
2017年公演のDVDカバー
「不覚……。」
南国の特有の鮮やかな夕日に照らされた那覇空港のラウンジ・レストランで、脳裏をかすめたのはこの言葉だった。
台風一過のおかげで辺野古新基地建設の工事が中断したこともあり、今回の沖縄行きは、キャンプ・シュワブ工事用ゲート座り込みよりも、名護嘉陽にある64年東京五輪の聖火リレーの碑めぐりや名護博物館の「やんばるの戦争展」、そして宮城與徳の実家めぐりや小倉さんの聖火リレーと宮城與徳のミニ講演、不当逮捕された仲間の釈放など、それ以外のスケジュールが盛りだくさんだったこともあり、申し訳ない半面、やや満足もしていた最終日。あと数時間で那覇空港をたつというその時に、あの「お笑い米軍基地」の2018年ツアーの真っ最中で、この日の晩には宜野湾での公演があるということを聞かされた。

2018年6月公演のポスター
その時、脳裏をかすめたのが冒頭の言葉だった。
沖縄の米軍基地問題を題材にしたコントと喜劇のライブ「お笑い米軍基地」は、那覇出身の小波津正光さんとフリーエンジョイカンパニーが2005年から続けているライブ。昨年2017年6月の名護公演を実際に見て、盛りだくさんのネタとやや詰め込み感満載の舞台をこなす芸人さんらの苦労に思いをはせつつも、たいへん感銘を受けた。ぜひ来年も、という強い思いを抱きつつ、忙しさにかまけて事前のチェックを怠っていたこともあり、まさか今回の訪沖期間中に公演があったとは夢にも思っていなかったので、最終日の最後の数時間のときにこのことを聞かされたときの衝撃といったらなかった。東京に五輪が決まったときくらいの残念感といえばいだろうか。
この一見どうでもいい、沖縄報告番外編のエピソードを紹介しようと思った理由のひとつは、沖縄を併合・同化し、天皇制という「国体護持」のために、沖縄の人々を塗炭の苦しみに陥れた日本の国旗「日の丸」を賛美する「HINOMARU」というちょっと恥ずかしい楽曲を発表したRADWIMPSのニュースを読んだからということもある。
RADWIMPSは大ヒット映画「君の名は」の主題歌「前前前世」を歌っていたが、昨年の「お笑い米軍基地」で演じられた喜劇が「君の名は」だったのだ。これは紹介しないわけにはいかない。
もちろん映画「君の名は」のパロディ。しかしこの喜劇のベースにあるのは沖縄戦。それは米軍基地とは切っても切れない問題であり、悲惨な沖縄戦と戦後の占領の経験があるからこそ、人殺しの施設である基地の存在にも、沖縄の人びとは不屈の怒りを示し続けている。
もちろん「お笑い米軍基地」ではそんなストレートな問いかけを観衆には求めない。あくまで「お笑い」のなかに、ツッコミどころ満載の沖縄の現状を問う、ときには自虐的ともとれるネタを展開する。
喜劇「君の名は。」のストーリーはこんな感じだ。
高校三年生の男子学生と沖縄戦を体験したオバーの心と体が入れ替わる。男子学生は卒業式を控えており、「君が代」を歌うことにクラスの担任も学生たちも疑問を持たない。しかし男子学生の姿をしたオバーは「わんは歌えん」と頑なに拒否する。オバーは沖縄戦で家族を亡くしており、まだその遺骨もどこにある不明。そのことを知ったオバー姿の男子学生がギターを手にして歌うのが「君が代」のメロディにのせた替え歌「君の名は」。
「君の名は」で始まる替え歌の歌詞はうろ覚えだが、沖縄戦で亡くなりいまだ遺骨が収集されていない、あるいは収集されても誰の遺骨かわからないたくさんの犠牲者がいるという歴史背景を知っている人は、「君の名はわからないが、苔の生すまでわすれない」という内容の歌に心揺さぶられないものはいないだろう。歌に合わせて舞台の背景には、髑髏や骨の山となった遺骨の写真などが映し出される。もちろん、やんごとなき夫妻の写真も。うたうオバー姿の学生(小波津正光)の眼差しは真剣そのもの。
細かい設定などは間違っているかもしれないが、こんな内容だった。昨年の公演を観て、すぐにでも紹介を書きたかったのだが、ついつい紹介が遅れて今になってしまった。しかし「君の名は」の主題歌を歌ったRADWIMPSの「HINOMARU」の歌詞の内容の余りの不勉強さにあきれるとともに、昨年の「お笑い米軍基地」の公演をいま紹介しないと、機会を逃すだろうと思って、あえて陳腐な説明だが、紹介した次第だ。
昨年の公演はすでにDVDになっているが、
いまググってみたら、小波津正光さんのブログにすこしだけ紹介が出ていた。(こちら)
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さて今回、お笑い米軍基地を見逃したエピソードを紹介しようと思ったもうひとつの理由は、オリンピックがらみ。今回の名護訪問の目的の一つに、1964年の東京五輪の時の聖火リレーが一泊した嘉陽にある記念碑をみることにあった。
このときの聖火リレーは、東南アジアを経て、米占領下の沖縄に入り、沖縄島を逆時計回りにぐるっとまわって九州から東京に向けてリレーされたのだが、辺野古をすこし東海岸沿いに北上した嘉陽地区には、聖火リレーが一泊したときにつくられた記念碑「聖火宿泊碑」がある。ちょうど名護市役所のロビーでは、2020年の東京五輪に向けて「名護にもう一度聖火の火を」という願いを込めて、1964年の聖火リレーの際の写真や資料などが展示されていた。
米占領下では公的な場所での君が代斉唱と日の丸掲揚は認められていなかったが、聖火リレーに限っては認められることとなり、その後の「祖国」復帰運動の先がけとして、日の丸が沖縄島各地で打ち振られた。住民は「日の丸」のなかに基地被害のない平和な沖縄の実現を夢みた。しかし「祖国」復帰を果たしてから今日まで、その夢は裏切られ続けてきた。

