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中国人赤軍兵士の風刺画に秘められた史実~『風刺画とアネクドートが描いたロシア革命』のトリビア

ロシア革命に関する日経新聞2017/11/11の一面コラム春秋のショボさを見て、そろそろロシア革命ネタも打ち止めかな、とおもいつつ最後にひとつだけ。

ロシア革命100年で出版された関連書籍の中でピカイチだとおもったのは、現代書館から出版された『風刺画とアネクドートが描いたロシア革命』(若林悠著/桑野隆監修)。

◎『風刺画とアネクドートが描いたロシア革命』(若林悠著、桑野隆監修、現代書館)
http://www.gendaishokan.co.jp/goods/ISBN978-4-7684-5813-6.htm

風刺画収集家で著者の若林悠さんは「あとがき」のなかでこんな風にこの本を作った思いをつづっています。

「ロシア革命の風刺画を集め始めて間もなく、大変におかしなことに気がつきました。…敵が描いたトロツキーの絵はレーニンよりも多い…。なぜ「あの」レーニンよりも多いのか。通常、当たり前ですが、ナンバー2がナンバー1を超えることなどありません。並ぶこともありません。超えたら普通、ナンバー2ではなくなってしまいます。また逆に、トロツキーがそれほどの重要人物であったなら、なぜ、マルクスやエンゲルスやレーニンをあんなにも称える人たちが、トロツキーについては何も語らないのか、人によっては否定までするのか。奇妙を通り越して異常を感じ、いったいソ連史はどうなっているのだろう…と、風刺画と見合わせながら調べて書いたのがこの本です。」

収録されているのは風刺画なので、レーニンやトロツキーをぞんぶんにコケにした風刺画や漫画などが満載です。しかしそれがスターリン時代のものになると何とも重苦しい雰囲気のものが目立ち始めます。そしてトロツキーの暗殺でこの本は幕を閉じています。1917年のロシア革命から1940年のトロツキー暗殺までを一つの時代ととらえているようです。

ここであれこれ書くよりも、どうぞ実物の風刺画と解説を、ぜひ読んでみてください。

でまたまた前置きが長くなりましたが、『風刺画とアネクドートが描いたロシア革命』には(たぶん)書かれていなかったネタを。

ロシア革命の風刺画で有名なのは、トロツキーを赤鬼のように描いたやつですね。ユダヤ人トロツキーが無数の骸骨の上に君臨している、ってやつ。たぶん見たことのある人も多いでしょう。

これね↓
trotsky_chinese.jpg

もちろんこの風刺画も『風刺画とアネクドートが描いたロシア革命』に取り上げられています。いま他の人に貸していて手元にないのですが、この風刺画の解説には、たしか赤鬼トロツキーがユダヤを暗喩するダビデの星(もどき)のネックレスをつけていることのほかに、ロシア人を虐殺している中国人兵士が描かれていると紹介されていました。下のほうにほら、わかりますか? 

コミンテルンによって中国共産党が結成されるのが1921年ですし、おおくの中国青年がソ連で軍事教育や革命教育を受けるのに大量に派遣されたのは、第一次国共合作がはじまった1924年。その4年前のロシア革命ですでに中国人の赤軍兵士がが?という感じがあります。

これについて『風刺画とアネクドートが描いたロシア革命』の解説ではたしか、「白衛軍側のアジア人蔑視が反映されている」というふうに説明がされていたかと思います。

トロツキーがユダヤ人なのは事実ですが、中国人をソビエト赤軍兵士にするのはでたらめもいいところで、まるで辺野古抗議の活動家すべてを「朝鮮人」「中国の手先」というようなレベルかよ、と思っていたところ、なんと中国人の赤軍兵士もまた事実だったのです。デマやヘイトは、ちょっぴりの真実をまぜて流布されるという典型だな、とおもいました。

1917年3月のロシア革命勃発当時、ロシアには数十万人の中国人労働者(苦力)が働いていました。これはイギリス・フランス・ロシア・日本の連合国およびアメリカ政府が段祺瑞政権に参戦を強く迫り、段祺瑞政府は前戦ではなく兵站や軍需産業で働く労働者を提供するということで、中国から多数の労働者・農民がヨーロッパや帝政ロシアに送られたからです。彼らは「旅俄華工」「旅欧華工」などと呼ばれました。

