
タックスヘイブンに消えた年金ということで2012年に発覚したAIJ事件ですが、パナマ文書にAIJ投資顧問の浅川氏の名前が出てきたというNHKの独自調査報道で、再注目されています。
◎パナマ文書分析 日本人の不正 初めて発覚(NHK、2016年7月28日)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160728/k10010612361000.html
◎浅川元社長 告白の一問一答「株価操作 言うとまずいけど」(2016年7月28日)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160728/k10010612431000.html?utm_int=detail_contents_news-related-manual_001
5年以上がたって、しかも海外からの情報でやっと事実のほんの一端が解明される(かも)ということで、NHKには頑張ってほしいですね。タックスヘイブンは違法ではない、と公言してきた政治家や資本家らの主張に対する小さな一擲になるでしょう。
ぼくがこの報道のなかで注目しているのは、為替や株価を揺さぶってきたとされる「外国人投資家」なるものが、じつは日本人だったということです。「主要な敵は国内にいる」ということです。本当の敵に対して「国益を守れ」などというような懇願的要求をしているような一国反グロ主義はもういいかげんやめてほしいです。
さらに付け加えるとすれば、AIJのなどの投資顧問やヘッジファンドによるタックスヘイブンの利用は、メガバンクや保険会社など、金融資本の要請があったからだということです。トカゲのしっぽ切りでは問題は解決しないでしょう。NHKのインタビューを読んでもらえれば分かりますが、浅川社長はけっして怪しげでいい加減な人物ではなく、金融資本の忠実な僕(しもべ)だったことがよくわかります。「顧客に迷惑がかかる」と一貫して主(あるじ)の名前を語るのを拒否しています。
前置きが長くなりましたが、以下、講演録です。
ヘッジファンドとトービン税
稲垣 豊
ATTAC Japan(首都圏)
(以下の文章は、2012年4月14日に東京で開催されたアジア・アフリカ人民連帯日本委員会(AA)春季研究会における講演を要約したものです)
◎ はじめに
ATTAC(Asociation For the Taxation of financial Transation for the Aid of Citizens=市民を支援するために金融取引への課税を求めるアソシエーション)は、1998年6月にフランスで結成され、その後ヨーロッパを中心にできた市民団体です。
アソシエーションという言葉は日本語ではNPO法人に相当しますが、フランスでは歴史ある市民団体や慈善団体等を示します。
ATTACは、結成当時から新自由主義により生活を破壊された人々のために、投機マネーを規制し、金持ちから税金を取り、それを人々の生活の再建と向上のために使う事を主張しています。
ATTAC結成直前の97年にはアジア通貨危機が発生、98年には「夢のヘッジファンド」と呼ばれたアメリカのLTCMがロシアのデフォルト(債務不履行)で破綻し、危機がアメリカから世界中に蔓延することが危惧されるなど、ヘッジファンドの存在が世界的に大きく取り上げられた時期でした。
しかし、今の金融危機を引き起こしたのはヘッジファンドだけではなく、トービン税だけでは危機を解決できないと悩んでいたところ、2月ごろからヘッジファンドの一つと言えるAIJ問題が取り上げられるようになりました。
昨日の国会承認喚問で、AIJ投資顧問会社の浅川和彦社長は最初から虚偽報告をして投資家からお金を集めていたことを認めましたが、「だましたつもりはない」と言い、偽造を指摘されると、「私は偽造という言葉は好きではありません」と言って、最後の最後まで自分には責任がないとする姿勢を貫き通しました。
AIJは、2002年にタックスヘイブン(租税回避地)の英領ケイマン諸島に設立したファンドを通じて金融派生商品への投資を始めましたが、04年3月以降は毎年損失を出し続け、11年3月期までの9年間に厚生年金基金などの顧客から預かった年金資産1458億円のうち1092億円を消失させています。
