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「中国における労働者階級の状態」、あるいは地下室の田鼠たちの偉大な夢

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昨日、ユニクロなどの国際的サプライチェーン(委託生産ネットワーク)の労働問題にとりくむ労働NGOの話を聞きました。「中国南部の未組織の労働者は、ストライキや交渉だけでなく、自分たちで代表を選ぶなどの経験を長年蓄積してきた。完全に組織化の準備が整っている」と。多くは語りませんでしたが、権力の弾圧と取り込みだけがそれを妨害しているということでしょう。

その話はさておき、昨日から日経新聞では習「一強」体制の一端が描かれた連載がはじまっています。

(以下、日経新聞より)

日経新聞2017/12/12 二面「迫真」
習1強 注がれる視線1

(略)

毛に並ぶ偉大な指導者を演出する宣伝工作なのだろうか。党大会後、国営メディアは習を礼賛する報道一色に染まる。

「習総書記の暖かい力が人々を感動させた瞬間」。11月18日、国営の中央テレビは夜7時のトップニュースで「全国道徳模範代表」を表彰する式典のようすを伝えた。習は人民大会堂のホールで600人の出席者と記念写真に収まる際、自分の後ろに立っていたお年寄りを引き寄せ、いすに座らせた。その映像が繰り返し流れる。「震えるほど感動した」「万雷の拍手が鳴りやまなかった」。感極まった表情の出席者らが次々に語る。

ちょうど同じころ、北京の南西部にある出稼ぎ労働者の多く住む地域のアパートは炎に包まれていた。子ども8人を含む19人が命を落とす大惨事となったにもかかわらず、中央テレビの夜7時のニュースは習の美談に時間を割いても、火事の一報は伝えなかった。

(略)

(以上、日経新聞より)

火事を口実に、多くの農民工が「低端(ローエンド)人口」として北京など大都市の中心部から追い出されています。これまでさんざんこの「低端人口」から搾取をして発展してきたのですけどね。

この記事を読んで、悲惨だな、と思うと同時に、5年前の18回党大会と同時期に発生した事故のエピソード(党大会閉幕のインターナショナル斉唱と貧困地区の路上で亡くなった農民工の子どもたち)を思い出しました。5年たっても中国の格差はあいかわらず、というよりもひどくなり、「宮殿には戦争を、あばら屋には平和を」のスローガンはいまだに掲げなければならないのかとも思いました。

この5年前の事故について、最近刊行された『ルポ 隠された中国』(金順姫、平凡社新書、760円+税)の「4章 貧困問題と反腐敗という劇薬」というところで詳しく取り上げています。著者は、朝日新聞で2012年から2016年まで上海支局長だった金順姫さん。

事故は中国の最貧困地区の一つ、貴州省の畢節市で、両親は都会に出稼ぎにでて農村に残された子どもたちがホームレスになってごみ箱の中でなくなっていた、という事件です。金記者はこの事件を知り、現地まで取材を行っています。

その後、またおなじ畢節市で発生した別の事件――農村に残された農民工の4人の兄弟姉妹が自殺した、という事件とその取材の経緯まで掲載されていました。この事件では15歳の長男が、出稼ぎに出た両親に代わって、妹や弟の面倒を見ていました。この自殺をした4人の兄弟姉妹の最年長の15歳の長男の遺書にはこう書かれていました。

「みなさんの好意には感謝します。みなさんがよくしてくれたことはわかっています。でも僕は行かなければならない。僕は15歳まで生きないと誓っていた。死ぬことは長年の夢でした。」

涙なしには読めません。

「死ぬことは長年の夢でした」。

これがいま流行りの「中国の夢」の現実なのでしょうか。

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この記事を読んで、もうひとつ思ったこと。

大火事が発生したのは北京大興区西紅門鎮にある農民工らが集住する地区で、違法建築や地下室などで農民工やその家族が長年生活してきたというところです。

地図などはこちら
http://www.iask.ca/news/china/2017/12/463801.html

この「地下室」についてですが、最近日本で出版された『喰いつめものブルース 3億人の中国農民工』(山田泰司、日経BP、2017/11、1800円+税)というたいへん素晴らしいノンフィクションでは、この地下室についてこう書かれています。