聖火リレーと宮城與徳についての小倉利丸さんのミニ公演のチラシ
「放射能汚染はコントロールされています」というウソをついて大金をはたいて買った2020東京五輪は、おなじウソつきによる「沖縄の基地負担の軽減のため」という大ウソによって進められている辺野古新基地建設のさなかに行われることになる。
さて、「お笑い米軍基地」である。じつは「お笑い米軍基地」の始まりはオリンピックと関係がある。
「お笑い米軍基地」の企画・脚本・演出をしている小波津正光さんの著書『お笑い沖縄ガイド 貧乏芸人のうちなーリポート』(NHK出版 生活人新書、2009年)に「お笑い米軍基地ヒストリー」という一章がある。

それによると、25歳で上京してお笑い芸人をしていた小波津さんは、米軍基地がある沖縄と東京の違いにカルチャーショックを受けつつも、その違いがお笑いになるのではないかと考え、漫才のネタに沖縄の米軍基地の話題をすこし入れたりしていた。たとえば、「東京ではたまに雪が降るけど、沖縄ではたまに米軍のパラシュートが降ってくる」「東京では『小学生通学中、飛び出し注意』なんて書いてあるけど、沖縄では『グリーンベレー訓練中、流れ弾注意』って書かれてる」など。
しかし沖縄の厳しい現実を笑いにしたネタは、その現実を知っている人にとっては面白いが、ライブを見にくる観客はその事実を知らないので、あまりウケなかったという。
「そんな時、事件が起きた。」
(以下、小波津さんの著書から引用)
それは忘れもしない2004年8月13日、わんのちょうど30歳の誕生日やさ。沖縄国際大学にアメリカ軍のヘリコプターが墜落したわけよ。…嫁の友達からすぐ電話があったわけさ。「いま沖縄で大変なことがおきてるよ!」
すぐにテレビをつけたけど、そんなニュースはやってない。沖縄のことが気になり、その日は一日中テレビをつけていたんだけど、ヘリ墜落のニュースを取り上げたところはほとんどなかったわけさ。それどころか、その日はアテネオリンピック開幕と当時プロ野球巨人のオーナーだったナベツネこと渡邉恒雄の電撃辞任のニュースばかり。
翌日、沖縄の新聞がアパートに届いたわけさ。そこには大学の敷地内に墜落し、真っ黒な煙と真っ赤な炎を上げボーボーと燃え盛るヘリの写真が、新聞の一面にデカデカと載っていたわけさ。
一方、東京で売られているその日の全国紙の一面は、渡邉オーナーの辞任と、オリンピックの開会式で真っ赤に燃える聖火をバックに笑顔で入場行進する選手団の写真だけ。
「ぬーやが(なんなんだ)これは!?」あまりの違いに愕然としたやっさ。そしてすぐに怒りがこみ上げてきた。
そんな怒りで脳みそ沸騰中にもかかわらず、ピンときたわけさ。「あれ?もしかしてこのヘリ墜落事件ってわったーにとっておいしいネタあんに?」……ってことで、翌日に新宿で控えていたライブのネタを急きょ変更。米軍ヘリ墜落のニュースを漫才にすることにした。
そして、いざ舞台へ。
「ハイサーイ」
「いや~それにしても盛り上がってるよねぇ、アテネオリンピック」
「はぁ!?ぬーが(なにが)アテネオリンピックよ!お前沖縄の人間だろ、オリンピックの話するな!」
「なんでよ、意味わからんよ!」
「いいか、お前なんか(お客さん)もよく聞け!オリンピックオリンピックって盛り上がってるのは東京の人間だけどぉ。これをよく見れ!」
そういって、ヘリ事故を伝える沖縄の新聞を取り出し、舞台上で高々と掲げたわけさ。
