89は64に止まらず、香港は一都市に止まらず~6・4天安門事件に関する主流の論調を突破しよう

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この間なんどか1989年春の中国の民主化運動に関する情報を流していますが、香港では民主化運動が弾圧された64天安門事件に関するシンポジウム「思前想後、港人命運、何去何従」が、6月3日に香港の五つ大学の学生自治会の共催で開催されました。シンポジストの一人である區龍宇さんの発言原稿を訳しました。[ ]は訳注です。原文はこちら。シンポジウムの様子は中国語ですが「第一部」、「第二部」 を参照してください。


89は64に止まらず、香港は一都市に止まらず
6・4天安門事件に関する主流の論調を突破しよう


區龍宇

(この文章は今年6月3日に五つの大学学生会が共催した六四フォーラムにおける発言稿である。発言者のひとりであった黄毓民が欠席したので、当日の発言では黄氏に関する部分は述べなかった)

五つの大学の学生会がこの度のシンポジウムを開催していただいたことに大変感謝しています。はじめに、みなさんに明日のヴィクトリア記念講演での六四追悼集会に参加することを呼びかけたいと思います。「我々は中国人ではなく香港人なので六四事件や中国民主化推進に責任はない」という主張があります。

私が昨日発表した文章では、そのような主張に対して次のような疑問を投げかけています。

「責任はないというのもいいだろう。しかし利害関係はどうだろう?利害関係もないというのだろうか?『隣国』で独裁が続き腐敗が輸出されており、つねに『わが街』(香港)の専制や腐敗のブラックホールが広がり続けているではありませんか? 梁振英の5000万香港ドル[オーストラリア企業から約7億円の裏金を受け取ったという疑惑]は彼に香港行政のトップを委任した中国共産党中央と無関係だとでもいうのだろうか」

「隣国のことはわが街に関係する」 ――フィンランドの事例

「隣国」が専制腐敗なのかそれとも民主光明なのかは、いうまでもなく「わが街」に関係します。専制主義にしろ民主主義にしろ、その影響力は国境を越えるからです。国境によってすべての悪事の流入を防ぐことができるという考えは、洞窟にすんでいた原始時代の考えにも劣るものです。ましてや中国と香港のあいだには「国境」なるものはないのですから。

フィンランドの事例が参考になるでしょう。フィンランドの隣国は大国ロシアでした。およそ一千年にわたり、フィンランドはスウェーデン王国に属してきました。1808年に帝政ロシアはフィンランドを属地としました。しかしさまざまな理由で、フィンランドはいくらかの自治権が残されました。もちろんフィンランド人は、帝政ロシアのような覇権国家における自治にはなんの保障もないことを知っていました。実際に帝政ロシアはフィンランドの自治権を抑圧していきます。ではフィンランド人はどうしたのでしょうか? フィンランド人だからロシアの民主化推進に何の責任もないと考えたのでしょうか。そうではなく、全く逆でした。フィンランド労働者党はロシア社会民主労働党と協力し、それぞれの党大会にも相互に代表を送りました。互いに協力して帝政ロシアの支配を打倒しなければならないことを誰もが理解していたからです。1917年のロシア二月革命が勃発すると、フィンランド労働者党はすぐにフィンランドに駐留していたロシアの兵士と連絡を取り、革命勃発の情報を伝え、その革命への参加を扇動し、駐留していたロシア人将校の権威を失墜させ、革命に従わないロシアの将軍や自国の保守派にたいして共同で反撃したのです。最終的にロシア革命政権の支持のもとで独立を果たすことができました。

無数の事例が、「隣国」政治の開明度合いが皆さんと密接に関連していることを証明しているのです!それはトランプの当選が世界と関係していることと同じでしょう。中国における民主化の推進は、いうまでもなく香港の自治権、自決権によって有利なのです。とりわけこのグローバル化の時代において、洞窟に潜んでいれば安全だという考えは、政治的な無知を意味するでしょう。