「不動産価格の高騰に拍車がかかり、『地上』に家を借りることができない地方出身の低所得者が、本来住居用でない地下の空間に設けられた狭い部屋に住み始めているということが最初にクローズアップされたのは、2008年の北京五輪前後のことだろうか。その後、地下居住者の数は増え続け、ピーク時には100万人にまで膨れ上がったといわれる。これら地下住民は、地下に巣をつくって暮らすネズミのようだとして、『鼠民』という呼ばれ方をする。」

「地方から北京への人口流入が続き、地下に居住する人の数が膨張するにつれ、治安や防災の面から問題視されるようになった。そして2011年の条例改正で、本来は居住用途ではない地下の空間を住居として貸し出すことが禁止された。ただその後も地下居住者が目に見えて減少したということはない。」

「2016年の6月、私は北京で…地下室を案内してもらった。この年に春節に例年にないほどの大規模な取り締まりがあって、いったん住民が全員出ていってしまったとのことだったが、それでも8割がすでに埋まっていた。四畳半から六畳ほどのスペースに入りきらない家財道具を廊下にならべている光景は地上の安アパートと同じだが、空気は澱んでいる。自然光が全く入らない真の闇の奥に潜む自分の住み処(すみか)にむかって毎日、階段を下りていくのは想像するだけでも気が滅入る。ただ、600元という家賃は、地上の相場からすると格安だ。」

『喰いつめものブルース』の著者の山田泰司さんは、あとがきでこう述べています。

「習氏の『中国の夢』は、農民工に向けたものだと思っている。『明日は自分の番がくる』という夢から覚めかけている農民工を、今しばらく夢の世界に引き戻すための。」

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この記載や日経の記事を読んで思いだしたのは、25歳の若き青年エンゲルスが1845年に出版した『イギリス労働者階級の状態』です。

中国の改革開放以降の農民工の境遇は、エンゲルスが「イギリスにおける労働者階級の状態」で描いたものとそっくりだというのは、前から思っており、中国の改革開放以降の農民工の境遇を調べて「中国における労働者階級の状態」をかけるのではないかと思っているのですが、今回の事件でエンゲルスが描いたロンドンやマンチェスター、ダブリンなどの工業化が進む都市部の労働者が住んでいたのが「地下室」であったことを思い出しました。

今回の大火事が発生した地区でも同じような状況があっただろうと思われます。そして今回の火事の責任が違法建築に住んでいた農民工らにあると、責任を一方的に押し付けられて、寒空(気温は零下です!)のもとに追い立てられています。これのどこに「道徳」があるというのでしょうか。

「イギリスにおける労働者階級の状態」から、「地下室」について描かれた箇所をちょっと抜き出してみましょう。

「どの大都会にも、一個または数個の『貧民地区』があり、労働者階級はそこにおしこめられている。……こうした貧民地区は、イギリスではあらゆる年にほぼおなじような形でもうけられている-都市のなかで一番悪い地帯にある最も粗末な家々がそれである。たいていは長く一列につらなった二階造りか一階造りの煉瓦建築で、ときには地下室がついていて、そこに人が住んでいることもある。……どの家も、地下室から屋根裏部屋まで、住む人でいっぱいになっているが、外も内もきたなく、およそ人間が住めそうにはないほどである。……たくさんの地下室住居があり、そこから、ひよわなからだつきの子どもたちや、餓えて倒れそうなぼろ着の女たちが、階段をのぼって日のさす通りに出てくるのである。……地下室の二部屋が週に3シリング、一階の一部屋が4シリング、二階の一部屋が4シリング半……。」

「わたしが主張したいことは、何千という勤勉でまじめな家庭が、ロンドンのどの金持ちよりもはるかにまじめで、はるかに尊敬にあたいする人々が、このような人間というにあたいしない状態にあるということ、またすべてのプロレタリアが一人の例外もなく、罪もないのに、またいくら努力をしても、同じ運命に襲われるかもしれないということである。」

「(アイルランド)ダブリンの貧民地区は、この世に見られるもののうちで、もっともいまわしくかつ見苦しいものの一つである。……1817年には(ダブリンの)バラック・ストリートとその周辺においては……悪臭ぷんぷんたる小路や空地がたくさんあり、多くの地下室ではわずかに扉をすかして光をとっていた、多くの部屋にはなるほど秦代だけはあるが、若干の部屋では居住者は地べたの上に眠っていた。」

