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断絶とツギハギの理論と現実と展望を解きほぐしたい~東京新聞コラム「忘れられた二月革命」

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> そろそろロシア革命ネタも打ち止めかな、とおもいつつ最後にひとつだけ。

と書いた(こちらです)その日の東京新聞の夕刊の「デスクの目」というコラムに「忘れられた『二月革命』」という短い文章が掲載されていました。ロシア政治に詳しい常盤伸・論説委員のもの。短いので以下、全文を紹介。

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デスクの目  忘れられた「二月革命」
東京新聞2017/11/20夕刊

7日はレーニンが指導する史上初の共産主義国、ソ連誕生の出発点となるロシア「十月革命」から100周年。日本での関心は低調だったが、某公共放送局の衛星ニュース番組が、特集で取り上げてくれた。

ところがである。説明を聞いて耳を疑った。「帝政ロシアを倒し世界初の社会主義国家の誕生につながった」と説明したからだ。
実際には帝政が倒れたのは1917年3月(旧暦2月)に首都ペトログラードでの自然発生的なデモが全土に拡大した「二月革命」。レーニンと敵対する自由主義政党や社会主義政党からなる臨時政府は、ロシアの歴史上初めて実現した民主政権で、欧州で最も進んだ改革を矢継ぎ早に実行した。紆余曲折の末、8か月後の11月(旧暦10月)7日。レーニンやトロツキーの指導で武装蜂起により臨時政府が倒されたのが十月革命だ。特集全体の内容は興味深いものだけに、二月革命が忘れ去られたのは残念でならない。「レーニンの呪縛」はそれほど大きいともいえる。

さて現在のプーチン政権周辺はウクライナで2014年に起きたような民主政変を警戒、「二月革命」は外国に扇動された「カラー革命」のはしりだったかのようなプロパガンダを流布する。共産党は体制の補完勢力で「十月」は恐れるに足らない。今だからこそ、早すぎた民主革命である「二月」の意義は軽視してはならないだろう。(常盤伸)

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このネタは今回でもう打ち止めにしますが、最後なのでちょっとまじめに考えてみます。

常盤氏のロシア2月革命擁護論については、ちょっとまえにもこちらで触れました。

コラムにあるような「ロシアの歴史上初めて実現した民主政権で、欧州で最も進んだ改革を矢継ぎ早に実行した。」という臨時政府への高い評価に対する批判は、いくらでもすぐに思いつきますし、立憲民主(カデット)推しの東京新聞だから二月革命の擁護か、とも揶揄したくもなりますが、そのような斜め後ろからのコメントは、最後なのでやめておきます。

このコラムで注目したいと思うのは、最後の段落の「さて現在のプーチン政権周辺は」ではじまる、ロシア・プーチン体制の問題や、十月革命と直結すると見なされているほぼ唯一の政権党である中国共産党の一党独裁体制による反民主主義的な振る舞い、そして国内の民主化運動は「アメリカの陰謀」だとする全体主義的な旧社会主義国家の作風が、逆に「二月革命」の神話性を高めてしまっているのではないか、ということです。

ロシア語は分からないのでプーチン(政権)がどのように二月や十月を評価しているのかはわからないですが、中国では9月にロシア革命100年を記念して『レーニン全集』第二版の出版記念とあわせて「十月革命と中国の特色ある社会主義」理論セミナーが開催され、劉奇葆・党中央宣伝部長が記念講演をした際のこんな発言からも、十月革命の歴史的意義をまじめに継承・検討し、中国社会の実態をすこしでも知る人間にしてみれば、しらけを通り越して憤りさえ感じさせます。

「我々が今日、十月革命を記念し、社会主義の道を勝利的に前進するうえで、最も重要なことは、中国の特色ある社会主義をしっかり堅持し、しっかり発展させ、奮闘目標としての『二つの100年』(2021年の党建設100年と2049年の建国100年を指す:訳注)と中華民族の偉大な復興という中国の夢を何としても実現し、社会主義のさらなる輝かしい成就を勝ち取り、さらなる輝かしい未来を示すことで、人類のよりよい更なる発展の道を見いだすことにある。」

劉奇葆・中央宣伝部長の講話講演全文(中国語)はこちら
http://dangjian.people.com.cn/BIG5/n1/2017/0927/c117092-29561595.html
「十月革命と中国の特色ある社会主義」理論セミナーのニュース映像(中国語)はこちら
https://www.facebook.com/CCTV.CH/videos/1947281898692693/

このような現在の中国共産党やかつてのスターリンが持ち上げた十月革命の神話に対して、怒りとまではいわないにしても、疑念や不信を持つ良心的な人々が、帝政を終わらせ、未完に終わった民主主義革命としてのロシア二月革命の神話に幻想を抱くことも一定理解できます。

