涙がぽろりと落ちました~「CHINA14億人の日常」

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毎週水曜日は東京新聞の夕刊に掲載されるコラム「土偶界へようこそ」を楽しみにしている。写真付きで土偶が紹介されており、コラム筆者の権田亜紀子さんの土偶愛にあふれたコメントもいい。今週は「お顔がハート」と名付けられた栃木・後藤遺跡から発掘された「入墨土偶」を紹介。その愛嬌ある顔立ちの左目の下には丸い模様が描かれており、権田亜紀子さんは「涙がぽろりと落ちました」とコメントをつけている。

と、前フリはこの辺にして、「入墨土偶」とおなじ紙面に掲載されていた「CHINA 14億人の日常」という北京特派員の平岩勇司記者の記事が大変すばらしかったので紹介したい。

タイトルは「天安門 病床から証言」、見出しは「『片脚の闘士』歴史訴え続ける」。

89年6月4日の天安門事件での銃撃で片脚を失った斉志勇さん(60歳)を紹介している。

「天安門事件では運動を担った大学生だけでなく、市民も犠牲になった。建設労働者だった斉さんもその一人。腐敗反対や言論の自由を訴える学生に共鳴して運動に参加。あの日、天安門広場近くの路地で左脚に二発の銃弾を受け、手当が遅れたため切断した。」

「つえを突き、『この失われた片脚が歴史の証拠だ』と訴える姿は、強烈な印象を与える。政府も当然、それを嫌がる。公安警察が斉さんを尾行し、何度も拘束。身元不明の男らが突然自宅に押し入り、肋骨を折られたこともある。それでも屈しなかった。……今月上旬、長年の苦労がたたり入院した。」

「入院間もなく、斉さんは男性医師から『この左脚はどうしたの?』と聞かれた。『六四で撃たれたんだ』と答えると、医師の表情が変わった。」

前回の記事(これも大変素晴らしい記事)を読んでいたからか「面倒な患者に当たったな」という医師の態度が紹介されるのかと思いきや、まったく予想しなかった医師の反応が紹介される。

「当時、彼(医師のこと:引用者)も学生として運動に参加していた。『そうか。あなたはあの時、私たちを守ってくれたんだ。じゃあ、今度は私が助ける番だね』 」

涙がぽろりと落ちました。

記事には、胸に派手に血のりがデザインされた「64」と大きく書かれたTシャツをきた元気な(といっても片脚はないが)斉さんと、病床で苦しそうだが「天安門事件の真相が明らかになるまで絶対死なない」と明るくピースサインをする現在の斉さんの写真も掲載されている。

香港の友人である區龍宇の著書『台頭する中国』(柘植書房、2014年)では、89年民主化運動で支援に駆けつけた労働者に対して学生はやや警戒心を持っていたと紹介されている。それは事実だろう。しかしその後の弾圧のなかで、死刑判決を含め最も厳しい弾圧を受けたのもまた労働者階級だった。

社会主義の名のもとに学生と労働者の民主化要求を弾圧した中国共産党政権は、外資と国際開発金融をてこにして、怒涛の民営化と出稼ぎ工からの超搾取を通じて中国を「世界の超搾取工場」にすることで社会主義的政策を最終的に葬った。当時の労働者の民主的要求は、市場経済化がすすむなかで官僚支配の社会に必然的に立ち現れる資本主義的衝撃――インフレや腐敗――に対する異議申し立てという性格を持っており、学生の政治的民主化要求と有機的に結びつき発展するという展望がありえたことは、記憶されてもいいだろう。

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89年民主化運動は、その年の4月に死去した「解明派」の指導者、胡耀邦・前総書記を追悼する学生の運動からはじまったが、5月4日の「五四運動」記念日には中国学生運動の国を挙げての記念日だったこともあり、北京大学、清華大学、北京師範大学、人民大学など40余りの首都在校大学生をはじめ、上海、南京、武漢、天津、大連、吉林、そして香港などからの学生代表らを含む数万の学生やそれを歓迎する10万規模の労働者らが民主化を求めるデモにくりだし、「新五四宣言」が読み上げられた。ちょうど同じ日、その3年前に加盟を認められたアジア開発銀行(ADB)の年次総会が3日間の日程で、はじめて北京で開催されており、楊尚昆・国家主席が開幕の講演を行っていた。前日には、天安門事件で引責辞任することになる趙紫陽総書記がADBの理事や藤岡真佐夫総裁らと会見している(関連記事)。

趙紫陽は会見で学生らの街頭デモに触れ、学生らの要求は党が進めてきた10年来の改革開放の方向と一致するが、学生らがもっとも問題としている官僚の腐敗についてこう述べた。

「実際には、私たち大多数の党と国家機構の職員の賃金は最低賃金水準ですし、賃金以外には副収入もありません。それに法律が保障するような特権もないのです。違法行為、規律違反、特権を行使する者は確かに存在しています。しかし人々が噂するような大規模なものではありませんし、それほど深刻なケースもありません。もちろん腐敗問題は絶対に解決すべき課題です。しかしこの問題は法制度の完備、民主的監督、透明性の拡大などの改革措置とあわせて進めるべきです。」

