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売国と抗日と ~ メーデーの日に、ちょこっとだけ考えた

メーデーです。

なにかネタはないかなー、と思いながら、去年このブログで紹介した陳独秀の「労働者の自覚」を読み返したところ、なんと1920年の5月1日に発表されていました。去年紹介した時には日付まで気にしていませんでしたが、分かるように赤で加筆しておきました(こちら)。

今朝の東京新聞は、「『勤め続ける』思い深く」という見出しで象徴天皇制を絶賛する記事を大々的に第一面にもってきて、メーデー関係の記事は「暮らし」面のなかにほんのちょっとだけというトホホなつくり。しかもそのメーデ関連の記事も「メーデーに考える労働運動」と題して「要求 『お金』から『時間』へ」という見出しで、一瞬「おっ!」と思わせながら、かなりトホホな内容に仕上がっています。この記事を読んだ後なら、この陳独秀の「労働者の自覚」は一見の価値ありです。

とはいえ、去年のネタをまた紹介するのもなぁ、とおもっていたところ、陳独秀が1925年4月末に党機関紙《嚮導》に書いたこんなコラムがありましたので、メーデーと国際連帯、という観点から、ざっと訳して紹介しておきます。

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売国

われわれがモンゴル人、チベット人には民族自決の権利があると主張すると、一班の帝国主義臭のある人は「売国」という二文字をわれわれに投げつける。いま青島の日本紗廠の中国人労働者がストライキを打っており、日本の労働総同盟は、これらのストライキを打っている中国人労働者への支援として、おもいもかけず五千元を振りこんできたが、帝国主義臭のある人は、日本人労働者は売国だと大声で叫ぶべきである!さらに一班の日本共産党員が朝鮮の独立運動を積極的に支援している事についても、帝国主義臭のある人々にとっては、これらの日本共産党員は輪をかけても足りないくらいの売国奴になるのだろう!

1925年5月10日《嚮導》週報 第114期 コラム寸鉄 署名:實庵


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売国、というか、ミサイルや核兵器の恐怖を煽っている安倍政権は、昨日から続いている浪江町での山火事で、放射能拡散の恐れのある消火活動に当たっているのが自衛隊であり、核の脅威は外からではなく自分たちがまき散らいしているという「売国状態」になぜ批判があがらないのだろうか、とおもってしまいますが、それはさておき。

陳独秀のコラムで言及されている青島の日本紗廠の争議とは、山東省に進出していた日本の紡績資本(在華紡)における労働争議のことで、1925年4月19日に4000人が労働組合の権利を求めてストライキに突入し、争議が全市に拡大した大争議。北洋軍閥政府は3000名もの警官を派遣して弾圧。日本海軍の軍艦も工場近くに停泊して争議を威嚇。5月29日に警官が発砲して労働者8名が殺され、数十人が重傷、70人余りが逮捕されました。

この弾圧に抗議して国民党は上海で抗議デモを動員。第一次国共合作の最中だった中国共産党は、青島での争議を指導するとともに上海および全国各地で抗議運動を先導。上海租界での抗議行動では5月30日にイギリス人警官によって13名が射殺され多数の逮捕者を出した。いわゆる「530惨劇事件」です。この闘争を前面に立って指導した中国共産党は本格的に労働者階級の大政党に発展していくのですが、それによって国民党は警戒心を深め、27年4月の蒋介石による上海クーデターが準備されていくことにもなります。

そのへんの流れは、最終巻の3巻目が発売された『陳独秀文集 2』に詳しいので、そちらを読んでほしいのですが、この山東や上海の日本の紡績資本に対する闘争にかんして、どうもこのところ「純粋な労働争議ではなく、中国共産党が動員して仕掛けたものだ」風の論調をみかける。右翼がいうのであればわかるが、どうもリベラルな研究者も、いくつかの前提をつけながら(たとえば在華紡の労働条件の過酷さなど)、純粋な経済ストではなく政治ストだ、という感じのネガティブな面を押し出している気がするのです。

たとえば中堅の中国経済学者の梶谷懐さんの『日本と中国経済 ─相互交流と衝突の100年』(ちくま新書、2016年12月)。梶谷さんは立憲主義(護憲派)で比較的冷静な分析をされているひとだという印象があります。

この本を買った理由は、日中経済の100年を、1925年の上海の在華紡のストライキ(五・三〇運動)から書き出しているので、興味を持ったからです。この運動で当時の中国共産党の指導者であった陳独秀率いる中共はかなり勢力を伸ばしその後の基礎をつくったという印象があったからです。

やや驚いたのは、梶谷さんはもちろん日本の侵略という背景は抑えているものの、在華紡も中国の繊維産業の発展に貢献した、中共はストライキを利用した(動員によってストライキが行われた)というような論調で書かれていたからです。すこしまえに『熱狂と動員』という慶応義塾から出版されている本をみかけて、高いので買わなかったのですが、梶谷さんはどうもこの本を根拠の一つにしているようでした。

それにしても五・三〇運動を、中共の挑発・動員というふうにネガティブにとらえる研究は日本では主流なのでしょうか? 現在の中共の状況は問題があるにしても、あの時期の中共のスタンスは、(国民党への加入戦術は別として)決してネガティブにとらえられるようなものではないと思うのですが。

『熱狂と動員』のほうは未読なので何とも言えませんが、反帝闘争で動員して何が悪い、と思いますが、日本のリベラル研究者が、こんなふうに「5・30運動」をとらえているのであれば、それは一つの歴史修正主義であり(研究者の方は中共史観に偏るのではなく中立だ、と考えるかもしれませんが)、残念なことに社会主義派が批判するリベラル派の姿そのままにしか映りません。

陳独秀の「売国」で紹介されているような、日本の労働組合がストを打っている中国の労働者にカンパを送った、というような記載は、すくなくとも梶谷さんの本にはありませんでした。残念無念。

今年は1937年7月7日の盧溝橋事件の日中全面戦争勃発80年。当時の中国の社会主義者たちの抗日言論をどんどん紹介していこうと思っています。

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