香港基本法では社会の亀裂は修復できない--東京新聞の社説に異議あり

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ころころ変わる「改憲の焦点」として今度は9条に自衛隊を加憲する(どのように加えるのかは不明だが)というメッセージを無責任に発した首相に「熟読してほしい」と言われた「讀賣新聞」はまったく読む気もしないのですが、いつも市民目線の記事を掲載する東京新聞は愛読してます。

連休中に留守をしてたまっていた東京新聞をめくっていると、5月6日の社説に目がとまりました。ひとつ目の社説は「日銀審査員 反対票が消える危うさ」、もうひとつは「長官選挙後の香港 社会の亀裂修復急げ」でした。日銀については、金融カフェなどで今後も話題になるだろうから、ここでは触れません。

後者の、香港の社会的亀裂に関する東京新聞の社説、というかリベラルな人々の持つ、いっけん説得力のあるようで、じつは民主主義にとっては危うい主張について、ここでは少し卑見を述べてみようとおもいます。

【社説】長官選後の香港 社会の亀裂修復急げ(東京新聞2017年5月6日)

社説は、3月末に非民主的に選出された行政長官を、中国が支持した候補者であり、党戦後に雨傘運動に参加した活動家らの逮捕が相次ぎ、中国政府が忌み嫌う香港独立を掲げる香港議会議員が議員資格をはく奪されたうえに国旗侮辱罪で逮捕されたことなどを挙げて、自由な香港の行く末を案じています。

社説のタイトルの「社会の亀裂の修復」は、非民主的に選出された行政長官が当選後に最初にのべた抱負ですが、皮肉を込めてそれをタイトルに使うのはまあいいでしょう。あるいは雨傘運動で登場した民主自決派や民主派左派などが、行政長官のこの抱負にたいして「労働時間規制のない労働者の苦境や年金も貰えない高齢者が苦しむ貧富の格差を放置したままの社会的敵亀裂の修復などあり得ない」と抗議の声を上げていることに一言も触れていないことも、ここでは置いておきましょう。

この社説で問題なのは、「50年不変とした『高度な自治』の枠内で政治改革を認めてこそ、香港の繁栄が保てることを忘れてほしくない」という結論です。

社説のいう「政治改革」の具体的な内容とは、「中国な過度な香港干渉は『一国二制度』を形骸化」させており、「香港の憲法にあたる香港基本法には最終的な普通選挙の導入が規定されている」が、中国政府はいまだその導入を認めておらず、「民主派の立候補も排除しない選挙制度の導入」を実現することで「高度な自治」の枠内で政治改革をすすめ、「国際金融センターとしての香港」を守ることのようです。

つまり「50年不変」や「高度な自治」を明記した「香港基本法」にのっとって香港の民主化を進めよ、という主張。ですが、これはイギリス植民地時代の支配手法に中国政府の描くシナリオをかけあわせて、いっけん民主的なオブラートにくるんだものにすぎず、その脚本に従えば、おそくとも1997年の香港返還から50年後の2047年、つまりあと30年後には、「一国一制度」に収れんされてしまうことになります。

もちろん今後の30年のあいだに香港だけでなく中国全土でどのような激変が訪れるのかをあらかじめ予測することはできませんが、すくなくとも「50年不変」や「高度な自治」や「一国二制度」は、民主主義を理解もしていないし、しようともしない政治権力によって制度設計された「香港基本法」をもとにした理念であり、それを民主化運動の道しるべとすることは、民主主義を破滅に導くとは言わないまでも、路頭にまよさせることになりかねず、実際に「基本法」を活用しようというあまい考えが雨傘運動を担った人々のあいだでも共有されていたがゆえに、雨傘運動が限界を突破することを困難にさせたとも言えます。

このような批判は、一昨年に日本での出版をお手伝いした論文集、『香港雨傘運動 プロレタリア民主派の政治論集』の大きな論調の一角をなしていますので、くわしくは本書を読んでほしいとおもいます。香港基本法の問題点に触れた収録論文を以下にあげておきます。

香港や中国の民主化運動に関心を持つ人だけでなく、東京新聞を読み日本の改憲状況を憂う護憲派や革命派の人々にも、他山の石としてぜひ読んでもらえればとおもいます。

『香港雨傘運動』に収録されている論文の中で、おもに基本法および基本法の活用を掲げる既成民主派に対する批判を述べた論文は以下のとおりです。

・雨傘運動の意義と展望(67頁)
・香港のあり方をめぐる右翼と左翼  『香港ポリス論』批判(78頁)
・六月四日、七月一日、そしてX月Y日(92頁)
・真のポリス論 候補者指名権を巡る論争から(130頁)
・人民ではなく権力者に奉仕する陳弘毅の憲政観と問題だらけの「人民力量」の全人民憲法制定論(179頁)
・新しい民主化運動の不服従の夏(168頁)
・「舟に刻(きざ)みて劍を求む」では香港の自治を守ることもできない(310頁)


『香港雨傘運動』の筆者は、香港基本法を香港人じしんが民主的な過程を経て再制定すべきであると訴えていますし、このような訴えは1997年の香港返還の前から一部の左翼のなかで共有されてきた主張でもあり、そこで提起されていたさまざまな懸念が、返還後20年を経ずしてあらわになっていた、というのが実態だと思います。

奇論にあらず--基本法の50年不変に反対する(1988年8月)
基本法を再制定しなければならない幾つかの理由(1997年8月)
(リンク先はともに中国語です)

残念なことに東京新聞の社説はその問題に触れていません。香港の既成の民主派の主張を参考にしているからでしょうか。

しかし今回の長官選挙で、その既成民主派は、長官選挙への立候補を断念し、中国政府が支持する候補者ではない、リベラルな、というか新自由主義者の親中国政府の候補者を支援するという、香港返還以降の長官選挙ではじめてとなる方針をとったことで民主派陣営内部の亀裂を深めました。雨傘運動から誕生した民主自決派の議員らはエセ民主主義の長官選挙のボイコットを呼びかけました。

民主自決派議員らも基本法を香港人じしんによって制定しなおすべきである、という共同声明を昨年11月に発表したことはこのブログでも紹介しました。

中国全人代常委による香港基本法の解釈に対する民主自決派の回答(2016/11/09)

新しく選出された行政長官も、既成の民主派も「社会の和解」を呼びかけていますが、雨傘運動で掲げられた「真の普通選挙」の実現こそが、真の和解にむけたとりあえず一歩であると、ぼくは思います。その道のりははるかに長く、国境と世代を超えたものになるでしょうが。


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