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沖縄・辺野古と高江と

米軍基地の増設にゆれる沖縄の辺野古と高江に行ってきました。この問題は日米安保という日本全体の問題。沖縄県外の人々の関心の低さが、安倍や菅らに「粛々と」と平然と言わせ、海上保安庁職員による暴力を容認させることになっています。それぞれの地域で「沖縄が嫌がってんだから押し付けはやめよう」という思いを形にて訴えないとね。以下は、attac首都圏の会員MLに投稿したメールの転載です。

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[attac_ml:5134] Re:5月24日国会包囲ヒューマンチェーンのバナーのスローガン(文言)を募集します!
2015/5/2, Sat 22:34


みなさん

ハイサイー、いながきです。

> 「基地はいらない!自然をこわすな!」
> 「戦争のない世界は可能だ!」
> 「基地のない世界は可能だ!」

24日以降につかうバナーのスローガン、何がいいかなぁと思いながら、沖縄に来てみました。

沖縄現地で見たスローガンなどを参考にしようかなと思いながら、那覇空港に着陸したところ、最初に見えた文字が「第5航空隊」。つづけて「海上自衛隊」「航空自衛隊」「那覇基地」の文字。滑走路のすぐ横に自衛隊機が勢ぞろいでした。これはスローガンになりませんね。

その後、広大な米軍基地を眺めながら名護まで。うーん、この米軍が支配する沖縄をカモフラージュするための玄関口での「自衛隊」のお迎えか、と勘繰ってしまうような感じでした。

機内で読んだ本に、謝花昇のこんな琉歌がありました。

思て自由ならぬ 無上のこの世間や 時世待ちをれば 花の咲きゆる
ウムティジュナラヌ ムジョゥヌクヌシキヤ トゥチユマトヲリバ ハナサチュル

日本語の意味は、

思ってはいても、自由は手にすることはできない 
なんと無情の世の中だろう だが、嘆くことはない
時がたてば沖縄にも自由の花が咲く時代がくるだろう

です。ヤマトの僕らがいうのはちょっと無責任に映るかも知れませんが、沖縄の苦汁を表した言葉だなぁ、と思いました。

これも横断幕にするにはちょっと厳しいかなぁ。

梅雨の始まるあしたは辺野古や高江に行ってみようかと思います。

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[attac_ml:5138] 憲法記念日の沖縄
2015/5/3, Sun 18:16


ハイサイー、稲垣です。

まだ沖縄・名護にいます。今日、憲法記念日の沖縄2紙は一面は県内の県議、首長などへの安保法制についてのアンケートで過半数が「安保法制不支持」という結果を大々的に報じています。それだけでなくほぼ全面で憲法問題を報じています。沖縄のメディア、がんばっています。

さて朝一番で名護のキャンプ・シュワブのゲート前をのぞいてみました。30名ほどの人たちが工事反対の声をあげながら、ゲート前をぐるぐるとまわっています。「立ち止まると危ないですので立ち止まらないでください。」と名護署の警告がありましたが、ずっと抗議を続けていました。午後からのほうが人が集まるので、午前中はさらに北部にある高江のヘリパッド建設反対の座り込みをしているところへ行くことにしました。

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名護市の西海岸から小一時間、大宜味村(おおぎみそん)を抜けて東海岸の東村(ひがしそん)の北部の県道70号沿いにヘリパッドいらない住民の会などのテントが見えました。一昨年だったかお邪魔した時と違う場所にテントがありました。テントの方にお話を聞くと、前のところはすでに工事が終わってしまったので、新しい工事区域の前で座り込んでいる、と。

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村議会に反対派住民の伊佐さんが村議で当選し、先月の村長選では初めて対抗馬を立てて133票差に迫るなど、賛成派が多数を占める状況に変わりはないが、反対派住民の声も無視できず、すでに建設されてしまったヘリパッドも、オスプレイや先行使用には村議会全体で反対はしているとのこと。

推進派のなかでも本音は殺人訓練施設など嫌だが、沖縄全体からも見放されている感がある北部地域では受け入れることしか選択肢がないなど、事情はそう一筋縄ではないと。どこでも国が押し付ける政策は地域を分断しています。

