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ツンドラブック、ナオミ・クライン、気候変動

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『ツンドラブック』というロシア・シベリアの先住民のドキュメント映画の上映にかかわっています。12月18日(日)の午後2時から、日比谷図書館地下ホールで上映です。人類の足跡をたどった「グレートジャーニー」でこの地域を探検した関野吉晴さんの講演会「風と氷雪のツンドラに生きる ―人間が自然の一部である世界―」もあわせて行われます。入場料:当日券 1200円、前売り券 1000円のお得な企画です!

極東のツンドラこそ、もっとも政治と気候変動の影響を受ける地域の一つ。たまには全く違う世界を知るのもいいことだとおもいます。師走のお忙しい時期ですが、ロシア革命100年を前に、ロシアつながりということで、ぜひご協力ください。

映画『ツンドラブック』日本語公式サイト

案内のさわりだけ、コピーしますと。

「The Tundra Book」(2011年 ロシア 105分)
極東ロシア、北極圏。ベーリング海に面したチュコト半島は永久凍土と呼ばれるツンドラ地帯だ。そこでトナカイを追って暮らす遊牧民チュクチ。この映画は、72歳のVukvukaiを通して、チュクチの人々の生活を映し出しています。雄大なツンドラの景色と過酷な自然。観るものを圧倒するドキュメンタリー映画。

映画『ツンドラブック』へのメッセージ
池谷和信(国立民族学博物館教授)
氷点下30度を超えるツンドラの大地で、トナカイを飼う遊牧民チュクチがいる。日本人と容貌がよく似た人びとだ。住居も衣装もトナカイの皮でおおわれ、肉は食糧として欠かせない。トナカイがいなければ生きていけない人びとである。映画では、雪原の大地に風の音が響き、あたかもその場所にいるかのような錯覚におちいってしまう。子供たちが学校に行くためにトナカイ飼育を離れる場面での主人公ヴクヴカイの叫びが忘れられない。それは、チュクチの魂の声だ。人が自然の一部であることを改めて教えてくれる。

+ + + + + +

ということで、ぜひお見逃しなく!12月18日午後2時からの上映一回だけです!
前売りチケットあります。

で、気候変動つながり?ということで、一年ほど前の会員MLに投稿した気候変動関連の感想など三本のメールを転載しておきます。もうUPしてたかな?忘れたのでUPしときます。

=====(以下、MLより転載)======

[attac_ml:5747] 『世界』12月号のナオミ・クラインさんの論考を読んで
2015/12/17, Thu


こんにちは。

COP21の話の続きです。『世界』12月号は気候変動特集で、かなり前に読み終わっていたのですが、感想がてら紹介します。

◎『世界』2015年12月号
https://www.iwanami.co.jp/sekai/2015/12/directory.html

掲載論文すべて必読だとおもいますが、ナオミ・クラインさんの、鋭く、かつ希望ある提起はなかなか読み応えがあります。

ナオミ・クラインさんの文章は、「異常な高温」のせいでタイヤが舗装路にめり込んで動けなくなった飛行機に乗り合わせ、それをさらに巨大な牽引車でけん引するエピソードから始まります。

その「異常な高温」が化石燃料を燃やすことで引き起こされたにもかかわらず、乗客は相変わらず飛行機の出発延期にイライラして(飛行機は大量の温暖化ガスを排出排出するのに)、それを解決するために大量の化石燃料を浪費する巨大な牽引車の作業を見守っている、という批判です。

気候変動がもたらす暗い未来を食い止める方法は、「生活のしかたや経済の仕組みから、この地球で私たち人間が占める位置についての認識にいたるまで、すべてを変えることが必要になる」とと断言します。

そして、リーマンショック以降、各国政府がとった大規模な経済対策を引き合いに出して、「何兆ドルもの資金がまたたく間に集められるのを、私たちは目の当たりにした。銀行を破綻させれば経済全体が崩壊してしまうという話だった。……気候変動は、いくつかの銀行が破たんしたりビルが崩壊する(911テロ:引用者)よりはるかに大きな規模で人間の生活を破壊しかねない。にもかかわらず、この問題が政治家によって危機として扱われたことは一度もない」と批判します。

