香港:6・4天安門事件と香港民主化運動

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一昨日、6月4日は、1989年の「六・四」天安門事件から27周年の日でした。香港では12万人(主催者発表)が追悼集会に参加しました。

香港のグローバリゼーションモニターのfacebookでも集会の映像が流れていました。

一昨年の雨傘運動のときから、中国政府の強圧的な態度に対する反発と大陸の中国人に対する排外的な思想が混在した排外的香港独立派が勢力を伸ばしており、雨傘運動を牽引した大学の学生会の執行部も、これら排外的香港独立派が指導権を握ってしまい、今年の追悼集会には参加しませんでした。

昨年出版をお手伝いした『香港雨傘運動』の著者の區龍宇さんは、一昨日6月4日のfacebookの書き込みで次のようなコメントを書いています。

「今年もまた6月4日がやってきた。台湾の228事件は60年後にやっと政府が過ちを認めて、記念館を設立した。「6・4」がそうなるにはどのくらいの年月が必要になるのだろうか。しかし、それがいつになろうと関係ない。怒りがあるのなら、(6・4天安門事件追悼集会に)参加すべきだ!参加するのは、支聯会(追悼集会の執行部)の指導に納得しているからではない。参加するのは小異残して大同につき、もっとも広範な統一戦線によって、独裁体制に抵抗するためである。呂大楽(香港教育大学副校長、シンクタンク「シナジーネット」主宰)は香港の汎民主派には「小異を残して大同を求める人間が少ない」と嘆いているが、それは事実である。これまで主流の汎民主派/支聯会は、上からの指令だけで、民主主義は多元主義であることを理解できなかった。また多元主義と連合の両方に配慮するのであれば、大同につくためには小異を残すことが必要だということを理解できなかった。連合と多元主義を対立させると、連合のために上からの号令一下になるか、そうでなければそれぞれが分散して好きなことをするかのどちらかになってしまう。だが実際にはこの両者は対立するものではない。昨年書いた文章を以下に改めて紹介するが、それは6・4天安門事件を追悼するためだけでなく、民主化運動の陣営における討論の深化を願ってのことでもある。」

今年の6月4日の日中には、冒頭の写真にあるように街頭で行われていた集会に参加して発言しているようです。區龍宇さんは、『香港雨傘運動』以降も、いくつかのウェブメディアで精力的に香港の民主化運動についての論考を発表しています。

・ウェブメディア立場新聞(Stand News)の區龍宇さんコーナー

もちろん先に紹介した学生団体による天安門事件追悼行事への不参加に対する批判をはじめ、民主化運動におけるオルタナティブな提言をつづけています。こちらの翻訳が追いつかない状態ですが、これからちょっと時間を見つけて翻訳していく予定です。

區龍宇さんが上記facebookでいっている「昨年書いた文章」は、『香港雨傘運動』(つげ書房新社、2015年)に収録されている「天安門追悼集会に参加すべし 支聯会は改革すべし 黔驢は柵に入れておくべき」のことです。

以下は、昨年6月4日に会員MLに投稿した文章と「天安門追悼集会に参加すべし 支聯会は改革すべし 黔驢は柵に入れておくべき」の粗訳です。あわせて『香港雨傘運動』もお買い求めください。


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From: IY
To: attac_ml@freeml.com
Date: 2015/6/4, Thu
Subject: [attac_ml:5216] 香港:6・4天安門事件と香港民主化運動


こんにちは。会員の稲垣です。

今朝のNHKラジオの「今日は何の日」では1989年6月4日の天安門事件を取り上げていました。当時、この中国の民主化とそれに対する弾圧に、中国返還が決まっていた香港の市民も大いに関心を持ち、支援と抗議をしました。

去年、香港で起こった「雨傘運動」は巨大な民主化運動でしたが、対峙する敵も巨大でした。巨大な敵と渡り合うにはその敵の中いる味方(中国国内の民主勢力)との連帯が必要だという主張に対して、中国の民主化と香港の民主化は関係ない、中国は政府も人民も民主主義を望んでいない、という香港ナショナリズムの主張が、雨傘運動が始まる前からあり、雨傘運動の後半には運動の内部において対立が激しくなり、その後遺症はいまも続いているようです。

香港では毎年六月四日には八九年天安門事件を追悼する集会が行われてきましたが、反中国の排外主義を伴った香港ナショナリズムからは、そのような集会は香港民主化にとって有害だという反動的主張が登場しています。そのような香港ナショナリズム排外主義は、巨大な反民主的政治体制の養分によって大きくなっています。

このような排外的な香港ナショナリズムの主張に対して、中国と香港の民主化は一体であるという長年来の主張とともに香港民主化運動の歴史的問題点について触れている區龍宇さんの論評を翻訳紹介します。