人々が老後のために賃金の一部を割いて拠出したお金が怪しげな投資顧問会社に使われ、そのつけは人々に廻される一方、浅川社長は年間7000万円もの投資顧問料を受け取っていました。
◎ ヘッジファンドとは
ヘッジファンドとは、出資者から一定規模以上のお金を集めて株式や外国為替など金融商品、デリバティブ(金融派生商品)や不動産など様々な分野に投資して収益を上げる投資グループの総称ですが、明確な定義はありません。
1949年にアメリカで誕生した当初の定義は、売りと買いを組み合わせて投資リスクをヘッジ(防止)する投資方法です。そして、レバレッジ(借り入れ等)の活用により高いリターンを追及し、一部の投資家から多額のお金を集めて投資を行い、高い成功報酬(20%)を得る人々を総称してヘッジファンド・トレーダーと呼んでいました。
その後、1971年のニクソンショック、73年のドルの変動相場制への移行、1980年代の米株式市場等を経て、世界中にマネーが回っていく90年代になるとヘッジファンドが世界中に拡大し、金融工学の発達により、投資手法も売りと買いを組み合わせてリスクをヘッジする従来のやり方から、儲かると判断した分野に買いを集中する手法に変化していくようになります。
しかし、5年、10年を通して収益を上げているヘッジファンドはあまりなく、潰れては解散して新たに設立していくというのがほとんどで、1992年のポンド危機では1200億円儲けたジョージ・ソロスでさえアジア通貨危機では巨額の損失を出しています。
2005年、日本銀行は私募形式による投資ポジションの形成やデリバティブの利用を弾力的に行う投資戦略の自由度、投資信託による絶対収益の追及、報酬体系と業績の連動、金融庁はレバレッジ(借り入れ)の活用、成功報酬の徴収、投資戦略の自由度等の面でヘッジファンドを定義しました。
さらに、ヘッジファンドは投資分野により①理論価格に比較して割安株を買い、割高株を売る組み合わせのロング・ショート、②マクロ経済の変動に合わせて債券、株式、通貨に投資するグローバルマクロ、③株式の先物と現物、転換社債と現物株式の価格差を追及するアービトラージ、④経営の悪化した企業に投資し、再生後の株式値上がりを狙うティストレス、⑤特別事象(買収、合併、企業実績の大幅変動)での価格変動を追及するインベント・ドリブン、⑥穀物・原油等の商品や株式、債券の価格変動を狙うコモディティー、⑦上記複数の投資分野に投資するマルチ、⑧投資家から集めた資金を自ら再投資の母体となり、複数のヘッジファンドに投資する分散投資のファンド・オブ・ヘッジファンドの8つに区分されます。
◎ 金融市場の混乱に乗じて
大銀行や投資銀行からお金や債券を借りて「売り」から入るのがヘッジファンドの取引手法で、「オプション取引」(**円で売る/買う権利)、「空売り」(値下がりで儲かる)等を使ったデリバティブを駆使した取引を拡大し、市場の混乱を儲けのチャンスとして狙います。
1998年にNHKが放送したドキュメンタリー「マネー革命」で、アンベンティン・インベスト・マネジメント副社長兼トレーダーのエリック・スターは「市場に大混乱が起こったとしても、それこそ願ってもないチャンスなんです。」、「突然、何かの災難が起きて、市場がひっくり返ったとしましょう。その波乱こそ、利ざやを生むんです。僕たちが一番恐れていることは、市場の動きが止まって、利ざやを取ることができなくなってしまう事なんです。」とコメントしています。
AIJの場合は2009年からは投資を行わず、集めたお金をやめていった分の補てんに使っており、単なるねずみ講をやっているにすぎませんでしたが、金融市場の混乱はこのような人も生み出しています。
2000年に4000ファンド、4000億ドルのヘッジファンドの投資規模は、07年末には1万ファンド、1兆6000億ドルと増加しましたが、それでも20兆ドルの世界の公社債残高、45兆ドルの株式(米16,4兆ドル、日4,4兆ドル、英4兆ドル)に比べれば小さいです。
しかし、市場が荒れる時にはレバレッジを効かせて売買を行います。平均レバレッジは1倍(100億の資本で200億の投資)ですが、価格の変動が激しい場合は高いレバレッジをかけて巨額の取引を行い、市場を混乱に陥れます。
