのだ。
人間嫌いの私には、なぜ孫敏が毎日毎日何年も工業地区に入り、ひとりひとりと階級やジェンダーについて議論しているのかがよくわからなかった。繊細で注意して人々の心に働きかける活動は、おそらく多くの我慢と情熱を必要としただろう。
こうして私はこっそりとこの孫敏を自分の中の憧れの人にして、自分も彼女のように地道かつ心を込めてフェミニズムの理想を実践したいと思った。
その後、偶然の機会に彼女に会うことができた。予想通り彼女は私とそっくりの赤いフレームの近視鏡をかけていた。だからみんなは私にそっくりだと言ったのだ。違っていたのは、彼女はとってもT(Tomboy)だったってこと。とてもコーディネートなどしたことのないような、そのへんにあったTシャツと、量販店で売っているような速乾パンツを着て、わずかに黄色がかったヘアーから両耳とオデコをだし、真剣なまなざしで真剣にこう言ってきた。「大兎、こんにちは。わたしもフェミニスト」。
私たちは何百年も会わなかった親友のように話し出した。まわりが分からないような笑いのツボで豚のように笑いあった。孫敏はメイクをする女の子ではなかった。彼女は自分の時間をすべて勉強と他人への奉仕活動に注いだ。大学は中華女子学院で、入学してすぐに三農社団[サークル]に入り、毎週北京の郊外の村で流動児童[農民工の子ども]に勉強を教えた。北京はとてつもなく広い。その村まで片道2時間もかかる。だけど彼女は、子どもたちが可愛くって仕方ないという。両親は仕事で忙しく子どもの面倒を見る時間がない。彼女はとても同情して、自分の時間をその子どもたちのために費やした。だからこっそり撮った彼女のごくわずかの写真はどれも貧相なものばかり(ははは、わざとこの写真を選んだんじゃないよ)。
彼女の女性学の研究テーマは出稼ぎ女性労働者。フィールドワークで彼女が知り合いになった女性労働者たちは高校を卒業してすぐに工場で働いている。これらの労働者たちは、学校を途中でやめて家計のために出稼ぎにでた彼女の幼なじみを思い出させるそうだ。彼女はかつて私に言ったことがある。ある工場の朝礼を見かけたことがある。そこで社長が労働者に訓辞を垂れてていたが、ひどい侮蔑の言葉が次から次に口をついてでてきたという。労働者たちは反論することなく下を向いて我慢しているようだったと。孫敏がこの話をわたしにしたとき、ひどく怒り、いまにも泣き出しそうだった。彼女は、研究だけにとどまらず、このような不公正を何としても変えたいと語っていた。
こんなに熱血な孫敏は、まるで宣伝映画から飛び出したような公明正大なヒーローのようだった。だけど実際に私が発見した孫敏はとてもユニーク、しかもフェミニズム的にユニークな人だった。たとえば学生の頃のクラス旅行で、男子学生は孫敏が行きたくもないところに行きたいと主張し、女子学生の意見を聞こうともしない、じゃあもう旅行はやめだ、となった。ふつうならそれまでの話なのだが、彼女は突然真面目な顔でこう言った。台紙学生たちが行きたいと言っていた場所で洪水か地震が発生して、あのクソ男主義者どもは一命をとりとめやがった、と。私たちは大笑いした。この話は道徳的には正しくないかもしれないが、それにしてもクソッタレな話だ。
こんなふうに、彼女は唯物論者からしたらあやふやな冗談をよくしていた。工業地区での数年のあいだ、彼女はずっと胃の病気を患っていた。次から次にくる労働者の友人たちと話しこみ、食事をとらなかったりしたからだ。仕事明けの労働者も忙しかったり、彼女もよく徹夜したりした。そんなこんなで体を壊した。身体を冷やさないように、夏でも薄手のカーディガンを手放さなかった。みんな彼女の体を気遣っていたが、彼女は自嘲気味に、50~60歳くらいまで生きられたら本望、人生は長さではなく意味があるかどうかが重要だから、と語っていた。
