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新刊『陸軍中野学校と沖縄戦 知られざる少年兵「護郷隊」』&映画『沖縄スパイ戦史』

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「辺野古に新基地を造らせない、という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありません」

慰霊の日の翁長雄志・沖縄県知事の平和宣言は、建設計画を変更せざるを得ない安倍首相や日本政府の虚勢と比べるまでもなく、力強い。

新しい米軍基地建設が強行されている名護市辺野古。「やんばる」と呼ばれるこの地域に、かつて「護郷隊」と呼ばれる少年兵を中心に編成された遊撃部隊がありました。

これまで「陸軍中野学校」や「スパイ」などが並ぶ読み物や映画には、まったく食指が動かなかったのですが、柄にもなく、タイトルに記した書籍とドキュメント映画を紹介しようと思います。

米軍上陸の約半年前の1944年9月、遊撃戦を行うため、陸軍中野学校を卒業したばかりの青年将校らが42名が沖縄に派遣され、やんばる(沖縄島北部)や離島を中心に、地元の少年ら約1000人を強制的に「志願」させ、編成した「護郷隊」を扱った内容。

先日も名護市辺野古の米軍基地建設反対の座り込みに参加してきたのですが、このかん名護で常宿にしている羽地地域が、紹介しようとしている書籍や映画の舞台の中心の一つで、いまでは、のどかな名護市郊外の村落からつづく小高い山に陣地が設営され、付近にはもれなく慰安所もあり、少年たちが絶望的なゲリラ戦の作戦の一環として自分たちの家に火をつけ回った地域であったということで、興味を引かれたというのが、理由です。

まずは書籍の方から。

陸軍中野学校と沖縄戦 知られざる少年兵「護郷隊」』(吉川弘文館、2018年4月、1700円+税)。

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著者の川満彰さんは、2010年頃から本格的に「護郷隊」の調査をはじめたそうで(同書、あとがき)、多くの元・護郷隊員からの聞き取りや、陸軍中野学校を卒業して護郷隊を編成した村上治夫の遺族らとの交流などを通じて、貴重な証言や資料を本書で示しています。

すこし引用してみます。

「(1945年)4月7日、名護湾に上陸した米軍は、中部読谷村沿岸から陸路を北上してきた部隊と合流、沖縄本島から本部半島を切り離すかのように、名護湾から羽地村仲尾次までの南北ラインで遮断した。そして4月9日頃、米軍は仲尾次に近い田井等に民間収容地区の設置を宣言するとともに、多野岳のふもとの集落、真喜屋・稲嶺地域にキャンプを設置、真喜屋集落の後方にある多野岳へと照準を当てた。」

「(護郷隊)大隊長村上治夫は、米軍が駐屯した真喜屋・稲嶺集落掃討作戦を練っていた。…4月17日午前5時ごろ、村上治夫の合図で真喜屋・稲嶺集落を一斉に焼き払う攻撃が始まった。不意をつかれた米軍は、反撃することもできず、数人の米兵は海岸向かいの奥武島へと撤退した。」

「比嘉才四朗(今帰仁村・17歳)は、この攻撃で負傷した一人である。比嘉は『いつの間にか海岸向かいの奥武島近くまで追いかけていた。しかし米兵3人が突然振り向き、逆に打ち返してきた。その時、知念(盛正)も自分もやられたが、知念はここで死んだ。それで『ここで眠っておけよ』ということで(遺体を)置いて、今の真喜屋と屋我地島の間の川をあがって逃げた。』…」(同書80~82頁)

最後にある「真喜屋と屋我地島の間の川」は、今回の宿泊施設の前を流れていた小さな用水路のような川のことだとおもいます。屋我地島は国立ハンセン病施設のある島で、奥武島は、真喜屋と屋我地島のあいだにある小さな無人島。いまの静かな地域からは想像もできない歴史があったことを、本書から知ることができました。

護郷隊については、2015年8月に放映されたNHKスペシャル「あの日、僕らは戦場で~少年兵の告白~」で取り上げられたのを覚えているが、そのときは「名護のことかぁ」と薄らぼんやりとみていたように思うが、川満さんはこの番組の作成にも尽力されたようだ(同、あとがき)。(なお、現時点で、この番組のタイトルをググると、映像が観られると思いますので、ぜひ)。

詳しい内容は、本書をぜひ読んでいただきたいですが、この本を買おうと思ったより直接的な理由はもうひとつあります。

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今回の辺野古訪問期間間に、名護市博物館の特別展「名護・やんばるの戦争展」が始まり(公式サイト)、台風で工事も座り込みも休みの合間に、この特別展を参観し、別件で大変お世話になりました。とても貴重な展示ですので是非とも参観を!

で、参観の際に購入した名護市教育委員会が発行している証言集『語りつぐ戦争 市民の戦時・戦後体験記録』第3集(2012年3月発行)の付録として川満彰さんの「やんばるの少年兵『護郷隊』~陸軍中野学校と沖縄戦~」が収録されており、東京に戻ってきてから、それを半分ほど読んでいました。最初に名護の護郷隊について興味を持った経緯は、いぜんこのブログに書いていますので、こちらを参照してください。

で、この証言集ってヤマトでも買えるのかなぁと思い、川満さんの名前を入力してググってみたところ、ヒットしたのが4月に出版されていた『陸軍中野学校と沖縄戦 知られざる少年兵「護郷隊」』だったのです。

