
1億6500万の人口を有するパキスタン・イスラム共和国に対する日本政府の経済支援は、2001年をのぞいて、一貫して1位を占めてきた。
◎対パキスタンODA実績(単位:百万ドル)
1998年 日本 491.5 英国 46.4 オランダ16.8
1999年 日本 169.7 ドイツ83.4 米国 75.0
2000年 日本 280.4 米国 88.5 英国 23.7
2001年 米国 775.6 日本 211.4 英国 27.4
2002年 日本 266.2 英国 112.1 米国 102.3
2004年 日本 134.1 英国 90.8 米国 76.9
政府開発援助(ODA)国別統計資料より
この西南アジアの大国、パキスタンのムシャラフ大統領は、11月3日に非常事態宣言を宣言した。憲法は凍結され、臨時憲法令が公布された。非常事態宣言下では、生存権、身体の自由、国内移動の自由、集会の自由、結社の自由、言論・プレスの自由、平等権は一時停止されるという。事実上の戒厳令である。これまでに活動家や弁護士など2000人が拘束された。
今回のクーデターに日本政府は無縁ではない。ムシャラフ大統領は99年にクーデターで実験を握り、現在も陸軍参謀長も兼任している。れっきとした軍事政権である。日本政府は、この軍事政権に、経済面だけでなく軍事的にも支援してきた。
ムシャラフは、10月に大統領選挙で当選した。しかし、同国の憲法では、陸軍参謀長という「公職」についたままでは大統領選挙に立候補することができない。このことを野党などから批判されていた。クーデターで公布された臨時憲法では、裁判所は、大統領、首相その他指名する当局に反する判決、命令等を行う権限を有さないとされている。1999年にクーデターで権力を握った軍人大統領による二度目のクーデターである。
このクーデターに対して、日本政府は翌11月4日に外務報道官の談話として次のように発表している。
◎パキスタンにおける非常事態宣言について(外務省11月4日)
「パキスタンにおける民主主義の定着に向けたプロセスを後退させるものであり、我が国として深く憂慮する。 」
そして恥ずかしげもなく次のように談話を続ける。
「我が国は、これまで一貫してパキスタンのテロとの闘いと民主主義の定着を支援してきた。」
そう、日本政府は、ムシャラフの軍事政権を一貫して支えてきたのだ。すこし時間をさかのぼって、日本政府がどれほどこの軍事政権の存続に関与してきたのかを振り返る。
■ ムシャラフ政権までのパキスタン
1979年12月に隣国アフガニスタンに侵攻したソ連に対抗するために、米のレーガン政権は81年から5年間で32億ドルの軍事経済援助を行う。IMF等の債務返済の外貨資金繰りに窮していた当時のパキスタン軍事政権にとってはまさに「恵の雨」であった。しかし89年2月にソ連軍が撤退し、パキスタンへの軍事援助も停止される。
パキスタンでは88年に軍事政権から議会制が復活して、軍事政権の時代はいったん幕を閉じた。
その後、ブットーのパキスタン人民党とシャリーフのパキスタン・ムスリム同盟がそれぞれ二回ずつ政権に就き、軍事政権の後をついでIMFの構造改革政策をすすめていく。そして政権の腐敗も際限なく拡大した。この辺は、中南米でも見られたように、軍事政権の後の議会制民主主義が、汚職と腐敗にまみれていく構図はまったくおなじだ。
腐敗とIMF改革に抗する民衆の抵抗によってIMF構造改革は遅々として進まない。多国籍金融機関は不満をあらわにする。「さっさと構造改革をすすめてしまえ!」と。腐敗した「議会制民主主義」は立ちすくんだ。
危機はさらに深化する。98年5月はじめ、対立していたインドが核実験を行なう。パキスタン政府も同じ5月末に核実験を行なう。インド、パキスタンはともにG8諸国などからの経済制裁(「人道経済援助」などとよばれる融資は除く)で、外貨預金口座、IMF等の融資凍結などに直面した。
外資不足に陥り、99年1月にはIMFが融資を再開、パリクラブでの債務繰り延べなどの決定が行われるも、同年5月には、融資条件の不履行によって再度融資が凍結されてしまう。経済的にも、政治的にも、当時のシャリーフ政権は危機に直面していた。