ですが、それは中国共産党やスターリニズムの「十月革命の神話」という罠にまんまとはまってしまっているとも言えるのではないか。レーニンからスターリン体制への移行は、レーニンの継承ではなく、その暴力的断絶によってはじめて実現されたともいえます。それこそまさに「クーデター」(宮廷革命)と言えるのではないでしょうか。

プーチンや中国に対して「このレーニン主義者!」と批判したところで、かれらにとっては表向きはまったく痛くもかゆくもないだけでなく、むしろますます図に乗ってしまう。それよりも、レーニンに体現されたボリシェビキ主義と、その後継者であると僭称するスターリンや毛沢東、あるいは現在の全体主義的体制とのあいだに、どれだけの断絶があるのかということを、理論と現実と展望の三次元的な原理的批判を加えるほうが、よほど効果的ではないかと思う。

実際、この30年ほどの中国の変化がもたらした現実は、エンゲルスやラファルグやモリスがその著書で告発した19世紀の悲惨な資本主義世界が、21世紀の世の中にふたたび現れたかのようであるし。

もちろん「レーニン主義を中国式に移植した偉大な主席」とか「中国の特色ある社会主義」などというクーデター派のすり替えも成り立つでしょう。しかし、だからこそ理論と現実と展望の三次元的な原理的批判こそが重要となるのではないでしょうか。

ただ、ややこしいというか、さらにひと手間もふた手間も作業が必要なのは、プーチンにしろ、現在の中国の体制にしろ、実際にはレーニンと断絶しているスターリンや毛沢東との、さらなる断絶がある、ということです。

断絶とツギハギでめちゃくちゃになった理論と現実と展望を、世界を変えるという実践のなかで解きほぐしていきたい。宿題はまだまだ続きそうです。



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以下は、ロシア二月革命に関する抜き書き的メモです。興味のある方だけどうぞ。

ところで、コラムに書かれていた「某公共放送局の衛星ニュース番組」って?とおもってググってみたら、こんな番組が出てきた。コラムに書かれてあったのとは違う番組ですが、11月25日にEテレ(地上波)でやるみたいです。

◎ETV特集「ロシア革命 100年後の真実」
2017年11月25日(土) 午後11時00分(60分)
https://www.nhk.or.jp/docudocu/program/20/2259601/index.html

ナレーションによると、「世界を揺るがせたロシア革命から100年。新たな資料が次々と公開されています。」とか「革命派に流れたドイツからの多額の資金」とか「抵抗する民衆に使われた毒ガス」とか…。まいったなぁ、そんなことは前から明らかにされていますが……。最近では「毛沢東は日本軍とグルだった」というような、トホホな見解も散見されますし…。まあ見てみないと分かりませんが、これが地上波で、しかも「教育テレビ」でながされるとは。まあブルジョアの「教育」という意味でいえば、しっかりとその仕事を果たしているとも言えますが。もちろん帝国主義の干渉と内戦の時期における悲惨な現実を、うそ偽りなく直視することは最低限の道徳だとおもいます。

さて本題。「二月革命の神話」のベールを断ち切るのは、現有するクーデター勢力(プーチン体制や中国)に対して非妥協的に民主主義を要求し、政治、経済、労働、環境、人権におけるオルタナティブを議論し、そして実践することによってのみ可能で、日本においても喫緊の課題となっているとおもいます。

確かに「二月革命」を無視することは「十月革命」の意義をも半減させるだけであり、その意味では常盤氏の指摘は正しいとおもいます。実際、トロツキーの『ロシア革命史』でも「五日間」「誰が二月革命を指導したか」「二月革命のパラドックス」の三つの章で二月革命の民衆蜂起を大きく扱っています。

ということで、せっかく二月革命がわだいにのぼったので、以下、抜き書きメモです。

「二月革命における大衆闘争の記録は、なんと貧弱なことだろうか――十月闘争に関する乏しい記録に比較してさえ、なお貧弱である。十月には、党が日々反乱を指導した。党の論文、および報告は、すくなくとも闘争の外的経緯を記録している。ところが、二月にはそういうわけにはゆかなかった。大衆は、上からの指導をほとんどうけなかった。新聞は、ストライキのために沈黙させられていた。大衆は、後ろをふりかえって見ることなしに、彼ら自身の歴史をつくった。」(『ロシア革命史(一)』、山西英一訳、角川文庫、170p)

国際女性デーのデモから始まる「五日間」の章では、自由主義政党だけでなく、ボリシェビキを含む社会主義政党さえも乗り越えて帝政打倒に奮起したペトログラードの民衆蜂起を、数少ない回想録や日記、軍隊や警察の報告書などから見つけ出し、それを生き生きとつたえています。

「(旧暦)2月23日、『国際婦人の日』の旗幟のもとに、すでに長いあいだ成熟し、抑制されてきたペトログラード労働大衆の蜂起が開始された。反乱の第一歩はストライキであった。三日間のうちに、それは拡大されて、ほとんど一般化してしまった。」(159p)

