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香港:ピンチをチャンスに 法廷を教室にしよう

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“民主派は、今回の弾圧を全香港的な民主教育の機会とすべきである。
目標を明確にすることで、民主化運動が弾圧を許さない香港人の
道義的な勢力を団結させることが可能となり、民主化運動の
新しい協奏曲が奏でられるだろう”--區龍宇



出版をお手伝いした『香港雨傘運動』の著者、區龍宇さんの論稿です。原文はこちら。 

ピンチをチャンスに 法廷を教室にしよう
(壞事變好事 法庭當教室)


區龍宇

1933年2月、ヒトラーは「国会放火事件」を演出し、それに乗じて憲法改正を発議して最高権力を簒奪しようともくろんだ。しかし憲法改正には国会議員の三分の二以上の賛成が必要だった。ドイツ共産党の議員はすでに排除[逮捕]されていたが、それでも改憲に必要な3分の2をクリアできておらず、社会民主党議員の議会出席を[逮捕や迫害などで]排除することで、憲法改正に成功した。その後については多くの知るところである。

◎ 基本法は勅令にあらず

周庭を排除する香港政府のやり方は、ほとんどこれに近い。自決という主張が基本法に違反するという主張は、[法治ではなく]人治原則に基づいたものに他ならない。法律は実際の行為についてのみ適用すべきであり、上映中の映画館で「火事だ!」とデマを叫ぶような類を除き、言論そのものを取り締まることはできない。それと同様に、周庭が実際に香港独立や自決のための武装蜂起を準備しているのでなければ、いわゆる基本法に反するなどとは言えない。

あるいはこんな反論もあるだろう。「ふん、自決と主張した時点で中央政府の主権を否定しているではないか!」と。しかしこのような主張は大きな間違いである。自決と住民投票を主張し、香港立法会と香港地区選出の全人代代表に提議し、正式に基本法の改正手続きを経て、住民投票による自決を認める改正を行ったとしたら、それは「基本法に違反」することになるのだろうか?基本法を皇帝の勅令がごとき一字一句の変更もみとめないとでもいうのだろうか?

「ははは、君たちのどこが基本法の改正手続きを順守しているというのか。自決の住民投票こそ大逆不道ではないか!香港独立という選択肢があり、それが多数を獲得する可能性があること自体が、香港と中国を分離させることになる。だから住民投票という主張は国家を分裂させることと同じだ!」という意見もあろう。

◎ 乳しぼりの娘の物語

だがそれは全く間違った推論だ。住民投票を主張する→住民投票が実施される→香港独立の選択肢が多数を得る→実際に香港が独立する、といった想定は、そのいずれの段階においても自動的に次に進むというわけではない。主張から行動への結果として、その一つ一つの段階ごとに、多くの問題に突き当たるだろう。「乳しぼりの娘」という[イソップ]物語を聞いたことがあるだろう。

一人の少女が一桶のミルクを頭に載せて歩きながら想像していた。「このミルクが売れたらおカネが手に入るわ。そしたらきれいなスカートを買うの。きれいなスカートをはいた私を偶然見かけた男たちが私に言い寄ってくるわ。だけど私は『あなたは好みじゃないのよ!』って鼻であしらってやるわ」。そして少女がその想像どおりに鼻であしらう振りしたとたん、頭の上の桶がひっくり返って、ミルクでずぶぬれになりましたとさ。

住民投票を主張したら必ず住民投票が実施されるとでもいうのだろうか。そして必ず独立派が多数を得るというのだろうか。そして必ず独立が実現するとでもいうのだろうか。ミルク売りの少女の物語を読んだことがないのだろうか。

「その可能性はゼロではないだろう!」という声もあろう。

だが法律は、実際に損害を引き起こすかその危険性が大いにあることについてのみ責任を追及することができるのであり、「損害を引き起こす可能性がある」だけでは責任を追及することはできない。可能性は大小さまざまである。重惨党(訳注一)が反動的政策を何十年も続ければ、中国は将来分裂する「可能性」もあるが、もし「損害を引き起こす可能性」の法的責任を追及するというのであれば、重惨党こそ真っ先にその責任を問われなければならない。

