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「コップの中の争い」って… ~ 日経新聞の連載「習近平の支配 独善の罠」を読んで

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日経新聞の一面に連載されていた「習近平の支配 独善の罠」が今日(1月13日)の五回目の連載でおわった。おもに、国民のわずか6%の中国共産党員(それでも9000万人近い)が残りの94%を支配する構造にせまったもので、企業経営に口を出す企業内党組織、出世目的の入党の普遍化、賄賂の横行、共産主義青年団など、なかなか日本語ではお目にかかれないエピソードやデータをもとに記事が構成されていた。

もちろん、国有企業改革=党・政府からの自立をさらに進めるべき、反腐敗は習近平の党内闘争の道具といった、従来通りの日本資本家新聞のスタンスは維持しているので、「くだらない」とつぶやきながら読んだというつまらない愚痴はどうでもいい。

それぞれの記事の内容には踏み込まないが、図書館で閲覧できるので読んでもらえばいいと思うが、一つだけ。

連載の最終回は、習近平ら紅二代(建国元老の第二世代)の党内最大のライバル集団と言われている共青団の内情をレポートし、習近平は反腐敗・再教育と称して共青団を締め付けているという筋書きに沿った内容。そして次のようにこの連載が締めくくられている。

「結局は党大会での最高指導部人事をにらみ、敵対勢力の力をそぐ権力闘争――。習が熱を込める党改革も、14億人近い庶民の目には『コップの中の争い』としか映らない。」

しかし、これを読んで「コップの中の争いはおまえらだよ」と思わずつぶやいた。

第3回目「経済の論理軽視 国有企業 党の手足となれ」では、企業活動に対する党の介入をとりあげ、第一自動車(国有企業)が定款を「取締役会や経営会議が重大な決定や人事を決める際、社内の共産党委員会は、党としての意見や提案を経営側に提出権利を持つ」と変更したことを引き合いに出して「過去10年ほど、国有企業は党全体の意向よりも特定の党幹部の顔色をうかがい、『私物化』『腐敗』が目立った。約16万社、保有資産1800兆円を抱える国有企業の力は絶大だ。習は党の力で国有企業を束ね直し、中国が並び立つことを夢見る米国との総力戦に挑む青写真を描く」と述べ、最後は「習は大国となる夢を免罪符に、企業に対して党の言いなりになれという。経済の論理や企業の自主性を軽んじ、党支配を何よりも優先する独善は、中国経済の未来をむしばむ」と締めくくっている。

国有企業の成長やその多国籍化、そしてそれに伴う(あるいは先駆けての)党官僚の腐敗などすべてすべて、中国の資本主義化がもたらしたものである。日本資本家新聞が批判するふりをしてやまない企業活動への介入、ひいては一党独裁の強化にいたるまで、80年代からはじまり、90年代に拡大し、2000年代に膨張し、ついに資本輸出まで展開しはじめた中国の資本主義化がもたらしたことだ。

もちろんそのスタイルは、日本や西欧諸国とは異なる。だがそれぞれの発展段階とその複合的な対立と融合によって、各国の資本主義のスタイルは、中国だけでなく、いわゆる自由主義諸国においてもかなり違いがあることは常識。中国の場合は「クローニー資本主義」「官僚資本主義」などと言われることも多い。

つまり、何が「コップの中の争い」なのかといえば、日本資本家新聞も中国私産党もアメリカの資本家大統領も、それぞれスタイルは違うが、おなじ資本主義というコップ(それは全地球を覆うほど大きいが)の中の争いだ、ということ。

中国私産党の場合、生産者の自由な連合による階級なき社会をめざす共産主義よりも、新自由主義のほうに、その特徴の多くが当てはまる。新自由主義は強権的、独裁的政権のもとで誕生したのだから。たしかハーヴェイの『新自由主義』でもそんなことが書かれていた気がする。

そしてこの連載「習近平 独善の罠」で描かれている共産党の党運営や党内闘争の在り方が、よくよく考えると、大企業における取締役会などのそれと極めて似通っている、ということに気が付く。もちろん、国家権力と暴力装置を掌握しているという点では全く異なる前提だが、それにしても似通っていると思うのは僕だけではないだろう。

そういう意味で、「同じコップの中の争い」と思ったのだ。

日本資本家新聞の連載は、党内民主主義(あるいは企業内民主主義)程度の改革路線さえ言及できていない。これはあまりにお粗末だと言わざるを得ないが、党内にも企業内にも民主主義などいらない、というのが資本主義の本質の一つだからそれも当然か。

あるいは資本主義にとって利益のある場合にのみ、限定された民主主義を利用することもある、といったほうがより正確かもしれない。その点もまた「中国の特色ある社会主義」「中国の特色ある民主主義」を掲げる中国私産党の考えと欲に通っているように思う。

そういえば最近あまり「中国の特色ある社会主義」というスローガンをみなくなった気がする。これも何かを暗示しているのだろう。


今年は五年に一回の中国共産党大会が開かれ、そこで二期目に入る習近平指導体制が、次期後継者を選ぶという重要な大会になる。

部外者には予測もできないことが起きるかもしれない。しかし一つだけ確実に言えるのは、2008年リーマンショックと呼ばれる世界恐慌をG20体制で当面は乗り切ったグローバル資本主義システムの重要な一角に中国経済が位置付けられており、いまだ危機からの完全な回復にはいたっていないだけでなく、巨額の財政出動によって資本が過剰に積みあがっており、それが叛乱を起こすかもしれないということ、そして過剰資本が資本主義システムの歯車の根幹である利潤率を大きく引き下げており、その回復もいまだ地平線のかなたにあるということ、そして危機は確実に増大しているとともに、世界を覆う政治的反動が危機の爆発を速めるかもしれないということだろう。

一党独裁や官僚資本主義の本質は、官僚という階級が作り出した全く新しい生産様式ではなく、資本主義という生産様式の別のタイプにすぎない。危機を克服するために支配階級はあらゆることを被支配階級に強制する。

危機によって人々は立ち上がる、抑圧があれば抵抗がある、と簡単に言えるような状況ではない。どのように立ち上がり、どのように抵抗するのかを、あまり長くはない不安定な安定期に思考し、少しずつ実践をはじめるほかない。

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もうひとつ、新聞記事の紹介をしておこう。

毎週水曜日の「東京新聞」夕刊のお楽しみは「土偶界へようこそ」なのだが、一昨日の1月11日の夕刊は別の記事に目が留まった。

「14億人の日常 医師襲う患者家族」という見出しに、北京の中心的総合病院の外来待合室で目を光らせる黒ずくめの警備員らの写真。

記事では「中国の病院で暴力行為を含む医療トラブルは、年間数万件にのぼる」という中国の特殊事情を紹介し、その背景にあるのは、医師の報酬が「歩合制」でモラルが低下していること、そして「医療費は基本的に『前払い』制。救急車も前払い」であることなどを初会している。そして、最後に「中国では1951年公布の労働保険条例などに基づき、かつては政府や国営企業が医療費を全面負担していた。改革・開放政策の波は医療界にも押し寄せ、この30年間で医療の市場化、商品化が進んだ」という専門家のコメントを掲載している。医療をはじめ公共サービスの商品化が日本以上に急激に進んでいる中国の一端を知ることのできる優れた記事で、この記事を書いた平岩勇司記者はいつもいい視点で中国のことを報じてくれる。

中国における公共サービスの商品化の推進エンジンのひとつが世界銀行やアジア開発銀行。この点もまた新自由主義に親和的な私産党の特徴の一つだとおもう。
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