黄毓民は梁啓超をまねる

若者が歴史を知らないことや地政学を理解していないということは許せるでしょう。しかし黄毓民氏のような老練な政治的人物がそれを理解していないのであれば、それは看過できません。もちろん今日の黄氏は、かならずしも去年の六四の前後の黄氏と同じであるとは限りません。黄氏はかつての梁啓超のようにいつも今日の自分が昨日の自分を打倒している[立場をころころ変える]のですから。この地球には毎日、昨日があり、また毎日、明日があります。ですから毎日のようにこれまでの主張を覆すこともできるでしょう。このように毎日これまでの主張を覆すことができるのですから、黄氏は今日もまた昨日の主張を覆してみてはどうでしょう。つまりこの集りで明日の六四追悼集会への参加を呼びかけてみては?
※訳注:黄毓民についてはこちらを参照
http://attackoto.blog9.fc2.com/blog-entry-370.html


ヴィクトリア公園での六四追悼集会に参加することは、支援連絡会[追悼集会の主催組織で既成の民主派が主導権を握っている]の指導者を支持することとイコールではありません。どんな時でも、民主派の取り組みは、まず立場と主張が同じかどうかを考慮すべきです。誰が指導者なのかは二の次のことです。あす追悼集会に参加するのは、支援連絡会の活動に敬意を表するためではなく、中国共産党の独裁に対してノーを突きつけるためであり、虐殺にたいしてノーを突きつけるためであり、歴史を忘却することにノーを突きつけるためであり、中国と香港の民主化にたいして敬意を表するためなのです!

六四事件は憐憫の対象のみにあらず

追悼集会に参加するのは、支援連絡会に問題がないからではありません。それはもちろん問題があります。28年来、私は支援連絡会の指導部の路線にたいする批判者でした。わたしの冒頭の発言である「香港人は中国民主化の推進に責任はない」ですが、この主張の間違いを再度述べると、責任があるかないかと、利害関係があるかないかは別の事柄であるというものでした。しかし中国と香港は互いに密接な関係にあるということについて、老汎民主派は、中国と香港が密接な関係にあることを本当には信じておらず、逆に相互のあいだには隔絶があり、河川[中国]の水は井戸[香港]の水を犯さないという諺や大陸の片隅で香港の安全を守ることができると真剣に信じていたのです。老汎民主派が中国の民主化推進に努力しているというのは褒めすぎでしょう。老汎民主派は、365日のうち、6月4日という一日だけ六四事件の追悼をするだけにすぎません。またその追悼についても内容が非常に限定的で、たんに六四事件を忘れないようにしよう、と呼びかけるだけなのです。集会が終われば、さあ家に戻って、さあ競馬もいつもどおり、ダンス・クラブもいつもどおり、そして選挙では民主党[支援連絡会の中心的政党]に投票をお願いします、というわけです。

八九年民主化運動にたいする民主党の理解は極めてせまく、それを六四事件に矮小化し、それをさらに虐殺だけに矮小化して、それにたいして、「ひどいひどい」、「香港人は同情しなければならない」というだけです。この中国人民による正々堂々たる民主化運動は本来、香港人が学ぶに値するものなのに、徐々にそれは香港人の憐みの対象になってしまったのです。その一方で、ちっぽけな香港人が、突如として尊大ぶって中国人を差別するようになっています。89年民主化運動は徐々に虐殺とのみイコールでつなげられた記号となり、本来の偉大な意義を失ってきたのです。

なぜ偉大だと言えるのでしょうか。それは89年民主化運動がひとつの民主主義革命であったからです。しかしこの革命は、老汎民主派と平和・理性・非暴力の路線という陳腐な論述によって蓋をされ埋葬されました。かれらはそもそも89年民主化運動を理解していませんし、革命を理解していません。では革命とは一体何なのでしょうか。去年の旧暦の正月のいわゆる「フィッシュボール革命」(※)と何が違うのでしょうか。実際のところ、あれは民主革命とはいえません。むしろ義和団が人々を扇動して無用な犠牲をだした事件になぞらえることができるでしょう。
※訳注:2016年2月7日の旧暦の大みそかに旺角で発生した暴動。香港衛生当局は旺角の露天ファーストフードを排除しようとし、それに反発した市民らが排除反対に駆けつけたが、一部の右翼香港本土派らが暴徒化した。「フィッシュボール(つみれ)」は露店のファーストフードの代表格であることから、この暴動を「フィッシュボール革命」と呼んだ。

真の民主主義革命とは、一般的には、そのはじまりは武装してはおらず、立ちあがった人民が正義と抵抗の意志、そして主張をつうじて、支配者の軍隊を思想的に解体し、軍隊に分岐をもたらし、一部の軍人を寝返らせて支配者に譲歩を迫るというものでした。数百年来の世界の民主主義革命はこのようなモデルでした。1986年のフィリピンや1989年のルーマニアもそうでした。一部の野心家が扇動してレンガを投げる[フィッシュボール革命]がどうして民主主義革命だといえるでしょうか?