そしてこう述べます。

「私たちはこれを黙ってみている必要はない。危機を宣言する力をもつのは政治家だけではない。一般市民による大規模な運動も、危機を宣言できるのだ。」

そして、これまでの歴史において民衆が危機を宣言した事例をあげています。

「奴隷制は、イギリスやアメリカのエリート階層にとって、奴隷制廃止運動がそれを危機だとみなすまでは危機ではなかった。人種差別も、公民権運動がそれを危機に変えるまでは危機ではなかった。性差別も、フェミニズムがそれを危機に変えるまでは危機ではなかったし、アパルトヘイトも、反アパルトヘイト運動がそれを危機に変えるまでは危機ではなかった。」

そして「気候変動が、……真の地球規模の緊急事態としての対応を受ければ、人類にとって大きな活力となりうる。……化石燃料への依存からいち早く脱却して、迫りくる厳しい気候に備えるために必要なリソースを注ぎ込むことによって、膨大な数の人びとを貧困から抜け出させることができるかもしれない。彼らにきれいな水や電気など、いま著しく欠けているサービスを提供し、しかもそれを、従来より非中央集権的で民主的なモデルに基づいて行うことができる。」

ぜひとも読んでほしいレポートだと思いました。

ちょうど昨日かな、attacフランスのニュースレターで、12月12日の大規模なアクションの映像報告が来ました。仏語ですが映像をみればそのダイナミズムがわかります。ナオミ・クラインさんの言う「一般市民による大規模な運動も、危機を宣言できるのだ」さながらです。ブラボー!

https://france.attac.org/se-mobiliser/changeons-systeme-pas-climat/article/etat-d-urgence-climatique-nous-sommes-assignes-a-resistance

しかし、ナオミ・クライさんのレポートにはひとつだけ小さな疑問があります。

前述のように、民衆運動によって宣言された危機の事例として、次のように述べている点です。

「過去をふり返れば、大規模な危機のさなかに、社会的・経済的正義を求める大衆運動が大きな勝利を収めた豊かな歴史がある。なかでも目を引くのは、1929年の株価大暴落後に打ち出されたニューディール政策と、第二次世界大戦後に多くの国で誕生したさまざまな社会福祉政策である。……何より重要だったのは、危うくなった現状を守ろうとする勢力に立ち向かう、強力な大衆運動を構築することであり、それにはすべての人に経済のパイを従来よりずっと公平に分配することが必要だった。多くの国で実施されている公的医療保険、年金制度、政府補助による住宅、公的資金による芸術奨励などは、この例外的な歴史の一時期の遺産として今日に受け継がれている。」

これを読むと、以前、紹介したマイケル・ムーア監督の「キャピタリズム マネーは踊る」を観終わったような、やや残念な感じがしました。憲法9条を守る運動にもすこす通じるところがある気がします。

ナオミ・クラインは冒頭で、温暖化危機を引き起こした原因によって迷惑をこうむっている乗客が、同じ原因である飛行機の出発を疑問もなく待ち望んでいることを、自己批判を含めて批判していました。このレポートの結語も次のように結んでいます。

「事態はこれ以上明白になりようがないところまできている。それでも大多数の人々は、危機感を持って進路を変えるために全力を尽くすのではなく、わかってはいながら、今までと同じ道を進み続けている。それも3935便(タイヤが路面にめり込んだ飛行機:引用者)の乗客のように、さらに環境を汚染する強力なエンジンの助けを借りて。私たちは、いったいどうしてしまったのか?」

つまり危機の原因を用いて危機を解決(あるいは先延ばし)しようとしている、という批判です。

ナオミ・クラインさんの挙げている1929年の大恐慌や第二次世界大戦は、帝国主義諸国が世界を分捕ろうとして戦われた第一次世界大戦の延長でした。「帝国主義」とは、資本主義の最高段階としての金融寡頭政治体制です。

第一次大戦を終わらせた最大の力は、ロシア革命に立ち上がった民衆の力でした。ドイツの民衆はもう少しのところで敗北しました。ロシア革命は東方に飛び火し、第二次世界大戦における日本のアジア侵略を食い止めた中国抗日戦争に大きな力を果たしました。

