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電力を「市場のもの」ではなく「みんなのもの」にはできないものか

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広島に原爆が投下された日から66年目の8月6日、「東京新聞」朝刊は二面ぶち抜きで「原発に頼らない国へ」という論説特集を組んだ。この間の原発問題に関する記事とともに、すばらしい内容になっている。ぜひ読んで欲しい。

しかし、それを前提としても、納得できないことがある。

自然エネルギーの普及に関して大きな「自由な電力市場を」という見出しが躍っているのだ。

論説特集は「再生可能エネルギーを促進するには」として、

1)各種の自然エネルギーを活用した発電会社が自由に電力市場に参入していく。
2)競争を通じて技術革新を進める。
3)生産と経営効率を高めていく。

ことが基本である、と述べている。

「東京電力」という国策民間会社に電力を独占されているのは問題である、というのは理解できる。では、電力やエネルギーを「市場」に独占させてもいいのだろうか。

論説特集は、電話事業を民間に開放したことで携帯電話が爆発的に普及した事例を挙げて、電力もこれと基本的に同じである、と述べている。

だが、もし仮に自然エネルギーによる発電が爆発的に普及すれば、それで問題は解決するのだろうか。

爆発的に普及した自然エネルギーで何をするのか、が問題ではないだろうか。これまでどおりの大量生産・大量浪費の仕組みを支えるクリーンな電気?発電はクリーンかも知れないが、その電力によって「使うため」ではなく「売るため」に生産・廃棄・汚染されるシステムが問われなくてもいいのだろうか。

携帯電話?スマートフォン?「爆発的な普及」を支えるために、生産や販売の現場でどれだけの労働者が過酷な搾取と健康被害に耐え忍んでいるのか。そのシステムは問われなくてもいいのだろうか。

自由な市場というのは、そんなシステムの上に成り立っている、ということは常識の範囲ではないのか。「自然エネルギー」という商品は「エコ」だから自由市場でもそんな悲劇をもたらさない、などという保証は常識的に考えても、どこにもないと思う。

未曾有の原発事故と広がる放射能汚染という悲劇をきっかけとしてではあるが、いま日本社会は電力事業やエネルギーのあり方の大転換を実現しなければならない、そして実現できる入り口に立っている。

電気は「市場」のものではなく、もちろん「東京電力」のものではなく、「みんなのもの」つまり、公共サービスであり、公正でエコな社会生活を営むうえで必要な分があればいい、というふうに大胆で柔軟に考えることはできないだろうか。つまり「売るため」ではなく「使うため」にだけ提供するものだと。だから「市場」や「競争」や「経営効率」ではない基準が必要になると思うし、所有形態についても公的な管理の下に置くべきではないかと思う。

エネルギー消費の大幅な削減のためには、労働時間の大幅な短縮、公正な賃金、公共輸送網の発展などが必要だが、これも「市場」や「競争」や「経営効率」では実現できない。エネルギー消費における「南」と「北」の不公平な関係の是正など、いろいろと考えるところはあるが、今日は、エネルギーは「市場」や「企業」のものではなく「みんなのもの」という上記の観点についてのみ考えてみました。

「東京新聞」のみなさん、そして新聞を毎日輸送・配達してくれるみなさん、いい記事をありがとうございました。これからも楽しみにしています。
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公共をみんなが管理という形をどう作るか

現実に税金で事故処理をするのだから、債権者は「みんな」でもある。公共をみんなが管理という形をどう作るかが問題。つまり、所有形態を公的な管理の下に置いたら、経産省の役人の管理になった、って話じゃダメなわけで、そこをどうするかということです。

2011/08/09 (Tue) 03:06 | tu-ta #8iCOsRG2 | URL | Edit

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