現在、雨傘運動の準備段階からその渦中、そして香港ナショナリズム右翼との論争などをまとめた區龍宇さんの政治論評集、『香港雨傘運動プロレタリア民主派の主張』(仮題)の翻訳出版をお手伝いしており、秋には何とか出版できればと思っています。おたのしみに。

以下、原文はこちら
http://www.inmediahk.net/node/1034848

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天安門追悼集会に参加すべし
支聯会は改革すべし
黔驢は柵に入れておくべき


2015年6月3日
區龍宇

明日の夜、ビクトリア・パークには参加しなければならない。それはほかでもなく、中国共産党を歴史的恥辱の柱にくぎ付けにしつづけるためである、

今年の六・四天安門事件記念日には特別な意義がある。半年前、戦後の香港史上はじめての壮大な民主化運動が巻き起こった。雨傘運動である。運動は成功しなかったが、香港の民主化をいかに推し進めるかという議論に無数の香港市民を議論に巻き込んだ。

◎鹿は馬で馬は鹿?

香港防衛を自称する驢なにがし氏[人気ブロガーの盧斯達のこと。「驢」はロバのことで後出の皮肉とかけている]は、一九八九年六月七日に支聯会[香港市民支援愛国民主運動聯合會]の指導者である司徒華[1931年~2011年]が三つのストライキ(労働組合、学校、商店)を中止したことを批判するとともに、支聯会の解散を主張している。ストライキ中止の件については、議論すべきことであり後述する。

問題は、この驢なにがし氏が「中国人は民主主義を必要としてない」ので香港人は中国民主化支援などにかかわる必要はないと大真面目で主張する一方で、昨日開催された六四フォーラムの席上、もし司徒華が三つのストライキを発動してそれが成功していれば香港はもっと多くの民主化が実現できただろう、もしかしたら独立も可能だったかもしれないなどと発言していることである。

なんとも奇妙な自己矛盾に満ちた主張ではないか!一九八九年の三つのストライキが成功すれば良かったことには違いない。しかしこの三つのストライキは一体だれのために計画されたのか?香港の民主化のためなのか?そうではない。それは中国の民主主義のために計画されたのだ。

だが驢なにがし氏の見解によれば、中国の民主化は香港にとって百害あって一利なしだそうだ。なのに三つのストの成功がなぜ香港民主化のためになるのか?これが自己矛盾でなければなんだというのか?もしやフロイト的失言、つまり無意識のうちに本音が出てしまったのか?驢なにがし氏自身が無意識に持っている大中華コンプレックスがあらわになったのだろうか?それとも、相手を攻撃するため、論理矛盾も気にせずに、まずは攻撃してみたということだろうか?

しかし、小我[自分の小さな世界。仏教用語]の上には、無限の客観的論理[真理]が存在しており、それは一切の人間の自己矛盾を暴露するということを忘れてはいないだろうか。

◎民主化運動と地政学的政治

驢なにがし氏のような人々は、大中華コンプレックスの人間だけが中国の民主化に関心を持っていると主張する。なんとまあ、まるで義和団[區氏は政治改革を主張する反共排外主義者らをこうよんでいる]の主張ではないか。かれらは、真の民主主義者たちが国際主義的精神で他国の民主化運動を熱烈に支援してきたことを知らないのだろう。一七七六年のアメリカの独立戦争ではフランスとイギリスの民主主義者がそれを支援し、フランスは軍隊を派兵して独立戦争を支援した。一九三六年には選挙で勝利したスペインの左翼共和派に対してフランコがクーデターを起こして内戦になったが、五〇カ国、三万人余り民主主義者と社会主義者(『動物農場』や『一九八四年』のジョージ・オーウェルを含む)が国際旅団を結成して、左翼と共和派の側について内戦を戦った。

地理的に近ければ近いほど、民主主義者は相互に支援しあう。それはほかでもなく実際の利害関係が関係してるからだ。一八世紀末、ポーランドは近隣の三大国[プロイセン・オーストリア・ロシア]によって分割されたが、十九世紀以降はロシア帝国からの抑圧を受け続けていた。ポーランド人民はポーランド復活の願いを持ち続けた。当時のポーランド社会民主党は、ロシアの民主勢力と連帯してロシアの皇帝と貴族を孤立させる取り組みこそ、列強に包囲されたポーランドを民主的に復活させることができると考えた。ポーランド社会民主党は当時のロシア社会民主労働党[のちの共産党]と共同でロシア帝国の支配と戦い続けた。指導者のひとりにローザ・ルクセンブルグがいた。ポーランド人であった彼女は、ロシア社会民主労働党の会議に夜活動にも積極的に参加した。その後ドイツに移住してドイツ社会民主党の理論家および実践家となったが、一九一八年に極右派に惨殺された。