ニューディールも戦後の福祉政策も、すべてこれらの力との拮抗がなければ、本当に実施されていたのかどうか、あるいは実施されていたとしても、その内容はどのようになっていたのか、と考えます。

そしてニューディールも戦後の福祉政策も、ナオミクラインが自己批判を込めて批判するように、危機を引き起こした原因である資本主義と「同じ道」ではないのか、と思うのです。資本主義という「同じ道」ではない、道があると思うのです。

京都議定書から現在までCOPで議論されてきた気候変動対策には大きな瑕疵があります。それは「市場メカニズム」という資本主義のルールを組み込んでいることです。それはつまるところ、エネルギーや、その対策としての排出枠や技術などが、すべて「商品=売り物」として扱われる方向で動いている、ということです。

今回も、日本をはじめ各国がこぞって「歴史的な会議」などと持ち上げていることも、市場メカニズムという資本主義の生き残りのためのビジネス・チャンス(=アベノミクスの期待する成長戦略のひとつ)につながるからではないかと思っています。

「世界は売り物ではない」というオルタ・グローバリゼーションの主張を、あらためて気候変動対策のなかで訴えていく必要がありそうです。

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[attac_ml:5770] Re:Re:『世界』12月号のナオミ・クラインさんの論考を読んで
2015/12/25, Fri


こんにちは。

> 偶然でしょうが、ナオミ・クラインさんの映画『これが全てを変える
> 資本主義対気候』上映会の案内を今日他のMLで戴きました。
>
> 申し込みをしましたが、申し込み枠は14人と、ちょっと少なくないですか?

という映画を8人で見ました。ちょっともったいないかな、と思いましたが、鑑賞後のワークショップ?もあり、ちょうどいい人数でした。

以下、感想というかネタバレ。字幕翻訳者の方が字幕を参加者にくれたので大変助かりました。感謝。

+ + + + +

ナオミ・クラインの「これがすべてを変える」(原題:This changes every thing)を観ました。国際理解教育センター(ERIC)の方が孤軍奮闘して日本語字幕を付けた上で、映画製作者の許可を得て上映されたものです。たいへん、たいへん、ほんとうにたいへん感謝です。

メインテーマは、「資本主義VS気候」。ナオミ・クラインの著書が原作のドキュメンタリー。いうまでもなく五重マルの出来。気候変動という危機を引き起こす巨大資本の横暴さに愕然とさせられつつも、ナオミ・クラインの作品はいつも闘いの中の希望を示してくれます。

世界各地の女性たちががんばっていることもよくわかりました。ともすれば男が前面に出ることの多い社会運動ですが、多くの女性たちがシスターフッドで運動をリードしていることもわかりました。

カナダでは巨大なタールサンド(油砂)開発で祖先伝来の土地を丸裸にされ汚染されそこに立ち入ることさえできない先住民、ビーバー湖クリー・ネイションたちの愛と尊厳にあふれるたたかいを描く(映画の終盤で民族衣装をまとって演説するクリスタル・レイマンがむちゃくちゃかっこいい!)

アメリカ・モンタナ州で持続可能な酪農業を営みながらタールサンドのパイプライン建設に反対する住民たち。豊かな自然をはぐくんできた河川がパイプラインから漏れだしたオイルとともに氾濫し、一面を真っ黒なタールが汚染する。モンタナ州の複数の先住民が集まって開発反対を訴える。先住民チェイニーの三つ編みバネッサは公聴会で語ります。

「これはアメリカ先住民だけの運動ではないのです。この運動は大地を大切に思う人々、私たちの国の行く末、世界の行く末を気にかけている人々の運動です。」

バネッサたちは、太陽光発電の設備も先住民の住民たちみんなの協力で設置。年長のリーダーは若者たちの働きを見て「太陽の精がそこ(みんなのそば)にいる。暖かさを与え、すべてを生き返らせる。私たちはその一部」と語ります。

カメラはギリシャ・ハルクディクの金精練所建設反対の住民運動に向けられます。あちこちに催涙ガスや火炎瓶が飛びます。さすがギリシャ!逮捕された仲間の裁判に駆け付けた住民たちは「OXI」のTシャツを着て「看守たち良く聞け!仲間に手を出すな!」とコール。厳しい闘いの中での連帯を強く感じる。さすがギリシャ!

