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怠ける権利――1848年の労働の権利に対する反駁(ポール・ラファルグ、1880年)

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※もうすぐメーデ。「賃労働の廃止」とともに復権されるべきスローガンかな、とおもい、昨年の会員MLへの投稿ですが、転載します。

[attac_ml:7116] Re:Re: 小倉利丸氏『絶望のユートピア』連続講座第二回の体験記
From:inagaki yutaka
To:attac_ml@freeml.com
2017/11/24, Fri


小倉さん、Hさん、みなさん

こんにちは、いながきです。

> 稲垣さんは、ポール・ラファルグの
> 『怠ける権利』を紹介してくれましたし、ちょうどタイムリーに巳年キリ
> ンさん本(コミックエッセイですが)『働く働かない働けば』もプレカリアー
> トコミックとして話題になりました。私は資本主義の下での労働は、資本
> の消滅とともに廃棄されるべきものだと考えますが、そうは考えてこなかっ
> たのが社会主義やマルクス主義の主流だと思います。

読書会、刺激的なテーマに刺激的な参加者からの提起のでした。

労働をテーマに、ということだったので、まえから気になっていたラファルグの『怠ける権利』を図書館で探して読みました。

読書会でもお伝えしましたが、じつはこれ「読まず嫌い」でした。

ラファルグは、マルクスの娘と結婚して、最後に自殺した、「怠ける権利」を書いたというくらいしか思っていませんでした。タイトルを見て「くだらんな~」と勘違いしてました(もう一冊、タイトルで勘違いしてたのがウィリアム・モリスの『ユートピアだより』です。これはまた後日)。

当初、手元に本がなかったので、中国語で全文公開されているサイトの著者紹介を読んだところ、なんとラファルグは1942年にキューバのサンチアゴ・デ・クーバ生まれ。父方の祖父はフランス・ボルドーからキューバのとなりのイスパニオラ島のサントドミンゴにわたり、クレール(白人と黒人の子ども)の女性と結婚。その後、フランス革命の影響を受けたハイチ独立運動の混乱を避けるために、となりのキューバに移住。

ラファルグ母方の祖父はフランスのユダヤ人で、ジャマイカの先住民女性と結婚し、ラファルグの母親を生んでいます。ということで、ラファルグは三つの被抑圧民族の血を引いている、とも言われました。

ラファルグは9歳の頃に、父母とともにキューバからフランスにやってきます。その後の経歴は省略しますが、1890年にフランス労働党を結成、て、大学生のころは学生運動に参加、その後、プルードンとブランキの影響をうけます。1865年1月に国際労働者協会(第一インターナショナル)のパリ支部に参加、66年にロンドンに移住し、徐々にマルクスの影響を受けます。68年にマルクスの次女ラウラと結婚して、パリに移住。70年に普仏戦争が勃発してパリからリヨンに引っ越ししたのちも、積極的に活動し、71年3月のパリコミューンではリヨンから支援。パリコミューン敗北後にスペインのマドリードに亡命。その後、インターナショナルのスペイン支部でのバクーニン派から除名されたりと大変でしたが、その後ロンドンへ移住し、ふたたびフランスへ。1880年にフランス労働党を結成し、その頃に書かれたのが、この「怠ける権利」です。ちなみに序文は1883年に投獄されていたサント・ペラジー監獄で書かれています。

ラファルグらに指導されたフランス労働党は、かなりのセクト主義から、労働組合やサンディカリストが離反するという失敗もあり、「怠ける権利」はそれを反映しているとも言えなくないと思いますが、資本主義の勃興と発展における過酷な労働の問題を告発し、それが過剰生産恐慌をもたらし、そのツケが結局のところは労働者に降りかかってしまうことを鋭く告発しています。

ラファルグだけでなく、マルクスやエンゲルスら、マルクス主義者がめざした資本主義廃絶は、なによりも「賃労働の廃絶」であるということを、改めて認識できる小論です。

アベノミクスの好景気、そして最近でもアベノチンアゲが話題になるたびに、「賃労働の廃止はどうした」、とぶつぶつつぶやいていたのですが、ラファルグの「怠ける権利」は資本主義における労働の無意味さを徹底して指摘しています。

第一章は「災いの教義」というタイトルで、それは「労働は神聖なり」という当時の労働運動の主張を皮肉ったものかな。

けっこういいセリフもあるのですが、引用が長くなりそうなので、以下は序文の一部のみ。

ちなみにラファルグとラウラは、70歳の誕生日を直前に控えた1911年11月25日、パリの友人を訪ね、映画を観て、家のあるドラヴェイユに帰り、互いに青酸注射をして命を絶ちました。