私はいつも、彼女がもし革命の時代に生きていたら、きっと刀を抜いて悪を斬る女傑になっていただろうと思う。彼女は秋瑾が大好きだった。ある年の年末、実家の親があまりに結婚しろとうるさいので、一人で旅行に出かけた[中国では正月は必ず実家に帰る習慣がある:訳注]。旧正月の元旦、彼女は杭州の西湖のほとりにある秋瑾の墓の前で「吾輩は自由を愛し、勉めて自由に酒を飲む」という秋瑾の「女権に勉むる歌」をそらんじた。そして、どこかからレプリカの刀を用意して、すこし馬鹿なふりをしてこう言った。「紅装(ウェディングドレス)よりも武装を愛す」。
もちろん多くの人にとって、彼女のような理想と情熱にあふれた人間はすこしばかり馬鹿に映るだろう。彼女はよく眠れないときに「チェ・ゲバラ」の歌を歌っていたし、風景写真にも毛沢東の詩詞「山の花咲ききそう時いたらば」をコラージュで入れ込んで、「はなむらにありて微笑む」ようなことをしたり、WeChatのモーメンツ[友人だけに配信される]で「自由には階級的属性があって…」などと感情的に発してみたり……。彼女みたいな熱血は時代遅れでメインストリームから外れはいるが、貴重だとも言える。こんなにもイカしたハートを持つ人が、ジェンダー平等をこれほど緻密に提唱するフェミニズムアクティビストなのだ。きっと人間に対する善意にあふれ、未来に対して絶対に失望することのないヒトなんだと思う。
こんなにも人々の気持ちを汲み取ることにたけた女侠が、最近になって消息がわからない。ある情報によると、彼女はある労働運動や学生を支援したことで、警察に連行されたという。しかしいまだに彼女がどんな罪を犯したのか、どこに連行されたのかは分からない。同じころ労働者を支援した学生たちも失踪させられた。彼女らがどんな怖い目に遭っているのか想像もできないが、彼女たちを連れ去った人間には、彼女たちが追い求めた公平で正義が実現されるという理想を理解することができないだろう(あるいはわざと理解しないようにしているかもしれないが)。彼らはきっとこう思っているだろう。馬鹿な奴らだ、と。あるいはこう思っているかも知れない。余計なことに首を突っ込むよりも、自分の生活のことを考えろよ、他人の問題に首を突っ込んでどうする、と。
だけど彼女たちは当然にも余計なことに首を突っ込むの。だって彼女田たちは「鑑湖女侠」と号した秋瑾とおなじ強靭なハートの持ち主で、「山の花咲ききそう時」の希望を胸に抱いているんだもの。どうせイカすなら人類みんなでイカさないと。自分だけが幸せならそれで満足してどうするの。
もしこれが違法で犯罪だというなら、世界がもっと良くなるようにと願う人すべてを捕まえたらいい。あなたたちの頭には、すばらしい人間と事柄、善良と勇気をつめこむ場所もないようだし。
こんな馬鹿な仲間たちはいまどこにいるのだろう。無事に過ごせているだろうか。私の憧れの人はいつ戻ってくるの。いつ私たちと酒を酌み交わして歌を歌うことができるのだろう。季節も寒くなってきた。彼女は寒くないようしっかりと着込んでいるだろうか。しっかりと睡眠はとれているの。冤罪をでっちあげられたり、辱められたり、殴打されたり、疲労困憊になるまで責め立てられたりしているのだろうか。
たとえどんなことがあっても、私は孫敏のことを忘れない。そして真剣なまなざしで、奇抜な装いと表情で、時間の節約のために短く刈ったヘアーで、6年ものあいだよりよい世界と女性のエンパワーメントのために語ってきた彼女の一言一言を忘れることはない。
元気でいてください。
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