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人民の敵

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イプセンの「人民の敵」の劇を観た(オフィスコットーネ、吉祥寺シアターで9月2日まで)。

片田舎の経済発展のために開発された湯治場の水が、皮なめし工場などの排水による汚染で人体に甚大な影響があることを告発した市長の弟のストックマン博士が、結局は地域で孤立し、「固く団結した多数派」である小市民による世論によって「人民の敵」と宣言されながらも自説を曲げず、最後には「自立する個人」が最も強い人間であることを発見する、というストーリ。

あらゆる妨害にもくじけることなく、環境と人々に甚大な健康被害を及ぼす産業への告発を続ける姿は、原発や空港など地域の巨大開発に抗う住民運動を髣髴とさせる感動をもたらすが、他方で「世論」や「多数派」という「人民」と、真実を追求する断固たる少数派との対立を描きだし、後者を無限の高みにほめたたえる構成には批判もある。

「イプセンは、ストックマン博士の口を借りて、真理と自由の最も危険な敵は何かと問う。『それは、結束せる多数派である、いまいましいリベラルな多数派である』。最も破滅的な偽りとは何か。それは、『群衆、すなわち不完全で無知な存在が、少数の真の知的貴族と同じように判断し管理し支配する権利を持つという教義だ』。これがストックマン博士の最後の結論であり、『偉大な発見』である。」

「もし『群衆』があれこれの科学的理論や哲学体系の真偽の問題を決めるために召集されるだとすれば、ストックマン=イプセンは、『結束セル多数派』の無能力に関する侮蔑的な意見において千倍も正しいだろう。」

「しかし、社会的実践の領域ではまったく話は別だ。利害の深い対立が存在するがゆえに、そこで問題となっているのは、科学的ないし哲学的真理を打ち立てるではなく、さまざまな方向に引っ張りあっていける社会的諸勢力のあいだで絶えざる妥協を構築することである。この領域においては、多数派による少数派の抑圧は、それが社会的諸勢力の実際の相互関係に基づいたものであって、人為的手段によって一時的に引き起こされたものでないならば、目立たぬ形で頻繁に行われている少数派[支配階級=資本家]による多数派[被支配階級=労働者]の抑圧よりもはるかに優れている。」

--- トロツキー、1901年6月、『東方論評』(光文社古典新訳文庫『ニーチェからスターリンへ』に収録)

世論やジャーナリズムへのシニカルは視点は重要であり、一人になっても真実を貫き通す強さをストックマン博士は示してくれたが、その孤立は「連帯を求めて」こそ、意味のあるものになるはずだ。

水質汚染の源泉が、ストックマン博士の義父が経営する皮なめし工場であったという設定だが、そうであるなら最も健康被害に脅かされているのは、そこで働く労働者たちであるはずだが、物語ではそれは描かれていない。原典は読んでいないが、それが「現実を天才的な筆致で具象化していることと、積極的な理想を実現する方策が完全に欠如していること」(トロツキー)と評されたストックマン=イプセンの限界だろうか。

12万人が国会を包囲した翌日の「日経新聞」朝刊の一面には「内閣支持率46%に回復」、「70年談話『評価』42%」という見出しで、日経新聞社の世論調査を報じている。

おもわず「固く団結した多数派の愚かさ」という言葉が脳裏をかすめるも、一ページめくった2面には、同調査の詳細が報じられている。

・アベノミクスを、評価する37%、評価しない45%
・TPP合意のために、妥協もやむを得ない38%、合意すべきではない44%
・原発再稼働を、進めるべきだ30%、進めるべきではない56%
・集団的自衛権の行使に、賛成27%、反対55%
・安保関連法案の今国会成立に、賛成27%、反対55%

つまり、安倍政権の推進しようとする政策はことごとく少数派にとどまっている。細かく見れば危い内容もないとはいえないが(たとえばアベノミクスを評価しない理由には、規制緩和が足りない、というものもあるかもしれない)、それでも社会運動の主張が、社会的な多数と同じ方向であることは、安倍政権の大きな不安になっているだろう。

しかも世界同時株安である。安倍政権は、日銀マネーや、搾取された賃金から支払われている保険料や庶民から搾り取った税金による年金基金などで必死に株価を支えようとしているが、いったん下降しはじめた不安と不信を上向きにすることは容易ではないだろう。

安倍政権を追い詰めるチャンスである。沖縄は島ぐるみで安倍政権と対峙している。真理を求める人々は、「人民の敵」として孤立した状況に追い詰められているわけではない。

孤立して追いつめられている真の「人民の敵」を、一日もはやく官邸から追い出そう。
 
 
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