その危機に乗じてクーデターで権力を握ったのが、ムシャラフ将軍だ。ムシャラフは、99年10月、ムシャラフ解任を指示したシャリーフ首相を逆に自宅軟禁にして、実権を握る。
■ IMFの新自由主義政策は軍事政権で花開く
ムシャラフはIMF融資再開の交渉を2000年1月から開始し、同年11月にIMFをはじめ、世銀、アジア開発銀行などの融資も再開された。ここでも多国籍金融機関にとっては軍事政権か民政かは関係のないことが証明された。
ムシャラフは、2001年から2004年までにもIMFの中期プログラムを実施し、国際機関とG8諸国の「信頼」を勝ち取ってきた。
「IMF、世界銀行、WTOといった国際帝国主義の機構を喜ばせるために全力をつくすことによって、(ブッシュに信頼されるという)この立場をかちとったのである。彼は、公共部門のリストラ、民営化の遂行、関税の引下げ、その他の規制緩和措置の採用といった要求を実施せよという、これらの諸機構のアドバイスに無分別に従う行動をとった。」(「ムシャラフ政権の4年間」ファルーク・タリク/パキスタン労働党書記長/週刊かけはし2004年3月15日号)
■ 911テロで活気付いたムシャラフ
しかし、何よりもアメリカを始めとするG8諸国の信頼を勝ち取ったのは、2001年9月11日の同時多発テロに対してブッシュ政権がとった「対テロ戦争」を率先して支持したことがあげられる。
パキスタンが隣国アフガニスタンへの空爆を支持したことで、アメリカや日本は、88年の核実験以来続いていたパキスタンへの経済制裁を終了。これで公然とパキスタンに対して軍事経済援助ができるようになった。冒頭の表を見てもらえれば明らかだが、2001年の米国による対パキスタンODA7億7560万ドルという額は他の年度のどの国の援助に比べても群を抜いて高い。分かりやすい国だ。
日本政府も同様にパキスタン政府に対する一連の支援を再開する。
◎パキスタン及びインドに対する緊急の経済支援 2001年9月21日
◎対パキスタン緊急経済支援 2001年9月19日
また債務の返済繰り延べも実施した。2001年12月14日の共同通信ニュースによると、「パリクラブ(主要債権国会議)は、パキスタンと1997年9月以前に契約した約125億ドルの債権に関して、返済の繰り延べを認める決定をし」、「パキスタンは政府開発援助(ODA)債務については2039年まで、非ODA債務については2024年までに完済すればよいこと」になった。この繰り延べ債務の125億ドルのうち日本の債権は約4割を占める。
パリクラブは通常1~2年の短期的な繰り延べにしか応じない。これほどの長期繰り延べの容認は「異例の措置」とのこと。当時の日本政府は以下のように発表している。
◎パキスタンの債務繰延に関するパリクラブ合意について 2001年12月14日
2001年9月26日のDawn紙は、債務に関する日本とパキスタンの親密な関係を明らかにしている。対外債務365億ドルのうち、二国間債務では日本が最大の50億ドルの債権を持っている。第二位のアメリカは31億ドル。国際金融機関では世界銀行が70億ドル、そして日本の影響力がつよいアジア開発銀行は65億ドルの債権を保有している。
日本政府の援助再開、債務繰り延べの決定は、ムシャラフにとって何より歓迎すべき事態であったことは想像に難くない。
■ 親米路線と宗教原理主義の台頭
ムシャラフはその後も一貫して、その親米路線を推進し、経済的には国際金融機関の条件に忠実に従ってきた。そのおかげで経済が活性化した、という論調もあるようだが、何のことはない。アメリカの「対テロ戦争」に協力することを通じて、そしてIMFや世界銀行、アジア開発銀行の新自由主義プログラムに従うことによって、世界中に有り余るマネーが流れ込んでいるだけであり、圧倒的大多数の貧しいパキスタン民衆はその恩恵にあずかってはいない。
一向に改善しない状況のなかで、親米路線をとり続けるムシャラフに対する批判は、反米の宗教的原理主義に取り込まれつつある。2002年10月の総選挙では、原理的な宗教政党が躍進した。ブッシュとムシャラフの「対テロ戦争」によって、いっそう危険な思想がパキスタン全土に蔓延することになったのだ。
今年5月には最高裁長官解任に抗議する弁護士達の抗議行動が拡大し、ムシャラフ体制で初めての政治的ストライキが打たれた。カラチからペシャワールまでのすべての商店がシャッターを下ろし、ムシャラフ政権に抗議の意を示した。軍事政権対するNO!の声は拡大し続けている。
