
映画「マルクス・エンゲルス」(ラウル・ペック監督、2017年)観ました。岩波ホールは満席大盛況でした。5月5日のマルクス誕生200年の日はもっと混むだろうなー。
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岩波ホール
この映画は、主筆としてブイブイいわせていた24歳のマルクスらが結集していた「ライン新聞」が弾圧される1843年から始まり、二人が「共産党宣言」書き上げる1848年までを描いています。
独・仏・ベルギーの共同制作で原題は「Le Jeune Karl Marx」(青年マルクス)。日本ではなぜか英語のタイトル「The Young Karl Marx」が前面に押し出されています。
最初この邦題をみたときは「センス無いな」と思いましたが、この映画の内容が原題のマルクスだけではなく、エンゲルスもおなじく主役として描いているので、こんな邦題になったのかな、とやや納得。
映像は当時のヨーロッパを精巧に描いており、ストーリー性もあり、また若い「トゲトゲ」のマルクスを上手に描き、なかなかひきつけるものがありました。なかでも「トゲトゲ」で嫌味なマルクスにくらべ、エンゲルスは結構よく描かれています。しかもイケメン。これはエンゲルスの株が上がるなと。エンゲルス最初のパートナーであるアイルランド人労働者のメアリー・バーンズも、かなりカッコよく魅力的に描かれています。
ただ、ここでちょっと知っておいた方がいいのは、あまりにカッコよく描かれているエンゲルスですが、この時期のエンゲルス、異性関係については、かなり奔放だったはずであり、そのことがこの映画ではまったく描かれていないだけでなく、自立的なパートナーとして登場するメアリー・バーンズが強調されることで、映画では描かれていない(むしろ良く描かれている)この時期のエンゲルスの奔放さ(現代のラディカル・フェミニズムからするとどうかとおもうような)がまるでなかったかのようになっていることは気になりました。
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この映画のクライマックスは、ロンドンの義人同盟のスローガン「人類みな兄弟」(だったか?)を「万国の労働者、団結せよ」に変更し、名称を共産主義者同盟に変更させる総会のシーンでしょうか。
義人同盟の総会の狭い会場に集まった労働者らが連呼する「Communist League!」と、日本語字幕でも「共産主義者同盟!」の文字が、なんども繰り返し登場します。「共産主義」という文言に不慣れな人には違和感があるかもしれませんが、それは自らの不勉強を反省してもらうしかないかな、と思いました。
「(共産主義という)結論は別として、資本主義を批判するいい映画だ」という意見もあるかとおもいますが、それはこの映画のなかでも、そして映画の最後にでてくる『共産党宣言』の最後で批判されているさまざまな「社会主義者」らを彷彿とさせる意見だなぁ、とも。
ブルジョアジーは相いれない敵だ、ブルジョアや職人ではなく労働者が革命の主体だ、友愛や親切心で世の中は変わらない、などなど(もっとカッコいいセリフですが)、けっこうグッとくるシーンが沢山あります。これも、この映画を推す理由の一つです。
マルクス博士は、資本主義の構造を科学的に分析した、というだけでマルクスを理解している(あるいは理解しようとしている)人にとっては、労資の非和解的関係を、執拗に説く若きマルクスとエンゲルスの姿に、きっと違和感を覚えるでしょうが、まあそれも「勝手に覚えとけ」というのが率直な感想です。
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とはいえ、この映画、フィクションも多いのです。
たとえばこの義人同盟の総会ですが、1847年6月にロンドンで開催され、そこで名称とスローガンが変えられるのですが、映画では【同年11月の第二回総会のシーンで名称とスローガンが変更されるというつくりになっています。】マルクスとエンゲルスが参加して、劇的な論争のなかで多数を得る、というシーンなのですが、史実では【名称が変更された1847年6月の第一回総会には】マルクスはカネがなくて参加していません。(【 】内は2018/5/8に追加。理由はこちら)
エンゲルスが最初にマルクスと会ってよっぱらってマルクスの家で泊まって翌朝、マルクスの妻、イェニーの世話になるのですが、これもフィクション。エンゲルスがマルクスと仲良くなったこの時、イェニーは実家に戻っていて留守だったはず。
などなどフィクションがたくさんありますが、まあそれは「西郷どん」を観て、こんなのは嘘だ!というようなもので、ドラマとしてみればいいのかな、と。
とはいえ、史実通りにつくってもそれなりに盛り上がる映画をつくることは可能だったとおもいますし、義人同盟総会のシーンなどは、話のクライマックスなので、やっぱり史実にそって作った方がよかったのでは?とも思います。
あと、共産党宣言を書いて、そこで急に終わる感じ。最後にボブディランの「ライクア・ローリング・ストーン」が流れて、戦後の歴史のいろんなシーンが映し出されますが、ロシア革命はなかったなぁ。このボブディランの曲をかぶせていることで、マルクス・エンゲルスの時代と現代がつながると評価する人もいるようですが、ぼくは余計だったのでは?とおもっています。
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それよりも、理論的に重要かなという違和感は、青年ヘーゲル派であったマルクスが、どのようにして共産主義者になっていったのか、という過程があまり描かれていないということでしょうか。
この時期のマルクスとエンゲルスですが、フォイエルバッハの唯物論をさらに乗り越えるのが大きな主題になっていると思うのですが、それがほとんど描かれていません。
もうひとつは、ルーゲらヘーゲル左派らと決定的に決裂することになる、ジュレジエンの織工労働者らの蜂起とそれに対するプロイセン王国による虐殺(1844年6月)が描かれていないことです。マルクスは、この事件を通してより一層共産主義へと踏み出しますが、その点がまったく描かれていません。シュレジエンの織工の事件は映画のひとつの目玉になるようなシーンとして描くことも可能だと思うのですが、まったく触れられていませんでした(台詞では出てきたかな?)
