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「レーニンとは十月革命の著者である」

はやく「AIIBのABCその3」を仕上げてしまいたいのだが、またまた東京新聞ネタだ。しかもまたまたトロツキーのネタだ。
といっても、紙面には彼は全く登場しないのだが、別なしかたで「登場」している。

今日の「こちら特報部」は、トランプ政権の主席戦略官のバノンが、「私はレーニン主義者だ」と自称していることを紹介しつつ、「ロシア革命100年 影響と教訓」というタイトルで構成されている。

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この記事につけられた共同の写真は、レーニンが兵士に向けて演説する有名な一枚だ。何が有名か、と言うと、レーニン死後に権力を握ったスターリン官僚体制が、ほんとうは写真に写っていたトロツキーとカーメネフを修正して消してしまったことで、のちに有名となってしまった一枚なのだ。「こちら特報部」の記事では下の二人がいないバージョンの写真が掲載されている。

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前回の記事で、あまりに大きくトロツキーを取り上げてしまったことの反動(?)なのか、今回使われれた写真は、修正後に広まったとされる写真が掲載されているのだ。まあ本当のところは分からない。もしかしたらトロツキーとカーメネフが直後に壇上から降りてしまった後の写真かもしれないからだ。それに東京新聞に掲載されている写真は、けっこう鮮明なので、とても偽造写真には見えないということもあるし、東京新聞ならそれくらいの「ネタ」は知っていておかしくないはずだ。だれか真相を教えてほしい。あるいは東京新聞の「釣り」に引っかかってしまっただけなのか。

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と、前フリはこれくらいにして、本題に。

「こちら特報部」の記事によるとバノンは「レーニンは国家を破壊することを求めていた。私の目標も同じだ。私はあらゆるものを崩壊させ、全てのエスタブリッシュメント(支配階級)を壊したい」とニュースサイトの取材に答えたという。

アメリカの支配階級は資本家で、トランプは資本家政府の際たるもので、その主席戦略官がなにを言ってるのだ、と思うのだが。もちろん東京新聞なので、バノンの発言に対しては批判的なコメントも掲載している。

『未完のレーニン』や『永続敗戦論』の著者の白井聡さん。

「レーニン主義を破壊の哲学のように矮小化してとらえ、持ち上げたり、おとしめたりする傾向は昔からある。…その類ではないか。自国第一主義を掲げるトランプ政権は、理念的普遍性を目指していない。世界規模の革命を目指したレーニンの理念とは全く違う。」

その通りだ。

しかし、そのあとにつづくコメントがなんともトホホだ。

ニューズウィーク日本版のコメント。

「レーニンといった政治的革命家の例に倣い、バノンも国民を敵と味方に分断することを通じて、独自の主義主張を押し通そうとしている。」「この男は歴史を破壊の連続とみなし、今こそアメリカの労働者階級が立ちあがり、『グローバルなエリート層』に報復する巨大な地殻変動の時期だと信じている。」

これはレーニンを最大限貶める評価であるとともに、トランプ登場前後からメディアで流行っている「反グローバル化」というレッテル張りの延長だ。

ガーディアンのコメント。

「『軍事クーデターで権力を奪取したレーニンと、ポピュリストの反乱を直接比較すべきではない』としたうえで『バノンの…憎しみに満ちた言葉は、明らかにレーニン主義者的だ』と評した。」

「レーニンの政治スタイルと戦略の多くは現在に適応しうる。…絶え間なく続く紛争やドラマに頼り、意図的に暴力的な言葉をテクニックとして多用し、相手を服従させた」

スターリン支配体制下の「レーニン神格化」とコインの表裏の関係にある「レーニン悪魔化」とほとんど同じレベルのコメントだ。

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とはいえ、「こちら特報部」の構成全体は、ロシア革命に対してはかなりの理解を示した内容であることには違いない。記事の後半に、最近岩波新書から『ロシア革命 破局の8か月』を出版した池田嘉郎さんはこうコメントしている。

「ロシア革命は歴史のなかで、社会主義国を樹立するために労働者が立ち上がったと単純化して理解されがちだが、根っこにある貧困や格差を解消しようという思いは現代と全く変わらない。」

亀山郁夫。名古屋外大学長のコメント。

「社会主義には200年近い積み重ねがある。いまこそ、ロシア革命が目指した理想を見直すべきではないか。旧ソ連の失敗は何が原因だったのか、世界はもう一度学び直す必要がある。」

