
トランプが当選したら「保護貿易反対」「反グローバルは間違いだ」という大合唱を、日経新聞をはじめ各種メディアが叫び始めました。
今朝の日経新聞は一面で「反グローバル 解なき拡散」という大きな見出しを付けた記事を一面に掲載。
◎トランプショック(2)反グローバル 解なき拡散
編集委員 菅野幹雄 2016/11/11付日本経済新聞 朝刊
(冒頭の一部しか読めません)
ちょっとまえには、買収したフィナンシャルタイムスの「反グローバル化は間違いだ」という長文の論評を全訳して掲載しています。そこでは「保護主義は消費者に痛みを強い、労働者にはほとんど利点がない。最貧困層は富裕層よりはるかに大きな恩恵を貿易から受けている」と。
◎反グローバル化は間違いだ (ウェブ日経新聞2016/10/4 3:30)
昨日の社説では、「民衆の悲憤を聞け」と良いことを言っていた東京新聞も、今日の社説では「孤立主義に未来はない」などと日経新聞に負けず劣らずの自由貿易論的社説。
◎民衆の悲憤を聞け(東京新聞2016年11月10日社説)
◎孤立主義に未来はない(東京新聞2016年11月11日社説)
Attacをはじめとするオルタ・グローバリゼーション運動はは、なぜかいまだに間違って(あるいは意図的に)「反グローバル化団体」と呼ばれています。この「反」には抵抗という重要な意味があるのですが、オルタグローバリゼーション運動は、その名の通りもう一つのグローバリゼーション(平和、人権、環境保護など)を主張しているのであって、資本主義グローバリゼーションがもたらす格差、環境破壊、人権侵害、文化破壊、そして労働者農民への攻撃に反対しています。
この「反グローバル」は、たとえばギリシャのシリザなどにも張られたレッテルでした。シリザ自体はラディカル社民でEU離脱も主張せず、まったく反グローバルではないとおもうので、それほど恐れる必要はないと思うのですが、主流メディアは、必死に圧力をかけて、現在の資本主義の規範からはずれる「債務帳消」などとんでもない、と必死でした。(もっといえば「債務帳消」などは、ブルジョア経済の規範からいっても常識ですし、かれらはいつも自分たちの債務は帳消しにして、ツケを人民に押し付けてきたではないですか!)
ということで、トランプに戻りますが、昨日の衆院本会議でのTPP採決でも感じましたが、反対する一部の政党の論理も「新大統領のトランプさんに失礼」とかいう噴飯物の主張でしたし、そもそも自由貿易には反対していない。他の反対政党もそれよりマシですが、それでも「アメリカが日本を支配する」という一国的主張に親和的です。
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この「自由貿易」と「保護貿易」の対立はマルクスの時代からの対立でした。イギリスを支配していた封建地主に対して、新興支配階級の資本家が、地主を保護する穀物法(海外からの安い穀物輸入を規制する)の撤廃を訴え、安いものが入ってくるので自由貿易のほうが労働者にメリットがあると訴えていた時代です。
それに対してマルクスは「自由貿易についての演説」(1848年)で、資本家の意図は労働者に救済にあるのではなく、さらなる搾取にあることをいろいろな事例をあげて告発しています。
結論部分はこうです。
「もしあらゆる商品の価格が下がるとすれば--これこそ、自由貿易の必然的結果なのだが--・・・・・・同じく一つの商品である労働〔力〕も、等しく価格が下落するであろう」「自由貿易は生産力を増大させる。・・・・・・生産資本の増大につれて、労働者間の競争はさらにはるかに激しい割合で増加する。」「諸君、諸君は自由という抽象的なことばにだまされてはならない。だれの自由なのか?それはたんなる個人対個人の自由ではないのだ。資本のもつ、労働者を押しつぶす自由なのだ。」「諸君、われわれが通商の自由を批判するのは保護貿易制度を擁護するつもりなのだ、などと考えてはならない。・・・・・・一言でいえば、通商自由の制度は社会革命を促進する。この革命的意義においてのみ、諸君、私は自由貿易に賛成するのである。」(マルクス、1848年)
この演説については、若きマルクスが「自由貿易に賛成した」という本論とは違う結論だけが独り歩きしている感じがありますが、この演説は冒頭からのほとんどすべてが、自由貿易主義に対する手厳しい批判に、しかも労働者階級の立場からの断固たる批判にあてられています。これを読めばマルクスが自由貿易主義者ではないだけでなく、最も手厳しい自由貿易主義に対する批判者であることがわかるでしょう。
少し前にはエンゲルスもこう述べていました。
「プロレタリアとよばれる、まさにおびただしい数の人間がいる。・・・・・・この階級は、保護〔貿易〕制度の採用によって何を得るか? これによって労賃がふえるか、衣食の状態がよくなるか、住居がもっと衛生的になるか、休養と教養のための時間がいくらかでもふえるか、子供たちをもっと合理的に注意深く教育する資力がいくらかでも残るか?」「かりにいま保護関税制度なり、自由貿易制度なり、または両者の混合制度なりがおこなわれたとしても、労働者は最低生活の維持に必要な額以上の労賃を受けるものではない」(エンゲルス、1847年)