いっぽう、エンゲルスはその出自(工場経営者の息子)や、アイルランド人労働者のメアリー・バーンズとの関係も描かれているので、労働者階級に依拠した共産主義への傾倒は容易に想像される内容でした。
予算の関係かどうか分かりませんが、青年マルクスを主題にするのであれば、この事件を軽視することはできないのではないかと思います。
敢えて言えば「新選組!」に池田屋事件が出てこないという感じ? まあ商業映画なので仕方ないといえば仕方ないですが……
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とはいえ、初期マルクス、エンゲルスの理論的成長にも大変疎い僕としては、この映画をきっかけに、さいど勉強しようかと思う機会となったので、たいへんありがたかったです。この勢いで、続編「おじさんマルクス」や「晩年のマルクス」も作ってほしい。
青年時代のマルクスの理論的成長については、ちょっと古い本ですが『若きマルクスの革命理論』(ミシェル・レヴィ)というのが本棚にあるので読んでみようかと思っています。
レヴィは日本語版序文で、世界で初めて官僚主義と改良主義ときっぱりと断絶した革命的な反資本主義青年運動としての全共闘運動を高く評価するとともに、こんなふうに述べています([ ]内は引用者による補足です)。
「さいごに、マルクス主義はカウツキーの主張したように、『純粋に科学的な理論であって、かかるものとしてそれは、プロレタリアートとはなんら関係のない』ものでもなければ、アルチュセールが強調するように、マルクスが『ガリレオやラヴォアジェに比肩する、科学者の中の科学者』でもないことを、[本書で]証明しようとこころみたのである。プロレタリアートの革命科学としてのマルクス主義を、その発生と構造とにおいて理解しようとすれば、19世紀から現代にいたるまでの労働運動の諸闘争ならびに諸経験と、マルクス主義との弁証法的で有意味な関係をつうじてしか、可能ではないであろう。科学的社会主義は、プロレタリア大衆が自然発生的につくりだしたものでもなければ、書斎にとじこもった天才的な頭脳がつくりあげたものでもない。それは、その生きた発展においては、自分たちのおかれている賃金奴隷としての状況にもっとも意識的でもっとも反逆的な労働者たちと、自分たちの階級と断固として訣別し、資本主義的物象化にふかい嫌悪を感じている急進的知識人たちとの、革命的前衛としての融合の結実であったし、現にそうありつづけているものなのである。」
映画「マルクス・エンゲルス」の核心をつくような一文だとおもいました。
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『若きマルクスの革命理論』
ミシェル・ロヴィ 著 / 山内昶 訳
福村出版株式会社 1974年初版
目次
謝辞
日本語版への序文
凡例
序論
I節 方法論的考察
a マルクス主義のマルクス主義的研究
b マルクス主義の社会的枠組――プロレタリアート
c 若きマルクスの革命科学
II節 共産主義革命とプロレタリアートの自己解放
a 至高の救世主の神話
b 労働者の自己解放
c マルクスの《大衆共産主義》
第一章 共産主義への移行(1842-1844)
I節 ライン新聞
a 国家と私的利害
b 貧者の苦悩
c 共産主義
d 哲学と世界
II節 断絶と変遷(1843)
a ヘーゲル国家哲学の批判
b ルーゲとの往復書簡
III節 共産主義への参加
a 『ユダヤ人問題』
b 『ヘーゲル法哲学批判序説』
第二章 共産主義革命の理論(1844-1846)
I節 マルクスと労働運動(1844-1845)
a パリの共産主義秘密結社(1840-1844)
b パリの義人同盟
c チャーティズム
d シュレージェン織布工の暴動
c マルクスの理論的総合
II節 切断――革命の理論(1844-1846)
a 『1844年草稿』
b 『プロイセン国王と社会改革』(「フォルヴェルツ」)
c 『聖家族』[批判的批判の批判]
d 『フォイエルバッハに関するテーゼ』
e 『ドイツイデオロギー』
第三章 党の理論(1846-1848)
I節 マルクスと共産党(1846-1848)
a 共産主義通信委員会
b 共産主義者同盟
II節 共産主義者とプロレタリア運動(1847-1848)
a 『哲学の貧困』
b 『共産党宣言』
第四章 マルクスから現代にいたる党、大衆、革命
I節 1848年以降のマルクス
a 中央委員会の同盟員への呼びかけ(1850)
b ラサールの《国家社会主義》に抗して
c 第一インターナショナル
d パリ・コミューン
e マルクス、エンゲルスとドイツ社会民主主義
II節 マルクス以後――レーニンからチェ・ゲバラへ
a レーニンの中央集権主義
b ローザ・ルクセンブルグの《自然発生主義》
c グラムシ――労働者評議会からマキャベリへ
d ルカーチの理論的総合
e トロツキーとボリシェヴィズム
f チェ・ゲバラにおける人民の弁証法とゲリラ戦争
原注
訳者後記
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