ブローク!

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ワイダ監督の「残像」の感想を書いたあとも、勉強不足だなという思いから、トロツキーの『文学と革命』を通勤電車で読んでいた数日前、いつもグローバルな観点から人権やフェミニズムに根差したコラムを書いている師岡カリーマさんの東京新聞の「本音のコラム」におどろいた。

ロシアの詩人、アレクサンドル・ブロークが紹介されていたからだ。ブロークは『文学と革命』のなかでもわざわざ「ブローク」と題した一章をとってトロツキーが論じていたことをほんの数日前に読んでいた。

もちろん僕がブロークに詳しいわけではなく、しかも『文学と革命』や他の著書を通じて間接的にブロークの名前を知っているに過ぎないのだが、当時(ブローク死後から数年たった1924年頃)に「プロレタリア芸術」の名のもとに薄っぺらなブローク批判を展開していたソビエト芸術界の一部に対して、ブロークの作品は「われわれの時代の最高傑作である」と高くしたトロツキーの一文を覚えていたので、師岡さんがブロークに触れたことに驚いたということもある。

また劉暁波さんという中国の人権活動家の全体主義権力による死についてのコラムでブロークの名前を目にするとは思わなかった。ブロークと近い時代だが別の偉人のエピソードを紹介して劉暁波さんを追悼する香港の友人の文章もあるが、まさかブロークとは。

もうひとつ、中国との関係でブロークを持ち出していることに驚いたからだ。というのも魯迅が高くブロークを評価し、魯迅がブロークの作品「十二」の中国語訳を1926年に出版した際、『文学と革命』の第三章「ブローク」をそのまま序とし、後記のなかでトロツキーを「深く文芸を解する批評家」と紹介していたことが、長堀祐造の名著『魯迅とトロツキー』の冒頭の第一章のメインテーマの一つとして記されていたことを記憶していたからである。

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師岡さんのコラムのニュアンスからすると、ブロークが亡くなった当時のソビエト・ボリシェビキ政権と現在の中国共産党政権を重ね合わせているのかもしれないが、それについては、つぎの一文を紹介するにとどめたい。

「ブルジョア文化やブルジョア芸術にプロレタリア文化やプロレタリア芸術を対置させるのは、根本的にまちがっている。プロレタリア文化やプロレタリア芸術なるものは将来もけっして存在しないであろう。なぜなら、プロレタリア体制とは暫時的で過渡的なものだからである。プロレタリア革命の歴史的意義と道徳的栄光は、それがはじめて階級なき文化、真に人間的な文化の礎を敷くことにある。」――『文学と革命』序文より

ここで言われている暫定的で過渡的な体制とは似ても似つかない、極めて非人道的で非民主的な「新常態」の社会から命を以てしか自由になることのできなかった人々や、「アラブの春」から冬の時代を余儀なくされている人々、そして日本でも不当に人権を侵害されているすべての人々に思いをはせたいとおもう。あらためて師岡さんに感謝。


(以下、東京新聞のコラム)

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名のない政治犯
師岡カリーマ

東京新聞2017年7月22日 特報 本音のコラム


道半ばの死を恐れるな
敵も友情も恐れるな
祈りの言葉に耳を澄まし
恐怖の境を越えてゆけ

中国の人権活動家、劉暁波さんの訃報に触れ、ロシアの詩人アレクサンドル・ブロークの最期を思い出す。生き様が似ているのではなく、共産主義革命に失望した後は筆を折ったが、病に倒れ国外で治療する必要があったにもかかわらず、劉さん同様、共産党から出獄許可が下りずに1921年、40歳で死去した。最後の言葉が印象的だ。「ロシアが私を食べたのだ。愚かなブタが自分の子ブタを食べるように」

国際人権団体アムネスティは、思想や信仰ゆえに投獄されている人々を「良心の囚人」と呼ぶ。その一人だった劉さんが投獄されてから、末期がんで仮釈放されるまでの年月が、壮絶だったことは想像に難くない。

だがノーベル賞受賞者の劉さんの場合は、世界中に味方がいることを知りながらの死だった。それに比べて、無名の良心の囚人たちの境遇の、いかに悲惨なことだろう。

私が育った中東を始め世界各地には、フェイスブックなどに書いた意見や、平和的デモに参加しただけの罪で、正当な裁判もなく長期にわたって投獄される若者が大勢いる。家族さえ行方を知らないということもある。誰のリストにも載っていない、どこの団体もその釈放に尽力していない良心の囚人たちのことも、忘れたくない。(文筆家)
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