封建地主の支配を打倒し、民主的課題を解決するためにブルジョア(市民)と一時的同盟を結ぶことは、当時の労働者階級にとって当然の戦術だったと思います。しかし闘争はそこにとどまらずブルジョアとのたたかいに永続されるという、永続革命の論理を、マルクスもエンゲルスも当然のように持っていました。
つまりマルクスやエンゲルスは自由貿易に賛成したのではなく、社会革命に賛成したのです。そしていま自由貿易が世界を覆っている状況における「社会革命の促進」はどうあるべきか、ということを考える必要があると思います。
資本主義グローバリゼーションがいっそう貫徹された貿易協定によって、これまでも格差拡大、環境破壊、人権侵害、文化破壊、尊厳の破壊という被害を被ってきた労働者、農民、先住民、女性たちの抵抗の叫びを、保護貿易でも自由貿易でもない(どちらも資本主義だ)、もうひとつの世界のもうひとつの経済を促進する社会革命の力としなければならないと思います。
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20世紀から21世紀にかけての自由貿易論者があげる保護貿易の弊害のひとつに、経済のブロック化がナチスなど極端な勢力を台頭させることになった、という論があります。先に紹介した日経新聞も東京新聞もそうです。
しかし、レーニンの「帝国主義」を読むまでもなく(読んだ方がいいですが)、経済のブロック化をもたらしたのは、資本主義の行きづまりであり、それに対応した帝国主義各国による利益囲い込みなわけです。景気がいい時は、保護貿易で囲い込まなくても、自由貿易・自由競争も可能ですが、不景気の時には他人を蹴落としてまず自分を助けるという資本の論理です。
1920年代後半から30年代にかけての世界恐慌で経済はブロック化し、ナチの台頭を招いた、という自由貿易論者のお決まりの物語に対して当時のマルクス主義者の一人、トロツキーは、「民族主義と経済生活」という1934年の論文のなかで、自由貿易と保護主義、そしてナチズムについて面白いことを書いています。
この短い論文のなかで、ファシズム、民族主義、自由貿易、独占、関税障壁、金本位制、景気循環、アメリカフォーディズムなどを、労働生産性というマルクス主義史観の原則的観点から論評しています。
トロツキーは、「自由主義体制」というニワトリが、トラストやシンジゲートなど「独占」というワニのたまごを温めて孵させてしまい、必死になってそのワニを卵の殻(国境)のなかに推し戻そうとしているのが「アウタルキー」(自給自足経済)や「民族主義」である、と論じています。
また国境を越えた自由貿易体制ではなく国境内(あるいはブロック経済内で?)での民族経済に戻ることでさまざまな社会的摩擦を回避することができる、とする主張に対しても、それはお腹をすかせたトラが一時的に巣穴に戻って再び獲物に飛びかかるまでの準備に過ぎない、と分かりやすく述べています。
つまり、自由貿易も独占も資本主義の経済法則の一つの表れに過ぎず、仮に自給自足や民族経済に退行したとしても、経済回復のあかつきにはふたたび世界にむけて拡大し搾取をつづけていく、ということです。世界恐慌~第二次世界大戦の教訓から、ケインズ主義を採用した資本主義が、ふたたび卵の殻をやぶって牙をむき出しにして巣穴から飛び出して暴れまわっている現代世界を考えると、なるほどーと何度もうなずきながら読みました。
新自由主義グローバリゼーションの表れのひとつであるWTO体制、TPP問題、金融危機、タックスヘイブンなどを批判しながらも、「内需」に取り組むことこそがオルタナティブであるかのように主張する一部の左翼への批判的視点も提供するとおもいます。
トロツキーはこの論文の最後をこんなふうに結んでいます。
「世界発展の歴史的枠組みの中でのみファシズムは正しく位置づけることができる。・・・もし万が一にも、働き、思考する人類が遅れることなく自身の生産力の手綱を把握し、その生産力をヨーロッパ、そして世界的規模で正しく組織することができないとすれば、今度こそそこに生じるのは一時的な経済的衰退ではなく、完全な経済的荒廃と人類の全文化の破壊である。」
ナチズムは、同じ資本主義陣営の別の分派(米英)によって粉砕されますが、ナチス打倒に最大の力を発揮したのは、別の分派ではなく、別の陣営であるソ連邦でした。また中国戦線では日本帝国主義の軍隊を大陸深くに引き付けた中国共産農民軍を含む中国人民の抗日闘争、東南アジア各国でも抗日ゲリラが奮闘しました。けっして米英の自由主義体制だけがナチスや日本軍国主義を打倒したのではなかったと思います(その当時ソ連を支配していた官僚体制のトップであるスターリンは、数年後にソ連邦の労働者民主主義の復活を訴えるトロツキーを暗殺するのですが)。
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戦後から現在まで、特に2008年のリーマンショックで世界を覆った世界不況に対して、G8サミットやG20サミットでは、保護貿易に戻ることを強くけん制し、必死になって自由貿易体制の維持を呼びかけ続けました。
これは自由貿易論者がいうように、人類(というか資本家)が先の大戦から学んだ貴重な教訓なのでしょうか?