1,6兆円の小麦先物市場、18,9兆の原油先物市場にヘッジファンドの投機資金が流入した結果、2000年時点で1ブッシェル2ドルだったトウモロコシは08年にはシカゴ取引所で7,6ドル、02年時点で1バレル20ドル程度の原油価格は08年7月には147ドル、という史上最高値を付けるまでに至りました。
そのために食糧品や燃料、エネルギー価格が暴騰し、2008年にはアフリカを始めとする発展途上国で食糧危機や飢餓が広がり、ついには食糧暴動が起こる事態となりました。
ヘッジファンドが関連した事件として1992年のポンド危機、97年のアジア通貨危機、98年のLTCM危機、2005~06年の村上ファンド、07年からのサブプライムローン、08年のマドフ事件、そして12年2月のAIJ投資顧問等が挙げられますが、ジョージ・ソロス1200億円の儲けを得たポンド危機で、イングランド銀行は1兆円の損出を被り、アジア通貨危機では3000万人が失業しました。
◎ アジア通貨
ATTAC結成のきっかけとなったアジア通貨危機について述べることにします。
プラザ合意後のドル安傾向により1990年代初めにはアジアへの投資が増大し、企業はアジアへと進出、それに伴い金融機関も進出することになります。
当時、政府介入によるドルペッグ(ドルとバーツの固定相場制)と高金利政策をとっていたタイに世界中からお金が流入し、タイ内外の企業はドル・バーツ資金を借りやすくなり、経常赤字(バーツ価格減)の懸念はありましたが、将来的な輸出増等により軽減が予想されていました。
しかし、1995年に米国が「強いドル」政策をとると、様相は急変してバーツが割高となり、輸出の伸びは減少、ペッグ制維持の困難とバーツ暴落が憶測されるようになると混乱に乗じてヘッジファンドが登場します。
ペッグ制崩壊による資本逃避の蔓延を恐れたタイ政府は必死に為替介入を行いますが、有力ヘッジファンドのバーツ売り浴びせが金融機関にも拡大し、97年7月2日にタイ政府はペッグ制から変動相場制への移行を余儀なくさせられ、その後4カ月でバーツは40%も暴落したのみならず、危機はマレーシア、インドネシア、韓国にも波及して各国で倒産、失業が増加し、タイ、インドネシア、韓国はIMF(国際通貨基金)の管理下に置かれ、人々の生活はIMFが融資の条件として強制した緊縮財政により苦しくなります。
韓国経済がIMFの指導により成長したと言われますが、企業をつぶして労働者の首を切り、労働者の権利を低下させて非正規労働者の割合を約50%にし、政府系の財閥企業を支援すれば経済成長するのは当たり前です。
アジア通貨危機の引き金となったタイ・バーツの暴落は、ドルと為替レートを固定していたバーツを大量に空売りしてぼろもうけをしたヘッジファンドの責任もありますが、バーツ暴落を恐れた邦銀をはじめとする国際的な金融機関によるタイからの資金引き上げにも責任があります。ヘッジファンドはタイ・バーツの空売りで推定30億ドル(約3600億円)を儲けたと言われています。
◎ トービン税の登場
ごく一部のヘッジファンドが儲ける一方で、圧倒的な人々が生活を破壊されていく現状を目にして、フランスの月刊誌ルモンド・ディプロマティーク紙は1997年12月号で「金融市場を非武装化せよ」という社説を掲げました。
社説は金融資本に席捲されている現在の金融市場を非武装化し、金融資本の規制を訴えました。以下に社説の一部を紹介します。
「アジア諸国の株式市場を襲った台風が世界全体を脅かす。金融資本のグローバル化が人々を全面的に揺さぶっている。」
「資本の無規制な流れは民主制を揺るがす。だからこそ抑止的なメカニズムの導入が必要だ。その一つが、ノーベル経済学賞を受賞したアメリカの経済学者により、早くも1972年に提唱されたトービン税である。あらゆる為替市場での取引に少しばかり課税すれば、市場を安定させることができ、国際社会の資金源にもなるという発想だ。0,1%のトービン税を導入すれば年間1600億ドルが得られることになる。これは21世紀初頭までに極貧を解消するために毎年必要とされる金額の2倍に上る。」