「スコットランド、とりわけエディンバラとグラスゴーの貧民の状態は、ブリテン王国の他のいずれの地方のそれよりも劣悪である。『……ある地下室でわたし(エンゲルスが引用している書物の著者のアリソン博士)は、いなかからでてきた二組のスコットランド人の家族に出会った。……どちらの家族も、きたならしい藁の山を部屋の隅に置いていた。そのうえ、昼間でもそこにいる人がみわけられないほど暗いこの地下室に驢馬が一頭つながれていた。スコットランドのような国でこうした貧困状態を目にすれば、ダイヤモンドのようにかたい心の持ち主でも血の涙をながさずにはいられない』と。」

「商業が栄え、栄光と富にみちているリヴァプールも、やはりその労働者を、おなじような野蛮なやり方で取り扱っている。人口のまるまる五分の一のもの――つまり4万5000をこえる人々が、狭い、暗い、じめじめした、風通しの悪い地下室に住んでいるのだが、そうした地下室がこの都市には7862ある。」

「リーズは…エア川の谷間に下るなだらかな斜面にある。……この川は、工業に利用されるすべての川とおなじように……澄んだ、透きとおった流れとしてこの都市にはいってくるが…黒い、ありとあらゆる汚物の臭気を放つ流れとなって流れ出ている。…住宅や地下室が水浸しになり、その水をポンプで街路へ汲み出さなければならないこともしばしばある。また氾濫時には、かりに排水溝があっても、水はそこから地下室に上がってきて、硫化水素ガスの強く混じった瘴気性の悪気を発散し、吐き気をもよおすような、健康に最も悪い滓をのこしていく。……これらの『地下室』が、物置ではなくて、人間の住居であることを、忘れてはならない。」

「マンチェスター周辺の諸都市も、労働者地区に関するかぎり、中心都市マンチェスターとほとんどちがわない。違う点があるとすれば、周辺諸都市ではマンチェスターに比して、労働者が住民のより多くの部分を占めているかも知れないということぐらいであろう。……地下室に住むことはここでは普通のことである。いやしくも作れるところならばどこにでも、こうした地下の穴倉がもうけられて、過半の住民がそこに住まっているのである。」

「ストックポートがある。ここは…やはりマンチェスター工業地区の一つである。……ストックポートは、この地方全体のうち、もっとも陰気で、もっとも煤煙の多い都市の一つとして知られている……もっとも親しみのもてない様子をしているのは、プロレタリアの小屋と地下室住居であって、それは、えんえん長蛇のごとく、このまちのあらゆる部分を通り、谷底から丘の頂上までつらなっている。わたしは、この地方にある他のどの都市においても、こんなに多くの地下室住居をみたおぼえはない。」

「(マンチェスターを流れる河川の一つの)アーク川岸全体が…無計画に寄せ集められた家々の混沌で、これらの家々は多かれ少なかれ住むに堪えがたく、その不潔な内部はきたならしい外囲と完全に一致している。……家主は、スコットランド橋のすぐ下手にある岸ぞいの六つ七つの地下物置を住居として賃貸してはじるところがないではないか。それらの床は――水面が低いばあいにも――そこから6フィートとはなれていないアークの流れの水面より少なくとも2フィートも低いところにある。」

「アーク川を去ってロング・ミルゲイトの向こう側、ここもまた労働者住宅であるが、その中心に入っていくことにしよう。……ほとんどの家の地下にも地下物置住居がある。」

「新市街、それはアイルランド・タウンともよばれているが、……これらの家々、というよりは小屋はひどい状態で一度も修繕されたことがなく、きたない、そしてじめじめした不潔な地下物置住居を備えている。小路は舗装されてもいなければ下水もなく、そのかわりたくさんの豚どもが小さな中庭や小屋に閉じ込められているか、もしくはのんびりと丘の中腹を歩き回るかしている。……セント・ジョーンズ・ロードの近くでは、一つ一つの敷地が一層密着して…都市の中心にちかづくことになるので…もちろん舗装もされてくるし、また少なくとも舗装された歩道や排水溝をそなえるばあいが多くはなるのではあるが、通りの汚さや家屋、とくに地下物置の貧弱な状態にはかわりない。」

