
「人生には、上り坂もあれば下り坂もある。もうひとつ『まさか』という坂もある。」という小泉元首相のかつての発言を冒頭に紹介した金井辰樹・「東京新聞」政治部長の論評はな「『劇場』に流されぬように」というタイトルが示すように、有権者に「まさか」に振り回されないように訴えた内容だ。
・「劇場」に流されぬように(東京新聞2017/9/28)
https://twitter.com/tokyoseijibu/status/913235299441844224
「小泉もなかなかうまいこと言うな」と朝から悔しさをかみしめたことはさておき、この論評の「政策論議を」と訴える姿勢は、民進党のクーデター的解党によって保守二大政党への流れを作ろうとする独占資本への怒りが足りないとも思う。また「脱原発」を重要政策に掲げる同紙の姿勢は、無責任極まりない政治屋コイケユリコを後押しするのではないか、という危惧もある。
東京の地方紙というのであれば、都知事としての公約と実績の差について、批判的に報道する姿勢を、総選挙の報道の中でも堅持すべきだ。
そして有権者をもてあそぶ安倍、小池、前原を断固批判すべきだ。
異次元緩和というモルヒネ政策のなかで国家の私物化と軍事化に舵を切ってきた最後に「国難打破」というデタラメで国会冒頭に衆院解散をした自公連立政権。
都民ファ共同代表、そして辞任から希望の党の代表と、豊洲市場や五輪開催費用、保育や福祉など都民の都知事としてのまともな仕事さえ何もしていないでたらめ極まりないワンマン都知事。
そして野党と市民の共闘という政策協定を結んだ直後に、地盤、看板、カバン(カネ)をすべて差し出した前原と、そのクーデターを批判して離党を促すどころか逆にいっしょになって保守新党に合流しようとする民進党議員。
そもそも民進党、そしてその最大支持団体といわれる連合じたいが、独占資本の二大政党制構想の枠組みの中で動いてきたという背景がある。
アメリカやイギリスの二大政党制は、くずれてきたとはいえ、リベラル(新自由主義に染まっているとはいえ)と労組を基盤としてきた。もちろんリベラルも資本主義の枠内の政治勢力だ。
しかしコイケ新党は、リベラルも労組も、どちらも排除した構想であり、二大政党制などとは全くいえない。
安倍はコイケ新党を批判して「看板をつけかえただけ」という。そのとおりだ。「自民党」という看板を「希望の党」につけかえただけだ。
小池百合子は今年秋にも「東京版金融ビッグバン」を実行すると公言していた。ビックバンはいうまでもなくサッチャーの金融緩和政策であり、日本では90年代後半に行われてきた一連の金融緩和政策だ。
金融主導のグローバル経済が何をもたらすのかは言うまでもないだろう。独占資本の筋書き通りにさせてはならない。
独占資本による「まさか」に踊らされず、グローバルな労働者と市民の粘り強い抵抗による「まさか」を実現しよう。
アベノミクスがはじまったばかりのころ、絵本『まさかさかさま』を紹介しながらアベノミクスを批判したことがあった。
◎逆立ちしたアベノミクスの本質(2013/01/31)
http://attackoto.blog9.fc2.com/blog-entry-245.html
搾取も戦争もないエコロジーな世界をめざすすべての人々ともに、独占資本に「まさか」といわせる今とは「さかさま」の世界を、決してあきらめない。

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