精練所建設予定地の山中で、反対運動を担うハルクディキ市民委員会のマリー。

「問題の核心に気がつく必要がある。」

「核心とは?」と聞くナオミ・クラインにたいして、マリーはすこし躊躇しながらこう答えます。

「経済体制というか、資本主義、かな。」

この静かな答えが、この映画をぐっと魅力あるものにしています。

インド・ソムペタのたたかいもすごい。石炭火力発電所の建設に抗議して、道路をピケで封鎖する住民は言う。「もし石炭火力発電所に行くなら、わたしたちの死骸を越えていくんだな!」

ソムペタの民謡がうたわれる。

「ソムペタの戦士たちよ
 最初の勝利の味。
 戦士たち、兵士たち
 母なる地球が守る者たちよ。
 最終戦は今や迫りけり。」

ソムペタの住民たちは警察を実力で追い返します。多大な犠牲を払いながらも。

ヒューマンライツフォーラムのクリシュナはこう説明します。

「ソムペタの人々は気がついたんです。彼らの闘いがつながっていることを。湿地を守る彼らの戦いと、より大きな破壊とが、この国が加速度的に向かっている破壊とがつながっていることを。」

勝利を祝うソムペタ住民たちのデモでのコールが本当に心地いい。

中国では化学薬品製造工場の建設に反対する寧波の住民運動が映し出され、ドイツでは自然エネルギーへの転換が人々の闘いによって勝ち取られたことが紹介されます。ほんの一瞬、attacドイツの旗も登場。がんばってましたー!

ギリシャ・ハルクディキ市民委員会のマリーのいう「問題の核心」である資本主義という問題は、中国もドイツも残されたままですが(中国は従来通りの「商品」を生産する世界の工場として、そしてドイツはネクスト・キャピタリズムの先導者として)、ナオミ・クラインは、世界各地で気候や環境のために闘っている人々はつながっていることを強調したいのだ。それは僕たちにとって何よりも大切なことの一つだと思います。

気候や環境をめぐる各地のデモが映し出されるシーンの最後のナレーションで彼女はこう語っています。

「闘いが生まれている。点と点をつなぐ運動。……大きなクエスチョンが思い浮かぶ。気候変動はたんに危機というだけではないのではないか、それは素晴らしいチャンスなのではないか。そう、私たちがよりよい世界をつくるための素晴らしいチャンスなのではないか、というクエスチョンである。」

そのようなチャンスにみんなと一緒にチャレンジしたいな、と思えるたいへん素晴らしい映画でした。

+ + + + +

最後にもうひとつ、おまけ。

ナオミ・クラインは二度ほど、次のようなセリフを語っています。

「わたしたちは繰り返し自然を支配していると言い続けている。―――それは当たっていない。自然は逆襲できる。」

「わたしたちが自然を制御できるというふりをやめること。そして、私たちが自然の一部であるように行動しはじめること。」

これを聞いて、ちっぽけなエコ・マルクス主義者としては、フリードリヒ・エンゲルスの「猿が人間になるについての労働の役割」(1876年執筆)を思い出さずにはいられない。

この短い、そして未完の文章は、「労働は自然とともにあらゆる富の源泉」であり、「労働が人間そのものをつくりだし」、「人間は…自然を自分の目的に奉仕させ、自然を支配するのである」という主張で有名だが(また先住民に対する差別的形容は大問題なのだが)、じつは最後の部分で、ナオミ・クラインを彷彿とさせる分析を展開している。

「けれども、われわれ人間が自然にたいして得た勝利のことであまりうぬぼれないようにしよう。このような勝利の一つ一つにたいして、自然はわれわれに報復する。どの勝利も、はじめはわれわれの予定した成果をもたらしても、二次的、三次的には、まったく違った、予想しなかった作用をひきおこし、そのため最初の成果が帳消しになることも少なくない。」