その通りだとおもう。

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しかし、「ロシア革命の理念」については、やや不安なことも。

「こちら特報部」の記事はこうも記している。

「池田准教授はロシア革命で学ぶべきはレーニンよりも、二月革命で誕生し、十月革命でレーニンらに倒された『臨時政府』にあると指摘する。」

「臨時政府は知識人や企業家などが中心となり、西欧的な議会制民主主義の樹立を目指していた。『現代の議会制民主主義は、特定の利益団体の代表が会議で発言するが、当時のロシアにはそうした団体すらなかった。臨時政府はまずこの仕組みをつくろうとした』 その様子は著書『ロシア革命 破局の8か月』に詳しい。」

「池田准教授は『少数の知識人ら有産階級と、多数派の労働者、農民ら民衆との間に生じた分断が十月革命に結実した。だが、多くの犠牲を生む手段をとる前に、臨時政府が階級を超えて話し合い、合意形成するシステムを構築しようとしていた面は、もっと注目されてよい』と語る。」

21世紀になってもいまだ「立憲」などという憲法のなかった自由民権運動時代の用語を肯定的に用いる社会状況のなかで、「ロシア革命の理念」が、立憲民主主義とイコールでつなげられるのではないかという危惧がある。

ロシア2月革命は、「立憲民主党」=カデットという「知識人や企業家などが中心」となった戦争協力政党を臨時政府の一角に押し上げた。「立憲民主主義」という歴史的にかなり使い古された感じのある立場だが、「こちら特報部」の記事を読む前日に購入した池田嘉郎さんの『ロシア革命』(岩波新書)の「はじめに」でも、それが現代的装いをまとって登場している。

池田嘉郎さんの『ロシア革命』の副題「破局の8か月」とは、いうまでもなく1917年2月革命から10月革命にいたる8か月を「破局」ととらえている。

この本の帯には「勃発から100年 ロシア革命とは何だったのか」「自由主義者たちの奮闘と挫折、そして、新たに生まれたもの」という宣伝文句が書かれていたので、最初はまったく買う気がなかったのだが、「はじめに」のところで、つぎのように書かれていたのを目にしたので購入した。

「ミリュコーフとトロツキー、この臨時政府の初代外相とソヴィエト政府の初代外相の二人が、ともに亡命地で、いずれも長大なロシア革命史を書いたという事実はまことに興味深い。」

「本書でも、ミリュコーフやトロツキー、それに多くの先人たちに学びながら、ロシア革命全体像をできる限り照らし出してみたい。」

ミリュコーフとは、二月革命によって成立した臨時革命政府の初代外相に就任した立憲民主党(カデット)の党首で、のちに『第二ロシア革命史』を書いている。池田さんは『第二ロシア革命史』をこう説明する。

「総じて『第二ロシア革命史』では、暗愚な民衆の勝手な振る舞いによって、臨時政府の努力が掘り崩されて、無政府状態が広まっていくという図式が明快に打ち出されている。そこにあるのはまさに破局の八か月である。」

つまり池田さんの『ロシア革命史』の副題はこのミリュコーフのロシア革命史観から拝借したもののようだ。

この『第二ロシア革命史』については、トロツキーが『ロシア革命史』ロシア語版序文でつぎのように批判している。以下は藤井一行さん訳の岩波文庫版からの引用。

「たしかに、歴史学の教授ミリュコーフに代表されるように、自由主義がそれでも。『第二のロシア革命』にたいして恨みを晴らそうとしたという事実をもちだすこともできよう。しかし、ミリュコーフは、自分が二月革命を耐え忍んでいただけであったということを少しも隠そうとしない。……二月革命にかんするミリュコーフの著作はどんな意味でも学問的労作とは見なせない。自由主義の指導者は自著の『歴史』で歴史家としてではなく、被害者として、原告として登場する。……結局、かれは革命と名づけられる犯罪をおかしたとしてロシアの民衆を非難するほかない」

ということで「自由主義者たちの奮闘と挫折」を描いた(であろう)池田さんの著作は、トロツキーにそれほどやさしくないようである。池田さんは著書の「はじめに」で、次のようにトロツキーの『ロシア革命史』を紹介している。