■ テロ特措法とパキスタン
最後に、どうしてもふれておかなければならないことがある。安倍前首相が「職場放棄」する直接のきっかけとなったテロ特措法との関係についてである。
海上自衛隊は、2001年11月2日に成功されたテロ特措法にもとづき、米英両国によるアフガンのタリバン政権に対する侵略戦争である「不朽の自由作戦」の海上阻止行動に従事する艦船に対して、洋上補給(給油)を行なってきた。延長に延長を重ね、約6年間で11カ国の艦船に794回、計約49万キロリットルを無償で給油した。
以下は、2001年12月2日から2006年12月7日までの補給実績である。
アメリカ(2001年12月2日初補給) 339回
パキスタン(2004年7月13日初補給) 110回
フランス(2003年3月9日初補給) 79回
カナダ(2003年4月6日初補給) 42回
イタリア(20035年3月20日初補給) 39回
イギリス(2002年1月29日初補給) 27回
ニュージーランド(2003年3月11日初補給) 15回
ドイツ(2003年6月4日初補給) 23回
ギリシア(2003年4月5日初補給) 10回
オランダ(2003年3月28日初補給) 11回
スペイン(2003年4月8日初補給) 10回
アメリカの339回はわかるとして、その次に多かったのがパキスタンである。しかもこの作戦に参加しているパキスタンの駆逐艦は、小型のもの一隻のみである。
テロ特措法の期限が、民主党の延長反対によってほぼ切れようとしていた矢先、アメリカのシーファー駐日大使は次のような発言をしている。
「日本が参加しなければ、米国だけでなく、パキスタンが活動を続けられるかどうかということに影響を与える」。
テロ特措法期限切れの直前、海自の補給艦「ときわ」が最後に補給したのもパキスタンの駆逐艦であった。
■ パキスタンから債務と新自由主義と独裁政権を追い出そう
日本政府は、このようにしてムシャラフ軍事政権の対テロ戦争を支援してきた。既述のとおり、対テロ戦争への参加は国際社会への復帰に欠かせない要素であった。またIMFなどの国際金融機関にとっては、軍事政権であろうと何であろうと、将来にわたって永遠に債務を返済し続けるためのプログラムを忠実に実施することのできる政権こそが、グッドガバナンス、良い支配を行っている、信頼するに値する=融資をつづけることのできる政権なのである。
1990年には206億ドルだったパキスタンの対外債務残高は、2006年6月末には372億4100万ドルに上っている。パリクラブやIMFなどの債務繰り延べ措置を受ける前の2001年の365億ドルとほぼおなじ水準を維持している。
ムシャラフ軍事政権を支えるためにつぎ込まれた莫大なマネーの返済を、抑圧されているパキスタン民衆が将来にわたって負い続けるという、不道徳極まりない国際金融のルールは間違っている。
テロ特措法の延長に反対し、「軍事で平和は作れない。経済援助こそが重要だ」と『世界』11月号で述べたどこぞの国の民主党代表がいたが、パキスタンにおいて、世界銀行やIMF、そして日本政府による経済援助は密接に軍事支援や対テロ戦争と結びついている。「援助」や「開発」や「貧困解消」などという耳障りの良い台詞に騙されてはいけない。
ATTACとも協力関係にある第三世界債務廃絶ネットワーク(CADTM)は、今回のクーデターに対して、国際金融機関の責任を明確に批判している。
◎CADTM:ムシャラフ体制とそれを支える”ドナー”達を非難
債務帳消しを訴える国際的ネットワークであるジュビリーサウスも抗議署名を呼びかけている。
◎ジュビリーサウス・ムシャラフ政権による非常事態宣言を非難
また2006年にカラチで行われた世界社会フォーラムの受入団体のひとつであったパキスタン労働党の書記長、ファルーク・タリクさんは、政権の弾圧を逃れながら、世界の友人にパキスタン政府への抗議行動を呼びかけている。
◎ムシャラフの時代は終わった――大使館へのピケットは最も効果的な抗議の方法(ファルーク・タリク/パキスタン労働党書記長/アジア連帯講座Blog)
パキスタンから債務と新自由主義と独裁政権を追い出そう!
