うっちぇーひっちぇー むたばってぃ (琉球民謡「艦砲ぬ喰ぇー残さー」より)

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今日は沖縄の慰霊の日です。

東京新聞の朝刊コラムでは、沖縄戦を生き抜いた民衆を歌った沖縄民謡「艦砲ぬ喰ぇー残さー」が取り上げられています。

東京新聞朝刊コラム 「筆洗」 2017年6月23日
 「沖縄には『艦砲の食い残し』という言葉がある。・・・」 続きはこちら

最近、イギリスではコービンさんが話題になりましたが、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」を作詞作曲したのも比嘉恒敏(こうびん)さんです。この歌は去年、辺野古のシュワブゲート前でライブでも歌われており、隣にいた方にヤマトことばに訳してもらいながら聞いた記憶がありました。

4年前の2013年6月23日には、米軍が最初に上陸するさいに激しい艦砲射撃を展開した読谷村の楚辺ユウバンタ浜に「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑が建立されました。



「艦砲ぬ喰ぇー残さー」歌碑(ユーバンタ浜) 読谷村観光協会
(艦砲ぬ喰ぇー残さーの対訳歌詞などが読めます)

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1945年4月1日から本格的に始まった沖縄戦で、沖縄に司令部を置いた大日本帝国陸軍32軍(沖縄・奄美・先島)の目的は、本土防衛の時間稼ぎのために米主力軍を沖縄に引き付けておくことでした。そして住民を巻き添えにしながら首里から南部の摩文仁に撤退していた牛島満軍司令官は6月19日に全軍に対し最後の命令を発しました。

「爾今(じこん)各部隊は各局地における生存者中の上級者これを指揮し最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」

悠久の大義とは、天皇のために死ぬことを意味しています。牛島司令官は23日に自殺し、沖縄における日本軍の組織的抵抗は終了したと言われます。しかしこの最後の命令を受け、沖縄各地では天皇のために死ぬという絶望的な戦闘が続きました。

「鉄の暴風雨」と呼ばれた米艦隊の艦砲射撃と住民を巻き込みながら続けられた天皇のための戦争を何とか生き抜いた沖縄の人々を待っていたのは、米軍統治下における土地取り上げや米兵による人権無視の事件でした。比嘉恒敏さんも、沖縄返還の翌年に飲酒運転の米兵による交通事故で命を落とします。軍隊は沖縄戦での「食い残し」を忘れていませんでした。

「艦砲ぬ喰ぇー残さー」では「うっちぇーひっちぇー むたばってぃ」(なんどもなんども もてあそばれて)と歌われていますが、沖縄はいま辺野古新基地建設や東村高江のオスプレイ着陸帯の建設強行によって「うっちぇーひっちぇー むたばってぃん」という状態が続いています。

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牛島司令官は、今年7月7日に80周年を迎える盧溝橋事件で勃発した日中全面戦争において、北京郊外、南京、武漢の攻略作戦にの第6師団歩兵第36旅団長として従軍しています。

1937年12月11日から始まった南京攻略による「南京大虐殺」は有名で、毎年犠牲者を追悼する祈念式典が南京で開かれていますが、日本軍は歩兵部隊に先駆けて国民党・蒋介石政権の首都であった南京への空爆を行っています。

当時、南京の老虎橋監獄には、中国共産党の創設者である陳独秀など多くの共産主義者が下獄していましたが、1937年7月7日の盧溝橋事件によって、中国全土で抗日機運の圧力をうけていた蒋介石政権は第二次国共合作を迫られたことから、陳独秀ら共産主義者らも37年8月以降次々に釈放されていきます。

釈放された陳独秀は、古巣である中国共産党とスターリンのコミンテルンによる「陳独秀は日本からカネをもらっている漢奸である」という悪辣な中傷キャンペーンにもめげることなく、労働者や貧農らを積極的に抗日運動に参加させるための演説や論文の執筆に邁進します。

「今回の抗日戦争は、一時的感情に基づくものではなく、また民族的報復からのものでもなく、さらには正義、人道、平和などの空虚な内容のためなどではなく、抑圧された民族が帝国主義の圧迫的束縛に抵抗する革命戦争なのである。戦争の対象は、日本帝国主義であるが、それはただ日本帝国主義に対してのみであり、日本人民に対してのものではない。なぜなら、われわれを圧迫束縛しているのは日本人民ではなく、帝国主義の日本軍閥政府だからである。」―― 抗日戦争の意義 1937年10月6日の武昌華中大学での講演より

「われわれはすべての日本の庶民にも訴えなければならない。われわれのいわゆる『抗日』とは、日本帝国主義の財閥と軍閥に対してだけのものであり、日本の庶民に対するものではないということを。中国に対する侵略は、日本帝国主義者の要求であり、日本の庶民の要求ではないことを我々は知っている。……われわれの綱領は、中国、朝鮮、日本の庶民を団結させ、共同で日本帝国主義を打倒することである。中国と朝鮮のみならず、日本の人民にとっても、その時にはじめて解放されるだろう。」――日本の社会主義者に告ぐ(1938年8月21日)

抗日戦争期における陳独秀については『陳独秀文集 3  政治論集2 1930-1942』こちらのブログをご覧ください。

いつもながら話がずれましたが、帝国主義のグローバルな侵略に対しては、民衆によるグローバルな抵抗と連帯こそが重要だという理念は今も昔も変わらないと思います。

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最後に、沖縄を天皇と日本の捨て石とした牛島満司令官ですが、お孫さんの牛島貞満さんは小学校の先生として祖父・牛島満司令官の戦争責任を後世に語り継いでいるようです。

Qリポート 牛島司令官・二つの命令 祖父は沖縄県民を救えたか!?(琉球朝日放送)

“立派なおじいちゃん”は沖縄戦で自決した司令官だった(AERA)


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