さっそく書店を回って購入。ざっと読み比べてみたところ、資料的価値としては6年前の証言集の付録論文のほうが充実していますが、タイトルや形式を含めて、書籍のほうが、ヤマトの読者や一般向けに読みやすく再編集されている感じがしました。

この本や証言集は、これまで護郷隊に関する書籍や資料のなかで流布されていた「遊撃戦にあたって大切なことは、人間的信頼感と同志的結合だ。人間の表裏のありのままに表現する機会を作って、隊員間の強固な人間的つながりを形成する」(『少年兵はなぜ故郷に火を放ったのか 沖縄護郷隊の闘い』、宮本雅史著、KADOKAWA、2015年5月)という村上治夫大隊長の信念について、理念と実態のかい離を、元・隊員の証言から反駁していることでも貴重なものです。

「少年たちの教育係は主に分隊長(同郷の在郷軍人など)である。村上治夫は『(同郷の)先輩が分隊長、小隊長とあって気分もぐっと和やかで』と述べており……だが、元護郷隊員らの証言はまったく違っていた。比嘉才四朗(今帰仁村、17歳)は『軍服を着けた瞬間、分隊長に殴られた』と述べる。……玉那覇有義、(東村、16歳)は『一人十殺。十人殺したら死んでもいいと言われた。そして一人が失敗すると全体責任。分隊長たちは殴らん。僕たちを2列に並べ、互いに殴り合いをさせた。一人の分隊長は手を使わなかった。皮ベルトで僕たちを殴った』と振り返る。……新垣善昭(うるま市、15歳)は『全体責任の取り方は友人同士二人一組で互いの顔を殴ることだった。最初、友人を殴るのが弱いと、教育係りが『こうするんだ!』と、全員思いっきり殴られた。それからは、悪くない友人も殴るようになった』と語る。また、遠く離れた西表でも『いつも全体責任で互いに殴り合っていた』という。」(同書、70~71頁)

このように、ごく一部のエピソードを取り上げて護郷隊や日本軍のあり方を美化するような傾向に対して、川満さんの書籍では、本人たちの証言をもとにしっかりと反駁しています。

護郷隊の評価については、『名護市史・本篇3 名護・やんばるの沖縄戦』(2016年8月15日発行)の記述が参考になります。
「第二護郷隊の最初の軍事作戦といえるものは、北上する米軍の進撃を妨害するために石川や仲泊付近の橋を爆破したことである。このため、やんばるに避難してきた人びとは馬車を捨てるしかなくなり、食糧なども置いて川を渡るしかなかった。米軍にとっては大した妨害にならず、最も困ったのは避難民だったと言えるだろう。また第一護郷隊の真喜屋・稲嶺攻撃に見られるように、村上大尉の命令で郷里の家々に火をつけて焼き払うことが遊撃戦だった。こうした活動が『戦果』を挙げたといえるのだろうか。やらないほうがよかったと言えるのではないだろうか。……やんばるでは、米軍に保護された住民や指導者をスパイ視して日本軍が虐殺する事件が起きているが、こうした日本軍による住民殺害も遊撃戦の一環であった。……遊撃戦の継続が多くの住民の犠牲を生み出したことは、遊撃戦を評価するうえで欠かせない点である。」(同書102~104頁)

護郷隊については、早くは1960年代末から資料が出ていたようで、名護市でも1985年3月に発行された『語りつぐ戦争 市民の戦時・戦後体験記録』第1集に元・護郷隊員の体験記が収録されています。

この『語りつぐ戦争』シリーズは、第2集が2010年3月に発行されており、そこでも護郷隊員の証言が掲載されており、これを発行した名護市史「戦争編」部会の事務局として川満さんの名前も記されています。

『名護市史・本篇3 名護・やんばるの沖縄戦』には、「第II部 戦場の記録」のなかで、「第4章 やんばるの少年兵『護郷隊』」や「第5章 もうひとつのやんばるの沖縄戦 沖縄戦と愛楽園」の論考ほか、やんばるの沖縄戦の体験者の証言がふんだんに収録されていて、とても参考になります。

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『陸軍中野学校と沖縄戦 知られざる少年兵「護郷隊」』は、6月23日の「慰霊の日」に東京新聞の夕刊で、琉球新報と沖縄タイムスの3社共同で掲載した「6・23沖縄慰霊の日 出版広告特集」にも掲載されています(確かその前日か前々日の一面下段の書籍広告にも掲載されていたと思います)。6月24日付の琉球新報ウェブ版には書評も掲載されていました(こちら)。

さて書籍の紹介が長くなりましたが、ドキュメント映画『沖縄スパイ戦史』は、いうまでもなく護郷隊を扱った内容です。7月公開の映画なので当然まだ見ていませんが、タイトルに食傷せず、ぜひ見に行きたいと思います。公式サイトの予告編を貼り付けておきます。

公式サイトによると「映画は、まさに今、南西諸島で進められている自衛隊増強とミサイル基地配備、さらに日本軍の残滓を孕んだままの『自衛隊法』や『野外令』『特定秘密保護法』の危険性へと深く斬り込んでいく」とあるように、従来の書籍や資料集でははっきりとは語られていない、現在につながる問題提起としてつくられているようです。

川満さん著の『陸軍中野学校と沖縄戦 知られざる少年兵「護郷隊」』に収録されている陸軍中野学校出身の将校らの配置図をみたとき、いま南西諸島で進められている自衛隊の配置図と重なって見えたのは僕だけではないと思います。

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辺野古の米軍新基地建設にNOを、そして自衛隊基地の増強にNOを。辺野古へいこう。宮古・八重山へいこう。


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