
『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』
トリストラム・ハント 著
東郷えりか 訳
筑摩書房、3900円+悪税
2016年3月25日 初版第一刷
The Frock-Coated Communist
The Life and Times of the Original Champagne Socialist
by Tristram Hunt, 2009
出版社公式サイト
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480861320/
昨日、書店で偶然見かけた『エンゲルス マルクスに将軍と呼ばれた男』を購入。佐藤優のオビ推薦や、冒頭でコミュニスト・マニフェストを「共産主義者宣言」と訳していること、そして何よりも財布の中身にやや不安を覚えながらも購入した理由は、本文最後のくだりを読んだからだ。
著者や僕の住んでいる先行帝国主義諸国における労働者の状況との比較こそが重要だろうとか、中国資本主義の強靭性(とその裏返しの脆弱性)は、他の新興諸国とは違う側面もあるという感想は脇に置くとして、この最後のくだりを読んだ時に、数年前に「イギリスにおける労働者階級の状態」を読み終えてどこかの学習会で「いまの中国と似てるわ」と感想を述べたことを思い出したからだ。著者は1974年生まれということで同年代、2010年から労働党議員を務めており近年のコービン人気との関係でも「どんなことを言ってるんだろう」と興味そそられたということもある。
このところマルクスよりもエンゲルスを引用することが多いが、良い本に巡り合えたと思える内容であることを願いつつ読書中。
以下、本書の最後のくだり(478p-479p)の引用。
========(以下、引用)=========
マルクスとエンゲルスは今日のグローバル化そのものへの反対は非論理的だと見なしただろうが、資本主義が人間におよぼすツケにたいするエンゲルスの批評は、世界経済の千点にある国々――とりわけブラジル、ロシア、インド、中国からなる新興市場――では、朗々と鳴り響いている。なにしろ、そこには無規制の産業化の惨状――資本主義が社会関係を変貌させ、古い風習や習慣を破壊し、村を都市に、工房を工場に変える状況――が、19世紀のヨーロッパでかつて繰り広げられたのと同じ残虐さで生じているからだ。
中国が「世界の工場」を自認し、広東省の経済特区や上海で公害、健康被害、政治的抵抗運動、社会不安が広がる現状は、エンゲルスのマンチェスターとグラスコーの報告[イギリスにおける労働者階級の状態:引用者注]を不気味に思い起こさせるようだ。研究者の李静君が試みたように、1840年代の綿工場雇用状況に関するエンゲルスの描写を比較対照してみよう。
「綿と亜麻の紡績工場には、空気が綿毛と埃まみれの多くの部屋がある……もちろんこの問題に関して職工にはなんの選択肢もない……工場の埃を吸入したことによる通常の結果は、喀血、荒く激しい呼吸、胸の痛み、咳、不眠など……。機械がそこいらじゅうにある部屋で働くため、職工は事故にも巻き込まれる……。最もよくある怪我は、指を一関節失うものだ……。マンチェスターでは手足の不自由な者を多数見かけるだけでなく、多くの労働者は腕や脚、足の全部または一部を失ってもいる。」
2000年に深センにいた中国の出稼ぎ労働者[訳文では「中国からの移民労働者」となっているが変更した:引用者注]の証言は以下のとおりだ。
「定まった仕事のスケジュールはない。最低でも一日12時間労働だ。急ぎの注文が入れば、われわれは30時間以上もぶっつづけで働かなければならない。昼も夜も……これまでノンストップで働いた最高に長いシフトは40時間だった……。その間ずっと立ちっぱなしで、デニムの布を引っ張ってまっすぐに延ばさなければならないので、非常にくたびれる。脚がいつも痛い。作業現場には座る場所もない。昼休みにも機械は止まらない。班内の三人の働き手が一人ずつ交代で食事をするだけだ……。作業現場には埃が厚く溜まっている。室内で昼も夜も働くので、身体は真っ黒になる。仕事が終わって唾を吐くと、それが真っ黒だ。」
中国共産党がエンゲルスに認可されたことだとしてどれだけ主張したがろうと、その政策によって引き起こされた野放しの搾取は、決してエンゲルスが描いた理想社会の概念ではない。豊かさと貧困の狭間で、バルメンの漂白場の惨状や零落状態を見ながら過ごした十代のころから、彼は近代の人類にはもっと尊厳ある場所が存在すると確信していた。彼とマルクスにとって、資本主義がもたらした歓迎すべき豊かさは、もっと公平な制度を通して分配されてしかるべきものだった。世界各地の何百万もの人びとにとって、その希望はまだ潰えていない。ベルリンの壁が崩壊し、国家共産主義が世界的に破たんしてから20年ばかりを経た今日、自己犠牲と矛盾に満ちたヴィクトリア朝時代のあの傑出した人物、フリードリヒ・エンゲルスならばきっと、否定が否定されることを、そして彼の良き友人カール・マルクスの見通しが実現することを、再び予言するだろう。
========(以上、引用)=========
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