以下の論考を参考にした
◎パキスタンの選択―経済的側面からの分析 (PDF)
◎パキスタン:ムシャラフ大統領再選を巡る「政治的混乱」が経済・投資に与える影響(e-NEXI 2007年10月号)
◎パキスタン―ムシャラフ政権の4年間(週刊かけはし2004年3月15日号)

このクーデターに対して、日本政府は翌11月4日に外務報道官の談話として次のように発表している。
◎パキスタンにおける非常事態宣言について(外務省11月4日)
「パキスタンにおける民主主義の定着に向けたプロセスを後退させるものであり、我が国として深く憂慮する。 」
そして恥ずかしげもなく次のように談話を続ける。
「我が国は、これまで一貫してパキスタンのテロとの闘いと民主主義の定着を支援してきた。」
そう、日本政府は、ムシャラフの軍事政権を一貫して支えてきたのだ。すこし時間をさかのぼって、日本政府がどれほどこの軍事政権の存続に関与してきたのかを振り返る。
■ ムシャラフ政権までのパキスタン
1979年12月に隣国アフガニスタンに侵攻したソ連に対抗するために、米のレーガン政権は81年から5年間で32億ドルの軍事経済援助を行う。IMF等の債務返済の外貨資金繰りに窮していた当時のパキスタン軍事政権にとってはまさに「恵の雨」であった。しかし89年2月にソ連軍が撤退し、パキスタンへの軍事援助も停止される。
パキスタンでは88年に軍事政権から議会制が復活して、軍事政権の時代はいったん幕を閉じた。
その後、ブットーのパキスタン人民党とシャリーフのパキスタン・ムスリム同盟がそれぞれ二回ずつ政権に就き、軍事政権の後をついでIMFの構造改革政策をすすめていく。そして政権の腐敗も際限なく拡大した。この辺は、中南米でも見られたように、軍事政権の後の議会制民主主義が、汚職と腐敗にまみれていく構図はまったくおなじだ。
腐敗とIMF改革に抗する民衆の抵抗によってIMF構造改革は遅々として進まない。多国籍金融機関は不満をあらわにする。「さっさと構造改革をすすめてしまえ!」と。腐敗した「議会制民主主義」は立ちすくんだ。
危機はさらに深化する。98年5月はじめ、対立していたインドが核実験を行なう。パキスタン政府も同じ5月末に核実験を行なう。インド、パキスタンはともにG8諸国などからの経済制裁(「人道経済援助」などとよばれる融資は除く)で、外貨預金口座、IMF等の融資凍結などに直面した。
外資不足に陥り、99年1月にはIMFが融資を再開、パリクラブでの債務繰り延べなどの決定が行われるも、同年5月には、融資条件の不履行によって再度融資が凍結されてしまう。経済的にも、政治的にも、当時のシャリーフ政権は危機に直面していた。
その危機に乗じてクーデターで権力を握ったのが、ムシャラフ将軍だ。ムシャラフは、99年10月、ムシャラフ解任を指示したシャリーフ首相を逆に自宅軟禁にして、実権を握る。
■ IMFの新自由主義政策は軍事政権で花開く
ムシャラフはIMF融資再開の交渉を2000年1月から開始し、同年11月にIMFをはじめ、世銀、アジア開発銀行などの融資も再開された。ここでも多国籍金融機関にとっては軍事政権か民政かは関係のないことが証明された。
ムシャラフは、2001年から2004年までにもIMFの中期プログラムを実施し、国際機関とG8諸国の「信頼」を勝ち取ってきた。
「IMF、世界銀行、WTOといった国際帝国主義の機構を喜ばせるために全力をつくすことによって、(ブッシュに信頼されるという)この立場をかちとったのである。彼は、公共部門のリストラ、民営化の遂行、関税の引下げ、その他の規制緩和措置の採用といった要求を実施せよという、これらの諸機構のアドバイスに無分別に従う行動をとった。」(「ムシャラフ政権の4年間」ファルーク・タリク/パキスタン労働党書記長/週刊かけはし2004年3月15日号)
■ 911テロで活気付いたムシャラフ