当初の約束とは異なり、ひどい労働条件で働かされ、なかには直接戦闘に駆り出されるケースもあったとか。そのなかで亡くなったり、逃亡したりする華工だけでなく、ボルシェビキなど革命党の党員になった華工もいたようです。そして1917年の10月革命から帝国主義の干渉戦争や白軍との内戦になるのですが、そのなかで赤軍の側について戦った華工がなんと約15~20万人もいたというのです。独立の華工部隊のほかに、あの「悪名高き」チェカ(反革命・サボタージュおよび投機取り締まり全ロシア非常委員会)にも華工部隊があり、レーニン防衛隊200名あまりのうち70名ほどが華工の兵士だったというのですから驚きです。

たとえば、中央アジアのイルクーツクで結成された第35狙撃師団国際部隊は3つの中国人部隊(計650人)と1つの朝鮮人部隊(300人)とロシア人(50人)から編制されていたといいます。ウクライナの鉱山で働いていた張川林に率いられた100名あまりの華工も中国人部隊を結成してウクライナ戦線で活躍しました。ウクライナの西のモルドバでも華工による450人の戦闘部隊が編成され、孫富元という中国人が赤軍の中国人とはじめて隊長に就任しています。

まだまだたくさんのケースがありますがこれらの情報は、十月革命小ネタ集として香港の友人がウェブサイトに掲載していた文章や、香港の在野の労働史研究者の記事などから知ったことです。

・「列寧是特務……」 ——十月革命三件重要軼聞(區龍宇)
http://www.inmediahk.net/node/1053238
・十月革命與旅俄華工(梁寶龍)
http://bit.ly/2ixSGeZ

興味ついでに中国語でググってみたところ、関係する資料が結構ありました。中国共産党や人民日報などの公式ウェブサイトにも、好意的にこの歴史的事実が紹介されていました。

・中國勞工軍團參加十月革命和蘇俄內戰
http://www.people.com.cn/BIG5/198221/198819/198858/12308214.html

1960年代に中ソ関係が悪化するまでは、中ソ友好のあかしとしてけっこう常識だったようです。歴史の継承、大切ですね。

旅俄華工としてトルコの野戦病院で働いていた当時16歳の季寿山が、その後赤軍兵士としてコーカサスの内戦で活躍したのち、中国東北部での抗日ゲリラとしてたたかた回想録『高加索的烽火』(コーカサスの烽火)など、チャンスがあれば読んでみたいと思いました。

それにしても、20万の中国人赤軍兵士にくらべて、日本は同じ万単位の規模のシベリア干渉軍を派遣したのですから、なんともトホホな歴史なわけです。

ロシア革命は10月以降がほんとうに大変だったわけでして、内戦期(戦時共産主義)からネップ期にかけては、独ソ講和条約、クロンシュタット蜂起、マフノやアナキストへの弾圧、ソヴィエト野党と党内分派の禁止、そしてスターリンの強制集団化と大粛清などなど、その評価を巡ってもいまだにさまざまな考えがあります。

いっぽうでその後の中国革命や植民地解放闘争、そして帝国主義諸国における一連の改良政策をもたらしたロシア革命。当時とその後の世界に与えた影響は決して100年で終わるわけではないでしょう。とりわけロシア革命が断ち切ろうとした人間と自然からの際限なき搾取に基づく経済システムを延命させるために「人づくり革命」とか「生産性革命」などと叫ぶ資本家政府が存在し、「新時代の特色ある社会主義」と称する新時代の特色ある巨大資本主義大国の不安定なグローバル化が続く限りは。

・第百九十五回国会における安倍内閣総理大臣所信表明演説(2017/11/17)
https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement2/20171117shoshinhyomei.html

冒頭に紹介した『風刺画とアネクドートが描いたロシア革命』の著者の若林さんは、著者あとがきで現代につながる問題として次のように書いています。

「現在のロシアはまたもスターリンを評価しはじめているようです。……これは『ロシアは今も昔も偉大な国である』をテーマとするプーチン政権が、超大国を創ったスターリンを持ち上げて『公平に』教えるよう指導しているからなのです。…アメリカもトランプ政権ですし、最近は世界政治がまた『やったもの勝ち』に逆戻りしているような印象を受けます。」

「やったもの勝ち」の首相や大統領を戴く収奪者たちから収奪するために、歴史の継承と検証はつづきます。

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