「十月革命の指導者であるトロツキーは、もちろん民衆の行動を[ミリュコーフのように]暗愚とはとらない。それは長きにわたる抑圧に対する当然の反乱なのである。このように考えるトロツキーは、歴史的につくられた構造という問題に、ミリュコーフよりは近づいている。だが才気溢れるその筆致にもかかわらず、社会主義や労働者階級の優位を前提とするその議論は大変に図式的である。同書[ロシア革命史]は『十月革命クライマックス史観』のお手本以上のものではない。」

自分は中立だと勘違いしているどこかの反共史観の翻訳者の意見の引き写しのようだ(わかる人だけにわかればいいです)。

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まだ全体を読んでいないので何とも言えないが、すくなくとも『ロシア革命 破局の8か月』の「はじめに」で書かれているトロツキーおよびその著作(ロシア革命史)への偏見ある批判にたいしては(偏見それ自体は大いに結構だが自分には偏見がないという偏見はいただけない)、トロツキーの著作からの引用を紹介しておきたい。

以下は、トロツキー著、山西英一訳の『ロシア革命史』(角川書店)の「序文」からの引用。革命の歴史を記す上での「不偏不党性」について語っている。

「およそ革命の歴史は、他のすべての歴史と同様に、まず第一に、なにがいかにして生起したかをかたらねばならぬ。だが、それだけでは十分ではない。それがかくかくのしかたで生起し、それとは異なったしかたで生起しなかったのはなぜかということが、叙述そのものから明白になってこなければならないのである。事件は、一連の冒険と見なされたり、あるいはこれをあらかじめ考えられた、あるモラルの紐にとおして見たりすることはできない。事件は、事件自体の法則にしたがわねばならぬ。そしてこれらの法則を発見することこそ、著者に課せられた任務なのである。」

「ロシア、ロシアの経済、階級、国家を形成した歴史的条件のうちに、および他の諸国のロシアにたいする行動のうちに、われわれは二月革命と二月革命にとってかわった十月革命の前提を発見することができるであろう。ところで、最大の謎は、この後進国がプロレタリアートに政権を獲得させる最初の国となったという事実であるのだから、この後進国の特殊性のうちに--つまり、この国と他の諸国との差異のうちに、この謎の解決をもとめることがわれわれの義務となるのである。」

「本書は、[トロツキー自身の]個人的な回想にたよりはしないであろう。……歴史家としての著者は、事件の参加者としてとったとおなじ見地にたっている。もちろん、読者は著者の政治的見解をわかつ必要はすこしもない。著者もまた、それを隠さねばならぬ理由はない。だが、歴史的著述は、政治的立場の擁護であってはならない。そして、革命の現実的過程の、十分な、内的根拠をもつ、肖像画でなければならないのであって、読者はそれを要求する権利をもっているのである。歴史的著述は、事件が完全に自然な必然性をもって書中に展開される場合にのみ、はじめてその使命を完全にはたすのである。」

「そのためには、いわゆる歴史家の『不偏不党性』をもつことが必要であろうか? だが、この不偏不党性とはなんであるかを、まだだれひとり明確に説明したものはない。」

「革命時代のフランスの反動的な、したがって時流に投じた歴史家のひとりであるL・マデランは、この[フランス]大革命――つまり、彼自身の国家の誕生たる――をサロン式なやり方で誹謗しながら、『歴史家は、脅威下の都市の城壁の上にたって、包囲するものと包囲されたものとの両方を、同時に見なければならぬ』と主張した。こうしてはじめて歴史家は『宥和的正義』を達成することができるようにおもわれる。」

「だが、マデラン自身の言葉は、もし彼が両陣営をわかつ城壁の上によじ登るとしたら、それはただ、反動のための偵察者の資格においてであるということを立証している。彼が過去の交戦陣営だけと関係していることはよいことである。革命の最中に、城壁の上にたつとしたら、非常な危険をまねくことになるであろう。のみならず、危急のさいには、『宥和的正義』の坊主たちは、いずれの側が勝利をおさめるかを観望するために、四つの壁の内部に尻をすえているのが通例である。」

「真剣で批判的な読者は、裏切り的な不偏不党を欲しはしないであろう。それは、反動的憎悪の毒を底に盛った、懐柔の杯を彼に提供するであろう。彼が望むところは、科学的な良心性なのである。この科学的良心性は、同情と反感――赤裸々な、公然の――の根拠を事実の真摯な研究、これらの事実の真の関係の決定、これらの運動の因果的法則の暴露のうちにもとめるであろう。これこそ、唯一の可能な歴史的客観主義なのである。」