そして、「市民を支援するためにトービン税を求める団体(ATTAC)という名のNGOを地球規模で作りだそうではないか。」という社説に応え、フランスの人々が金融資本を規制するためのアソシエーションを作り出す動きをはじめ、ATTACが結成されます。
この社説は①金融資本への課税、②資産税、③タックスヘイブンに対する取り組みを提唱しましたが、①に相当するのがトービン税です。
トービン税(通貨取引税)は、1972年にジェームズ・トービン博士により提唱された税金で、通貨取引にごく少率の税金をかけることで為替市場を安定化させると共に、その税収を金融資本により生活を破壊された人々の生活再建と向上のために使うことを目的としています。
税率は0,1%ですが、金融資本は一秒間に何回もの売り/買いの取引を行って僅かな利ざやから膨大な利益を得るので、取引の回数が増えるほど負担が大きくなります。
しかし、トービン税は一回で巨額の取引を行う場合には有効とは言えないので、2000年に入るとIMFの専門家であるシュパーンは一定の変動幅を設定し、それを上回る変動幅が確認された時は80%の課税をすることを、トービン税による課税と併用することを提唱しました。
私たちはトービン・シュパーン税の導入により為替取引を規制し、世界の貧困を縮小することができると思っていますし、実際に1995年時点の通貨取引額をもとに通貨取引に0,1%のトービン税を課した場合の税収を単純に計算すると3120億ドルになります。
1998年のOECD(経済協力開発機構)諸国のODA(政府開発援助)総額は、518億ドル、世界の貧困をなくす基礎的社会的に必要な金額は年間400億ドル、世界の最貧国の累積債務総額は1998年で1690億ドルですから、トービン税には投機的取引を規制するだけでなく、途上国の累積債務や環境破壊等の問題を解決するための資金源としての役割が期待されているのです。
◎ 常態化する金融危機の背景
IMFの調査では、1970年から2007年の間に124件の銀行危機(バブル破たん→金融機関のデフォルト(債務不履行)→不良債権の増加→銀行の自己資本の消尽)、短期間に為替レートが30%以上も上下する通貨危機が208件あり、毎年何十件もの金融危機が世界中で起こり、途上国ではそれが政治危機・社会危機に発展する状態になっています。
その背景には、世界のGDP(国内総生産)の十倍以上ものお金が人々の生活とは関係なしに金融機関のコンピューターの中で動くグローバル金融市場の実態があり、2010年の世界のGDPが63兆ドル、株式債券取引が87兆に対して、デリバティブ取引は601兆ドル、通貨取引は955兆ドルにも上っています。
こうした巨額の通貨取引の中で、多くのヘッジファンドが金融市場の波乱に乗じて儲けを得ているのです。
この規模を縮小させる必要があるというのが私たちの主張です。主流の経済学者たちは流動性が十分ないと為替の変動幅が大きくなってしまうと言いますが、今の金融市場は本当に必要な取引がまともにできなくなってしまうほど大きな流動性を抱えているのです。
実際に通貨取引の90%以上は投機目的と言われていますので、それを半分にしたところで大きな問題は起こらないと私は考えています。
元請けから搾りに搾られた上に、為替の僅かな変動により利益が吹き飛んでしまう中小企業の人からは、少率でもトービン税(通貨取引税)の負担は大きすぎるという意見を聞きますが、為替変動による損出を防止するための手数料等の費用は大銀行を通してヘッジファンドに入り、通貨の暴落を引き起こす資金となりますので、それよりはトービン税を払って為替変動のない世界を作る方が有効なお金の使い道になると思います。
ヘッジファンドだけでは金融危機を引き起こすことはできず、投資銀行や信託銀行、大銀行といった大手金融機関の協力なしには不可能で、AIJのお金も投資銀行を通じて年金基金が流れていました。投資銀行や大銀行の協力がなければヘッジファンドも儲けることができなくなります。
90年代にヘッジファンドの投資手法が複雑化し、レバレッジ化によりさらに大手銀行との相互依存が深まった結果、いくつかのヘッジファンドは大手金融機関からの多額の資金を委託運用し、ヘッジファンドへの融資は大手銀行の新たな投資戦略となりました。