偉大な民主主義革命であった

1989年5月19日に李鵬が戒厳令を宣言し、軍隊を市内に進めたときから、民主主義革命がはじまったと言えます。幾十万人もの北京市民が各所で軍隊を包囲しました。そしてすぐに建国の将軍である張愛萍をふくむ7人の上将が連名で共産党中央に対して軍隊を派遣して弾圧することに反対の意思を示しました。同じころ38軍の徐勤先軍長も命令を拒否しました。さらに無数の軍人や兵士が天安門広場にこっそりとやってきて学生を支援しました。もちろん最後は軍隊に分岐を作り出すことはできませんでした。しかし民主主義革命の成功には、非常に長期にわたる準備と訓練が必要であり、当時の中国人民にはまだその準備ができていなかったからでした。しかし「失敗は成功の母」ともいいます。後の人々は前人の敗北のうえに、教訓を総括し、戦いを引き継ぐことができます。

しかし支援連絡会は教訓を総括しているでしょうか。残念ながらそうはおもえません。それは毎年6月4日に鳴り響く目覚まし時計の役割を果たしているだけです。そして翌日になればいつもどおり職場や学校に戻り、いつもどおり民主党に投票する。そして老汎民主派はいつもどおり平和・理性・非暴力を唱えるのです。

老汎民主派は革命を理解していませんが、ではいわゆる本土派革命を主張する人々はどうでしょうか。民主主義とは何か、革命とは何かを本当に理解しているでしょうか。本当のところを言えば、もっと理解してないでしょう。理解もしていないのに理解しているふりをして、人々を扇動して犠牲にしています。それはさらに卑劣だといえます。

雨傘運動が敗北した理由は、まさに89年民主化運動の経験と教訓を香港人がしっかりと汲み取れなかったからです。89年民主化運動は、学生が北京高校[高等教育]学生自治連合会を結成したことにはじまり、つづいて労働者自治連合会が登場し、その後に全国の大都市でおなじような組織が立ち上がりました。李旺陽(※)はみずからの故郷で労働者自治連合会を結成しました。
※訳注:李旺陽についてはこちらを参照
http://monsoon.doorblog.jp/archives/53674662.html


しかし雨傘運動はどうだったでしょうか。それは最初から組織化ではなく、脱組織化へと向かいました。その結果は参加者のアトム化です。また比較すればわかりますが、天安門広場ではいたるところに[団体の]旗が翻っていました。しかし雨傘運動では、[中心となった]金鐘のオキュパイ地域ではほとんど旗が見られませんでした。なぜか。それは熱血派[排外主義右派]が、旗を掲げる人々にたいして攻撃をしかけていたからです。しばらくして旗だけでなく、中心にあったステージの撤去も要求しだしたのです。当時の民主派それにたいして断固たる対応を取ることができませんでした。現在、いわゆる本土派は分裂に分裂を重ねています。かれらは自称、香港民族と名乗り、中国人よりも優れていると考えています。しかしかれらはすべての面において、89年の中国民主化運動に及ばないどころか、はるかに劣っているのです!

89年民主化運動は、同情の対象のみに限定されてはいけません。それは六週間以上にわたる民主化運動の日々の中で起こった一つ一つの事件を学び分析することのできる民主大学校だったのです。それは敗北しました。しかし中国あるいは香港において、民主化の最終的な展望は、つまるところ我々が真剣に89年民主化運動の経験と教訓をくみ取ることができるかどうかにかかっているのです。教訓を汲み取るのに、中国人というアイデンティティか香港人というアイデンティティかということは重要ではないのです。結局のところ、香港は一つの都市にすぎません。21世紀を生きるすべての人間は世界市民でもあるのです。地球は一つしかありません。人類は苦楽を共にするのです。
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