引用が長くなった。トロツキーが「序文」で語ったこの「唯一可能な歴史的客観主義」が、『ロシア革命史』のなかで成功裏に描かれているかどうか、逆に言えば池田さんのいうところのトロツキーの『ロシア革命史』が「十月革命クライマックス史観のお手本以上のものではない」のかどうかは、この機会にぜひとも同書を読んで判断してほしい。

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ところで池田さんの著書の副題の「破局」だが、レーニン死後の3か月後の1924年4月に「マルクスとレーニン」という題で行われたトロツキーの講演の最後は、この「破局」という用語で締めくくられている。

講演はモスクワの東方勤労者共産主義大学の創設3周年の記念講演として、わかいアジアの共産主義青年に向けて行われたもの。「こちら特報部」では批判的に紹介されていたレーニンや「レーニン主義」についても触れられている。以下は、トロツキー著、森田成也訳『レーニン』(光文社古典新訳文庫、2007年3月)からの引用。

「マルクスとは誰か、という問いに簡潔な答えを与えようとする場合、われわれはいつも、『マルクスは「資本論」の著者である』という。そして、われわれは、レーニンとは誰かと自問するとき、こう言う『レーニンは十月革命の著者である』と。」

「レーニンは、他の誰よりも力をこめて、自分はマルクスの教えを修正したり、つくりなおしたり、変更したりするつもりはない、と強調した。レーニンは、古い聖書の言葉を借りていえば、マルクスの教えを変えるためにではなく、それを遂行するためにやってきたのである。」

「彼はマルクスとレーニンのあいだに挟まれた世代の堆積物――カウツキー主義やマクドナルド主義、労働者上層や改良主義的・民族主義的官僚の保守主義――の下からマルクスを救い出し、この堆積物と不純物と偽造物から解放された真のマルクス主義の武器を、最も偉大な歴史的行動[ロシア十月革命]に全面的に適用したのである。」

「諸君[東方勤労者共産主義大学の学生たち]は、この行動を実際に目にし、そこに参加した。これは諸君に義務を負わせる。……東方勤労者共産主義大学出身の中核部分が、東方諸国のプロレタリア運動において、階級的酵母として、マルクス主義的酵母として、レーニン主義的酵母として、しかるべき位置を占めるだろうと期待するあらゆる根拠がある。」

「同志諸君、諸君に対する需要は巨大である。そしてその需要は、私がすでに述べたように、段階的にではなく、一気に、ある意味で『破局的』な勢いで発展するだろう。」

トロツキーがここで使っている「破局」は、「破綻」的な意味ではなく、「局面を打ち破る」的な意味合いだろうと思う。池田さんの『ロシア革命 破局の8か月』を、後者の意味での「破局」であることを願いつつ、ページを繰っていきたいと思う。

トロツキー著『レーニン』の訳者の森田成也さんは「解説」でこう述べている。

「本書『レーニン』は、ソ連共産党とソ連全体が全体主義の悪夢に飲み込まれてしまう前の、等身大の人間レーニンを実に生き生きとした芸術的筆致で描き出した珠玉の回想として後世の人々に残された。その後レーニンは一方的に神格化されていく存在となり、そして今日では、それと正反対に悪の権化として真っ黒に塗りつぶされる存在となっていく。どちらのレーニン像も、歴史と人間に対する同一の観念的で全体主義的な見方の産物なのである。」

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最後に、せっかく買った池田さんの著書を「はじめに」だけを読んで、最後まで読むのをあきらめないように、池田さんからの引用でこの稿を締めくくろうと思う――ミリュコーフへの賛辞はこのさいスルーすることとして――。

「ミリュコーフとトロツキー……両者はともに抜群に頭がよく、尊大で、どこか孤独であった。よく似たこの二人は、ともに自分の革命史でみずからを三人称で登場させた。自分が歴史的な存在であることを意識していたからであったが、それだけではない。二人とも、努力のおよぶ範囲でできるかぎり客観的に、自分もその一部をなした出来事の巨大さを伝えようとしていたのであった。そして事実、ロシア革命とは巨大で、壮大な出来事だったのである。」
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