彼が帰宅して書いた遺書の一句です。

「わたしが45年間、わが身をささげた立場が、近い将来、勝利することを確信して、このうえない喜びをもって死ぬ。共産主義万歳!国際社会主義万歳!」


============

怠ける権利――1848年の労働の権利に対する反駁
ポール・ラファルグ、1880年

(田淵晋也訳、人文書院、1972年)

序文

(略)

ブルジョアジーは、聖職者に支持された貴族階級を相手に闘っていたあいだは、信教の自由と無神論を標榜したが、だが、ひとたび勝利するや、語調と態度を変えてしまった。そして今日では、みずからの経済的、政治的覇権を、宗教で梃入れしようというのだ。(……)キリスト教道徳のあわれな替え歌(パロディー)である資本家の道徳(モラル)は、労働者の肉体に破門状をたたきつける。生産に携わる者の欲望を最小限にまで切りつめ、かれらの喜びと情熱を抑圧し、容赦なく絶え間なく労働力を排出する非常な機械の役目に追い詰めることを理想とするのである。

革命的社会主義者はブルジョワジーの哲学者や宣伝家が行った闘争を、もう一度やりなおさねばならぬ。資本主義の道徳と社会理論に、攻撃を開始しなければならぬ。(……)道徳家ぶった偽善者どもの面へ、地球は労働者の涙の谷間ではなくなることを、はっきり宣言せねばならぬ。「でき得れば穏便に、しからずんば暴力をもちいて」われわれが建設しようとしている未来の共産主義社会では、人間の情念は完全に解き放たれるであろう。

P.L.
1883年、サント・ペラジー監獄

一切合財怠けよう、
恋するときと、
飲むときと、
怠けるときをのぞいては
───レッシング

一 災いの教義

資本主義文明が支配する国々の労働者階級はいまや一種奇妙な狂気[ママ、以下同じ]にとりつかれている。その狂気のもたらす個人的、社会的悲惨が、ここ二世紀来、あわれな人類を苦しめてきた。その狂気とは、労働への愛情、すなわち各人およびその子孫の活力を涸渇においこむ労働にたいする命からがらの情熱である。

(略)

わたしは、信心家でも、経済学者でも、道徳家でもないことをはっきり宣言した上で、連中の判断を斥け(……)彼らの宗教的、経済的、自由思想的道徳の説教を斥け、資本主義社会における労働の恐るべき結果に目を向けたい。

資本主義社会では、労働が、知的荒廃と、生体の歪みの原因となっている。(……)文明化したわがヨーロッパで、人間のもつ生まれながらの美の名残りを見出したいと思うなら、経済上の偏見が労働への嫌悪をまだ根絶やしにしていない国々へ、それを探しに行かねばならない。……原始的野獣[の精神]がその中でまだなえきっていないスペイン人にとっては、労働は最悪の奴隷的束縛である(スペインの諺に曰く、休息は健康なり)。(……)鬚を生やした、いかつい神エホヴァは、理想的な怠惰の最高の手本を信者たちに示した。六日間の労働のあと、彼は永遠に休息したのである。

(略)

われわれの社会で、労働を労働のために愛するのは、いかなる階級か。自作農と小市民(プチブル)階級。一方は己れの地上の上にかがみこみ、いま一方は己れの店の中にくすぶり、地下道の中のモグラのようにうごめき、顔をあげて自然をとっくり眺めるゆとりは毛頭ない。

ところで一方、プロレタリアートは、文明諸国の全生産者を内に含む広大な階級すなわち、みずからを解放することにより、人類を奴隷的労働から解放し、人間動物を自由人に高めるべき階級[であるところの]、プロレタリアートは、自己の本能を偽り、自己の歴史的使命を顧みず、労働の教義で堕落させられるままになっている。

(以下略)


二 労働の恵み

(略)

《恐怖政治》を担った英雄の息子たちが、1848年のあと、生産工場内での労働を12時間に限る法令を、革命の一成果として受諾するまでに、労働の宗教で堕落させられてしまったとは。革命の一原則として、連中は労働の権利を祭りあげたのである。これこそフランスのプロレタリアートの恥辱である!