「アンコーツという名で知られている広大な地区に、マンチェスターの大部分の、また最大の工場が掘割にそって建てられている。……従ってこの地区の住民は主に工場労働者であって。もっとも劣悪な通りには手織工が住んでいる。……ほとんどの小屋の地下にも地下物置住居が設けられており、多くの街路は舗装されていなく、排水溝も欠けている。」

「労働者はこのような腐朽した小屋に住むように強いられる。なぜならば、労働者はそれ以上に高い家賃を支払うことができないか、または彼の工場付近にそれよりマシな小屋がないからである。……ときたま、伝染病の危険に迫られると、ふだんはごく怠慢な衛生警察の良心もいくらかはかきたてられる。すると警察は労働者地域の手入れをはじめ、ひと連なりの地下物置や小屋をすべて封鎖してしまう。」

「もっともいまわしい箇所は……リトル・アイルランドとよばれている地域である。……この腐りかけている小屋の中で、われて油布の貼られた窓や、裂け目のはいった扉や腐りかけている柱のうしろで、あるいは暗くじめじめした地下物置のなかで、つまり、こうしたまるで故意にとざされているかのような大気につつまれたこのうえないきたなさと悪臭のあいだで生活している……これらの小屋は、いずれもせいぜい、二部屋と屋根裏部屋、それにおそらくは地下物置一室しかもっていないのに、そこには平均して20人の人々がすんでいること、このゼンチクにはおよそ120人に対して一つの――もちろん大部分はそばにもよれないような――厠しかない……。この地区ではあらゆる家屋の地下物置はもちろん、一階すらじめじめしているとのことである。また以前に土で埋められた多くの地下物置がしだいにまた掘り出されて、いまではアイルランド人がそこに住み込んでいるし、ある地下物置では水が――というのは地下物置の床が水面より低いせいであるが――たえず粘土で栓をした流しの穴からわいてでてくるので、手織工である住人はその毎朝その地下物置から水をかい出しては街路にまかなければならないということである!」


「イギリスにおける労働者階級の状況」には、まだまだたくさん地下室の話がでてきますが、引用はこの辺で。ぜひ若きエンゲルスの名著を手に取って読んでみてください。

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で、地下室ですが、じつはぼくがそれをはじめて知ったのは、別な本でした。なんどかこのブログでも紹介した『インターネットと中国共産党』という、北海道新聞の記者だった佐藤千歳さんが、2005年6月から一年間、中国共産党の機関紙「人民日報」のウェブ版「人民網」に交換記者として滞在した体験記をつづった、これもまたたいへんすばらしいノンフィクションの最後のエピソードとして、この地下室が紹介されていたのです。

「高楼の地下室」と題した箇所で描かれていたのは、人民日報のエリート社員ら(もちろん党員)の住む地上22階建ての高級社宅の地下二階に住む農民工の女性たちのエピソードです。

彼女たちは人民日報の「招待所」(ゲストハウス)のホテル員や清掃係りで、いわゆる服務員と呼ばれる雑用係りです。佐藤さんはこんな風に書いています。少し長いですが引用します。

「それは、信じられない光景だった。服務員の宿舎は、人民日報の社員が住む高層マンション36号棟のわきの地下通路を入口に、マンション4棟の地下2、3階に広がっていた。『一棟に百人ぐらいいるんじゃない?』と(服務員の)商さん。四棟で400人の若者が地下室に暮らしている計算になる。」

「人民日報の服務員は、その多くが農村地帯から出稼ぎにきた若い男女だ。大半は地元の中学か高校を卒業してすぐ、親類や知人の紹介で人民日報に職を得た。…親元に仕送りしながら数年働き、結婚適齢期になったら家族のいる田舎へ帰っていく。」

「(人民日報)社員は全員がホワイトカラーだから、服務員がすべての肉体労働をおこなう。招待所では女性の服務員が掃除や洗濯をする。各編集部の小間使いや掃除、社員食堂の調理や配膳、皿洗いも服務員の仕事だ。力仕事の多い印刷工場では男性服務員が働く。」