エンゲルスは、「自然の報復」として、古代メソポタミアやギリシャなのでの森林伐採による貯水池の枯渇、アルプス山腹森林伐採による牧牛業の壊滅、ジャガイモの伝来による「るいれき」病の拡大をあげます。

そして、人間が自然の一部であることも語っています。

「……われわれが自然を支配するのは、征服者が他国民を支配するような仕方で、また自然の外に立っているものがやるような仕方で支配するのでは決してないこと、――むしろわれわれは、肉と血と脳髄をそなえたままで自然の一部であり、自然のまんなかにいるのだということ、自然にたいするわれわれの支配は、われわれが、他のどんな生物にもできないことだが、自然の法則を認識し、それを正しく応用できる点につきること、これである。」

「自然の支配」については、マルクス主義の環境無視の生産力史観の問題として批判されてきたが、エンゲルスのいう「自然の支配」とは、まさに気候のためにたちあがっている多くの人々と同じように、「自然の法則を認識し、それを正しく応用」することを指しています。

エンゲルスはさらに続けます。

「今世紀(19世紀)にはいって自然科学が長足の進歩をとげてからは、われわれは、少なくともわれわれのもっとも日常的な生産行動については、それから起こる遠い自然的結果までも知り、したがってそれを支配できるようにますますなっている。しかしそうなればなるほど、ますます人間は自分が自然と一体であることを重ねて感じるばかりでなく、またさとるようになるであろう。」

少し前の箇所でメソポタミアやアルプスなどでの「自然の報復」=生産活動による「自然的結果」を示しましたが、さらに生産活動による「社会的結果」についてもそれなりの年月をかけて知るようになったと述べます。

欧州に「るいれき」病をもたらしたジャガイモの拡大は、アイルランドの100万の民衆を襲い、200万の民衆を新大陸に送り出すことになった。アラビアでアルコール醸造が発明されたが、それは新大陸の先住民たちを滅ぼす魔の薬となった。コロンブスの新大陸「発見」は欧州に奴隷制を復活させた、蒸気機関車に象徴される産業革命は富の一局集中と貧困の拡大を招いた…。

しかしこれらは当初から予想されたことではなく、「ブルジョアジーとプロレタリアートのあいだに階級闘争--ブルジョアジーの打倒と一切の階級対立の廃止とに終わるほかない階級闘争--を生みだすはずの道具を作り上げたのだということは、知らなかった。」

こうして長い年月をかけて発展した科学知識によって、自らの生産行動による将来の自然的結果だけでなく、さらに「社会的結果」をも理解できるようになっているとエンゲルスは書いています。この箇所も、現代の気候変動をめぐるたたかいを彷彿とさせます。

「われわれは、ながい、ときにはきびしい経験をつうじて、また歴史的材料の収集と研究をつうじて、しだいにわれわれの生産活動の間接的な、遠い社会的結果をもはっきり理解できるようになっており、その結果われわれがこの結果をも支配し規制する可能性が生まれている。しかし、この規制を実現するためには、たんなる認識以上のものが必要である。それには、われわれの従来の生産様式を、それとともにまたわれわれの今日の社会制度全体を、完全に変革することが必要である。」

クライメート・ジャスティス運動は世界中で次のスローガンを叫んできました。

「System change not climate change!」

気候ではなくシステムを変えよう。
従来の生産様式を、今日の社会制度全体を、完全に変革しよう。
すべてを変えよう。

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[attac_ml:5752] COP21:資本家の目標
Date: 2015/12/17, Thu 23:50


こんにちは。

COP21をめぐる資本家の狙いですが、今日の日経新聞朝刊にちゃんとでてました。忙しくてさっき読んだところです。資本家新聞に感謝。

リコーの顧問と英研究所のアナリストの発言、担当記者(編集委員)のコメントを、ざっと抜き書きします。要は、気候変動対策のために投資してもリターンがないとやる気が起きない。気候でもっとカネ儲けさせてくれ、コストは消費者が負担しろ(電気とおなじ総括原価方式の仕組みですかね)ということのようです。リコーの顧問(19社が参加する日本気候リーダーズ・パートナーシップ代表)がどれだけ日本の産業界を代表するのかはちょっと分かりませんが。温暖化ガスを市場化するという最悪の提案です。気候は売り物ではない!