投資銀行はヘッジファンド立ち上げの際の巨額資金を提供し、融資や証券貸し付けの際の担保ではグローバルな証券保管業務を担い、それを他のヘッジファンドへの貸し付けにも利用し、決済ではヘッジファンドからの依頼やブローカーからの報告にもとづく決済の主要勘定を行い、レバレッジでは空売りの際の融資を行ってヘッジファンドが口座現金の何倍もの通貨や証券を購入することを助け、上記サービス提供の他に事務所やインフラ(事業基盤)を提供してヘッジファンドを育成する役割を果たしています。
大銀行にとっては、デリバティブ取引で多額の手数料を受け取り、ヘッジファンドから得た金融技術や投資家の情報を参考に自己勘定のトレーディングを行い、全収益の20~30%の収益を得るだけでなく、大手ヘッジファンドとの巨額で継続的な取引を通じて様々な金融市場に影響力を持つことができる他に、ヘッジファンドを各種商品の買い手として利用し、さらにヘッジファンド通すことで自己資本比率規制や証券取引法の規制を回避できるメリットがあります。
1999年3月24日の米下院銀行委員会で、ジョージ・ソロスは「ヘッジファンドの主要な貸し手は国際的に見て大手銀行であり、アメリカの銀行はその全体の中でしかるべき割合を占めている。ヘッジファンドと銀行との取引は実際には国際的な銀行業であり、担い手は大手銀行、要するに巨大銀行である。」と証言しました。
この証言は銀行に全ての責任を負わせるものですが、一定の真実を示しています。
◎ 日本におけるヘッジファンド
2006年3月の金融庁の調査では、348機関(都市・地方銀行、信託銀行、保険会社他)が7兆4321億円をヘッジファンドに投資しており、その割合は都市銀行24%、地方銀行15%、信託銀行15%、保険会社26%となっており、さらに500億円以上の投資規模を持つ35機関(全体の1割)が投資総額の8割を占めています。
ヘッジファンド商品の販売額に占める割合は金融機関向けが70%、個人向けが23%、事業法人向けが6%、国内101機関が個人向けに販売したヘッジファンドの累計額は2000~05年で8兆円となり、さらには投資信託等を通じて銀行の金融商品ともつながっています。
厚生年金基金、確定拠出企業年金は05年末で運用資産額の4,2%をヘッジファンド投資にあてていますが、それは規制緩和が引き起こしたもので、1997年以前は企業年金の運用には「交際50%以上、株式30%以下、外貨建資産30%以下、不動産20%以下」という投資規制がありました。
しかし、1990年の投資顧問の参入、94年の経団連による運用規制撤廃要求、95年の日米金融協議での合意を経て、97年に撤廃され、99年には年金運用先として投資顧問が全面解禁され、現在では全て自己責任となっています。
また、投資助言契約は「登録」のみでしたが、投資一任契約は投資顧問業法で「認可」が必要とされていました。しかし同法が2006年に撤廃された後は投資運用業の「登録」を受けている金融取引業者であれば可能となり、問題が発覚した時にだけ調査や処分をするだけとなりました。
私はこの規制緩和がAIJ事件を誘発したと少し思っています。『日経新聞』等は社会保険庁から天下った元職員が影響を拡大させたと報道していますが、それは原因の一部にすぎず、規制緩和により怪しげな投資顧問が年金にまで手を出せるようになったために起こった事件です。
さらに、日本銀行(日銀)だけでなくヨーロッパ諸国をはじめとする各国の中央銀行が次々に金融緩和競争を行い、ヘッジファンドに好機を与えています。
欧州中央銀行(ECB)は昨年12月21日に3年物の資金供給オペ(LTRO)を実施、4892億ユーロ(約49兆円)を供給しました。
ECBの流動性供給策により、LTCMの破たんで不評をかった債券裁定取引というハイリスク・ハイリターンの戦略が復活して、一部のヘッジファンドが潤沢な利益を上げています。
雨が降ればボウフラがわくように、マネーが大量に供給されるとヘッジファンドが暗躍し、金融市場を混乱さるというような社会は私たちの望むものではありません。
このような社会を変えていく手段の一つとしてトービン税なり、様々な金融規制が必要になると思います。
(文責*編集部)
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