その後、ヘリパッド反対運動に参加していた住民でやっている「水母(くらげ)」レストランに向かいさらに北上。東村のさらに北部にある国頭村(くにがみそん)の楚洲(そす)までさらに小一時間ほど。レストラン「水母」は太平洋を展望する砂浜に面したオーシャンビュー。

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ランチセットと記念のヤンバルクイナTシャツを購入し、砂浜でなんちゃって「もあしびー」の後、午後からはキャンプ・シュワブのゲート前集会に向かいました。

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山道と濃い霧ですこし遅れてしまいましたが(県道を命がけで横断するヤンバルクイナにも出会いました)、ゲート前で「辺野古埋立阻止」や「STOP埋め立て」のプラカードを掲げて抗議行動に間に合いました。

ヘリ基地反対協や島ぐるみ会議ののぼりも元気に翻っています。よく東京の集会でお会いする方とも偶然に会いました。休みを利用して一人できたとのこと。宿泊しているところも近いので夜は作戦会議の約束をしました。

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集約集会では、「海保の暴行事件があったときすぐに入院治療中の山城ヒロジから電話が来て、すぐに抗議行動を組織しろ、自分も行くと言われた。昨日今日と県内各地、県外からも抗議行動に参加してくれた。」と紹介。

つづいて山城ヒロジさんの高校の同級生といううるま市の男性が発言。若いころは機動隊ともガンガンやってたが、その後はすっかり政治から身を引いていた。翁長さんの選挙ではじめて選挙をてつだった。あちこちに応援をお願いした。このゲート前への支援も各地にお願いに回っているなど、紹介。

昨日今日と参加していた那覇市議さんからもあいさつ。那覇をはじめ各地でいろいろなネットワークが立ち上がりつつあることを紹介していました。那覇市、沖縄市からもバスで行動に参加しているといいます。

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最後は「沖縄を返せ」の合唱で一日の行動を終了。明日も早朝から工事(キャンプ・シュワブ内ですすめられている陸地の工事)への阻止抗議行動が取り組まれるそうです。

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(作戦会議の図)

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[attac_ml:5141] 5月4日の沖縄・名護
2015/5/4, Mon 13:48


ハイサイー、稲垣です。

5月4日、天気は予想が外れて晴天。沖縄は梅雨入り前の最後のお天道様、という感じの一日です。

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早朝6時にキャンプシュワブゲート前に集合し、7時ごろからやってくる海保職員をのせた車両がキャンプシュワブに入って、基地建設に反対する辺野古ブルー(カヌー隊)を妨害、暴行しなようにする行動。早朝にもかかわらず20人ほどが集まってゲートに入る車両を監視。なぜか米軍基地の中からわらわらと沖縄県警の機動隊員らも登場。誰を守っているのか。

米兵関係者には英語で訴え、通り過ぎる車両には手を振るなどのアピール。その間にも米兵の運転する車や民間車両などがどんどん基地に入っていきます。しばらくアピールをしていると、7時ごろでしょうか、海保職員を乗せた車が登場。車の前に立ちふさがったりして基地に入らないように警告。排除しようとする警察官に押されたりして車の前に投げ出される人も出て危ない。サングラスの海保職員は車両をふさいでいる住民らを無視して進入しようとするので警官が車両に停止を指示するほど危ない。

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結局進入通路を無理やり確保した警察官に守られて海保職員を乗せた車両は基地内に入っていきました。誰をまもっているのか。最後にゲート前で抗議の声をあげて早朝の抗議行動は8時に終了。

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その後、基地を挟んで海岸側にある辺野古テントにお邪魔しました。

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東京から名護に移り住んだフォトグラファーの山本英夫さんがテントにいました。いろいろと最近の状況の話を聞いて、地域から反撃していく陣形などが必要ではないか、辺野古に来たたくさんの人がその問題意識を自分の活動の場にもちかえり運動をつづけてほしい、そしてなによりもたくさんの人が辺野古を訪れてほしいと。連休明けには東京の杉並、練馬などで講演会があるそうです。最新の情報などが聞けるかもしれませんので、お時間のある方はぜひ。

