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自由民主広場(その1)

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毎日新聞のウェブサイトより(パノラマ等その他画像や空撮映像はこちら

ヤメヤメ詐欺の橋下氏が、8月30日の国会包囲デモについて、こんなことを呟いたそうだ。

「こんな人数のデモで国家の意思が決定されるなら、サザンのコンサートで意思決定する方がよほど民主主義だ。」

橋下氏には一日もはやく政治家を辞めてほしいが、これは正直なかなかいいアイデアだ。

あの日、国会正門前の大通りを埋め尽くした場所にいたミュージシャンであれば、10万人くらいは軽く入るであろう10車線の車道を観客席にして、背景に国会議事堂をだけが浮かび上がる巨大ステージでサザンの「ピースとハイライト」(平和と極右)を熱唱して、戦争法案が本当に必要かどうかの意思決定を行えるのであれば、これほどのステージは考えられないだろう。

中東からスペイン、ギリシャ、そしてニューヨークから世界に拡散したオキュパイでは、集会参加者全体での民主的な意思決定として、広場占拠の参加者による直接民主主義としての「民衆会議」が行われていたが、国会正門前でも同じことが可能だろう。

東京では無駄な新国立競技場建設のために、明治公園が取り壊され、数万人が入る集会の場所もなかなか見つからない。この一角を集会用に占用しても、周辺住民はいなので問題ないだろう。

この際だ。この国会正門前の通りを「自由民主広場」と名付けてはどうだろうか(「公明正大広場」でもいいが、ちょっと堅苦しい)。天皇制の臭いのする名前がつけられた集会場よりもよっぽどいい。

もちろんこの「自由民主」という名前も問題だ、という意見もあるだろう。ぼくもそう思う。

しかし、立憲主義や民主主義が大衆的に議論されている今日、この「自由」と「民主」の歴史をもう一度振り返ってみること、とりわけ資本主義が台頭することになった近代において、この「自由」と「民主」には、二つの流れがあることに注目することで、戦争法案反対のうねりを、もう一回りも二回りも大きくすることが可能になるかもしれない。

(つづく)
 
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