そうではないとおもいます。
ひとつには、戦後の自由貿易体制とは、戦前以上に世界中に拡大した資本主義の発展度合いに見合った経済システムであったということです。
そしてもうひとつ、なによりも戦後(20世紀前半からですが)の自由貿易体制とは、ソビエトや中国など資本主義ではない政治経済体制に対抗しその打倒を目指した資本主義陣営という一つのブロック経済だったということです。
2008年のリーマンショックの時には、すでに資本主義でなない政治経済体制は存在していませんでした。むしろ中国などはリーマン後の大規模な財政出動で世界資本主義の救世主になったくらいです。
つまりは、自由貿易体制とは、資本主義陣営の帝国主義のあいだの競争の手段の一つ(しかもかなり強力な手段)に過ぎないのであって、未来永劫つづくものでもない、ということです。
異端の正統派マルクス経済学者(?)、エルネスト・マンデルが70年後半に出版した『現代の世界恐慌』(日本語訳、柘植書房、1980年)の「第16章 帝国主義諸国間の競争、保護主義の再来、そして多国籍企業の戦略」で、保護貿易について触れています。
「帝国主義ごとに異なる経済回復の不均等性は、帝国主義間の競争戦を激化させずにはおかない。もっともこの不均等性自体、部分的にはそれに先立つ競争の激化に由来するものであり、また国際資本主義市場における大国間の力関係の変化をもたらしたものである。」
「この帝国主義国間の新たな競争局面におけるもっとも注目すべき現象は、保護主義的行動への訴えが増大する点にある。これらの行動は、戦後の長い経済拡張の時期には、mちろん完全に消え去りはしなかったにせよ、たしかに後景に退いていたものであった。自由貿易がとりわけ幸福な拡張局面に台頭し、保護主義の誘惑がとりわけ長期不況の状態のもとで姿をあらわすのは、資本主義の歴史上周知の事実である。」
「1976年~77年に主要帝国主義国において採用された保護措置の事例は数えきれない。1977年のガット総会では、この点で800件に及ぶ提訴を数えた。」(以下、具体的な保護政策を羅列)
「たとえこれらの保護措置のおよぶ範囲が今のところなお限られたものであるにせよ、保護主義にむかう全般的傾向は国際ブルジョアジーによって不安の種である。彼らは当然ながら、ますます保護主義への復帰が強まれば世界貿易は継続的に縮小し、経済環境全体に悲惨な結果がもたらされる ――1930年代と同様に――― 点を恐れている。「空にはほぼ主義の強き香あり」と『エコノミスト』は1977年4月23日号に書いている。…『ル・モンド』紙上でピエール・ドゥルーアンは「工業国が「保護主義の誘惑」に支配されている、と強調した。」
「結果はただちにあらわれた。1977年第3四半期に、景気後退の終了後はじめて世界貿易量(あるいは少なくとも非資本主義国間の貿易を除く、資本主義の国際貿易量)は、ふたたび縮小しはじめた。」
「世界の工業品市場に占めるアメリカの取り分が西ドイツと日本によってますます手ひどい攻撃にさらされ、他方ではイギリスがフランスやその他の小帝国主義を犠牲にして、相対的に返り咲いた」
「どうやら多国籍大企業は、一方の国際競争の激化と、他方の保護主義の台頭とにがんじがらめになって、景気後退と足踏みする回復とに対して、二つの異なったやり方で対応した。a、多国籍企業は、その生産の中心を低賃銀国に移す動きをさらに強める。……b、ヨーロッパ規模で、また日本の国内において、強力や協調や合併の協定がますます重要になっている。」
「1997年半ばに、日本において新たに強力な金融グループが結成されたことを伝えておこう。このグループ日本で最大の第一勧業銀行を中心に約40社にのぼる商、工業会社を結集したものである。参加企業のなかには、巨大な造船会社である石川島播磨重工、川崎製鉄、川崎重工、朝日生命、西武百貨店が含まれている。このグループは、三菱、三井、丸紅、三和、住友や富士銀行をしのいで、日本最強の金融グループになるかもしれない。この企業グループ結成の目的は、垂直的合理化(鉄鋼、造船、機械、商業)をはかり、原子力発電所の建設や海底開発などきわめて大規模なプロジェクトを遂行するために必要な資本の集積を進める点にあった」