◎いかにして隣国の巨大な力に抵抗するか

驢なにがし氏のグループがもし、中国人としてのアイデンティティをもつ香港市民すべてを香港から排除し、純粋な「香港人」だけによる独立を達成できたとしても、次のことを考える必要がある。それはいかにして強大な隣国からの圧力に対抗するのか、ということである。中国と戦争する?いったい何時間持ちこたえられるのか?決起する勇ましい部隊があったとしても、孫子がいうように、「上兵は謀を伐つ、其の次は交を伐つ、其の次は兵を伐つ」(最上の戦い方は、敵の謀略、策謀を読んで無力化することであり、その次は、敵の同盟や友好関係を断ち切って孤立させることである。それができなければ、いよいよ敵と戦火を交えることになる)を考えなければならない。

だが現在までに、これら香港義和団がどのように「謀を伐ち」「交を伐つ」のかが全く不明である。このような「黔驢之技(けんろのぎ)」[見かけ倒しのはったり、※参照]で香港の将来を幸福に導くなどという主張は、本当に・・・その身を滅ぼさんばかりのものである。「黔驢」は放し飼いにするのではなく柵に入れておくのがいいだろう。

[※「黔驢之技」は、ロバ(驢)のいない地域(黔州)にロバを連れてきて放し飼いにしたところ、初めてロバを見た虎は最初は恐れたが、ロバに蹴られて(技)、たいしたことはないと知りロバをたいらげたという成語。訳注]

支聯会はもちろん問題を抱えている。一九八九年六月七日、司徒華ら指導者は、三つのストら気を中止しただけでなく、デモ行進も中止にしてしまった。しかし中国共産党による虐殺と弾圧に抗議する数十万の香港市民は自発的にビクトリア・パークに集まって、中国政府の代表機関であった新華社香港支局までデモ行進した。社会運動は、長年にわたって作り上げてきたのに、その力を発揮しようというまさにその時、敵前逃亡するなどという道理があるだろうか?この問題については今に至るも支聯会の指導部は何ら反省も検証もしていないのである。

◎黔驢は司徒華にも遠く及ばない

だがさらに重要なことは、路線の問題である。驢なにがし氏の類は、支聯会の非民主的あり方を批判する。そんなことは今に始まったことではない。三つのストライキを中止して間もなく開かれた支聯会の会議で、私は先駆社[香港のトロツキスト組織の一つ]を代表して出席し、会議の前に支聯会指導部が三つのストライキを中止したことを批判する意見書を配布しようとしたが、それを阻止されてしまったことがあった。香港返還が迫る一九九七年の六・四天安門事件記念日の直前、支聯会の指導部は投降主義的な宣言文案を発表した。

その文案は、返還以降に六・四追悼集会が禁止された場合は各自で追悼記念してほしいという方針しか示されず、弾圧に対して抵抗を呼びかける姿勢は皆無であった。先駆社はそれを批判する文章を掲載するとともに、支聯会が断固とした抵抗の姿勢をとることを求める署名を六・四集会で集めるとともに、集会の壇上で署名の呼びかけの発言させることを求めた。のちにこの行動が司徒華から批判された。支聯会は、主流の汎民主派[民主党などリベラル派]とおなじく、反省すべきことはたくさんある。

驢なにがし氏やその仲間は、主流の汎民主派が「民主中国の建設」に血迷っていると批判する。そうすることで逆にかれらを押し上げている。だが一九七〇年代から八九年の民主化運動にいたるまで、かれら主流の汎民主派の路線は、中国の民主化運動とはまったく相交わることがなかったのである。八九年以降、致し方なく中国の民主化に関心を示すことになったのだが、厳格にその境界線を分け隔ててきたのである。

だから主流の汎民主派の政治家たちは完全にちぐはぐな行動をとるのである。一年のうちの一日(六月四日)だけは中国の民主化について発言するが、それも支聯会の四つのスローガン[実際には五つある。民主化活動家の釈放、八九年民主化運動の名誉回復、虐殺の責任追及、一党独裁の廃止、民主中国の建設]だけを叫び、それはまったく香港の民主化と関連付けられない。そして残りの三六四日、とくに七月一日[香港返還記念日]の民主化デモでは、香港の民主化を大々的に主張するが、そこでは中国の民主化についてはまったく語られないのである。

まさにこの種のちぐはぐな言動は、香港の新しい一世代に対して、中国と香港の民主化は関連していないという間違った教育を施してきたのである。

両者の民主化は密接に関連している。だが見解の相違は当たり前のことであり、それは議論するしかない。しかし残念なことに、驢なにがし氏の類は理性的な議論をもっとも嫌っているのだ。事実に基づき論理だてて主張するという議論における最低限の礼儀すらさえも持ち合わせていない。当然である。彼らの目的は、相手を貶めて、自分がその地位にとってかわろうとするものである。民主的な議論という点では、かれらは司徒華の百倍もたちが悪い。

二〇一五年六月三日

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