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【香港】徹底抗戦論の傷跡が浮かび上がりつつある(林兆彬)

昨年9月の香港選挙で当選し、その後、銀資格をはく奪された本土派(独立派)の2人が、昨日、議場への無断浸入の容疑で逮捕され(現地報道)、今朝は11月に中国政府による基本法解釈に抗議する行動で扇動したなどの容疑で9人の活動家が拘束された(現地報道)。昨年11月の抗議行動についてはこちら(http://attackoto.blog9.fc2.com/blog-entry-342.html)でも関連する情報を報じたが、7月の林鄭月娥・新行政長官の就任を前に、中国-香港政府の弾圧が本格化しつつあるようだ。

本土派の特徴は、香港独立という考えだけでなく、従来の民主派のような平和的な行動ではなく、実力で徹底抗戦せよというスタイルにもある。そしてそれを主導してきた思想的リーダーが昨年9月の選挙で落選した黄毓民だ。しかし徹底抗戦を掲げる路線はいずれ壁に突き当たる。以下は、4月25日に香港紙に掲載された香港のフリーライター林兆彬さんによる黄毓民批判。




徹底抗戦論の傷跡が浮かび上がりつつある
フリーライター 林兆彬


香港紙「蘋果日報」2017年4月25日掲載
原文はこちら http://hk.apple.nextmedia.com/news/art/20170425/20000687

2週間前、本土派の指導者であった黄毓民はウェブ上に文章を発表して政界からの引退を宣言した。彼はまた青年に対して、冷静沈着になることを求め、無用な犠牲を払うべきではないと訴えた。2008年から2016年まで立法会[香港議会]の議員のときに、かれは香港の政治文化と議会のあり方を変えた。かれは徹底抗戦を鼓舞したが、それによって社会運動が被った傷が次々と浮かびあがった。

香港の民主化運動にとって、黄毓民が行った最大の貢献は政治の通俗化であり、彼は抵抗の種を多く播き、多くの若者たちの政治的啓蒙者となった。彼は魅力あふれる演説と討論テクニック、そして街頭および議会内での闘争を通じて、退屈な政治問題を分かりやすくし、生活に関連させ、政治課題に対する社会の関心を高めた。

さらに重要なことは、黄毓民が十数年まえから率先して実践していた「ウェブ放送、ウェブ上でのディスカッション・フォーラム、政治組織」という鉄のトライアングルのモデルを通じて、情報メディアと大衆動員を行ったということだろう。初期の社民連、人民力量、熱普城およびその他の新興本土派組織は、実のところ同じような運営モデルを用いたものであった。主流メディアに依拠せず、ラディカルな政治路線を生み出した。

しかし、黄毓民はまた民主化運動に対しても多くの損害を与えた。たとえば、彼は「同じ陣営の人間を攻撃することで優位に立つ」というスタイルを築き上げ、市民社会の相互の信頼を破壊し、民主化運動を分裂させた。最もラディカルな位置を確保するために、黄毓民はカメラの一番前に立ち続けるために主流の汎民主派[既成の民主派政党]よりも少しだけラディカルにふるまい、汎民主派議員がおとなしく議場の席に座っても、かれは[行政長官に向けて]バナナを投げて口汚く罵り[2008年10月の事件]、汎民主派のおとなしいデモで、黄毓民は路上占拠をすべきだと主張し、汎民主派議員が抗議で議場を退出したときも、かれは[行政長官に]コップを投げつけ、汎民主派が公民抗命[非暴力不服従の抵抗]を主張したときに彼は勇武[実力]による抵抗を主張した[2014年雨傘運動]。

黄毓民は政治的良心を欠いた日和見主義者であり、政治屋とは何たるかを完全に表現しており、政治の醜悪な一面を人々に見せつけた。そして社会的雰囲気が転換し始めたときに、かれはスタンスを変えた。かつては、6・4天安門事件の犠牲者の名誉回復を支持していたが、いまでは「最初から6・4天安門事件の名誉回復には反対していた!」と述べ、「わたしは中国人ではない!」などと叫んでいる。かつて彼は非暴力の抵抗支持から徹底抗戦[暴力を含むあらゆる抵抗]への支持へと態度を変えて、青年に勇武[暴力]を扇動していたが、いまではまたもや冷静沈着になれとその態度を変えている。

どうやら、黄毓民の政界引退は歴史の必然のようである。なぜなら徹底抗戦というバブルは、いつの日にか破綻するしかないからだ。このような行動に参加することは極めて高いリスクを負う。人民の抵抗の高まりは、政府のさらなる弾圧をもたらすからである。この一年のあいだ、本土派と香港独立派は政府から弾圧を受けてきたが、それに対する大規模な抗議行動を組織することができていない。これは急進路線が終止符を打ちつつあることを反映している。

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