生産性革命とジャガーノートの車輪――アベノミクスの3%賃上げを批判する

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昨日の金融カフェの本題はまたそのうち報告が流れる(かな?)と思いますが、常連のHさんからの「安倍の3%賃上げはいいの?」という問いかけ。僕も選挙後の経済財政諮問会議のニュースは気にはなっていたのですが、だれか他に指摘してくれる人がいるだろうとかまけていましたが、会員の集まりで話が出たので、やっぱりちょっと書いてみます。

物価を加味した実質賃金は減っているとか、保険料や消費税の引き上げを加味した可処分所得が減っているとか、あるいはアベノミクスの5年間のさんざんな結果のデータはググれば山ほどあるので、それはそちらにお任せしましょう。

例えば「データで見る!アベノミクスの実績〉過去最高=昭恵氏に税金1億円超・富裕層資産・大企業の内部留保やタックスヘイブン投資、過去最悪=非正規雇用・ワーキングプア・賃金・家計消費・女性差別・過労死」とか。

金融緩和や大企業優遇などのトリクルダウンではなく、賃上げによる景気回復と雇用創出を、というような主張には大いに違和感があります。それよりも雇用の実態が、長時間労働(脱法)、不払い残業(違法)、非正規雇用(前近代)、性差別(封建)というかなり危険な状態であり、それらは景気回復や賃上げではなく、政治の問題として、つまり階級闘争によってしか解決できないのであり、それを突き付ける社会的運動のほうにより関心があります。これらの脱法的、違法的、前近代的な問題に対して、より厳しい法的規制をかけなければ、賃上げや景気回復が本当の意味で労働者の生活を豊かにすることはありません。むしろ逆に問題をより一層深刻化させることになるでしょう。戦後2番目の好景気に沸くと言われるアベノミクス下における過労死、労災、長時間労働、非正規雇用の全面化がまさにその典型です。

・・・と怒りの前書きはこれくらいにして、経済財政諮問会議での安倍首相の賃上げに関する発言は以下の通り。

第14回経済財政諮問会議(2017年10月26日)
https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201710/26keizai.html

「この4年間、今世紀最高水準の賃上げが続いています。また、安倍内閣では、最低賃金をこの4年間で100円引き上げました。パートで働く方々の時給も過去最高となっています。こうした流れを更に力強く持続的なものとしていかなければなりません。
 民間議員からも指摘がありましたが、賃上げはもはや企業に対する社会的要請だといえます。来春の労使交渉においては、生産性革命をしっかり進める中で3%の賃上げが実現するよう期待したい。経済界におかれては前向きな取組を是非ともお願いしたいと思います。政府としても過去最大の企業収益を賃上げや設備投資へと向かわせるため、予算、税制、規制改革とあらゆる政策を総動員し、一丸となってその環境整備を進め、年末に策定する新しい経済政策パッケージに反映したいと思います。加藤大臣、世耕大臣を始め関係大臣におかれてはしっかりと対応していただきたいと思います。」

安倍首相は「生産性革命をしっかり進める中で3%の賃上げ」と言っているように、賃上げに「生産性革命をしっかり進める中で」という条件を付けています。

この会議を報じた日経新聞10月27日の日経新聞は次のように述べています。

「そもそも高めの賃上げを持続させるには、従業員1人が生む付加価値(労働生産性)を最大化する必要がある。労働時間でなく、出した成果で個人を評価することで効率をあげることが必須だ。3%という画一的な数値目標で政府が賃上げを迫るやり方では、働き方改革につながらない。」

正直です。時間ではなく成果、つまり出来高で賃金を決めろ、と。

「出来高賃金は、資本家にとって、賃金を容易に切り下げ、容易に労働強化や長時間労働をおしつけることができる形態として理想的である。」(『マルクス経済学・再入門』200p)

マルクスの「資本論」では、この出来高賃金について以下のように述べています。

「出来高賃銀は、個人の労賃を平均水準以上に引き上げる一方で、この水準そのものを低下させる傾向を持つ。」

「大工業の疾風怒濤時代、ことに1797-1815年の時期には、出来高賃銀は、労働時間を延長し労賃を切り下げるためのテコとして役立った。」

つまりこういうことです。

出来高賃金のばあい、最初は作業の早い労働者の賃金は増えるが、やがて早い作業スピードが平均となり、商品一コあたりの出来高賃金も下がってしまう。

出来高賃金のばあい、作業の早い労働者は、多くの出来高賃金をもらうことができます。作業の遅い労働者は、より長く働かないと同じだけの賃金をもらうことができない。

中堅気鋭のマルクス経済学者の森田成也さんは『マルクス経済学・再入門』のなかで出来高賃金についてこう述べています。

「『平均』という概念は、資本主義のもとではけっして階級中立的な算術的概念ではない。資本家は絶え間なくこの平均の水準を高めようと努力し、その引き上げについていけない労働者を排除することによって、1時間あたりに生産させる平均個数を引き上げようとするだろう。あるいは逆に、1個あたりの出来高賃金を絶え間なく引き下げることによって、平均的な時間賃金を得るだけでもより集中してより高い強度で、あるいはより長時間、労働せざるをえなくするだろう。そして資本家はたいていこの両方を同時に追求する。」(『マルクス経済学・再入門』199P)

もちろん「150年も前の資本論を根拠にアベノミクスを批判するなんて」とか「アベノミクスが言っているのは出来高賃金ではなく労働生産性の向上だよ」という声も聞こえてきそうです。

ではその労働生産性とは何でしょうか。ここでも懲りずに「資本論」から引用してみましょう。

「労働の社会的生産力を高める一切の方法は、個々の労働者の犠牲として行われるのであり、生産を発展させるいっさいの手段は、生産者の支配と搾取との手段に転化し、労働者を部分人間へとおとしめ、労働者を機械の付属物へとおとしめ、彼の労働苦で労働内容を破壊し、・・・またこれらの方法・手段は、彼の労働条件をねじゆがめ、労働過程中では極めて卑劣で憎むべき専制支配のもとに彼を服従させ、彼の生活時間を労働時間に転化させ、彼の家族を資本のジャガノート[制止不能の巨大な力]の車輪のもとに投げ入れる。」

どうですか? 「彼の労働条件をねじゆがめ、労働過程中では極めて卑劣で憎むべき専制支配のもとに彼を服従させ、彼の生活時間を労働時間に転化させ…」って、まさに今のアベノミクス下の長時間労働、感情労働、過労死、労災その他その他を彷彿とさせませんか。

「大工業の疾風怒濤時代」や「資本のジャガノート[制止不能の巨大な力]の車輪」なんて、女工哀史の時代かよ、という意見もあるでしょうが、すぐお隣の「新しい時代の特色ある社会主義」と自称している資本主義の国では、日本の人口の何倍もの若い労働者が、出来高賃金や大工業の疾風怒濤や、そして資本と党のジャガノートの車輪のもとに投げ入れられています。

「それは日本のことじゃないでしょ」という人もいるかもしれませんが、PCやスマホ、ファストファッション、食材などの消費財の多くが「新しい時代の特色ある社会主義」で生産されており、「出来高賃銀は、個人の労賃を平均水準以上に引き上げる一方で、この水準そのものを低下させる傾向」は、国境を越えて日本の労働環境にも大きく影響を与えていると考えられます。

アベノミクスの成果主義=出来高制に抗うには、いうまでもなく労働運動の団結が必要ですが、それは職場や地域、そして一国だけにとどまらず、国際的にもそう言えるとおもいます。

話がながくなりましたが、昨日の金融カフェでの問いかけに対する、独りよがりの回答です。

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