しかし、何よりもアメリカを始めとするG8諸国の信頼を勝ち取ったのは、2001年9月11日の同時多発テロに対してブッシュ政権がとった「対テロ戦争」を率先して支持したことがあげられる。
パキスタンが隣国アフガニスタンへの空爆を支持したことで、アメリカや日本は、88年の核実験以来続いていたパキスタンへの経済制裁を終了。これで公然とパキスタンに対して軍事経済援助ができるようになった。冒頭の表を見てもらえれば明らかだが、2001年の米国による対パキスタンODA7億7560万ドルという額は他の年度のどの国の援助に比べても群を抜いて高い。分かりやすい国だ。
日本政府も同様にパキスタン政府に対する一連の支援を再開する。
◎パキスタン及びインドに対する緊急の経済支援 2001年9月21日
◎対パキスタン緊急経済支援 2001年9月19日
また債務の返済繰り延べも実施した。2001年12月14日の共同通信ニュースによると、「パリクラブ(主要債権国会議)は、パキスタンと1997年9月以前に契約した約125億ドルの債権に関して、返済の繰り延べを認める決定をし」、「パキスタンは政府開発援助(ODA)債務については2039年まで、非ODA債務については2024年までに完済すればよいこと」になった。この繰り延べ債務の125億ドルのうち日本の債権は約4割を占める。
パリクラブは通常1~2年の短期的な繰り延べにしか応じない。これほどの長期繰り延べの容認は「異例の措置」とのこと。当時の日本政府は以下のように発表している。
◎パキスタンの債務繰延に関するパリクラブ合意について 2001年12月14日
2001年9月26日のDawn紙は、債務に関する日本とパキスタンの親密な関係を明らかにしている。対外債務365億ドルのうち、二国間債務では日本が最大の50億ドルの債権を持っている。第二位のアメリカは31億ドル。国際金融機関では世界銀行が70億ドル、そして日本の影響力がつよいアジア開発銀行は65億ドルの債権を保有している。
日本政府の援助再開、債務繰り延べの決定は、ムシャラフにとって何より歓迎すべき事態であったことは想像に難くない。
■ 親米路線と宗教原理主義の台頭
ムシャラフはその後も一貫して、その親米路線を推進し、経済的には国際金融機関の条件に忠実に従ってきた。そのおかげで経済が活性化した、という論調もあるようだが、何のことはない。アメリカの「対テロ戦争」に協力することを通じて、そしてIMFや世界銀行、アジア開発銀行の新自由主義プログラムに従うことによって、世界中に有り余るマネーが流れ込んでいるだけであり、圧倒的大多数の貧しいパキスタン民衆はその恩恵にあずかってはいない。
一向に改善しない状況のなかで、親米路線をとり続けるムシャラフに対する批判は、反米の宗教的原理主義に取り込まれつつある。2002年10月の総選挙では、原理的な宗教政党が躍進した。ブッシュとムシャラフの「対テロ戦争」によって、いっそう危険な思想がパキスタン全土に蔓延することになったのだ。
今年5月には最高裁長官解任に抗議する弁護士達の抗議行動が拡大し、ムシャラフ体制で初めての政治的ストライキが打たれた。カラチからペシャワールまでのすべての商店がシャッターを下ろし、ムシャラフ政権に抗議の意を示した。軍事政権対するNO!の声は拡大し続けている。
■ テロ特措法とパキスタン
最後に、どうしてもふれておかなければならないことがある。安倍前首相が「職場放棄」する直接のきっかけとなったテロ特措法との関係についてである。
海上自衛隊は、2001年11月2日に成功されたテロ特措法にもとづき、米英両国によるアフガンのタリバン政権に対する侵略戦争である「不朽の自由作戦」の海上阻止行動に従事する艦船に対して、洋上補給(給油)を行なってきた。延長に延長を重ね、約6年間で11カ国の艦船に794回、計約49万キロリットルを無償で給油した。
以下は、2001年12月2日から2006年12月7日までの補給実績である。
