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コミューンは死んでないよ--パリCOP21対抗アクションの参加者へ



【以下はCOP21の対抗アクションに参加しているattac関西の寺本さんのこのレポートへの返事です】

ペール・ラシェーズ墓地は、「フランスにおける内乱」のエンゲルスの序文でもこんな風の紹介されています。

「最後の大量虐殺がおこなわれたペール・ラシェーズ墓地の『連盟兵の壁』は、いまでもそこに立っていて、プロレタリアートがあえて自分の権利を要求して立ち上がるやいなや、支配階級はどんな凶暴なしわざをなしうるかということの、もの言わぬ雄弁な証拠となっている。」

大佛次郎の『パリ燃ゆ』の第六部の「終わりの日々」のなかでも、パリ・コミューンの最後が悲劇的なまでに詳しく紹介されています。

パリコミューンの議員でもあり、コミューン弾圧のなかで書いた詩が後に「インターナショナル」の歌詞となったことで有名なウジェーヌ・ポティエの墓もペール・ラシェーズにあります。

ポティエには「コミューンは死んでいない」という詩があります。

「奴らは銃で彼女を殺した。
 機関銃を撃って殺した。
 そしてぬかるんだ粘土の中に
 旗もろとも転がした。その上、
 脂ぎった死刑執行人の輩どもは
 自分らを最強と自惚れたものさ。
 二コラよ、
 何があったって
 コミューンは死んでないよ。」

(「未知なるものの創造」ダニエル・ベンサイド著、渡部實訳、同時代社)

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今朝コンビニで買った日経新聞の一面にとても小さく「温暖化目標5年で更新 COP21が義務化案」という記事が掲載されいます。

===(以下、記事)====

◎温暖化目標、5年で更新 COP21が義務化案
2015/12/4 1:20日本経済新聞 電子版 
【パリ=浅沼直樹】パリで開催中の第21回国連気候変動枠組み条約締約国会議(COP21)で3日、先進国のみに温暖化ガスの排出削減を義務付けた京都議定書に代わる新枠組み「パリ協定」の原案が判明した。2020年以降、温暖化ガスの自主的な削減目標を5年ごとに見直す仕組みが柱。会期末の11日に向けて詰めの協議をする。
 原案では、削減目標の作成や提出に加え、5年ごとに見直すことを義務化する。更新した目標は、今まで以上に努力することも求めた。長期にわたって温暖化対策に責任を果たすよう促す。

====(以上、記事)=====

なめてますね。どれくらい削減するのかという目標ではなく、5年ごとに見直すことを「義務化」というのですから。社会運動がもとめているのはこれ以上危険な状態になることを防ぐことができる目標の義務化です。

日経新聞もこれを「義務化」というのはちょっとためらいがあったのか、かなり小さな扱いです。しかし五面にある解説記事では、アメリカや中国などが入った協定をつくることが最大の目的であるかのように書かれており、あわてんぼうの政府寄りNGOなどは、米中をふくむすべての国の参加が「成果」だと持ち上げるかもしれません。

そもそも米中だけを非難しているのがおかしなことで、日本政府も2013~2020年までの第二約束期間の議定書には参加しておらず、今回協議されている2020年以降の「新たな枠組み」の交渉においては、温室効果ガスを90年比25%削減という鳩山イニシアチブを早々に放棄して、「途上国支援」というカネで未来を買う(というか潰す)ことと、日本企業の技術宣伝だけに力を入れています。

普段は買わないのですが、コンビニで売っていた週刊ダイヤモンドが「暴れる地球 気候変動の脅威」という特集だったので買ってみました。

環境大臣の丸川珠代のインタビュー記事が載っていたのですが、ひどいものです。

「温室効果ガスを2013年度比で26%削減するという日本の目標達成は決して容易ではない」ともったいぶった言い方をしていますが、ほとんど温暖化対策にもならない自主目標でさえも「容易ではない」といいながら、「それでも、リスクはチャンスとはよく言ったもので、気候変動はビジネスチャンスにもなり得る。」などとほざいています。

丸川の言う「リスク」とは気候変動のリスクではなく、対策をとることで経済が下向きになるかもしれないという「リスク」です。それが環境大臣の言うことか、と思うんですけど。

最後にこんなことも言っています。

「(環境省主導でつくった計画は)将来的に、われわれがどこに住むのか、企業がどこでビジネスを展開するのかといった指標にもなる。」

さすが海外勤務で投票権がないことも知らずに立候補しただけの国際人の発言です。

ダイヤモンドの気候変動特集、温暖化の原因は温室効果ガスの増大という指摘はありますが、なぜ温室効果ガスが増大しているのかについての言及はなく、第三部にいたっては「気候変動はカネになる!」です。

気候変動の犯人について、「ここには誰もおらへんで!」と必死に犯人を隠そうとしている吉本新喜劇の定番ネタを観ているようです…。

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冒頭で紹介したポティエの詩が掲載されてるダニエル・ベンサイドの「未知なるものの創造」は「コミューンの幽霊」という章で終わっています。

ベンサイドはそのなかでフランスのアンリ・ルフェーブルの言葉を引用しています。

「コミューンは、行動において、可能と不可能を先取りした。したがってその適用不可能な計画や決定でさえもが政治的意志という状態を保ちつつ、まるで連邦の計画である可能ような深い意味を秘めていたのである。」

トービン税や厳しい気候変動対策に対しては大国や産業界からは「不可能だ」「非現実的だ」というネガティブキャンペーンが続けられていますが、attacなど社会運動をふくむClimate Justice運動は、それは不可能なのではなくやる気があるかどうかという政治的意志の問題だと反論してきました。引用したルフェーブルの言葉は、政治的意志としてのコミューンに言及しています。

ダニエル・ベンサイドは「未知なるものの創造」の最後を次の一句で終えています。

「パリのコミューン---それは一件落着したものとみなされるべきものであろうか?」

フランスの歌劇(過激?)集団ジョリモムの歌う「インターナショナル」の歌詞はこんな感じです。

「世界中の被抑圧者たちの頭を離れない
 あの歌詞をうみ出したのは
 われらの詩人のひとり
 ウージェーヌ・ポチエ。
 たしかに世の中は変わった
 でも被搾取者や失業者、
 飢えた子どもの数は減ったのだろうか?
 もうあの歌を歌うのを
 辞めてしまっていいのだろうか?」


たしかに政権は変わった。
でも被搾取者や失業者、
餓えた子どもの数や
気候変動の危機は減ったのだろうか?
もうあの歌を歌うのを
辞めてしまっていいのだろうか?

・ジョリモム「インターナショナル」映像
https://www.youtube.com/watch?v=vV-b3CKwX0g
・日本語歌詞はこちら
http://vpress.la.coocan.jp/jorikasi.html

連盟兵の壁を染め抜いた血で作られた
ソーセージを残してもいいのだろうか?

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