(略)

聖書で描かれた蝗よりもさらに恐ろしい苦役と苦痛が降りかかったとすれば、それらを求めたのは彼ら自身なのだ。

彼らは1848年に武器をとってかちとった労働を、自らの家庭におしつけた。産業界のお歴々の手に、妻や子をゆだねたのだ。みずからの手で、家庭のかまどを破壊し、妻の乳を涸らせたのだ。不幸な女たちは、妊婦も子持も、鉱山や工場へ、背骨を突っぱり神経を擦り切らせに出かけねばならなかった。みずからの手で、彼らは自分の子の生命と活力を破壊したのだ。――これは労働者(プロレタリアート)にとってのこの上ない恥辱である! 民話や昔話に出てくるあの陽気なかみさん連はどこに行ったのだ。あけすけに語り、天真爛漫にぱくつく、徳利大明神の恋人たち、いつもこまめに駆け回り、料理と歌が好きで、歓びをふりまいては、健康で逞しいを陣痛もなく産み、生命の種を播く、あの朗らかな娘たちはどこへ行ってしまったのだ。……今日では、肌は蒼白く、貧血気味で、胃の具合が悪く、手足のなえたひ弱い花、工場の娘や女房たちしかいない!(……)そして子供たちの身に、十二時間の労働。悲惨のきわみだ。

(略)

われわれの時代は、労働の世紀と言われるが、実際のところそれは、苦悩と悲惨と、堕落の世紀である。

(略)

以下に披露するのは、連中のひとり、《フランス学士院》会員ヴィレルメ博士の描くところの、資本主義的進歩の年、一八四〇年におけるプロレタリアート的享楽の輝かしい情景である。……ヴィレルメ博士が語っているのは、アルザス工業地帯、つまり、産業の共和主義および博愛主義の花形、ケストネールおよびドルフュス一族のアルザスについてである。しかし、プロレタリアート悲惨の図を博士に示される前に、アルザスの工場主、ドルフュス一族の(…)昔の工場労働者の境遇について述べているのをきいてみよう。「ミュルーズ市においては、五十年前には(一八一三年、近代機械工業が誕生した頃)、労働者はすべて土地の倅で、都市や周辺の村に住み、ほとんどみな自分の家を所有し、小さな田畑を所有する者も珍しくなかった。」

これは労働者の黄金時代だった。ただし当時は、アルザス産業が綿製品を世界にあふれさせドルフュス、ケクラン一族を百万長者にすることもなかった。しかしその二〇年後、ヴィレルメがアルザスを訪れた時には、現代のミノタウロス、資本家の工場がこの地方を征服していた。それが人的労働を貪り食い、労働者を締めあげ、彼らの含有する労働力をせいぜい絞りとるために彼らを家庭からもぎとったのである。何千という労働者が機械の呼び声のもとにはせ参じた。

(…)「一万七千のうち五千人が、家賃高騰のためにやむを得ず近隣の村に住まねばならなかった。ある者は、働いている工場から、二里余りも離れたところに住んでいた。ミュールズやドルナクでは、夏でも冬でも、仕事は朝五時に始まり、夕方の五時に終わった。(……)中には蒼ざめ痩せこけた女たちも大勢まじっており、彼女らはぬかるみを裸足で歩き、(……)同じようにやつれ、ぼろをまとい、作業中降りかかる織機の油でひどく脂じみた、さらにおびただしい数の幼い子供たちがいた。彼らは、衣服のこの防水性[降りかかった機械油を指す]のおかげで、雨からはかなりよく護られていたが、さきほどの女たちのように、その日の食糧をおさめた籠を腕に抱えてはおらず、ただ一切れのパンを、手に握ったり、上着の下や、入れられるところに隠したりして、それだけで家に帰る時間までひもじさを防がねばならない。したがってこの不幸な連中はすくなくとも十五時間[12時間?]にわたる、極端に長い一日の疲労のうえに、じつに苦しい、おびただしい往復の疲労を加えることになる。(……)」

工場内の労働にふれて、ヴィレルメはつけ加えている。

「ここにあるのは、労働とか、職務とかいったものではない。これは責苦である。しかも、六歳から八歳の子供に課されているのだ(……)」

さらに、仕事の長さについて、ヴィレルメは、徒刑場の苦役囚が十時間しか労働せず、西インド諸島の奴隷が、平均九時間しか働かないのにたいして、一日の労働時間が十六時間で、そのうち食事のため一時間半しか労働者に与えられぬ工場が、八九年の「革命」をなしとげ、はなばなしい「人権宣言」を発したフランスに存在することを指摘している。