「アテネで聖火が燃え上がってた頃、沖縄ではヘリコプターが燃え上がってたばーよ!東京ではみんなオリンピックで盛り上がってるかもしれんけど、沖縄では基地反対で盛り上がってるばーよ!」
……ウチナンチュにもかかわらず、この問題にまったく無関心な相棒に対して、わんが舞台上で本気の説教を始める。もうお笑いライブだかなんだかわからない。でも、お客さんは大喜びしてくれた。
その後、いろんなライブでこの漫才をやったわけさ。わんとしては芸人としてお客さんに喜んでもらいたい気持ちが半分と、このヘリ墜落事故に対して体の奥底から沸いてくる、なんだかよく分らない怒りが半分、それをとにかく伝えたいって気持ちでやってたわけさ。それを何回か続けていくうちに、あることを思いついた。
「沖縄の米軍基地問題だけをテーマにしたお笑いの舞台がつくれないかなぁ。」
(以上、小波津さんの著書から引用)
あとの展開や、小波津さんの思いはぜひ『お笑い沖縄ガイド 貧乏芸人のうちなーリポート』を手にとって読んでほしい。ちなみに2005年の第一回公演には「日の丸」と題したコントもあったという。W杯アジア予選で日の丸を打ち振る若者と掛け合う知花昌一さんをネタにしたものだそうで、このネタも本に収録されている。
昨年の公演ではおりしも朝鮮のミサイル実験が大きな話題になっていた時だったので、そのネタもあったが、これはイマイチだったな、とおもいつつも、こんなネタを朝鮮の人たちができる日がいつ来るかなとも考えたりした(まあ日本も、政府ややんごとなき夫婦を笑い倒すこの舞台の全記録を公然と公開することができないという事情があるので、それほど言えた立場にもないのだが)。「お笑い米軍基地」のネタは、やっぱり沖縄ネタが一番冴えている。「翁長組長」や「山城ヒロジ」ネタがおもしろかった。
小波津さんは、お笑い米軍基地についてこう述べている。
「米軍に関する事件や事故が毎日のように頻繁に起こっているから、ネタに困ることはない。……芸人としてはこの舞台を続けたいけど、ウチナンチュとしてはこの舞台ができなくなることを願ってるのも事実。わんの中ではこの矛盾する二つの気持ちが当たり前のように存在している。これこそお笑いやさ!矛盾をネタにしてる自分が一番矛盾してるわけだからや!『お笑い米軍基地』とは、そんな矛盾だらけの沖縄芸人が、矛盾だらけの米軍基地をテーマに創っている、沖縄丸出しの舞台です。」
矛盾だらけの沖縄の人々が、矛盾だらけの米軍基地を相手に非暴力不服従で陸と海で座り込んでいる、沖縄丸出しの闘いに思いを馳せながら、「お笑い米軍基地」を見逃した名護報告番外編はこのへんで打ち止めにしたい。ついでに言うと、お笑いカメジローも観たかったなぁ。

小波津正光さんやお笑い米軍基地については、昨年NHKでも「笑う沖縄 百年の物語 お笑い米軍基地」という番組の再放送が放映された。初回放送は2011年だそうだが、ウェブ検索すると映像が観られるようだ。これを見れば、「お笑い米軍基地」推しの理由が分かっていただけるかと思う。またいずれかの機会にみんなで観たいと思う。(たまには「不屈」ではなく「不覚」な内容もありかなとも思った。2018/7/13追加)

2016年4月の事件から2年経ってもお供えが絶えることのないリナさんの祭壇(2018年6月17日)
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