『覚書 幕末の水戸藩』(山川菊枝)とサミット弾圧

G7茨城・つくばサミットを問う会とサミット反対運動全体に対する弾圧はつづいています。

5月24日に逮捕され、自宅から遥かはなれた水戸署に勾留されたAさんは、6月4日に勾留期限でしたが、6月3日に裁判所が、検察の勾留延長請求を認めてしまいました。ひどい弾圧です。

勾留延長されました(つくばサミット弾圧救援会のブログ)

弁護士費用などが必要です。賛同とともにカンパもぜひお寄せください。

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つくばサミットを問う会のデモでは、解散地点で、つくば市、茨城県、内閣府に対してサミット会合を開催したことに対する強い抗議の申し入れ書を、畳サイズのプラ板に書いたものを提出しました。

・市、県、内閣府への申し入れ書(同ブログ)
http://g7tsukuba.hatenablog.jp/entry/2016/05/16/153435

これは宝永六(1709)年に水戸藩下の農民3000人が、藩財政の再建と称して藩下の農民から物資や労役を徴発して、私服を肥やしていた松波勘十郎父子の罪状を畳一畳ほどの大きさにしたためた直訴状を持参して江戸の水戸藩邸に押しかけた事件を彷彿とさせるものです。

山川菊枝による『覚書 幕末の水戸藩』(岩波文庫)によると、

「松波は光圀の台以来、非常時用として、毎年五万石ずつ蓄えられてきたお蔵米を売り、ヒエ倉まで開いて金にかえ、重臣連に分け前を与えてその口を封じた。米は虫がつきやすいうえに、需要が多いので金にかえる誘惑が強いに引き換え、ヒエは貯蔵に適し、かつ値が安くて売られる恐れが少ないというので、用心深い光圀の創意で非常時にたくわえる例になっていたのであった」

とあります。まるで現在の安倍政権による年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)による株式購入拡大を彷彿とさせる悪行です。

また山川菊枝は『覚書 幕末の水戸藩』でこうも書いています。

「松波はたびたび藩主に会って工事の成功が近いことを報告し、これによって財政の充実、藩士の増加、農民の富が一挙にしてえられると宣伝していた。しかし工事は進まず、多額の金穀と労役を費して、徒らに松波とその一派の私服を肥やすのみであった。」

まるで「もうすぐデフレは解消します」と言い続けているアベノミクスを彷彿とさせるペテンです。

また山川菊枝は『覚書 幕末の水戸藩』でこうも書いています。

「御三家といっても、尾張は62万石、紀伊は55万石をこえているのに、水戸は25万石にすぎず、その代わりに江戸に近く、参勤交代の義務をまぬかれている特権はあるにせよ、何かと肩身の狭いおもいだったとみえ、実力のともなわぬ35万石の看板を出して肩をはり、背伸びをし続けた苦労は、結局農民にしょわされた。」

まるで安倍の「GDP600兆円めざす」宣言を彷彿とさせる反人民的なすがたではないですか。

また山川菊枝は『覚書 幕末の水戸藩』でこうも書いています。

「(水戸藩の年貢政策である)雑穀切返しというのは、畑地に対する付加税のことで、いったい畑地の税は水田に対して三割方安く見積もられ、税は金納であった。正保年中三世粛公の時代に財政難の弥縫策として、在来米100石に対し、大豆五石、ヒエ三石、そら豆一石一斗の代をおさめていたところ、改めてこれを百姓へ『あずけおく』という名義で貸しつけた形にし、貸し付けるときは元値といって安値に見積もり、納税期には売りつけ値段といって値上げするうえ、二割の利子をつけて納めさせることにした。そこでいろいろの名義の付加税を加えると、五公五民の約束が事実上七、八割の重税になった」

まるで今回のサミットに参加した独仏などEU強国やIMFがギリシャ債務危機の際に、あるいは日本を含む先進諸国が「途上国支援」として貸し付ける公的債務による途上国収奪のシステムのようではないですか。

また山川菊枝は『覚書 幕末の水戸藩』でこうも書いています。

「この雑穀切返しのほかに、こぼれ米と称して俵から出し入れする際に落ちこぼれるコメの償いとして定量の二割増の年貢をとり、これらが他藩に例のない重税となって農民の肩にかかっていた……一方、藩士の禄も、他藩では玄米で支給されるのが普通だったが、水戸ではモミで支給され、したがって実収入は玄米に比べて五割減であったという。こうして農民を虐げ、藩士を痛めてなお足らず、富商、富農に士分の資格をいわば売りつけて郷士とし、さらに大坂の商人から莫大の借財をして利子の支払いに追われていたのが水戸藩の実情だった。」

まるでGDPに占める債務残高230%にも達している日本政府が、法人税引き下げの穴埋めに消費税を引き上げつづけて、庶民から搾り取ったカネをメガバンクなど金融機関に毎年10兆円近い利払い費を払い続けている黄昏の日本資本主義を彷彿とさせるようです。

冒頭で紹介した松波勘十郎父子の末路について、山川菊枝は『覚書 幕末の水戸藩』でこう書いています。

「領内の百姓六百数十人、水戸城下へおし出し、評定所前その他の辻つじに集まって松波一件を訴えたが要領をえず、またまた江戸へ出て支藩守山候に訴えた。訴状は一八八ケ村を代表し、水戸総百姓と書かれ、松波が酷使し、年貢運上を重くしたこと、ために田畑は荒れ、村々は衰微の一路をたどることをつぶさに数えあげていった。ついに藩は最後の断を下し、松波親子処分の件を発表して農民を慰撫し、農事に出精せよと説いて郷土に送り返した。松波親子は捕らわれて獄死した。」

安倍の末路を予言するかのような末路です。

「しかし農民の勝利はただ表向きにとどまった。……松波の企てたいわゆる『宝永の改革』、すなわち新たに加えた税や労役の負担は、先例となってそのまま残された。松波と結んだ重臣たちは、新参の松波に一切の罪をきせて自分らは責めをわかたず、依然として百姓の生き血を吸い続けた。」

百姓たちの苦しみは、腐敗した政治家を一人や二人獄死させただけではよくなりませんでした。それはテロルが吹き荒れた幕末を経た御一新(体制の変革)を待つしかありませんでした。幕末の水戸藩はとくにテロルが酷かったことで有名ですが、山川菊枝は『覚書 幕末の水戸藩』のあとがきでこうかいています。

「水戸といえばテロを連想させるような、あの恐ろしい血まみれの時代をぶじにいきのびたその故老たちは、みなテロぎらいのおだやかな人々で、あのテロ期の水戸は、ある人々のように、水戸人そのものの先天的な体質にあったのではなく、封建制度の生んだ矛盾と行きづまりの生んだ深刻な、絶望的な世相の一部であったと思われます。」

まるで、いまの茨城県警、検察、裁判所による反サミット運動に対するテロが、資本主義制度の生んだ矛盾と行きづまりの生んだ深刻な、絶望的な世相の一部であるかのようです。

G7サミット体制に異議ありの声をあげたAさんは無実だ!

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