+ + + + +

「日経新聞」2015年12月17日朝刊7面
COP21 転換点のパリ協定

●桜井正光氏(リコー顧問)
リコー社長、会長を経て13年から現職。19社が参加する日本気候リーダーズ・パートナーシップ代表。

COP21の会場に来て、イベントやプレゼンテーションに参加している企業が非常に多いのに驚いた。

(略)

新たな国際的枠組みに沿って温暖化ガスを削減するには、産業界が製品やサービスを低炭素型にし、本当のけん引役となって活動しなければならない。

日本政府と企業の対話は現段階では不十分だ。(条約事務局に出した削減目標である)約束草案を作る際は政府と企業が一緒に組み立て、欧米のやり方にかなり追いついた。

(略)

温暖化ガスをもっと大きく減らすには技術革新が必要だが、投資しても短期的にはリターンが期待できない。このタイムラグを短くするために、新しい経済システムを導入しなければならない。

投資を回収するには社会のニーズがなければならない。一企業でできることではなく、政府のリーダーシップが必要だ。規制や補助金という方法もあるが、理想的なのは環境税や排出量取引のように炭素に価格を付けて市場が(製品やサービスの)良しあしを決めるシステムだ。約束草案の目標を守り、しかも5年ごとにより厳しい目標を設定していくうえで排出量取引は重要なツールになりうる。

観念的に低炭素商品だというだけでは、消費者は買ってくれない。(製造過程での)二酸化炭素の発生量に応じてコストを支払い、新しい経済価値基準で商品を選んでもらう。そうすることで市場が大きくなって技術革新に対するリターンが得られ、経済合理性が生まれる。

(以上)

+ + + + + +

●サミュエラ・バッシ氏
英グランサム研究所政策アナリスト(同研究所の所長は気候変動問題の第一人者、ニコラス・スターン氏)

(略)

……二つの課題がある。目標達成のための削減行動がコストに見合うのかという実行の可能性と、各国が実際に行動に移すのかという信頼性の問題だ。

(略)

パリ協定では、京都議定書で定められていた排出量取引やクリーン開発メカニズム(CDM)のような市場メカニズムを使った排出削減制度がまだ定められていない。適切な金融メカニズムを用いれば、排出削減の信頼性を一層高めることができる。実際、我々の分析でも炭素税や排出取引を、信頼性を計る指標として考慮している。

(以上)

+ + + + + +

削減目標を商機に
国を挙げて勝負を

安藤淳(編集委員)

COP21は最初から独特の高揚感に包まれていた。初日に首脳級会合で勢いつけるという議長国フランスの思惑だけではない。温暖化対策を単なるコストと考えず、新たな事業機会をつかもうとする企業の動きが目立った。マイクロソフト、グーグル、テスラ・モーターなどのトップや幹部級がパリで新たな投資と事業の方針を披露した。

中国、インドは大規模な太陽光発電計画などを打ち出し、産官学によるセミナーは盛況だった。温暖化ガスの削減目標が厳しくなることに米国では反発も根強いが、長期目標がはっきりすればベンチャー投資や技術革新に追い風となる。日本も勝負にでなければならない。
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地球温暖化と埋め立て工事について

温暖化を考える時、埋め立てのことを考えてしまいます。太田道灌が江戸城を築いた時には城の石垣に東京湾の波が打ち寄せていたと、司馬遼太郎の「坂の上の雲」で読んだ記憶があります。その後、徳川幕府が埋め立て工事に取り組んで、今の東京都があるのです。その他全国に干潟により造成された農地や宅地はどれだけあるのでしょうか。都知事選ではそこを最大の争点にすべきです。海面が上昇したら東京はどうなるのか、そこを問題にした時資本主義経済システムとの正面衝突となると思います。まさに革命です。

2016/12/02 (Fri) 04:06 | 田島義夫 #lndO56c. | URL | Edit

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