アメリカ(2001年12月2日初補給) 339回
パキスタン(2004年7月13日初補給) 110回
フランス(2003年3月9日初補給) 79回
カナダ(2003年4月6日初補給) 42回
イタリア(20035年3月20日初補給) 39回
イギリス(2002年1月29日初補給) 27回
ニュージーランド(2003年3月11日初補給) 15回
ドイツ(2003年6月4日初補給) 23回
ギリシア(2003年4月5日初補給) 10回
オランダ(2003年3月28日初補給) 11回
スペイン(2003年4月8日初補給) 10回
アメリカの339回はわかるとして、その次に多かったのがパキスタンである。しかもこの作戦に参加しているパキスタンの駆逐艦は、小型のもの一隻のみである。
テロ特措法の期限が、民主党の延長反対によってほぼ切れようとしていた矢先、アメリカのシーファー駐日大使は次のような発言をしている。
「日本が参加しなければ、米国だけでなく、パキスタンが活動を続けられるかどうかということに影響を与える」。
テロ特措法期限切れの直前、海自の補給艦「ときわ」が最後に補給したのもパキスタンの駆逐艦であった。
■ パキスタンから債務と新自由主義と独裁政権を追い出そう
日本政府は、このようにしてムシャラフ軍事政権の対テロ戦争を支援してきた。既述のとおり、対テロ戦争への参加は国際社会への復帰に欠かせない要素であった。またIMFなどの国際金融機関にとっては、軍事政権であろうと何であろうと、将来にわたって永遠に債務を返済し続けるためのプログラムを忠実に実施することのできる政権こそが、グッドガバナンス、良い支配を行っている、信頼するに値する=融資をつづけることのできる政権なのである。
1990年には206億ドルだったパキスタンの対外債務残高は、2006年6月末には372億4100万ドルに上っている。パリクラブやIMFなどの債務繰り延べ措置を受ける前の2001年の365億ドルとほぼおなじ水準を維持している。
ムシャラフ軍事政権を支えるためにつぎ込まれた莫大なマネーの返済を、抑圧されているパキスタン民衆が将来にわたって負い続けるという、不道徳極まりない国際金融のルールは間違っている。
テロ特措法の延長に反対し、「軍事で平和は作れない。経済援助こそが重要だ」と『世界』11月号で述べたどこぞの国の民主党代表がいたが、パキスタンにおいて、世界銀行やIMF、そして日本政府による経済援助は密接に軍事支援や対テロ戦争と結びついている。「援助」や「開発」や「貧困解消」などという耳障りの良い台詞に騙されてはいけない。
ATTACとも協力関係にある第三世界債務廃絶ネットワーク(CADTM)は、今回のクーデターに対して、国際金融機関の責任を明確に批判している。
◎CADTM:ムシャラフ体制とそれを支える”ドナー”達を非難
債務帳消しを訴える国際的ネットワークであるジュビリーサウスも抗議署名を呼びかけている。
◎ジュビリーサウス・ムシャラフ政権による非常事態宣言を非難
また2006年にカラチで行われた世界社会フォーラムの受入団体のひとつであったパキスタン労働党の書記長、ファルーク・タリクさんは、政権の弾圧を逃れながら、世界の友人にパキスタン政府への抗議行動を呼びかけている。
◎ムシャラフの時代は終わった――大使館へのピケットは最も効果的な抗議の方法(ファルーク・タリク/パキスタン労働党書記長/アジア連帯講座Blog)
パキスタンから債務と新自由主義と独裁政権を追い出そう!
以下の論考を参考にした
◎パキスタンの選択―経済的側面からの分析 (PDF)
◎パキスタン:ムシャラフ大統領再選を巡る「政治的混乱」が経済・投資に与える影響(e-NEXI 2007年10月号)
◎パキスタン―ムシャラフ政権の4年間(週刊かけはし2004年3月15日号)

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