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辺野古の浜辺では「ジュゴンの家」のキムさんによるカヌートレーニング。今日は海上監視行動なのでそれほど多くないですが、それでも東京などから辺野古の海を守るためにカヌーに乗りにやってきたという女性も。

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今日は時間がありませんが、次回来た時にはかならず乗りますよと約束して辺野古浜をひきあげてきました。

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10時を回っていたので、シュワブ・ゲート前での抗議集会に戻りました。とちゅう、米軍の巨大な装甲車が5台ほど連ねて走っていました。歩道側で抗議する人々にたいして手を振ってました。

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ぼくはピースで応答。すると装甲車の上に載っている米兵もピースをするではないですか。くやしいので僕はグーをだしました。アメリカにもじゃんけんがあると意味は分かってもらえるのですが・・・。

ゲート前のテントに戻ると、参加者は朝よりも増えていました。

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大阪の大学の教員は、モンゴルや内モンゴルの留学生とともに参加。モンゴルでも米軍の砂漠訓練施設などのはなしがある、東アジア規模での平和をもとめるつながりが必要などを訴えていました。モンゴルからの参加者は、平和のためにがんばるみなさんといっしょに行動ができて本当に良かったと。中国内蒙古からの参加者も沖縄が侵略された歴史と中国が侵略された歴史を重ねながら平和を求める国境を越えたつながりを強調していました。日本人の学生もまけずにアピール。

つづいて県議、那覇市議、名護市議らのアピール。5・17県民大会成功のためにいろいろと準備していることなどを訴えていました。

奈良から来たという2人組のバンドは、きなくさい争いごとを進める政治に対する批判を交えてアピール。ギターの男性は沖縄・勝連の出身。勝連城の風雲児、肝高の阿麻和利(きむたかのあまわり)をうたった組踊のテーマソングを熱唱。ひときわ大きな拍手ありました。

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あいだに基地に向けた抗議行動をはさみながら早朝、午前の行動はひとくぎり。そうこうしているうちに那覇から集会参加者を乗せた大型バスが到着。午後からの集会の参加者。昨年末の忘年会で沖縄の話を聞いた大村さんら沖学労の皆さんの姿も。日差しのきつい午後からも集会がつづきますが、日よけや椅子など、疲れたら休めるようにもなっています。

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午前中に司会を担当していたのは、瀬長さんといって、あの瀬長亀次郎の孫だそうです。80歳を超えた女性や男性も座り込みの抗議に参加しています。沖縄戦の悲劇と米軍施政、そして返還という歴史を振り返らずにはいらません。

みなさんもぜひメンソーレ。

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[attac_ml:5150] 5月6日のシュワブ前座り込み&バナー案
2015/5/6, Wed 14:44


ハイサイー、稲垣です。

今朝(5月6日)の辺野古・シュワブ前ゲートでは、警察官によって基地内に男性一人が連れ込まれ。20分後に解放されています。
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=114490

今日はこのほかにも辺野古ブルー・カヌー隊に暴力をふるう海保職員を乗せた車両の進入を阻止しようと侵入路に座り込んだり寝ころんだりと、ゲート前でも果敢に行動がおこなわれています。17日の県民大会と翁長知事の訪米をまえに、島ぐるみの不屈の闘いが続いています。

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那覇の若狭公園のすぐ近くにある「不屈館」に行ってきました。

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戦中から沖縄で平和と民主主義のために闘ってきた瀬長亀次郎さん(1907-2001)の資料館。通称カメさん。

カメさんは、戦後、米軍姿勢下で人民党を結成し、52年には琉球政府立法議員に当選。54年に「人民党事件」で逮捕され2年間投獄。56年には那覇市長に当選するも、57年には米軍の府令で那覇市長の座を追放・被選挙権をはく奪されます。その後68年には再度立法議員に当選し、70年に行われた戦後沖縄初の日本の国政参加選挙で衆議院議員に当選。その後は日本共産党の議員として90年に勇退するまで各方面で活躍します。詳しく知りたい方はウィキなどでも。戦後の平和勢力の基調でもあった祖国復帰や民族独立など、違和感がないわけではありませんが、カメさんの軌跡は今の沖縄のひとたちのたたかいに通じる学ぶべき歴史だとおもいました。

