それは連帯です--日経の「日本型雇用の限界」を読んで

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(写真と本文は直接の関係はありません)

この人はAFOか? そんなことを思ったので書いてみました。

今朝はたくさんの新入社員が通勤電車に。で、各紙も新入社員向けの記事があるようです。

もちろん日経新聞にも。

6面の「核心」というなんだか中国の最高指導者みたいな名前の紙面には「新入社員諸君、就職おめでとう。きょうは、君たちとこれからの『働き方』について考えてみたいと思います。」という書き出しから始まる論説委員の原田亮介氏による新入社員に向けたほぼ紙面の半分を使った文章が掲載されています。

あー、ひどいもんです。

日本型雇用は、初任給は安いが社歴を重ねると給料が自動的に上がる集金雇用が特徴、一方で勤務地や職種、残業などは会社の指示に従う「メンバーシップ型」だそうです。そしてこの日本型雇用は3つの点で困難に直面しているというのです。

ひとつは、「グローバル化の対応」ができていないというもの。

この限界に対してちゃんとした対応をとっているとして紹介されている好事例は日立製作所の人事制度。

「6年がかりで世界各地の日立グループの会社と、国内の日立の人事制度をマッチングさせる仕組みを作り上げました。」

「全世界5万社にのぼるポストについて、トップの東原敏明社長からマネージャーまで7段階のグレードを導入、段階ごとに給料が決まる方式に代えました。年次関係なしに給料が決まるのは欧米の『ジョブ型』の仕組みです。」

「狙いは日立グループの内外のパフォーマンスの最大化すること。管理職の定義を内外共通にしないと、現地会社の幹部に日本から赴任しても混乱が起きるからです。」

これ、管理職、つまり経営側の話で、雇われる側の問題ではないですよね。「働き方」ではなく「働かせ方」の問題。少なくとも管理職の人事制度の問題を、あたかも労働者全体の問題というような描き方は、あまりにも無理があります。意図的でなければAFOとしか言いようがない。

それに、あなたの会社で、そんなグローバルに統一された人事制度が必要ですか?

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原田氏が挙げている日本型経営の二つ目の限界は、ワークライフバランスへの対応だそうです。原田氏は電通の過労自殺で亡くなった高橋まつりさんの事件や経団連と連合が残業時間100時間未満で合意したことに触れつつ、慶応大大学院の鶴光太郎教授のコメントを紹介します。

「鶴光太郎教授は、残業時間の上限は『問題の一部であり、全体ではない』と強調します。『企業は残業時間や勤務地を限定したジョブ型(限定正社員)をつくるべきだ』という主張です。そうでないと若手に雑務をさせる文化が消えないとみています。」

指摘するならば残業100時間がどれほど殺人的な合意なのか、ということのはずなのに、、業績いかんではいつでも整理解雇ができる毒素をもつ「限定正社員」という仕組みを恥ずかしげもなく紹介しています。

ジョブ型正社員とは、可能な限りの低コストで人手不足の状況で労働力を確保するために資本の考え出したペテン的雇用契約です。そんなことは、常識でしょう?

そんなことにも触れずに、ジョブ型(限定正社員)をつくれなどと書きたてるのは、意図的でなければAFOとしか言いようがない。

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いよいよ問題の、日本型雇用の限界を示す三つめの問題です。原田氏曰くそれは、

「国内で正社員の雇用を守るために非正規社員が急拡大したことです。」

そして、元トヨタ会長の奥田碩氏の「経営者よ、クビ切りするなら切腹せよ」という言葉を紹介して、つぎのように述べます。

「当時、日経連会長だった奥田碩さんが月刊文藝春秋に寄稿したのは99年でした。多くの会社が人員過剰に直面していた時期でした。正社員を守るために、非正規でコストを制御する方式に変ったのです。」

労働者は斬首で経営者は切腹? なんたる封建思想かつ家父長的思想の持主か、という揚げ足取りはさておき、膨大な下請けを抱えるトヨタは、不況の時には「下請けいじめ」で危機を乗り切ってきたのですから、よくそんなことが言えたものだな、と思います。また「非正規でコストを制御する方式に変ったのです」というよりも、日経連がそのように日本の雇用を変えていくことを決めたのは有名な話ではないですか。

この記事がさらにひどいのは、正社員を守るために非正規社員を拡大させた、という対立軸を意図的に作り出していることです。

原田氏は、こう問いかけます。

「非正規委員の何が問題でしょうか。」

言うまでもなく、その名が示す通り「非正規」なのが問題の根幹なのですが、原田氏はそう考えません。

「賃金が安いために結婚する人が大幅に減り、年齢を重ねてもスキルを磨きにくく年収像が見込めず、正社員との格差が大きいことです。」

なぜ賃金、つまり労働力商品の価格が安いのでしょうか? いうまでもなく、買い手(資本)と売り手(労働者)のあいだに極めて不平等な関係があるからです。

もし仮に賃金の低さだけが問題であるなら、労働者の側が団結することで、労働力商品をより高く買い手の資本に売ることができるというのは、資本主義システムにおける自明の理です。

大手企業と中小零細の労働者に分断され、正社員と非正規社員に分断され、あるいは正社員の中でも分断がすすみ、さらには非正規社員の中でも分断を進めることで、買い手である資本は労働力を安く買うことができるのです。これは市場原理の基本です。

にもかかわらず、原田氏は、労働者の中によりいっそう分断を進めることこそが、日本型雇用の限界を打破するのだと訴えます。そうでしょう。その視点は決して「働き方」などではなく、労働力を買う側の資本の立場に立った「働かせ方」なのですから。

原田氏の論説の中には、日本型雇用の限界であるジェンダーという分断には全く触れられていない。これも意図的でなければAFOとしか言いようがない。

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原田氏はご丁寧に最後にも新入社員に呼びかけます。

「最後に新入社員諸君。89年4月、作家の山口瞳さんが新人たちに送ったメッセージを紹介しましょう。『会社勤めで何がものをいうかと問われるとき、僕は、いま、少しも逡巡することなく『それは誠意です』と答えている』」

89年4月といえばバブル真っ盛りだし、連合も結成されていない。この時に新入社員を取り巻いていた状況と今とでは全く異なる。

いま「誠意」が問われているのは、賃労働で雇われて働く人間のあいだに分断を持ちこんで人権を蹂躙するような形で安く労働力を買い叩く資本家や、資本家のために働く腐敗した政治家たちの方だ。

正社員は、非正規社員やより厳しい状況にある人の立場に思いをはせて、困難には一緒になって解決に当たる、というのが「連帯」です。もちろん正社員同士もそうです。

日本型雇用の限界は「連帯」に欠けることだ。しかし全国・全世界でたくさんのこころある人々が、仲間同士の助け合いという「連帯」を実践していることを僕は知っている。

新入社員諸君、会社勤めと言う賃労働で何がものをいうかと問われるとき、僕は、いま、少しも逡巡することなく「それは連帯です」と答えている。
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