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どれだけ鈍感な人間でも、わずかでも良識というものがありさえすれば、私たちが生きているこの国がとんでもない方向に向かっていることを感じるだろう。支配者の宣伝機構はジョージ・オーウェルも舌を巻く技術を持っているにもかかわらず、天下泰平を装う粉飾の努力は、社会的腐敗の速度には追い付けていない。
この国のメディアには厳格な審査システムが導入されているのだが、それでも怒り心頭のニュースを見ることができる。公衆衛生に関して真実を話した医師が大企業の利益に抵触したといって国家の暴力装置から弾圧される。大学教員によるセクハラの被害者のために立ち上がった学生が大学当局から恫喝を受ける。未払い賃金を求めた教師らが街頭で警官に殴られ、後ろ手に手錠をかけられ連行される。治安に関する政府の宣伝にもかかわらず女性に対する犯罪が氾濫する事実を覆い隠すことができず、利潤駆動のもとで貧しい階層の女性たちを「生む機械」にする産業は富裕層の公然の秘密となっている。訪中した朝鮮の独裁者が贅沢きわまる接待を受ける一方で、中国の少数民族が強制収容所に押し込められている。
時代遅れの価値観がメインストリームとなり、暴力装置は空前の強大さに達し、偉大な領袖に欠けているのは皇帝の冠[世襲制]だけとなった。では、われわれはこのような薄暗い時代を受け入れて、それを称揚する合唱の隊列に加わるべきなのか? 私の答えはNOだ。中国の支配者が、このかんの米中貿易戦争にも表れている「張り子の虎」という本質から、そう言えるだけでなく、この国の国境の内側においても、多くの人たちが警棒、監獄、盗聴、監視カメラといった暴威にも屈することなく、抵抗の烽火を掲げ続けているからでもある。
今年の1月、北京航空宇宙大学の卒業生・羅茜茜が、大学の教員の陳小武のセクハラ行為を通報したところ、全国60校余りの大学生がすぐに支持を表明し、全国規模の大学生のセクハラ反対行動になった。4月にはこの行動にコミットした北京大学の学生、岳昕遭が大学当局から圧力を受けたが、全国規模で支援が寄せられた。北京大学の構内では長年みられなかった「大字報」も登場した。(下図)

3月には、2000余名の上海の清掃労働者が、そもそも低すぎる賃金をさらに引き下げるという提案に対して抗議のストを行った。その行動はすぐに弾圧された。しかし弾圧する方法には事欠かない警察でも、労働者の代わりにゴミを清掃することはできなかった。六日間のストライキで賃下げの一部を阻止した。
4月、全国の十数にまたがる省のクレーン運転手らがいっせいに賃上げを訴え、多くの都市でストやデモがおこなわれた。ネット上では5・1国際労働デーにあわせて各地のクレーン運転手が統一した横断幕を掲げてデモしている映像がアップされ、その組織能力に驚かされた。
5月、安徽省六安市の教員が政府に賃上げを求めた行動が警察の暴力と弾圧を受けた事件は全国を騒然とさせた。しかし警察の暴力は教員を委縮させることはできなかった。数日後、ふたたび百名を上回る退職教員らが街頭での抗議行動を行った。この行動によって、地方財政危機による教員の賃金未払いが六安市だけでなく、全国で発生していることがわかり、各地での抗議行動を誘発した。
もちろん抵抗事件はこれだけに止まらない。しかしこれらの事件だけでも、人々を鼓舞する十分なシグナルとなる。というのも、まずこれらの事件がもっとも弱い集団であっても、集団的行動を通じて自らの権利を守ることができ、ひいては巨大な弾圧装置を握る政府に対して妥協を引き出せることを証明したからである。しかも、新しい戦術と技術、そして組織方法も不断に登場しており、盤石を誇示する専制体制の弱点をたびたび露呈させている。地方都市での抗議行動は警棒と手錠で簡単に解散させることができるかもしれないが、その映像がすぐにSNSで大量に拡散され、当局によって削除されるまで全国の怒りをかきたてつづける。
そして、支配者自身の腐敗と愚かさと傲慢さが危機を加速させる。かれらが大量の資金を投じて監視・弾圧したり、巨額の利益をブルジョアのポケットに流し込むのではなく、清掃労働者や教員、クレーン運転手らに尊厳ある公正な賃金を保障しさえすれば、そのような集団的抗議行動を引き起こすこともないのである。しかし、資本主義固有の危機と国際的な覇権を争う「貿易戦争」が出現しており、このような状況を一変させたいと支配者が考えようとも、解決困難な財政状況に直面するなかで、教育、医療、社会保障などの部門に財政を振り向けるという約束は、絵に描いた餅となるだろう。
加えて、あらゆる抗議行動は、その成否にかかわらず、人々を鼓舞する効果を持つ。現代中国の青年学生は80年代と同列で語るわけにはいかないにしても、ますます多くの青年学生が社会と政治のテーマに関心を持ちつつある。清掃労働者のストライキを支援し、大学教員によるセクハラに声を上げ、性的マイノリティの権利を支持する学生たち。学生たちはそれを大学教育で学んだわけではない。むしろ中国の大学当局の管理はますます反動的になっている。つまり合理的に考えれば、インターネット上で目にする抵抗――ストする労働者、住宅取り壊しに抵抗する住民、田畑を守ろうとする農民、大学教員によるセクハラに抗議する大学の先輩たちの姿を見て、一部の青年たちが目覚め、急進的思想に共鳴しているのだ。
最期に、政府がこのところ苦心して演出している「中国の夢」から、民衆は覚めつつある。前述のようなひどいニュースを目にするたびに、この体制全体に対する批判が洪水のようにあふれ出る。『戦狼2』や『すごいぞ、わが国は』といった民族主義的プロパガンダ映像は、逆に風刺パロディの素材になっている。ますます多くの人々が次のことを理解しつつある。つまり、労働者は、女性は、学生は、あるいは支配集団に属さないすべての人は、この「国家」に属さないということを。この国家が、映画や偉大な領袖が描写するように自分の権利を守ってくれはしないし、権利のために立ち上がった時には専制の鉄拳を喰らわせてくるであろうということを。偽りの夢から覚めたこれらの人々は、もちろんその多くがすぐには立ち上がって抵抗することはないだろうが、かれらの冷めた眼差しと蔑みは、十分に支配者の心胆を寒からしむるのであろう。
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