引用が長くなりましたが、このような視点で、現在の自由貿易、保護貿易、そして多国籍資本の動向を分析したの論考などが必要だなぁと感じています。
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すこし違った視点ですが、自由貿易と保護貿易の問題の一つとして1995年WTO発足から10年かけて徐々に縮小されてきた多国間繊維協定が2005年に完全に廃止されたときに、中国の繊維産業について分析をした香港の友人の論考の翻訳をお手伝いしたことがあり、その論考の結論として、自由貿易体制をめぐる社会運動の側のスタンスを羅列していますので、すこし長いですが紹介して終わりにします。
(以下引用)
1.それぞれの国の労働運動は、他の国に負けないように国家の側に立ち「競争力を引き上げる」ことに協力するのではなく、まずなによりも自らの国家の資本主義搾取制度に反対しなければならない。
2.保護貿易主義に対しては、先進国と後進国のケースについて分けなければならない。われわれは先進国が後進国に対して保護貿易政策を実施することには反対する。なぜなら先進国は歴史の上でそもそも植民地主義者であったのであり、その立場を利用して覇権を実現させたからである。それゆえ先進国の労働運動は、とりわけ自らの国の保護貿易主義に反対しなければならない。
3.後進国は先進国に対して保護貿易政策を実施する権利を有する。しかし、たとえそうであっても、われわれは貿易を保護するのではなく、まず労働者の権利の保護主義者であり、労働者の権利が貿易を上回らなければならないことを忘れてはならない。
4.各国の労働運動は、たとえ自国政府が個別の政策において客観的に労働者の利益と矛盾しない場合にも、自国政府にその希望を託すのではなく、国際主義の旗印を高く掲げ、各国のブルジョア政府が進めようとする地球規模の底辺への競争に共同で対抗しなければならない。
5.繊維製品問題においては、労働運動はアメリカと中国の立場の本質――両国それぞれのブルジョアジーの利益を擁護するもので、労働者の利益とはなんの共通点もない――を暴露しなければならない。過去の保護貿易主義(輸入数量割当)であろうと現在の自由貿易であろうと、アメリカによる中国の貿易に対する制限であろうと中国の労働者抑圧政策であろうと、労働運動はそれらに同意あるいは黙認してはならない。自立した闘いの推進に専念し、各国労働者の労働条件の向上をかちとらなければならない。
それは底辺への競争ではなく、上に向けた競争である。中国(あるいは他の国)における労働者抑圧政策に対して制裁措置を行う場合は、政財界に希望を託すのではなく、労働運動自らがすすめなければならないだろう。かつての南アフリカのアパルトヘイト政権に対して各国の進歩的団体が提起した制裁のように。
6.現在の労働運動が厳しい状況にあることから、闘争のスタートラインは低いところからの出発になることは避けがたいだろう。政財界と直接力比べを行う力がいまだないいま、まずは広範なキャンペーンを行うことも考えられる。たとえば、欧米の企業が労働者の権利侵害著しい国家からの輸入を制限する法律の制定を労働組合が中心になって呼びかけるということを運動のスタートラインとする。
しかし運動の当初からはっきりと明記すべきは、このような運動はおもに宣伝にとどまり、世界的な底辺への競争の危機が立法によって全面的に解決すると勘違いしてはいけないだろう。われわれが直面しているのは、世界資本主義の危機なのである。危機の大海原はかくも深いのであり、それは法律というスプーンによってすくいとることはできないだろう。
(以上引用)
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