かりに北京政府の基本法解釈によって自決派の立候補が認められないと分かっていても、今回の選挙管理委員長の決定について裁判を起こす価値はあるだろう。民主派は法廷を民主主義の宣伝舞台とすることもできるからである。これまでの数十年、香港人は、基本法の枠組みによって民主主義が実現できるかもしれないとぼんやりと考えてきた。いまそれは間違いだったことがはっきりした。しかし雨傘運動以降、民主化運動をどう進めるべきか、今後の主要な目標をどう定めるべきかについて、民主派は依然としてぼんやりとしか考えていない。いまやるべきことは、今回の弾圧をチャンスに変えて、民主自決とは何かをはっきりとさせ、民主化運動の今後の方向性を明確にすること、これこそ最大の成果であり、自決派の議員資格の喪失を挽回してあまりある成果となる。今回の弾圧を全香港的な民主教育の機会とすべきである。目標を明確にすることで、民主化運動が弾圧を許さない香港人の道義的な勢力を団結させることが可能となり、民主化運動の新しい協奏曲が奏でられるだろう。

◎ 内政自決ですが、それが何か?

だが、もし民主自決の主張を堅持することで、立候補が認められないのであれば、どうすべきだろうか。その主張はしないことにするか、あるいは「基本法を擁護する」ととりあえず何度か叫んでおいて、議席を確保することに重点を置くとすべきか。だがそうすることで、徐々に取り込まれてしまい、中国国内の「民主党派」(訳注二)と同じようなお飾りになってしまうだけだろう。では壁に頭を叩きつける[諦める]しかないのか。その必要もない。民主派は原則を堅持しつつ、戦術的に幅を持つことが必要である。国内外の経験からみても、原則と幅のある戦術の両方を保持することは可能である。自決を主張することで立候補資格をはく奪されるのであれば、「香港内政の自決をかちとり、基本法を民主的に再制定しよう」というふうにスローガンを変えることで、より現実的となるだけでなく、敵も揚げ足取り的攻撃をしづらくなる。はっきり言って35年前[香港返還を定めた中英共同声明が署名された1984年のとき]ですら完全な自決権を実現することは困難だったのであり、現在に至ってはその困難さは言うまでもない。「え、なんです?どうやって目標を達成するのかって?それは、当選してから選挙区の有権者らと相談したのちにお伝えすることにしましょう」と答えておこう。

立候補予定者は「基本法を擁護します」という約束をしなければならないのではないかと心配するかもしれない。心配であれば、その後に一言付け加えればいいだろう。「基本法を擁護します。そして基本法の改正も主張します」と。「え、なんです?どうやって改正するのかって?それは、当選してから選挙区の有権者らとよく議論したのちにお伝えすることにしましょう」と答えておこう。

このような政治闘争を継続することで議席を確保維持することができるかどうかは、検討事項のひとつにすぎないのであり、より重要なのは全体主義に対して闘争を継続することであり、民主化運動の道義的勢力と意志を打ち固めることである。現在の情勢はわれわれにさらなる大胆さと思慮深さを求めている。実際のところ、半ファシズム政府のもとで、選挙政治にどのように取り組むのかについては、従来とは異なる方法が必要となる。これについては次回に述べる。もちろん立候補しない民主派はさらに大胆に発言することは可能だし、そうしなければならない。今後の選挙では、これまで以上に社会運動を基礎にすることが必要となる。じつのところ今こそ、過度に選挙とメディアに重点を置いたこれまでのあり方を再検討し、民主化運動の新たな立ち位置をさだめるときなのである。続きは次回のお楽しみ。

2018年1月30日


訳注一 「重惨党」は広東語で「共産党」とよく似た発音で、国共内戦から建国初期にかけて中国共産党に対して投げかけられた中傷的呼称で、「惨劇を重ねる党」という意味がある。現代ではこの名称がぴったりだ、ということで筆者はこの用語を使っている。

訳注二 中国には共産党以外に、共産党の統一戦線の対象として、憲法で認められた結社の自由に基づいた8つの民主党派が存在し、それぞれ全人代や地方政府に議席を有している。
・中国国民党革命委員会、党員数約16万人、結成1948年1月 (以下同)
・中国民主同盟、約28万人、1941年10月
・中国民主建国会、約14万人、1945年12月
・中国民主促進会、訳15万人、1945年12月
・中国農工民主党、約14万人、1930年8月
・中国致公党、約4万人、1925年10月
・九三学社、約16万人、1946年5月
・台湾民主自治同盟、約2,700人、1947年11月
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