現在の習近平指導部による高級官僚の腐敗摘発をみれば、趙紫陽の時代の腐敗が牧歌的に見えるほどである。腐敗問題は、民主化運動弾圧で勢いづいた官僚独裁とグローバル資本主義との結合のなかで発展してきた。ADBや世界銀行など「国際開発金融」の役割の一つは、私的資本による資本輸出が困難な場合(規模やリスクの面で)に、多国間レベルでそのリスクを分散し実現することにある。貧困削減やインフラ整備などは一私的資本では対応できないが、それが実現しなければ投下できる過剰資本が国境を越えて安定して利潤を獲得することもできない。つまりグローバルに展開する資本の利潤獲得の政治的金融ツールという性格である。08年の世界金融危機以降も、国際金融システムや開発金融の性格は本質的には変わっていないが、その構造や構成、そしてそれに対する批判的スタンスはよりラディカルに深化させるべきだろう。

中国は86年のADB加入から丁度30年目の昨年までに、ADBから1090プロジェクト、総額340億ドル余りの融資、無償援助、技術援助などを受けてきた(中国とADBの30年)。国別融資ではインドと並んでADB全体の融資残高の約四分の一を占める。融資を受けるだけではない。出資口数は全体の6.451%、投票権数は5.459%と、日本、アメリカに次いで第3位。もちろん人材面においてもADBとの関係は深い。話題のアジアインフラ投資銀行(AIIB)の金立群総裁は03年から08年まで、当時の黒田東彦総裁(現日銀総裁)のもとで副総裁を務めている。またAIIBの高級管理者の多くもまたADBや世界銀行の出身者である。

ADBや世銀は、80年代から進められた「改革開放」政策において、民営化や市場価格導入などの経済システムの転換をすすめるテコとなり、また中国の財務官僚らのグローバル資本主義への接近に一役も二役も買った。当然、89年民主化運動への弾圧に対しても、とりわけADBは「政治的不介入」の姿勢を貫いてきたといえる。ADBの「開発」や「成長」にとって必要だったのは「デモクラシー先生」や「サイエンス先生」(五四運動のスローガン)ではなく、「マーケット氏」や「独裁将軍」のほうだったということだろう。

実際、昨年11月に上海で行われた中国のADB加入30年の記念講演で、中尾武彦ADB総裁はADBに加盟する途上国、新興国の経済発展には、(1)インフラ投資、(2)教育・保健投資、(3)健全なマクロ経済管理、 (4)開放的な投資と貿易体制、(5)良好なガバナンスと公共サービスの強力な提供、(6)社会のあらゆる領域で子どもたちが教育を受けることを奨励される社会的包含性、(7)将来の明確なビジョン、 そして(8)安全保障、政治的安定、他国との友好、の8つの要素が重要であり、中国はそのどれもが揃っている模範であるとほめたたえている。

天安門事件以降の中国の「政治的安定」とは何を指すのか、多くを語る必要はないだろう。
いうまでもなく八つの要素のなかに「民主化」や「人権」などない。

89年民主化運動への弾圧で、民主化の最大の勢力となる可能性のあった労働者運動は無残につぶされた。そして92年に「発展こそが断固たる道理」という鄧小平のスローガンが、天安門弾圧の強権支配下で叫ばれ、全面的な資本主義化が進められることになった。その最大の攻撃目標は90年代後半から進められた民営化=国有企業労働者に対する全面的な福祉制度の解体であった。民営化攻撃に抗する労働者たちに対しては天安門事件と同じ「反革命」だという恫喝もなされた。一方、86年から30年間のADB融資のプロジェクト援助累計345億ドルの資金は、主要には交通インフラ(51%)やエネルギー関連(15%)という資本主義発展の動脈、そして水道事業など公共サービスの民営化や都市化インフラ整備(14・7%)、そして農村開発(12.15%)に向けられた(ADB中国ファクトシート)。そして民営化攻撃とそれに抗う労働者たちの抵抗の狼煙がほぼ鎮火された2002年5月にADBは上海で総会を開催し、開幕式典では民主化運動の弾圧で功績をあげたことで鄧小平から指名されて総書記に就いた江沢民国家主席が祝辞を述べた。(関連記事

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話が大きくずれてしまった。

天安門事件以降20年にわたる資本主義的経済成長のなかで、多くの知識人の関心が民主化運動からビジネスへと移り変わってしまったと思っていた。だが斉さんのような労働者、そして入院先の医師のエピソードに、勇気づけられた気がする。中国の資本主義化は多くの犠牲をもたらし、また現在ももたらし続けている。だがそれが世界最多の「資本主義の墓掘り人」を生み出したこともまた客観的な事実である。

民主化運動の記憶の火をほそぼそと灯しながら奮闘する墓掘り人もいる。そしてその灯りをやさしく守ろうとする知識人らの心遣いに、たまには涙がぽろりと落ちることがあってもいい。

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