「労働者と兵士との関係では、婦人労働者が偉大な役割を演ずる。彼女たちは、男子よりもさらに大胆に非常線に接近し、銃を握り、懇願し、ほとんど命令する。『あなたがたの銃剣を下ろしなさい――そしてわたしたちといっしょになりなさい』。兵士たちは、興奮し、恥じ、心配そうに目を見あわせ、逡巡する。だれかひとりが最初に決意する。すると全銃剣が前進してくる群衆の肩の上方に、罪ありげにあげられる。障壁が開かれたのだ!歓喜と感謝にあふれる『ウラー!』の喚声が大気を震撼させる。兵士たちは包囲におちいる。いたるところで、議論、非難、懇願がはじまる――革命は、さらに一歩前進したのである。」(158p)

「二月事件以降、ペトログラードの空気は極度に灼熱し、そのため、この巨大な溶鉱炉に到着する、ないしはそれに近づく、いっさいの敵意ある部隊は、その灼熱の息吹に焼かれ、変化し、自身を喪失し、麻痺して、一戦もまじえずに勝者の手中に身を投じてしまう。明日にもなれば、聖グレゴリー騎士大隊とともに、ツァーによって前線からおくられるイヴァノフ将軍は、このことを発見するであろう。五か月後には、コルニロフ将軍もおなじ運命を体験し、八か月後には、おなじことがケレンスキーの上にもおこるであろう。」(189p)

二月革命によって成立した臨時政府こそが民主的政権だというような考え、いぜんブログでも紹介した『ロシア革命 破局の八カ月』にも通底する考え。『ロシア革命 破局の八カ月』の「はじめに」では、二月革命後に臨時政府の官僚となる立憲民主党のナボコフの言葉を引用している。

トロツキーの『ロシア革命史』でも随所にナボコフの回想が引用されています。

「ナボコフは、最も卓越した自由主義的指導者のひとりであって、ときとすると、彼の所属する党[立憲民主党=カデット]および階級そのものの日記かともおもわれるほどの忠実な回想録を書いている。」(169p)

二月革命の民衆蜂起を描いた「五日間」の章は、このナボコフの記述で終わっています。

「(2月蜂起の最終日の旧暦2月)27日、カデット中央派の一員としてすでにわれわれに知られているナボコフは、いつものように総司令部に出かけた。彼は、[帝政陸軍]当時総司令部に勤務していたのである――合法的脱走者として。彼は[帝政が打倒されたという]事件のことは皆目知らずに、三時までいた。夕刻、モルスカヤ街の方角で銃声が聞こえた。ナボコフは、自分の部屋でその銃声にじっと耳を傾けていた。装甲車が疾駆し、兵士や水平が壁沿いにバラバラ走りすぎた。尊敬すべきわが自由主義者は、控えの間のわき窓からながめた。『電話は、ひっきりなしに鳴った。予の友人たちは、この日のできごとについて、たえず予に連絡してくれたことを記憶している。』われわれは、いつもの時刻に寝についた。」この人物は、まもなく革命的(!)臨時政府の鼓吹者となり、総務長官の地位につくのである。」(194p)

つづく「誰が二月革命を指導したか」の章では、ミリュコーフら自由主義者による「自然発生」や抽象的な「民衆」が二月革命をみちびいたという無内容な自然発生論に対してこう答えています。

「神秘的な自然発生論は、なに一つ説明しはしない。…1905年の革命を通過し、1905年12月のモスクワ反乱を経験し、セメノフスキー近衛連隊と衝突して壊滅したペトログラード労働者、および一般にロシア労働者の大衆が存在する必要があった。さらに、1905年の経験を反省吟味し、自由主義者やメンシェビキたちの立憲的幻影を批判し、革命の展望を消化し、軍隊の問題を何百回となく沈思し、軍隊の内部で何が起こりつつあるかを注意深く監視している労働者――自己の観察にもとづいて革命的推論を下し、これを他のものに伝達しうる労働者が、上にのべたような大衆全体のうちに散在していることが必要であった。最後に、過去において革命的宣伝にこころをとらえられた、または少なくともこれに触れたことのある進歩的兵士が、[ペトログラード]守備軍自体のうちに存在することが必要であった。」(214p)

「だれが二月革命を指導したか、の問いに対し、それは大部分はレーニンの党によって教育された、意識的な、鍛錬された労働者であるとは、はっきりこたえることができるのである。だが、われわれは、そのあとですぐこう付言されなければならない。これらの[労働者]指導者は、反乱の勝利を保証するには十分であったが、革命の指導権を直ちにプロレタリア前衛の手中に移すためには不十分であったのである、と。」(216p)

これからが面白いのですが、長くなりそうなので、このへんで。興味のある方は古本屋か図書館ででも。

ちなみに『ロシア革命史』の中国語バージョンはウェブで全文が公開されてます。。。
俄国革命史(王凡西、鄭超麟、1941年5月1日訳)
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