「入口から地下へ地下へと階段を下りる。地下三階。電球に照らされた廊下は二人がすれ違うのがやっと。天井が低い。ものすごい圧迫感と湿気がある。壁をさわると指がぬれる。かすかに排気ガスの臭いが鼻を突く。…廊下の両脇に部屋が並ぶ。一部屋が十畳ほどで、二段ベッドが5つ置かれ、定員10人。全員が部屋に入ったらさぞ息苦しいだろう。」

「排気ガスの臭いのもとは、地下宿舎の廊下を歩いてすぐにわかった。地下一階がマンションの住民の駐車場なので、廊下を通って排気ガスが地下二階、三階まで下りてくるのだ。……自動車は地下一階、人間は地下二、三階。」

「たしかに北京では、地上一階以上に住民が住み、半地下の部屋を服務員にあてがう習慣がある。それでもせいぜい『半』地下だ。『部屋は地下だよ』と彼女たちに言われたとき、まさかこんなモグラの巣穴のような地下宿舎に住んでいるとは思わなかった。」

「『暑くはないけど、空気がほんとうに悪い。いっつもうっとうしいよね!』三人の女の子が口をそろえた。部屋の壁にそれでも窓がある。引き戸を開けて見上げると、約10メートルに地上の白い明かりが見えた。『窓を開けないと空気がよけいに籠るんじゃないの?』私が聞くと商さんは『そうなんだけど、窓を開けると湿気がすごくて』。あまりのことに、涙が出てきた。」

「それにしても、この地下宿舎はなんなのだろう。窓を閉め切っているせいか、薄暗い部屋で話をしていると、私も胸が苦しくなってくる。地下の入口に吸い込まれるように消えていく女の子たちの丸い背中が、どこか異様に見えた理由がわかった。人民日報社員の(所有する)マツダやフォルクスワーゲンより、服務員たちの生活環境は悪い。あの丸めた背には疲労とあきらめが乗っていた。」

「以前の服務員宿舎は半地下にあり、まがりなりにも風も日差しもはいったという。それが、人民日報の古い職員社宅を取り壊して高層マンションを建築するとき、『服務員の宿舎を地下に作ったら、土地の節約になって一石二鳥だ』と考えた担当者がいた。高層マンションが完成して、人民日報の社員の住環境はすばらしく改善された。平面図を描けばすぐわかる。四棟は、お互いが風と日差しを遮らないように、互い違いに敷地を贅沢につかっている。そのかわり服務員は、地下2階、3階に追いやられた。……私は地下三階の二段ベッドに座り、この地下宿舎を考え出した人民日報の人間を心から憎んだ。」

「げんぜんとそんざいするのは無関心だ。(日本の)帰国してから、人民日報の職員と会う機会があった。私は高層マンションの地下宿舎の話をした。職員は『あのマンションはもともと、ワンフロア八戸で設計していたのに、完成した時は十戸で間取りが狭くなったんだよ』とだけ不平を言った。地下宿舎には関心をいっさい示さなかった。社員社宅の通風や採光を入念に検討しながら、数百人の服務員を平然と地下に住まわせた職員と、感性は共通していた。」

「しかし服務員たちに、『不公平だと思わない?』とも私は聞けなかった。招待所のスイートルームをひとりで使い、お湯が出ない、暖房が暑いと文句ばかりだった私。なによりも、帰国直前の今まで彼女たちの宿舎に行かなかった私が言うべき言葉ではない。」

「中国社会の最上層にいる人民日報の社員は、日当たりがよく風通しのよい子周防マンションに住み、社会の下層にいる出稼ぎの服務員たちは、社員の自家用車よりも下の地下宿舎に暮らす。あまりにも露骨な中国社会の縮図が、毎日見あげていた高楼の地下、自分の足元に広がっていたことを、私は、北京を離れる前夜に知った。」

マルクスが『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で、「よくぞ掘った、老いたるモグラよ。」と書いたのは有名です。