(略)

経済学者たちは、たえず労働者に向かってくりかえす。社会の富を殖やすために、働け!と[安倍のGDP600兆円!](……)自分たちのわめき声で耳を聾され、ぼけてしまった経済学者どもは応じる。「働け、働け、君たちの安楽を産み出すために絶えず働け!」さらに、キリスト教の寛容の名の下に、英国国教の一司祭、タウンゼンド猊下は御宣託を並べる。働け、働け昼夜問わず。働くことによって、おまえたちは貧乏を深める、そしておまえたちが貧乏すれば、われわれは法の力をふりかざしておまえたちに仕事を強制しなくてもよい。労働の法的強制は「あまりに労多く、あまりにも暴力を必要とし、また、暴動を起こしやすい。これに反して、餓えは、平穏な、静かな、絶え間ない圧迫となるばかりでなく、労働と産業のきわめて自然な動機として、このうえなく強力な努力を呼び起こす。」

働け、働け、プロレタリアート諸君。社会の富と、君たち個人の悲惨を大きくするために。働け、働け、もっと貧乏になって、さらに働き、惨めになる理由を増やすために。これが、資本主義生産の峻厳な法則なのだ。

経済学者どものまことしやかな言葉に耳を貸し、労働という悪徳に身も心も捧げたために、プロレタリアは社会機構に痙攣を起こさせる過剰生産という産業危機に社会全体を駆りたてることになる。そうなれば、商品の過剰と購買者数のはなはだしい減少から、工場は閉鎖され、飢餓が無数の革鞭で労働者階級を笞打つ。労働の教義(ドグマ)で理性を失ったプロレタリアートは、いわゆる繁栄の時代、みずから行った過剰労働が、現在の悲惨の原因になっていることをわかろうともせず、穀物倉に押しかけ、次のように叫ぶこともしない。「われわれは飢えている。われわれは食べたい!……われわれには、ビタ一文もない。掛け値なくわれわれはみんな貧乏のどん底にいるが、小麦を刈り、葡萄を摘んだのはわれわれだ」と。

(略)

恐慌の機会を製品の一般分配と万人の喜びに転じようともせず、工場労働者は、すき腹をかかえて、工場の閉ざされた門へ頭をぶつけにいく。憔悴した顔と、痩せた肢体と、あわれな口調で、工場主に攻め寄る。「(……)仕事をおあたえください。私どもを苦しめているのは、飢えではなく、働きたい情熱なのです。」そして、ほとんど自分で立っている力もないこのあわれな連中は、やる仕事がたっぷりある時より二分の一もの安値で、12時間から14時間労働を売る。こうして産業に巣食う博愛主義者どもは、さらに安価に製造するために、さっそく失業を利用するわけだ。

(略)

(……)工場主どもは山積みされた商品の販路を求めて、世界中を駆けまわる。彼らは、自分の綿製品を売りさばくため、自国の政府に圧力をかけて、コンゴを合併し、トンキンを奪い、中国の城壁を大砲で破壊させる。過去2、3世紀では、アメリカおよびインド諸国の独占販売権を賭けた仏英間の死闘が、まさにこれである。16、17、18世紀の植民地戦争を通じて、若い逞しい何千という若者の血潮が海原を朱に染めた。

資本も商品のように殖えていく。金融資本家たちはこれをどう捌けばよいか判らなくなる。煙草を吹かしながら日向ぼっこをしている国々へ、連中は乗り込み、鉄道を敷設し、工場を建て、呪うべき労働を輸入する。そしてある朝、フランスのこうした資本輸出は、ついに外交上の紛糾に突き当たる。エジプトで、どの高利貸しが最初の支払いを受けるかをめぐって、フランス、イギリス、ドイツが掴み合いの喧嘩をはじめる。メキシコ戦争の場合は焦げ付いた貸出金回収の執達吏の仕事をやらせにフランスの兵士が送り込まれる。

(略)

自然の本能に復し、ブルジョワ革命の屁理屈が捏ねあげた、肺病やみの人間の権利などより何千倍も高貴で神聖な、怠ける権利を宣言しなければならない。一日三時間しか働かず、残りの昼夜は旨いものを食べ、怠けて暮らすように努めねばならない。

(以下、略)

三 過剰生産にあとに来るもの

四 新しい調べには新しい歌を


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