マルクスの自由とトクヴィルの独裁と

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マルクス誕生200年は香港紙「明報」でもすこし議論になっていました。
周日話題﹕如何重讀共產黨宣言?(2018年5月6日)
筆陣﹕那年我在馬克思之墓地拾起石頭/文﹕蔡子強(2018年5月9日)
筆陣:聖人黨國:禁止造反的馬克思主義 /文:羅永生(2018年5月11日)

論調はもちろん中国共産党によるマルクスの聖人化(こちら)に対する疑義を含んだものになっています。『香港雨傘運動』の著者の區龍宇さんも一文を寄せていましたので訳してみました。原文(冒頭のみ)はこちら。日本では改憲理由のひとつとして緊急事態条項の加憲が言われていますが、立憲主義とは何かを歴史的に客観視する一つの材料を提供しています。パレスチナではイスラエルによる殺戮が行われている中ですが、映画『マルクス・エンゲルス』の最後にでてくるパリ1848年革命の話、ということでご容赦。(稲)

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共享主義とディクタトール
區龍宇


香港紙「明報」2018年5月13日
日曜版コラム「周日話題」より

200歳のマルクスは死なず。BBCでは彼に関するショートクリップ[映像]や関連文章を掲載し、「ニューヨーク・タイムズ」紙では彼の正しさと誤りに関する論評が掲載され、香港紙上でもいくつかの議論があったからだ。もちろん論評の数だけでいえば、いうまでもなく北京[中国]のものが比べ物にならないくらい突出している。

それに対してFacebook上では友人がこんなコメントを掲載している。「偉大なマルクス主義国家では、低端人口[都市スラムの貧困階層]を断固として排除し、陳情者の口を封じ、自由結社の労働者を監獄にぶち込んでいる。」

◎「兵営共産主義」

マルクスは「共産党宣言」を書き、今日の北京の政権党もまた共産党を名乗っているので、マルクスと中国共産党のあいだには当然にも継承関係があると考えられている。しかしそう考える多くの人びとは、魯迅が「花なき薔薇」のなかの次の文章をわすれている。

「もし孔子、釈迦、イエスキリストが生きていたら、かれらの信徒は大いに慌てるだろう。かれらの行いについて教祖先生がどんなに憤るか、まったくわかったものではないからだ。だから、もし生きていたら、彼は迫害されるほかない。偉大な人物が化石となり、人々が彼を偉人だと称えたときは、彼はすでに傀儡となってしまっているのだ。ある種の人たちが偉大だの卑小だのというのは、彼を利用することの効果が大きか小さいかを指して言っているのである。」

初期のキリスト教徒は共産主義者であり、信徒団体は公社を有していた、つまり財産を共に享受[原文は共享]していた。Communism(共産主義)とcommune(公社、コミューン)の語源は同じである。ヨーロッパではCommunismという名称の歴史は長く、その含意は現代人が受ける印象とは雲泥の差がある。今日、もしもマルクスと中国共産党のあいだは継承関係にないことを喚起しようとするのなら、「共産党宣言」という訳語を「共享主義宣言」としてはどうか。

マルクスが「共産主義者同盟」に参加した時、友人たちはどのように「共産主義」を理解していたのであろうか。同盟の指導者、カール・シャッパーは次のように理解していた。

「われわれは、個人の自由を消滅させ、世界をひとつの巨大な兵営や大習芸所に変えてしまうことを主張する共産主義者ではなく……自由を平等にとって替えてしまうことを望んではいない。われわれは、公有制社会以上に個人の自由を有する社会はないと確信している。」

マルクスの学徒だったカウツキーは、貧困社会で共産主義を建設しようとすれば、それは必ず「兵営共産主義」となってしまうと述べている。すべての物資を配給する社会に自由などあろうか。ヨーロッパの左翼はむかしから「共産主義」と「兵営共産主義」の区別をはっきり理解していたのである。

◎憲政下のディクタトール[立憲独裁]

マルクスは「プロレタリア独裁」を標榜しており、それは独裁でなくてなんであろうか、とも言われている。先週本紙に掲載された劉況氏の説明によると、マルクスはこの言葉を偶然に使っただけであるという。わたしはそれに加えて「独裁」に関する興味深い話をここでしようと思う。

「独裁」という言葉は、英語のdictatorshipあるいはフランス語のdictatureを訳したものであり、それは古代ローマ共和国の時代に由来する。数十年前、最初に中国語に訳されたときには「迪克推多」という音訳だった。それをさらに「専制/専制者」あるいは「独裁/独裁官」と訳したのだが、それは秦の始皇帝のような絶対君主制を容易に想起させた。しかし古代ローマ共和国では、この「ディクタトール」(独裁官)はローマ法においては、臨時の職位にすぎず、緊急時(たとえば戦争あるいは深刻な災害)に委任されるものであり、緊急事態権力は6か月行使できるが、危機を処理し、正常な秩序が回復されるとすぐに廃止され、その間も元老院の憲法権力は廃止されることはなかった。

伝えられている最初の「ディクタトール」は、外敵侵入に際して独裁官に任命されたルキウス・クィンクティウス・キンキナトゥスという農夫である。彼は「ディクタトール」に任命されて緊急権力をもつと、武器をとって戦争を指揮したが、16日にわたる戦闘に勝利すると、武器を置いて鍬を取りふたたび田畑を耕したという。「ディクタトール」の制度は古代ローマで300年ものあいだ存続したが、共和政のローマ法と共存していた。これは今日における代議制民主主義の憲法下における緊急事態条項の起源ともいえる。

「ディクタトール」は憲法学上はconstitutional dictatorship(立憲独裁)と呼ばれる。研究者のクリントン・ロシター(Clinton Rossiter)は、これを書名にした本を書いており、そのなかで、「ディクタトールの制度と方法は、現代の多くの民主制国家の自由人が、国家の緊急事態下において用いてきたものであり、その体制が存続の危機に直面したときに、ディディクトーラを除外して存続できた政府は一つもなかった」と指摘している。

ヨーロッパ人は近代にいたるまで、古代ローマの元々の意味での「ディクタトール」を用いてきた。それはなにも左翼だけでなく、リベラル派もそうであった。それを知りたければ、トクヴィルの「1848年フランス革命の回想録」を読むとよいだろう。1848年6月24日に国民議会はウジェーヌ・カヴェニャック(Eugene Cavaignac)を執行委員会主席に任命し、緊急状態下の全権を委任し、労働者の蜂起を弾圧した。カヴェニャックと一緒に仕事をしていたトクヴィルは国民議会での激しい議論を記録している。

「これは軍事独裁ではないか!」と叫ぶ声に対して、内務大臣のデュフォールはこう答えた。「そうだ、これは確かに独裁だ。しかし議会の独裁だ」。

マルクスにしろトクヴィルにしろ、後世のひとびとが「ディクタトール」は左翼の専売特許だと語り、かつそれが一党独裁と同じ意味合いで使われることになろうとは、思ってもみなかったであろう。

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