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この「不屈館」の由来は、カメさんいつも色紙にサインを求められる時に「不屈」と書くことから、名付けられたそうです。
なぜカメさんが「不屈」と書くのかというと、自分のことではなく人民党事件で投獄されていたとき、米軍の意向に逆らってまで自分のことを助けてくれた2人の医師に感謝してこう記しています。

「(刑務所嘱託医の)福嶺医師はいくどとなく口頭で瀬長の開腹手術は急を要する旨当局に言い続けたようだ。しかし米軍はナシのつぶてであった。彼は意を決してついに診断書を書いてアメリカ占領軍と『琉球政府』に送り届けた。」

「三日間の輸血のあと手術は始められた。長濱医師はバッテリーまで用意して手術にとりかかった。案の定、電気は切られたが、バッテリーが始動して手術は成功したのである。」

「福嶺、長濱両医師の人間の生命の尊厳に対する断固とした姿勢、権力に屈しない不屈さに私は感服した。」

(『不屈館ガイドブック』に掲載されている「青少年へ贈る言葉『わが人生論』沖縄編 上より)

またカメさんの娘で資料館の館長である内村千尋さんは、「開館によてせ」のなかで、名称を「不屈館」にした理由をこう述べています。

「この資料館は瀬長亀次郎の個人資料館ではなく、不屈に闘ってきた県民の闘いを伝える資料館にするため、館の名称も『不屈館-瀬長亀次郎と民衆資料-』に決まりました。」

30分ほどあれば展示などもざっとですが見終えることはできるとおもいます。
沖縄へお越しの際はぜひめんそーれ。

不屈館 瀬長亀次郎と民衆資料
http://senaga-kamejiro.com/about.html

5月24日の国会包囲などで使うバナー用のスローガン、「不屈」ではちょっとキビしいですかね・・・。

カメさんは、立法議員議席を回復した68年にはこんなメッセージを残しています。

「弾圧は抵抗を呼ぶ。抵抗は友を呼ぶ。」

それと1950年の沖縄群島知事候補選に人民党から立候補したときの選挙演説にこんな一節があります。

「瀬長一人がさけんだならば、50メートル先まで聞こえます。
 沖縄の70万人民が声をそろえて叫んだならば、太平洋の荒波を越えて
 ワシントン政府を動かすことができます。」

2011年10月のウォール街占拠で出現した「人間マイクロフォン」を彷彿とさせる演説ですね。

54年の人民党事件のとき、カメさんは最終意見陳述の最後にこう述べています。

「平和勢力は必ず勝つ。戦争屋の敗退は決定的である。」

また那覇市長を追放された57年の12月31日の日記にはこう記されています。

「この1年、ずいぶん悪口も言われ、デマも飛ばされ、正にインサンに近いほどの圧迫の中で自分をキタえてきた。感想はキカレたら直に言える。働くものの団結のみが民族解放の力であると。この1年はそのことを完全に証明した。」

なかなか良いことを言います。バーゼル宣言(1912年11月)の一節、「搾取と大衆的殺害の資本主義世界に、諸民族の平和と友好のプロレタリア的世界を対置せよ!」と通底するな、と。

反戦用バナーは、あす、あさっての二日間をかけてattac事務所(淡路町)で作成する予定です。夜7時ごろから作業しています。お手伝いいただけるかたはぜひ。
明日の作業開始時点で集まった会員の間で、それまでに皆さんから集まったアイデアを募って決めたいと思います。

アイデアが出ないと、上記のようなトンデモスローガンになっちゃいますよ。作業が早く終わったらついでに、ハイサイ沖縄報告でもやりましょうかね。瀬長くん人形も買ってきましたし。

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・・・・・・結局、バナーはこうなりました(途中です)
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