「しかし革命は徹底的である。それはまだ煉獄の火をくぐって旅しているところである。それは自分の仕事を手順をおって遂行する。…革命は準備作業の前半を完了した。今それはあと半分の完了にかかっている。それははじめ議会権力を完成した。これを倒すことができるように。このことを成し遂げた今、革命は執行権力を完成し、これをそのもっとも純粋な表現にまでひきもどし、これを孤立させ、これを唯一の標的として自分に対立せしめる。自分の一切の破壊力をこれに集中するために。そして革命がその準備作業のこのあと半分をやりとげた時、ヨーロッパは席からたちあがって、かっさいするだろう。よく掘った、老いたるモグラよ。」

中国において、いつの日か喝さいを浴びるのは、モグラではなく鼠たちなのかもしれません。ちなみに中国語でモグラは「田鼠」です。

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25歳のエンゲルスが「イギリスにおける労働者階級の状況」を書いてから約四半世紀後の1872年、エンゲルスは「住宅問題」という論文集を出版しています。この論文集はおもには普仏戦争以降のドイツの急激な工業化にともなう状況下において、ドイツにあった小ブル的社会主義による住宅問題の解決方法(持ち家政策)を批判したものですが、約四半世紀前に自らが書いた「イギリスにおける労働者階級の状況」に触れて、解決したかに見えた25年前の悲惨な住環境が隠され、広範化し、さらに悪化させること、つまり問題の先送りと肥大化でしか資本主義は労働者の住環境を解決できないことに触れて、こう述べています。

「『イギリスにおける労働者階級の状態』において、私は1843年、1844年当時のありのままのマンチェスターを描いておいた。爾来、街の真ん中を貫通した鉄道や新街路の敷設や公私の大きい建物の新築によって、あそこに描かれている最悪の地区のうち、多くのものは破壊され、露出され、または改善されたし、なかには全然撤去されたものもある、けれどもなお多くのものは、なんら改善せられるところなきのみか、より悪化した状態のままである。」

「マンチェスタの『ウィークリ・タイムズ』の1872年7月20日号の言うところを聞こう。――……鉄道のアーチの下のブルック・ストリートとの一番低いところが人の通路になっているが、そこを通る人はその建物の上を通るわけなので、それよりももっと深い穴の中に人間が住んでいようとは、毎時にも気づかない。……メドロック河の水がその常水準を超えない時ですら、この住宅の床は、水面数寸をぬくに過ぎない。すこし雨がひどくかぶると、水切り穴や排水管を通って嘔吐を催すような水が高く押し上げられる。そのため住宅が毒ガスで一杯になる。大洪水があれば必ずその記念が残る…」

「かくの如が、ブルジョアジーの住宅問題解決の実践の適例である。疫病の醸造地、資本主義的生産方法がわが労働者を毎夜毎夜とじこめておく不名誉極まる巣窟や穴、これらは決して取り除かれはしない――ただ他所へ移されるだけだ!はじめの場所でこういうものをつくるその同じ経済的必然が、第二のところでまた同じものをつくるのだ。そして資本主義的生産方法がある限り、その限り、住宅問題を、または、労働者の運命に関するどんな社会問題をも、一つ一つ解決しようなどということは間抜けの沙汰だ。しからずして、解決は資本主義的生産方法の廃止に、あらゆる生活手段および労働手段を労働者階級自身で収奪することに、ある。」

新時代の中国の特色ある社会主義の労働者の状況は、若きエンゲルスが引用したように「ダイヤモンドのようにかたい心の持ち主でも血の涙をながさずにはいられない」。

ここで紹介した『ルポ 隠された中国』『喰いつめものブルース』『インターネットと中国共産党』の著者らも、血の涙を流しながら書いたのではないか、と思います。

最後に、『イギリスにおける労働者階級の状態』の序文――若きエンゲルスが、およそ21カ月のイギリス滞在を終えてイギリスを去る際に書いた――の最後を引用して終わります。エンゲルスはそこで偉大な田鼠たちの夢を語っています。

「さらば諸君、これまで歩んできた道をなおも前進されよ、前途にはなお多くの困難がある、確固たれ、不屈たれ、――諸君の成功はたしかである、そして諸君がその進むべき道であゆみゆく一歩一歩は、すべて、われわれの共同の事業、人類の事業に役立つであろう!」――1845年3月15日、フリードリヒ・エンゲルス

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